第79話 頼れる友邦
宴が滞りなく終わった翌日。王城の応接室の中でも最上級の一室にて、クラウディアはエドウィン・リガルド皇太子と会談する。もとい、対峙する。
室内にはクラウディアとエドウィン、それぞれの護衛と、エーデルシュタイン王家の侍従長のみがいる。クリストファー大使さえも排した、王家と皇帝家の継嗣同士による話し合いの場。
侍従長が芸術的なまでに洗練された所作でお茶を淹れて部屋の隅に下がった後、まず口を開いたのはクラウディアだった。
「それで、皇太子殿。此度のザンクト・ヴァルトルーデ滞在は如何かな?」
「大変楽しませてもらっている。やはりバルテン伯爵は客への応対が上手いな。彼を付けてくれて感謝するぞ」
「それは何よりだ。彼も喜ぶだろう」
場の空気を温めるための雑談に、エドウィンは上機嫌で乗ってきた。
アルフォンス・バルテン伯爵は、人付き合いにおいては天性の才覚を有する。外務大臣である彼に、直々に皇太子の案内を務めさせたのは正解だったとクラウディアは考える。
「特に良かったのは王立劇場と王立書店だな。二日で二本の劇を見て、ここ数年の新しい物語本を買い集めたが、相変わらずエーデルシュタイン王国の創作文化は素晴らしい。大陸でも最高水準だろう……だが、少し気になる点もある」
物語好きで知られるエドウィンは、そこで少し眉を顰める。
「空想の物語とはいえ、未だに奴隷描写を含む作品が見られるのは果たして如何なものだろうな。たとえ創作の中の話といえども、古臭く野蛮な奴隷制度は好まない。それが今の皇帝家の価値観であり、民草にも啓蒙を進めている。貴国にも見習ってもらいたいものだ」
「……貴重な意見に感謝する。我が国の作家や芸術家たちにも指導しておこう」
その奴隷制度をほんの百年も前まで現実で運用していたのはどこの国だ、と思いながらも、クラウディアは無難な返答をする。
友邦の次期君主として形式上の立場は対等とはいえ、クラウディアとエドウィンの力関係には明確な上下がある。アレリア王国と今まさに戦争をしているエーデルシュタイン王国の王族として、自国の何倍もの力を有する隣国の皇太子の機嫌を損ねるわけにはいかない。
なので自国の作家や芸術家たちには悪いが、この場ではひとまずこう答えるしかない。
「ところで、ジギスムント・エーデルシュタイン国王陛下の御病状は如何かな? 昨日は祝いの場ということもあって、あまり詳しく聞くのは憚られたが」
「……良くない。おそらく今後、もはや公の場に立つことは叶わないだろう。今年はまだ大丈夫だろうが、来年の末を父と共に迎えるのは難しいと覚悟している」
努めて表情は変えず、クラウディアは答えた。
やはり謀反の後始末が身体に障ったのか、ジギスムントの病状は以前のように悪くなった。あるいは以前にも増して。
今では安楽椅子に座れるほど調子が良い日も少なく、それ以外は自力で身を起こすのも辛そうな有様となっている。
戦争の推移をなるべく長く自身の目で見届けたいという本人の希望もあり、できる限りの治療を施しているが、それも生命力が失われるのを遅らせる時間稼ぎに過ぎない。海の向こうの異国から取り寄せた高価な薬を惜しまず使っても、あと一年生きられるかは分からない、というのが医師の見立てだった。
「そうか。偉大な王として知られるジギスムント陛下も、今やそれほどに……陛下と貴家の皆々にとって、残された日々が安らかなるものであることを心から願っている」
「貴殿の言葉、父にも必ず伝えよう」
さすがに神妙な顔で言ったエドウィンに、クラウディアは軽く頭を下げた。
「しかしそうなると、貴殿としてはますます大変だな。陛下の御病状の悪化だけでなく、バッハシュタイン公爵領――いや、今ではもはや王領の一部だったか。その扱いも未だ懸念事項となっているだろう」
「まったくもってその通りだ。なので、貴国より受けている支援は非常に助かっている。エーデルシュタイン王家を代表し、あらためて礼を言わせてほしい」
「何、礼には及ばぬ。友邦に手を差し伸べるのは当然のこと。力ある国の義務であるが故に」
言葉には慈悲深さを、態度にはどこか尊大さを込めながら、エドウィンは答える。
アレリア王国の軍勢による去り際の略奪と放火。旧公爵領の社会の混乱に伴う、農業生産力の一時的な低下。それらの要因で不足する食料の補填について、支援してくれたのがリガルド皇帝家だった。大使であるクリストファーの報告と提案を受け、皇帝家は相場より大幅に安い価格での食料輸出を決断した。
結果、エーデルシュタイン王国は王領と旧公爵領で今年から来年にかけて食料が不足する事態を回避し、非常時のための物資備蓄も回復させる目途が立った。それに伴う支出も、国庫が許容し得る範囲内で収まっている。
帝国に借りを作ったことについて、クラウディアとしては苦く思う部分もあるが、今はそうも言っていられない。王家とて予算には限りがあり、食料輸入以外にも旧公爵領の運営や国境警備にも金を割かなければなければならず、なおかつ先のことを考えるとそう簡単に国庫を空にすることもできない。今回は、帝国の支援が正直に言ってありがたかった。
「さて、この支援について元となる提案をしてくれたラングフォード卿だが。実は先日、彼より新たな提案を受けた。今日はそのことについて話したい」
「新たな提案?」
クラウディアは少しばかり怪訝な表情になる。基本的には帝国の象徴的な代表であるクリストファーが、実務に関してそう何度も提案をするというのは、意外な話だった。
「あ奴は理想主義者だが、あれで何かと智慧を出そうと努力はしているようだ。あ奴の愛してやまないエーデルシュタイン王国のためにな……その結果、今回出てきた案が、帝国大使として貴国とアレリア王国との国境地帯を視察して回るというものだったというわけだ。その有効性については私も認めるところだ」
帝国の大使が、アレリア王国に面するエーデルシュタイン王国の国境地帯を視察して回る。それは具体的な軍事支援などを除けば、帝国による連帯を示す最大級に強い意思表示となる。
それを理解した上で、クラウディアはなおも、眉を顰めた。今度は疑問ではなく懸念を理由に。
「……それほどまでに、帝国貴族の間ではエーデルシュタイン王国への支援について意見が割れているのか?」
「ほう、さすがは聡明なる王太女殿だ。察しがいいな」
その誉め言葉に対して素直に喜ぶことは、クラウディアにはできなかった。
アレリア王国が明らかにノヴァキア王国へと侵攻の主軸を移している現状、エーデルシュタイン王国としては、目の前に差し迫った危機はない。アレリア王国への強力な牽制が、ただちに必要というわけではない。
にもかかわらず、このタイミングでの大使による国境地帯の視察という大胆な案に、エドウィンが有効性を認めた。とすれば、その有効性は帝国の外――アレリア王国やエーデルシュタイン王国に対してではなく、帝国内に向けてのものと考えられる。
つまり、大胆な案を実行してまで両国の連帯を示さなければならない事情が帝国内にある。例えば、帝国に直接の利益がないにもかかわらず、エーデルシュタイン王国を支援していることへの貴族たちの否定意見などが。クラウディアはそう考えた。
エドウィンの返答は、クラウディアの推測が正しいと示したも同然だった。
「先のジギスムント陛下の御立ち回りは、確かに見事なものだった。しかし、陛下がそうして示された威厳に全員が納得するほど、帝国貴族たちも単純ではない。王族の身内による謀反が発生したことを、友邦の懸念事項と見る者たちも当然にいる。」
「……」
その言葉に、クラウディアも納得を覚える。
ジギスムントはその威容をもって、謀反発生による王家の傷を最小限に抑えた。とはいえ、さすがに無傷というわけではない。エーデルシュタイン王家についた傷を、王家の弱さの証と見る帝国貴族がいるのも仕方のないことと言える。
「今後エーデルシュタイン王国が危機に陥ったとき、自分たち帝国が支援の負担を負う意味は果たしてあるのか。武器や物資、兵力を友邦に与えたとして、それが無駄になりはしないか。それよりも、友邦が足掻き消え去るまでの猶予を活かし、西の国境の防衛線を強靭化する方がよほど国を守りやすいのではないか。未だ不安定なアレリア王国は、隣国として直ちに脅威にはなり得ないのだから、今は放置してよいのではないか。そのように考える貴族も皆無ではない。未だ少数派ではあるがな……とはいえ皇帝家としては、安易にエーデルシュタイン王家を切り捨てるつもりはない。貴国はアレリア王国を退け、生き残る可能性を十分に持っていると考えている。だからこそ、支援に否定的な帝国貴族の派閥が勢いを増す前に、手を打っておきたいというわけだ」
わざとらしく両手を広げてみせながら、エドウィンは語る。
「ラングフォード卿は変わり者だが、あ奴の貴国への親愛は本物だ。おまけに理想主義者の文化人らしく、交流やら演説やら、象徴的な立ち回りは上手い。皇帝家の遣いたる大使が国境地帯を視察して回り、エーデルシュタイン王国への親しみを振りまき、各所で名演説でも行えば、皇帝家が貴家への連帯を示す意思表示としては十分だろう。これだけ強い意向を見せれば、支援否定派の貴族たちへの現時点での牽制には足りる」
「……なるほど。だが、帝国の大使がそれだけの振る舞いをすれば、貴国とアレリア王国の関係は決定的に悪化するのではないか? その点についてはどう考えている?」
クラウディアが問うと、エドウィンは不敵な笑みを浮かべる。
「帝国としては一向に構わぬ。どうせ、このルドナ大陸で今のアレリア王家と長く共存していくことはできないだろうからな……アレリア王国の侵攻の矛先がノヴァキア王国に向けられている今こそ、エーデルシュタイン王国でこのような政治的な示威行為を行う好機。アレリア王国がどれほど頑張ろうと、今はせいぜい弱腰でないことを示すための威嚇程度しかとれまい。むしろ――」
そこで言葉を切り、エドウィンはお茶に口をつける。まるで話の続きを待つクラウディアを焦らすように、ゆっくりと優雅な所作で。
「――いっそ、かの国が威嚇で軍勢を集めたり、貴国に小競り合いを仕掛けたりする方が皇帝家としては都合が良いがな。帝国の大使が国境にいると知りながらアレリア王国は攻撃的な態度をとった。そうなれば帝国貴族たちは、大使に舐めた真似をしてくれたアレリア王国に憤るだろう。貴族たちにアレリア王国を嫌わせておけば、いざというときの貴国への支援はより容易になる」
どうだ? と問いかけるエドウィンに、クラウディアはすぐには答えない。
しばらく思考を巡らせ、そして頷く。
「貴殿の提案には理があると私も考える。貴家と我が王家、双方にとって利益のある選択だろう。我が父たる国王陛下にもご判断を仰ぎ、最終的な返答をすることとなるが、良い返事を期待していてほしい」
「何よりだ。では、ジギスムント陛下の御英断をお待ち申し上げるとしよう。また劇場や書店に足を運びながらな」
エドウィンに握手を求められ、クラウディアも応じる。微笑を顔に貼りつけて。
巨大で、強大で、そして尊大な友邦から、今は見放されるわけにはいかない。
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