第77話 友邦の要人②
マティアスとフリードリヒが振り返ると、そこには二人の宮廷貴族がいた。一人は、財務大臣の地位にあるヘルムート・ダールマイアー侯爵。宮廷社会において文官の頂点に立つ人物。もう一人は外務大臣アルフォンス・バルテン伯爵。先ほどの声の主は前者だった。
「まあまあ、ダールマイアー卿、そう仰らずに。武門の彼らとしては、今日のこの場はあまり楽しくないでしょうから」
「それもそうだろうな。とはいえ、楽しくなければ祝宴の場の隅で黙り込んでいても構わないという話にはなるまい」
アルフォンスが宥めるように言うが、ヘルムートの冷徹な声色も言葉選びも、鋭い視線も変わることはなかった。
社交の苦手な武門の貴族たちが大広間の隅で大人しくしていることを、王太女クラウディアは気にしない。しかし、このヘルムートは気にするようだった。宮廷社会で長年立ち回ってきた筋金入りの政治家である彼は、貴族社会の礼儀や秩序に厳しいことで知られている。
社交の場で他の貴族から、露骨に剣呑な態度を向けられるというのはフリードリヒにとって初めてのこと。硬直するフリードリヒの隣で、しかしマティアスは落ち着きを保っている。
「これはこれは、手厳しい」
「手厳しいか。そう思うかね。だが、私の方も卿らの最近の振る舞いを、手厳しいと考えていることを承知してもらいたいものだ……軍事費は国庫から無限に涌き出るわけではない。軍事行動に伴う物資もだ。食料も、馬や飼い葉も、武具も、そして兵士も。それらは際限なく消費できるわけではない」
ヘルムートの頑なな態度の理由を、マティアスの隣でフリードリヒも察した。
軍人は戦い方を気にしない。正確には気にする余裕がない。訓練の回数や野営の日数、戦闘による兵力損耗を、少なくとも軍事費の点から見て「節約」しようと積極的に考えることはない。
それは、文官たち――特に最も重要な財務の権限を握るヘルムートからすれば、少なくとも面白くはないだろう。
王命による出撃は必須のことなので仕方ないとしても、それをいいことに現場の将たちは与えられた権限を振りかざし、好き放題に金や物資を消費している。今が戦時であることを理由に訓練を増やし、ただでさえ嵩む軍事費をさらに浪費している。そう決めつけることまではせずとも、そうなのではないかと疑問を抱く程度のことはあってもおかしくない。
「先の国境地帯への駐屯もそうだ。駐屯の必要性は私も理解しているが、駐屯中にあれほど頻繁に訓練をくり返す必要はあったのかね? 数百人規模の訓練が行われればその都度また大量の物資が消費され、余計に軍事費が減る。卿ほどの名将ならば、それが分からぬはずがないだろう」
「宮廷の中枢におられるダールマイアー卿のお言葉、誠に痛み入ります。王家の連隊を預かる将として、今一度この身の働き方を見つめ、熟慮する所存です」
「ダールマイアー卿。ホーゼンフェルト卿もこう言っていることですし」
マティアスがひとまず素直な態度を見せると、それにアルフォンスが続く。外交を司る彼はその役割もあり、人当たりが良いことで有名だった。
「……私も別に、フェルディナント連隊に敗けろと言っているわけでも弱れと言っているわけでもない。だが、卿ら軍人が伸び伸びと戦っている裏には、頭を悩ませながらその環境を整えている文官がいるということをゆめゆめ忘れてくれるな。特に今後は、旧バッハシュタイン公爵領の立て直しにも資金や物資を投じなければならないのだからな」
「もちろんです。常に心に留めておきます」
マティアスは努めて厳かな表情で頷く。ヘルムートが語った現状については、彼も当然に理解していた。
旧バッハシュタイン公爵領には、非常時に備えて数千人の軍勢が数週間は活動できるだけの物資が備えられていた。それらはほとんど丸ごと、アレリア王国へと持ち去られた。さらには、今年のバッハシュタイン公爵領運営のために公爵家の屋敷に蓄えられていた資金も、多くが奪われた。
加えて、本来は王領に輸出されるはずだった麦も少なからぬ量が失われた。間近に控えていた収穫は叶わず、しばらく不安定な状況が続くのは必至。
食料確保の優先度では王領の方が上とはいえ、だからといって本来は公爵領民が消費するはずの麦を奪い取ることもできない。彼らには来年以降も穀倉地帯の労働者として働いてもらわなければならず、彼らから麦を取り上げて飢えさせるわけにも、王家への不信感や反発を深めさせるわけにもいかない。
非常時の物資備蓄の回復。公爵領の運営資金の補填。不足する麦の輸入。これだけの出費が重なるとなれば、いかな王家と言えど苦しくなるのは必然。財務大臣が釘を刺しにくるのも尤もなことだった。
「言いたいことはそれだけだ……では、せいぜいこの祝宴を楽しむといい。エーデルシュタインの生ける英雄」
マティアスの返事も聞かず踵を返すヘルムートと、彼の無愛想を補うように笑顔で会釈を残したアルフォンスを見送り、マティアスは口を開く。
「フリードリヒ。ダールマイアー卿は我々の敵というわけではない。役割や派閥が違えど、彼もまた王国貴族の同胞だ。彼の言葉もまた正しい」
「心得ております、閣下」
養父と共に大臣たちの背を見ながら、フリードリヒはそう答えた。
軍人には軍人の理屈があるように、政治家には政治家の理屈がある。立場の違ういくつもの理屈が調整され、ときに妥協し合った上で、国は成り立っている。
そう教えられてきたフリードリヒも、なのでヘルムートの言いたいことは分かっている。彼の語る理屈のため、王国軍が実際にどれほどの配慮を為すかはまた別の話だとしても。
「ならばよい……さて、侯爵位を持つ大臣から直々の説教を受けてもなお、大広間の隅で動かないわけにはいくまい。少しは宴を楽しむ姿勢を見せなければな」
そう言って、内心では気乗りしないのであろうマティアスが歩き出し、フリードリヒも続く。大広間の中心付近へ移動して他の出席者たちと積極的に交流する姿勢を見せた英雄に、新たに声をかける者がいた。
「マティアス・ホーゼンフェルト伯爵。久しいな」
呼ばれたマティアスと共にフリードリヒが振り向くと、そこに立っていたのは老齢の男だった。
エーデルシュタイン王国の王侯貴族と似ているが、しかし違う文化圏のものだとどことなく分かる装束。白狼の毛皮を加工した、北方に特有の装飾品。傍に立つ従者もそれなりの身分と思われる身なり。そうした要素から、フリードリヒは彼の立場を予想する。
「オスカル・ノヴァキア国王陛下」
深く一礼するマティアスにフリードリヒも倣いながら、自身の予想が正しかったことを知る。
エーデルシュタイン王国の友好国のひとつ、ノヴァキア王国。その当代国王オスカル。年齢で言えばジギスムントと同年代の彼は、しかしジギスムントとは違って未だ壮健で、灰色に近い白髪と伸びた背筋が凛とした存在感を放っていた。
「こうして言葉を交わすのは何年ぶりか? エーデルシュタイン随一の戦士にまた会えたこと、喜ばしいぞ」
「過分なお褒めの御言葉を賜り、恐悦至極に存じます。私も、ノヴァキア王国を導く偉大な戦士に再び相まみえて光栄です」
親しげに握手を求められ、マティアスもそれに応える。マティアスの手をオスカルは両手でしっかりと握り、マティアスの肩を軽く叩いて再会を喜ぶ。
戦士、というのはノヴァキア王国に特有の敬称。単に戦う者という以上の意味を持つ。
大陸西部の中でも北寄りにあるためやや寒冷で、国土が山がちなノヴァキア王国では、農耕があまり盛んでない代わりに狩猟が積極的に行われている。また、若い頃に傭兵などで身を立てていた者も多い。
そんなノヴァキア王国において、戦士という呼び方は相手への特別な尊敬を意味する。代々の国王も「全ての戦士の長として国を導く者」という位置づけがなされており、継承権を得るには単独で白狼一頭を仕留める通過儀礼を乗り越えなければならないとされている。
それらの知識を、フリードリヒはホーゼンフェルト家で教育を受ける前から、書物の知識として身につけていた。
マティアスのオスカルに対する言葉は儀礼上当然のこととして、オスカルがマティアスを「エーデルシュタイン随一の戦士」と呼ぶのは、相当な高評価の表れと言える。
「後ろの若者は、噂に聞く卿の養子か?」
「はっ。フリードリヒにございます」
オスカルに視線を向けられ、マティアスに名を出されたフリードリヒは、左胸に右手を当てながら口を開く。
「お初にお目にかかります。フリードリヒ・ホーゼンフェルトにございます。大陸西部に名高き戦士たるオスカル・ノヴァキア国王陛下にお会いできましたこと、騎士を名乗る身として誠に大きな喜びと存じます」
「ほう、孤児上がりと聞いているが、なかなか堂に入った挨拶だ。頭が良いという話はどうやら本当らしいな」
生ける英雄の継嗣オスカルが向ける目は、ひとまず穏やかだった。どう見ても屈強な質ではないフリードリヒに、内心どのような第一印象を抱いたのかは分からないが。
「このフリードリヒは騎士となってからはまだ年月が浅いものの、既に軍人として二度の戦功を挙げております。戦場では智慧のみならず、勇気も示してきました。我がホーゼンフェルト伯爵位を継がせるにふさわしいと確信しております」
「……そうか。エーデルシュタインの生ける英雄たる卿が、そこまで言うか」
マティアスの言葉を聞いたオスカルは、僅かに片眉を上げた。
隣国から聞こえてくる武勇伝の噂など、脚色や誇張があって当たり前。養父であるマティアス本人の断言を受けて、オスカルの自身に対する評価があらたまったとフリードリヒは察する。
「我が国とエーデルシュタイン王国は、共にアレリア王の暴虐に立ち向かう同志だ。友邦に卿やその継嗣のような戦士がいることは心強い。どうか今後も、仲良くしたいものだな」
「誠に仰る通りと存じます、陛下」
その後もしばらくマティアスとオスカルは歓談し、フリードリヒも時おり話を振られて無難に返答し、きりのいいところでオスカルは離れていく。去り際には、あらためてフリードリヒにも念入りに挨拶を残して。
「……少し、驚きました」
代々のノヴァキア王は誇り高く、あまり他国の王侯貴族と慣れ合うことをしない。当代国王オスカルもその例に漏れない。ノヴァキア王国そのものも、王家の気風に倣うように、周辺諸国と政治的に深い関係を築かない。
書物などからフリードリヒが学んだのは、そのような情報だった。その知識と比べると、オスカルの態度は随分と親しげで、露骨にこちらとの距離を縮めようとしているように見えた。
そのことへの驚きを、フリードリヒは語った。今は宴の只中にいることもあり、小声で、僅かな言葉で。
「無理もないことだ。かの国は今、我々よりも厳しい状況にある」
それに対し、マティアスも抑えた声と限られた言葉で答える。
ノヴァキア王国は、国力という点ではエーデルシュタイン王国に及ばない。地の利と将兵の精強さをもって国境防衛を成しているが、アレリア王国の本格攻勢の矛先が向き始めた以上、今よりも厳しい戦いを強いられるのは必至。
とはいえ、かの国はエーデルシュタイン王国以上に、安易にリガルド帝国などへと助けを求められない。アレリア王国と国境を接する前は、むしろ帝国とは国境での小競り合いを行うなど仲が悪かったからこそ。
そうなると、エーデルシュタイン王国と協力することがノヴァキア王国の生き残る最善手。エーデルシュタイン王国軍の最重要人物の一人であるマティアスや、その継嗣たるフリードリヒと距離を縮めようとするのは、当然と言えば当然。
養父による端的な説明を、フリードリヒは正確に理解して頷いた。
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