第73話 勝利の宴②

 宴は続き、酒の入った騎士たちの空気はますますくだけたものになる。店内の一角では、騎士同士の飲み比べ対決なども行われている。酒と勝負を死者たちに捧げる、と言いながら。


「……っ! ぶはぇっ! だ、駄目だ」

「おいギュンター、もう降参かよ!」

「図体のわりに飲めねえなぁ」


 杯から口を離し、足元をふらつかせてへたりこんだギュンターを、周囲の騎士たちが茶化す。テーブルを挟んでギュンターの向かい側では、何杯目かのワインを飲み干したユーリカが勝ち誇った顔になり、皆の称賛を浴びる。


「くそ、ユーリカさん、剣術も酒も強えなんて反則だろ……」

「いや、酒に関してはユーリカは別に強くもねえぞ」

「そうそう、お前が中途半端に弱いだけだ」

「戦功を評して見習いのお前も呼んでやったんだから、もっと盛り上げろよ!」


 先輩騎士たちはそう言いながらも、ギュンターの両脇を抱え上げて椅子に座らせ、水を飲ませてやる。

 一方で、飲み比べ対決を仕切っているヤーグが周囲を見回す。


「さて、お次は誰が出る?」

「リュディガー大隊長! やっちまってください!」

「俺たちの大隊の意地を見せましょう!」

「……よ、よし。任せろ」


 部下の中隊長たちにはやし立てられて前に出たのは、二十代にして歩兵大隊長の地位にあるリュディガーだった。彼も酒は別に強くないことで知られている。


「それじゃあこっちはロミルダ大隊長だ!」

「弓兵大隊の長の力、歩兵どもに教えてやってください!」


 言われて無言で進み出たのは、弓兵大隊長ロミルダ。彼女は王国軍随一の酒豪として知られている。王太女クラウディアにもその噂が届き、武官を集めた社交の場で一度そのことについて言及されたという逸話を持つ。


「なっ、それはずるいだろう!」

「あら、第二歩兵大隊は戦う前から降参するような騎士を長に戴いてるのかしら?」


 青ざめたリュディガーは、しかしロミルダに挑発され、引くに引けなくなる。間もなく諦めたような表情で、ワインがなみなみと注がれた杯を手に取る。


「大隊長同士の直接対決か。こりゃあ今夜一番の勝負だな。金でも賭けるか?」

「馬鹿言え、勝敗が明らかなのに誰が賭けるんだよ」


 ヤーグの提言は、別の騎士によってあっさりと一蹴される。


「それもそうだな。それじゃあ……始め!」


 そうしてリュディガーの絶望的な挑戦が始まる中、別のテーブルでは生真面目な顔で語り合う者たちがいる。その輪の中心にいるのはフリードリヒだった。

 酒が入って普段より饒舌になっているフリードリヒは、豊富な知識に裏打ちされた持論を周囲の騎士たちに語り聞かせている。フリードリヒを囲むのは彼と同世代、あるいは彼よりも若い者ばかりで、なかには先の謀反鎮圧の後、例年より遅れた入隊式を経て配属され、顔見せや歓迎会を兼ねて今夜の宴に呼ばれた新米騎士たちもいる。


「――だから、柔軟に動ける連隊編成は言わずもがな、それに匹敵する重要性を持つのが、専任の部隊や各所の拠点に支えられた万全の補給体制なんだ。これがあるからこそエーデルシュタイン王国軍は強い。アレリア王国は周辺の国々を征服するというかたちで広大になり過ぎたが故に、我々と同じ真似はできない。貴族領軍を合わせれば三万に迫ると言われているかの国の総兵力が、十全に活かされることはないんだ」


 ホーゼンフェルト伯爵家の継嗣となり、既に連隊内ではその評価を不動のものとしているフリードリヒは、二十歳前後の騎士たちから見れば同世代の希望の星。より若い十代の騎士たちから見れば、今や憧れさえ覚える存在。そのフリードリヒの話に、皆は熱心に耳を傾ける。


「まずもって、征服地の維持や王国中央の防衛にも兵力を割かれるアレリア王国が、東のエーデルシュタイン王国やノヴァキア王国に向けることのできる正面戦力は限られる。これは僕たち士官にとっては当然知っている基礎知識だね。この上で、仮にアレリア王が多少の無茶を承知で征服地や王国中央の部隊を攻勢に回そうとしても、距離があり過ぎる。のんびりと進軍させている間にこちらも察知して余裕で備えることができる。唯一勝利の可能性があるとすればこちらの不意を突く急襲だけど、それも絶対に上手くいかない。想像してみてほしい。王都から国境のアルンスベルク要塞までが、今の二倍かそれ以上にまで遠くなったら? そこを目指して、今の数倍の部隊規模で進軍しなければならなくなったら? 行軍の速度は変えずに、むしろ通常より速く、随伴する補給部隊や各所の補給拠点による支援なしでだ」


 フリードリヒの語る状況を想像した若い騎士たちは、眉を顰めたり、渋い顔をしたりと、それぞれ反応を見せる。


「……とてもじゃないが、そんな進軍をした後に力を発揮して戦えるとは思えないな」

「というか、そもそも国境に辿り着けるんですか?」

「いや、無理だな。何割かが落伍する羽目になるだろう。騎士はともかく、末端の兵士の間では脱走も起こりそうだ」


 何人かの騎士たちの言葉に、フリードリヒは頷く。


「その通り。アレリア王が奇襲をかけようと、いきなり数千の軍勢を差し向けてきても、国境地帯に辿り着いたそれらが数字通りの戦力となることはない。戦いまでに少なからぬ兵力が欠けた、ごく短期間しか維持できない、腹を空かして疲れ果てた兵士による軍勢。そんなものが出来上がるんだ。とてもじゃないけど、数倍の戦力差があっても怖くはないだろう? 国境に駆けつけた僕たちフェルディナント連隊や、アルンスベルク要塞を守るヒルデガルト連隊が、そんな敵に敗れるとは思わないだろう?」


 フリードリヒが問いかけると、若い騎士たちは笑いながら同意した。


「そもそも、広大なルドナ大陸西部を横断するように数千規模の大軍を迅速に移動させる仕組みなんて、ルーテシア王国が崩壊してからは忘れられているんだ。急拡大したアレリア王国は、領土や人口の規模だけ古の偉大な大国に迫ったところで、内部は未だ不安定なまま。力で従わせた諸地域の集合体でしかない。だから、軍制という点ではエーデルシュタイン王国に数段の有利がある。対峙する兵力的にもそうそう不利になることはない。アレリア王家が何か大きな軍制改革を成すか、こちらの度肝を抜くような策を講じるか、北隣のノヴァキア王国が落ちない限りは」

「ノヴァキアか……国の規模で言えばエーデルシュタイン王国に及ばないが、当面耐えてくれるだろうか?」

「大丈夫だろう。そりゃあ人口で言えばこっちより小さいし、常備軍も少ないが、山がちな国土で育ったノヴァキア兵は一人ひとりが強い。それに、ノヴァキアと旧ミュレー王国の国境地帯は狭いし、強固な砦を軸にした防衛線が塞いでいるんだ。そう簡単に突破はされないさ」

「その通りだ。国境の守りやすさで言えば、あいつらは俺たちよりもよほど有利な状況を作ってやがる。正直言って羨ましいくらいだぜ」


 騎士の一人が呟くと、それに他の騎士たちが答える。先輩騎士たちの話を、入隊したばかりの新米騎士たちは興味深そうに聞いている。


「エーデルシュタイン王国やノヴァキア王国としては、やはりリガルド帝国の助力を受けるのが勝利に向けた決定打となるだろうね。とはいえ、ただ助けを乞えば帝国に大きな借りを作ってしまうし、東のシーヴァル王国と係争中である以上、いかな帝国も二正面で戦うのは容易じゃない。だから僕たちは国境防衛を為しつつ、帝国の係争終息を待った上で両国に利益のあるかたちでの共闘を実現して――」


 その後もフリードリヒは、これまでに書物から得た知識や、その知識に基づく持論を語る。それに対し、若い騎士たちも質問や自分なりの意見を投げかける。

 熱心で、若々しく、それ故にどこか微笑ましさもある議論の空間。その端で椅子に座り、一人ビールの杯を傾けるオリヴァーは、自分よりも少し若い騎士たちの交流を、その中心にいるフリードリヒを、優しい顔で眺めていた。

 もっと離れた場所、奥のテーブルからは、マティアスとグレゴールが今は二人で酒を飲み交わしながらやはりフリードリヒに視線を向けていた。


「……何とも懐かしさのある光景ですな。昔を思い出します」

「ああ、まったくだ。血は繋がっていないのに、どうして為すことがこうも似る」


 ため息交じりに呟くマティアスの顔には、非常に珍しいことに、少しばかり羞恥の色が浮かんでいる。

 同世代や後輩に囲まれ、得意げな顔で知識や持論を披露する。端から見れば青くもあるフリードリヒの振る舞いに、マティアスは心当たりがあった。他ならぬマティアス自身が、二十数年前はよく同じようなことをしていた。グレゴールやオイゲンやバルトルト、その他の同世代や後輩の騎士を相手に、賢しげに一席ぶっていた。

 今思えば、周りの者たちもまだ若く未熟だから感心してくれていただけで、当時の自分はわざわざ誇るほど斬新で大層なことは言っていなかったような気がする。


「これも一興ではありませんか。若かりし頃のご自分を眺めながら酒を嗜むというのも、なかなか良いものでは?」

「馬鹿が。主人を茶化すな」


 マティアスが半笑いで言うと、グレゴールも笑みを零した。


・・・・・・


 部下たちに気を遣ったマティアスたち古参の幹部は早めに店を辞し、残る者たちも夜が更けてしばらくすると解散した。

 それなりに酔ったフリードリヒはユーリカに寄り添われ、二人はオリヴァーに送ってもらい、ホーゼンフェルト伯爵家の屋敷へと帰宅した。

 自室に入り、ベッドに座ったフリードリヒの隣に、ユーリカも腰を下ろす。


「疲れたね、フリードリヒ」

「……そうだね。楽しかったけど、確かに疲れた」


 フリードリヒは答え、ユーリカの膝の上に頭を乗せるように横たわる。ユーリカは優しくフリードリヒの頭を撫でる。

 この宴を終えれば、戦死した仲間たちを振り返ることは基本的にしない。個々人で亡き戦友を懐かしみ、思い出を語ることはあっても、皆で追悼することはなくなる。王国軍人たちは過去ではなく、未来の戦いを見据える。

 今夜の宴は言わば葬式だった。騎士流の、賑やかで明るい葬式。

 また、連隊の仲間たちを見送った。謀反鎮圧による戦死者のうち、騎士と兵士を合わせて八人は自分の策を実行して死んだ。

 もう打ちのめされたりはしない。ふさぎ込むこともない。自分は仲間の死に慣れ始めた。仲間を死なせることを、人生の一部として受け入れ始めた。

 自分は着実に、戦場で生きることに順応している。

 そのことに喜びと、そして諦念を覚えながら、フリードリヒは眠りに落ちる。

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