第74話 帰郷①
コンラート・エーデルシュタイン王子とエルンスト・バッハシュタイン公爵による謀反が鎮圧され、彼らの沙汰についても決着がついた後も、王家と王国軍の仕事は終わらなかった。
エルザス回廊と、ノヴァキア王国との国境線については、これまでは防衛と監視をバッハシュタイン公爵家に一任することができた。しかし、公爵家が取り潰しとなった今、エーデルシュタイン王家は西と北の国境全てを独力で守らなければならない。
アレリア王国へと忍ばせている間諜からは、東部方面軍の主力がノヴァキア王国の方を向いて攻勢の準備を始めたという報告も届いており、アレリア王国は侵攻の軸足をノヴァキア側に移したようにも見える。
とはいえ油断は大敵。公爵領の併合と兵力の再配置という大仕事を強いられている今、エーデルシュタイン王国に隙があると敵に思わせては決してならない。
こうした事情から、フェルディナント連隊はしばらくの間、王都を離れて西部国境地帯の北側に配置されることとなった。
アレリア王国との国境、ノヴァキア王国との国境、双方の守りは未だ万全であると示す。隣国が何か行動を起こしても、すぐに連隊規模の即応兵力が駆けつける。そう顕示するため、フェルディナント連隊は具体的に何をするでもなく、ただそこに置かれた。
連隊規模の軍勢を受け入れる各貴族領の負担を減らすため、歩兵と弓兵は中隊あるいは小隊単位で都市や村に駐屯し、騎兵部隊は国境偵察及び各部隊への伝令要員として五騎一班ずつ分散。
それらの中心として連隊本部が置かれる場所には――それぞれの要衝のちょうど中間地点に位置するという理由で、ドーフェン子爵領の領都が選ばれた。
フリードリヒとユーリカにとっては、かつて何度も訪れた縁のある都市。そこでひと夏を過ごすという、何とも奇妙な状況。そんな駐留が始まってから間もなく、二人は連隊長マティアスより、三日間の休暇を与えられた。
彼の意図を理解したフリードリヒたちは――故郷である小都市ボルガへ向かった。
「見えてきたよ、フリードリヒ」
「……懐かしいね。あの門から旅立った日が、もう随分昔のことに思えるよ」
領都から徒歩で一日もあればたどり着けるボルガは、少人数で馬を使えば半日で到着する。朝に領都を発って午後には故郷を視界に捉え、フリードリヒはそう呟いた。
今は夏。フリードリヒたちがボルガを旅立ってから、まだ二年までは経っていない。
これまでの人生で最も濃く、最も変化に富み、最も波乱に満ちた二年弱だったからこそ、その日々を乗り越えてここへ来たことは感慨深かった。
「正直、少し緊張するかも」
「ふふふっ、そんな必要ないよぉ。堂々と凱旋しよう?」
笑いながら馬を進めるユーリカに、フリードリヒも微苦笑を零して続く。
・・・・・・
日中は都市の入り口の門は開かれたままで、門番が一人立つ。それは旅立つ前と変わっていなかった。
門番を務めていたドーフェン子爵領軍の兵士は、突然やって来た王国軍騎士の片方がフリードリヒ・ホーゼンフェルトだと知ると、代官と自身の上官に報告するために駆けていった。やや大げさに思えるほどの反応だった。
この領の出身で、今や英雄の継嗣であるフリードリヒは、領都では嫌と言うほど注目を集めた。かつては雲の上の存在だった領主ドーフェン子爵からも、マティアスと共に歓待を受けた。
そんな注目度はボルガまで来ても変わらないらしい。いや、ここではそれ以上になるかもしれない。気恥ずかしさも覚えつつ、馬を降りたフリードリヒはユーリカと共に門を潜る。
愛馬の手綱を引きながら通りを歩き始めてすぐ、懐かしい人物に出くわす。
「……ブルーノ?」
出くわした青年が彼であると、フリードリヒは一瞬気づかなかった。
かつては髪をやたらと長く伸ばし、これ見よがしに服を着崩していたブルーノは、今はすっきりとした短髪で、シャツのボタンは全て止め、ズボンはきちんと腰の位置でベルトを締めていた。まるで、生真面目で模範的な労働者のように。
半ば唖然として彼を見るフリードリヒと同様に、ブルーノも驚きに目を見開いてフリードリヒを見ていた。
「ふ、フリードリヒ……様!」
「うわ、ちょっとブルーノ! 止めてよ!」
いきなり地面に膝をついて平伏しようとしたブルーノを、フリードリヒは慌てて止める。
「そこまでしなくていいよ。昔みたいに接してくれれば――」
「いや、そんなとても無理ですよ! あんたは今や貴族様なんだから!」
「貴族家の継嗣だからって平民に路上で平伏を求めたりはしないよ! だいたい僕はあくまで養子だし……頼むから普通にしててよ。そう命令を受けたと思って」
フリードリヒが懇願すると、ブルーノはそれはそれは戸惑った表情になり、目を散々泳がせた末に口を開く。
「…………本当にいいのか?」
「いいよ。そうしてよ」
彼にへりくだられ、貴人として丁重に扱われるなど、正直に言って少し気持ち悪い。そんなフリードリヒの内心を知ってか知らずか、最終的にブルーノは了承してくれた。
「ブルーノ、私も今まで通りでいいよぉ?」
「……お、おう」
かつての天敵であるユーリカがにっこりと笑って言うと、ブルーノは強張った表情で答える。その視線がユーリカの腰の剣に一瞬向けられたのが、フリードリヒにも分かった。
騎士の叙任を受け、何度も実戦を経験し、立派な剣で武装した「化け物女」。以前のように喧嘩をする羽目にはならないとしても、ブルーノから見ればぞっとしない相手なのは想像に難くない。
こうして三人で仲良く話しているうちに、周囲にいた者たちの注目も集まってくる。
この田舎都市で王国軍士官の軍服はひどく目立つ。深紅の髪の若い騎士を見て、それがフリードリヒだと誰もが気づき、瞬く間にざわめきが広がっていく。
「なあフリードリヒ。ボルガに帰ってきたってことは、教会に顔を見せに?」
「そうだね。それが帰郷の一番の目的かな」
「じゃ、じゃあ俺が先導してやるよ!」
「……ありがとう。せっかくだから、お願いしようかな」
勝手知ったる故郷で先導など本当は不要だったが、フリードリヒはブルーノの申し出を素直に受け入れた。
「よし、それじゃあとっとと行こうぜ! おうい皆! フリードリヒ・ホーゼンフェルト様の凱旋だぞ! フリードリヒが帰ってきたぞ!」
歩き出したブルーノが派手に喧伝したおかげで、周囲のざわめきは一層大きくなり、噂を聞きつけた住民たちが続々と集まってくる。
先導を申し出たのは、地元出身の有名人と自分が仲良くしているところを皆に見せつけたいからか。フリードリヒは彼の意図に苦笑する。
「ところでブルーノ。君、随分と雰囲気が変わったね? 何て言うか……真面目にやってそうだ」
「ん? ああ……盗賊討伐隊が壊滅して、街の顔役が大勢死んじまっただろ? 戦死者の中に、うちの本家の跡継ぎだった俺の従兄もいたからさ。大変な状況の本家を支えるために、俺も好き勝手やる余裕もなくなったんだ。子分だった奴らも似たようなもんだよ。最近じゃあ、つるんで遊ぶこともすっかり減っちまったぜ」
ブルーノは頭をかきながら、どこか照れた様子で答える。
彼の家は小作農家で、本家にあたる自作農家はそれなりの農地を所有していると、フリードリヒは昔聞いたことがあった。
「俺が真面目に働いて勉強もするようなら、そのうち本家の養子にして跡継ぎにしてやるって言われたからよ。今はそれを目指して必死にやってんだが……農地の世話はともかく、読み書き計算はまだまだ下手くそだな。ほら、俺はあんまり頭良くねえからよ。フリードリヒお前、よく文字だの数字だのあれだけ使いこなせてたよな。すげえよ」
「……そう、君も頑張ってるんだね」
あの盗賊との戦いは、自分たちだけでなくブルーノの人生も激変させたらしい。フリードリヒはそう思いながら、彼に微笑を向けた。
その間にもさらに住民が集まり、フリードリヒたち三人を囲んで一緒に歩く。顔見知りの中には話しかけてくる者もおり、フリードリヒはそれに応じる。かつては異質な存在として敬遠されていたユーリカまでもが何人もの住民から声をかけられ、以前の彼女では考えられなかったほど無難に応答してみせる。
まさに凱旋と呼ぶのがふさわしい様相で、賑やか極まる歓迎を受けながら、二人は通りを歩く。
向けられる視線に込められているのは尊敬。憧憬。羨望。社会のはみ出し者として悪気のない蔑視を受けることも少なくなかった昔では、到底考えられなかったものばかり。それらを受けて、フリードリヒは実に気分が良かった。
軍人として、生ける英雄の継嗣として、自身の立場や使命は理解している。その上でやはり、民衆の敬意を浴びながら軍服姿でマントをはためかせ、肩で風を切って歩くのは気分がいい。
この役得への喜びを誤魔化す気はない。恥じるつもりもない。こうして受け取る敬意こそが、彼らがくれる敬意だけが、自分の人生を国家と民に捧げる報酬となるのだから。
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