第76話 友邦の要人①

 アレリア王国は侵攻の主軸を完全にノヴァキア王国方面へと移すようで、エーデルシュタイン王国と接する国境には防衛用の兵力のみを残し、ツェツィーリア・ファルギエール伯爵率いる部隊は北のミュレー地方の首都へと拠点を変えた。

 結局、西部国境地帯での駐屯中は何事も起こらないまま、フェルディナント連隊は夏の後半には王都へと戻された。

 帰還から間もなく、フリードリヒはマティアスと共に王城の宴に参加することになった。

 宴には二種類がある。喜んで参加したいものと、喜ばしくはないが立場上参加せざるを得ないもの。フリードリヒにとっては春に行われた連隊の仲間たちとの宴が前者で、今宵開かれる王城での宴は後者だった。

 王侯貴族たちの集まるいかにもな晩餐が、フリードリヒは相変わらず苦手だった。無難に臨めるか否かは別として。


「表情を作るのが上手くなったな。すっかり貴族らしくなった」

「閣下の継嗣となって一年以上が経ちましたし、社交の場数も多少踏みましたので」


 宴の場である大広間へと歩きながら、フリードリヒは澄ました微笑でマティアスに答える。

 昨年に行われたコンラート王子の婚約披露宴――その婚約は王子の命や彼の婿入り先ごと消え去ってしまったが――に出席した後も、フリードリヒは何度か社交を経験した。マティアスが他の貴族の主催する小規模な宴に呼ばれて出席する際に、彼の子息として同行した。

 ようやく片手で数えられなくなった程度の社交経験ではあるが、それだけの場数をこなせば、聡いフリードリヒは社交の空気に慣れた。笑顔を保ち、当たり障りなく挨拶や雑談をこなす程度はできるようになった。


「だが、今回からは今まで以上に注目を集めることになるだろう。何せお前は、先の戦いでは勝利の立役者の一人だからな。警戒を緩めるなよ」

「……はい、閣下」


 表情はそのまま、フリードリヒの声には僅かに後ろ向きな感情が混じる。

 英雄の継嗣が、オストブルク砦の奪還に際して決定打となる策を発案し、自らその実行を成した。身内の謀反による内乱という暗い話題の中では世論映えする輝かしいこの武勇伝を、王家も子飼いの吟遊詩人などを使って積極的に広めているという。

 軍人として二度目の戦功。それも一度目よりも分かりやすく派手なものを打ち立てたとなれば、いよいよフリードリヒの評価は連隊や王国軍の枠を超え、貴族社会でも高まる。

 孤児上がりの養子と露骨に軽んじる者は皆無に近くなるだろうが、それと引き換えに、今度は仲良くなろうと近づいてくる者が出てくる。

 雑談に応じているうちに、気づいたら何やら約束をさせられた、などという事態になっては後で面倒な対応が必要となる。そうならないための会話の仕方をフリードリヒはマティアスから教えられ、さらには家令のドーリスに具体的なノウハウを叩き込まれ、今日この場にいる。


「では、行くか」


 そう言って大広間の扉を潜ったマティアスに、フリードリヒも続く。二人の後ろには、例のごとく従者兼護衛を務めるグレゴールとユーリカが、今は影に徹しながら付いてくる。


・・・・・・


 名目としては、ジギスムント・エーデルシュタイン国王の在位二十年を祝う晩餐会。

 謀反を起こした王子を国王自らの手で処刑するという、暗い事件の空気を払拭する意味も兼ねて決行されたこの宴に、しかし主役であるジギスムントは姿を現さない。

 いくら病が小康状態だったとはいえ、久々に表舞台に出て自ら動いた無理が祟り、再び体調を大きく崩していると、一部の側近には明かされていた。マティアスもそんな側近の一人で、フリードリヒは養父からそれを聞いていた。

 とはいえ、事情を伝えられていないその他の貴族や他国の要人たちも馬鹿ではない。皆おおよそのところは察している。

 宴の中心にいるのは、例のごとく王太女クラウディア。招かれた客は王国内の主要貴族と、近隣諸国の要人。クラウディアが彼らと話すことで、謀反の終息から数か月が経った今、国内外のエーデルシュタイン王家に対する評価や距離感を探ることが、この宴の裏の目的だった。

 とはいえ、招待客たちにとってはただ酒を飲み、他の者と歓談し、情報交換や人脈作りに励むだけの場。主役が不在であることでかえって気楽な空気の中、大広間のあちらこちらで貴人たちが言葉を交わす。

 フリードリヒもその中の一人となる。マティアスと共に最初にクラウディアへの挨拶を終えた後は、なるべく目立たないよう大広間の隅に立ち、しかしエーデルシュタインの生ける英雄とその継嗣を目ざとく見つけた者たちから挨拶の大攻勢を受ける。


「――それではフリードリヒ殿。今後とも何卒よろしく」

「はい。ご丁寧な挨拶をありがとうございました」


 今も一人の領主貴族から挨拶を受けて無難に乗り越えたフリードリヒは、表情を変えずに小さく息を吐く。


「これで、近寄ってくる者は一通り捌いたか。フリードリヒ、よくやった」

「……恐縮です、閣下」


 十人以上の貴族と立て続けに挨拶を交わしたところで、攻勢もようやくひと段落した。

 寄ってきた顔ぶれのなかには過去の社交で話したことのある者もいたが、彼らからもあらためて念入りな挨拶を受けた。前回はマティアスの付属品と見なしていたフリードリヒが重要度を増したことで、今一度仲良くなろうと試みるのが彼らの目的のようだった。


「お前としては十分に面倒だっただろうが、それでも思っていたよりは集まらなかったな」

「やはり、私の出自が影響しているのでしょうか」

「おそらくな。領地を持たない宮廷伯の養子、それも元孤児ともなれば、余裕のある貴族にとっては接近を急ぐほどの相手ではないのだろう」


 今回近寄ってきたのは、特筆すべき点もない平凡な貴族たち。逆に名の知れた有力貴族たちは露骨に接近してくることはなかった。声をかけてくる有力者もいたが、彼らの目的はあくまでも純粋な挨拶だった。

 養父が英雄とはいえ、それはあくまでマティアス個人に付いている名声。目立つ戦功を挙げて高い評価を得たとはいえ、フリードリヒは将来性としてはやはりまだ未知数の存在。血統としては平民上がり、それも実の親を知らない元孤児。いずれ継ぐのは領地のない宮廷貴族家。顔見知りになることは重要だとしても、未来を見据えた深い関係を結ぼうとする者は限られる。

 例えば年頃の娘や妹を紹介してあわよくば茶会や会食などの約束を取りつけようとするのは、領地がなかろうが元孤児だろうが将来の伯爵であることには変わりない相手と、なりふり構わず繋がりを持ちたがるような弱小貴族。

 そうした者たちの露骨な誘いを受け流すのは、フリードリヒにとって容易いことだった。それに加えて、エーデルシュタインの生ける英雄が傍に付いているとなれば、相手の貴族もあまり強引な態度はとれない。

 結果として、フリードリヒとユーリカの将来に邪魔が入ることもなかった。取りつく島もないと分かると「いずれ生まれる貴方のご子女と私の孫に良いご縁があれば」などと気の早過ぎることを言う者までおり、さすがにそれには少々辟易としたが。


「とはいえ、お前がこのままさらに実績を重ね、名声を高めていけば分からない。第二や第三の夫人に、などと言ってくる者も出るだろう。それさえも嫌ならば、半端に名声を高めるのではなく突き抜けることだな。私もいつまでも守ってやれるわけではないのだから」

「肝に銘じます」


 今は近寄ってくる貴族も限られ、それらはマティアスが遠ざけてくれる。この先もユーリカとだけ愛を育みたいのであれば、英雄の異名と王家の後ろ盾をもって再婚を拒み続けたマティアスの真似をしなければならない。真似できるほどの立場を自力で手に入れなければならない。

 養父の後継者として戦場を生きていくことに比べれば困難というほどのことではないが、少なくともその自覚は忘れないようにしようと、フリードリヒはあらためて思った。


「しかし、こうも気心の知れた者が少ないとやりづらいな」


 大広間を見回しながら、マティアスは小さな声で呟く。フリードリヒも無言で頷く。

 今は国境の状況が状況なので、ヒルデガルト連隊のヨーゼフ・オブシディアン侯爵やディートヘルム・ブライトクロイツ、アルブレヒト連隊のレベッカ・アイゼンフート侯爵らは来ていない。

 出席している軍の高官は王都に拠点を置く者たち――すなわちマティアスと、輸送部隊や訓練部隊の長、そして近衛隊長グスタフ・アイヒベルガー子爵などに限られる。グスタフに関しては、あくまで王太女クラウディアの護衛という立場。

 社交界では基本的に受け身を貫く武官仲間の多くが不在で、こうした場をむしろ主戦場とする領主貴族や文官の宮廷貴族ばかりがいるとなると、ホーゼンフェルト伯爵親子としては居心地が悪いのも仕方のないことだった。


「ホーゼンフェルト卿は相変わらずとして、その養子まで壁の花を決め込むか。いや、壁の剣とでも呼ぶべきかな?」


 そのとき、新たに声をかけてくる者がいた。挨拶目的の穏やかな声ではなく、皮肉交じりの冷たい声色だった。

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