第三章 この国が私たちの家

第72話 勝利の宴①

 エーデルシュタイン王国、王都ザンクト・ヴァルトルーデ。

 その商業区の大通りの一角に、料理屋があった。

 上流階級向けの高級店というほどではなく、かといって大衆向けというほどでもない。平民層が何かの記念事などで少しばかり贅沢な食事をしたり、重要な相手との会食をしたりするためによく使われる店。

 統一暦一〇〇九年、ある春の夜。この日は店が貸し切りとされ、店内には――王国軍フェルディナント連隊の士官が集っていた。


「いいかお前たち。分かっているとは思うが、我らが主家たるエーデルシュタイン王家には、血族たる王子を不幸なかたちで失うという悲劇が起こったばかり。その悲劇から日も浅い今、王家に仕える王国軍が大っぴらに宴を開くというのは褒められることではない」


 席について酒の杯を手にした騎士たちを前に、そう語るのは騎兵大隊長オイゲン・シュターミッツ男爵だった。この料理屋は、彼の従兄弟が経営している。


「なのでひとつだけ、いや二つ、厳命しておく……度を越した馬鹿騒ぎはするな。それと、店の外に出るな。店内だけで飲み食いし、語らえ。分かったな?」

「「「はっ!」」」


 連隊長に次ぐ高官の厳命に、騎士たちは生真面目に応答する。店の奥側の席に、ユーリカやオリヴァー・ファルケと並んで座るフリードリヒもそれは同じだった。


「よろしい。それでは……我らの勝利に! そして、散った仲間たちに!」

「「「我らの勝利に! そして、散った仲間たちに!」」」


 オイゲンの言葉を全員が復唱し、杯を掲げ、宴が始まる。

 戦いを勝利で終えた後は、こうして宴を開くのが習わし。皆で勝利の喜びを分かち合い、そして死んでいった戦友を賑やかに偲ぶのが恒例だった。昨年の北方平原での戦いから帰還した後も、休暇の初日の夜、このような宴が開かれた。

 この宴は士官のためのものだが、兵士たちは兵士たちで今頃、仲の良い者同士が同じような場を作っている。誰かの家や、大衆向けの料理屋や酒場などで。


「昨年よりも気が楽そうだな、フリードリヒ」

「……そうだね。あのときはまだまだ余裕がなかったけど、今日はもっと楽しめそうだよ」


 オリヴァーに言われ、フリードリヒはそう答えてワインの杯を傾ける。

 昨年の宴では、その賑やかな雰囲気の中に馴染みきることができなかった。マティアスの後継者となる重い覚悟を固めてからまだ日が浅く、騎士ノエラをはじめ戦友を失った記憶もまだ生々しく脳裏に刻まれていた。皆のように吹っ切れるまでには至らなかった。

 しかし、今日の心持ちは違う。オストブルク砦の奪還作戦や公爵領軍の殲滅戦で失った仲間を忘れるわけでも、その死を軽く見るわけでもないが、こうして前向きに死者を見送ることが自分たちフェルディナント連隊らしいやり方なのだと素直に受け入れている。

 入隊から一年と少し。自分もこの連隊の、王国軍の気風に染まってきたということだろう。フリードリヒはそう考える。


「それでいい。その方があいつらも喜ぶ……ほら、どんどん飲め!」

「ちょっと、フリードリヒはあんまりお酒強くないんだからね?」


 オリヴァーがフリードリヒの杯にワインをなみなみと注ぎ足すと、ユーリカがフリードリヒに腕を絡めながら言った。二人に挟まれながら、フリードリヒは苦笑を零す。

 そのような明るいやり取りが、テーブルごとにくり広げられる。事前にオイゲンが厳命したので派手な馬鹿騒ぎをする者はいないが、明るい笑い声がいくつも響き、勝利への喜びやら死者への手向けやらで杯を掲げて掛け声なども上がる。

 この店は石造りで扉も分厚く、今夜の貸し切りの事情は近隣にも伝えられているため、多少声が大きくとも気にする必要はない。

 部下たちの賑やかな様を見ながら、店の最奥のテーブルでは連隊の中心人物たちが静かに酒を飲んでいた。連隊長であるマティアスと、副官グレゴール。そしてオイゲンと、古参の歩兵大隊長バルトルトの四人。


「……立て続けに大きな戦いが起これば仕方ありませんが、士官の顔ぶれも変わりましたな。一回りとまではいかずとも、随分と若返った」


 息を吐きながら言ったのはバルトルトだった。

 連隊に百人強いる士官のうち、戦死や負傷による除隊、年齢を理由とした引退によって、この一年半で十数人が入れ替わった。

 新たに入ってきたのは、当然ながら若い騎士が多い。士官の平均年齢は目に見えて下がった。


「この国は戦時に入ったからな。致し方あるまい」

「思い出しますな、我々が若かりし頃を。あの頃はなかなか大変だった」


 マティアスが答える横で、オイゲンが腕を組みながら感慨深そうに呟く。

 当時、エーデルシュタイン王国は西の隣国ロワール王国と戦争状態にあり、その前半では苦戦を強いられた。二度の敗戦で衰退する前のロワール王国は現在のロワール地方よりも人口が多く、エーデルシュタイン王国は数で勝る敵国の軍勢に苦しめられた。

 当時はアルンスベルク要塞がロワール王国の手にあり、そこを橋頭保とするロワール王国の攻勢を、ぎりぎりのところで凌ぎ続ける防衛戦を何度も強いられた。マティアスたちはまだ二十代の若手士官で、経験豊富な騎士たちが戦死や負傷によって多く抜け、悪いかたちで若返っていく王国軍を懸命に支えた。

 流れが変わったのは、病による先代の隠居でジギスムントが王位を継いでから。彼は王太子時代から構想を練っていた連隊制度を実現し、先代当主の戦死によって若くして家督を継いだマティアスを連隊長の一人に抜擢し、ベイラル平原での大勝利を成した。

 以来、マティアスと側近たちはフェルディナント連隊を守り、育て、導いてきた。

 そして今度は、それほど遠くないうちに、いよいよ次の世代へとこの連隊を受け継いでいくことになる。自分たちの役割を後進に譲ることになる。


「……歳を取ったものだな。我々も」

「ああ。新米だった頃も遥か昔。あの頃肩を並べていた連中も、今や半分もいない」


 グレゴールがそう言って、静かに酒の杯を傾ける。彼の言葉に、再びバルトルトが口を開いて同意を示す。

 戦死。負傷や病気、加齢による除隊。同世代の戦友は次第に減っていき、エーデルシュタイン王国が最も困難だった時期を知る現役の軍人も随分と少なくなった。

 時が流れる以上は、致し方のないことだった。


「……去り行くのも悪くないものだ」


 マティアスは呟くように口にした。主君たるジギスムントが、かつて自身に語った言葉を。

 自分たちの世代は、やがて軍を去っていく。自分たちが主役だった時代は終わっていく。しかしそれは、自分たちが育てた世代が主役となっていく様を見るということ、自分たちが築き上げたものを次世代に託すということでもある。

 そこにあるのは寂しさだけではない。戦場を生き抜き、時代を駆け抜けたからこその感慨と喜びが確かに存在する。

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