第71話 ある少女の復讐②

「……ご無念はお察しいたします、閣下」


 王城を辞し、ファルギエール伯爵家の王都別邸へと向かう馬車の中。騎士セレスタンの言葉に、ツェツィーリアは微苦笑を返す。


「ありがとう、セレスタン……何、元はと言えば私がしくじったせいだからな。仕方ないさ」


 現在の主であるキルデベルトと同じように、ツェツィーリアにも目標があった。主の野望とは比較にもならないほど小さなものだが。

 マティアス・ホーゼンフェルト伯爵を討つ。ツェツィーリアは一人の将として、一人の人間として、それを己の悲願としている。


「要は、与えられた戦場に臨み、そして勝てばいい。そうすればまた、ホーゼンフェルト伯爵と戦う機会も巡ってくる……彼はエーデルシュタインの生ける英雄。私に殺されるまで、死ぬことなく待っていてくれるさ」


 窓から王都の街並みを眺めるふりをして、しかしツェツィーリアの目に映っているのは過去の記憶。膝の上に置かれた手は、不必要に強く握りしめられている。

 向かい側に座るセレスタンが、僅かな憐れみを込めてこちらを見ていることに、ツェツィーリアは気づかない。

 間もなく馬車はファルギエール伯爵家の王都別邸に到着し、ツェツィーリアはセレスタンを伴って屋敷に入る。

 少し疲れたので休む。そう言ってセレスタンも使用人たちも遠ざけ、一人で自室にこもる。

 例のごとく穏やかな表情を顔に貼りつけたまま、化粧台の前まで歩き――そして、両の拳を叩きつけた。

 高級で重厚な化粧台はツェツィーリアの軽い拳を受け止め、さして音も立たない。鈍い痛みが彼女の手の先に残るだけだった。


「……また上手いこと、私の手から逃れてくれたなぁ、ホーゼンフェルト伯爵」


 よく磨かれた鏡を見据え、ツェツィーリアは一人呟く。その赤い双眸には、血のような憎悪と、炎のような殺意が宿っている。

 バッハシュタイン公爵は良い線までは行った。彼の軍勢が奪取したオストブルク砦を奪い返されなければ、計画は成功していた。

 すなわち、こちらの敗北は、エーデルシュタイン王国軍フェルディナント連隊が砦を奪取したために起こったこと。

 またマティアス・ホーゼンフェルト伯爵に邪魔をされた。彼を討つという悲願を、彼自身の手で防がれた。


「どうして素直に殺されてくれないかなぁ。殺される義理はあるだろうに」


 そう語りながら、ツェツィーリアの顔にはなおも穏やかな微笑が浮かんでいる。

 泣いてみせても、怒ってみせても、結果は何も変わらないと、ツェツィーリアは学んだ。今より二十年も前、まだ幼い頃に。

 ツェツィーリアがまだ六歳の頃。当時のファルギエール伯爵家当主だった父ジェラルドと、伯爵夫人だった母フェリシティの間に、第二子が生まれた。

 ツェツィーリアにとっては弟。ジェラルドとフェリシティにとっては初の息子だった。

 貴族は長子相続が基本とはいえ、やはり武門では男子が跡を継ぐ例が多い。当時のツェツィーリアは殊更に爵位を継ぎたかったわけでも軍人になりたかったわけでもなかったので、弟の誕生を脅威と思うようなこともなく、純粋に喜んだ。

 一方で、ジェラルドとフェリシティは息子の誕生を純粋には喜べなかった。息子の髪が、深紅の色を帯びていたために。

 先祖返りなのか、あるいは神の気まぐれか、時おり赤や青、緑や紫などの髪色をした人間が生まれてくることは、ルドナ大陸では広く知られている。一代限りの現象なので、妻の不貞などを疑う必要もない。ツェツィーリアと同じで、瞳の色はしっかりと父の赤色を継いでいた。

 しかし、よりにもよって赤髪というのは良くなかった。

 ロワール王国において、王侯貴族の家に生まれる赤髪の子供は、縁起が悪いものとされてきた。不幸を――具体的には、家の敗北や家族の死を招くと言われてきた。

 派閥争いに敗れた貴族の自死。名将として知られる軍人の戦死。なかには、赤髪の王族が王位簒奪を試み、国王と王妃を殺害したという例まである。

 だからこそ両親は一旦身構え、しかし結局、ジェラルドは赤髪の息子を許容した。マクシミリアンという名を与え、第一子のツェツィーリアと同じように大切に庇護していくことを決めた。

 所詮は古い迷信。赤髪の王侯貴族の全てが家門に不幸を呼び込んだわけでもない。名誉あるファルギエール家が、そのような迷信に惑わされて子息に悪い扱いをしたとなれば、王国中の笑いものとなるだろう。

 半ば自分自身に言い聞かせるようなジェラルドの言葉を、皆は大小の不安を覚えながらも受け入れた。最も大きな不安を覚えていたのは、赤ん坊の母親であるフェリシティだった。

 彼女は一度、流産を経験していた。三年前、ツェツィーリアの弟か妹になるはずだった赤ん坊を失ったこともあり、ようやく無事に誕生した第二子を絶対に守らなければならないという強迫的なまでの信念を抱いていた。


 それから間もなく。迷信は現実となった。

 ベイラル平原で起こった、エーデルシュタイン王国との会戦。そこで猛将ジェラルド・ファルギエール伯爵は散った。敵将の一人、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵に討たれた。ロワール王国軍は壊走し、アルンスベルク要塞を奪取された。

 戦況がロワール王国の不利へと大きく傾いたこの敗北は、ファルギエール伯爵家の家中にも衝撃をもたらした。

 深紅の髪を持つ赤子が誕生して間もなく、当主が死んだ。やはりこの赤子は、伯爵家に不幸を招く存在なのではないか。この赤子がジェラルドを殺したのではないか。程度の差はあれど誰もがそう思い、中には口に出して話題にする者もいた。

 その噂話が、フェリシティの耳に入ってしまった。

 幼いツェツィーリアから見ても、母はあまり気丈な質ではなかった。当主である伴侶を失い、生まれたばかりの大切な息子に対して悪い噂を囁かれた彼女は、恐怖と混乱を覚えた。不幸を呼び込むとされた我が子が、家中の者たちに殺されてしまうという想像に囚われた。

 当主戦死の凶報が届けられた数日後の夜半。フェリシティはマクシミリアンを籠に入れ、それを抱えて屋敷を抜け出した。本来は緊急時の脱出路となっている隠し通路を使って。

 なるべく大きな騒ぎとならないよう従士や使用人たちが二人を探し、翌日の午後に路地裏でフェリシティを保護したときには、彼女はマクシミリアンを連れていなかった。

 あの子は安全なところへ行った。誰にも殺させない。フェリシティは心が壊れたように笑いながらそう言い続け、誰がどう語りかけても、マクシミリアンの行方を明かすことはなかった。

 王都トルーズの周辺で赤髪の赤子が捜索されたが、ついに発見することは叶わなかった。

 フェリシティはそれきり心が壊れたままとなり、医師なども呼ばれたが快復することはなく、ついには自ら命を絶った。主家の名を守るため、従士と使用人たちによって、表向きは嘘の事情――赤子は不幸にも幼くして死に、夫人は伴侶と息子を失った悲しみのあまり体調を崩し、そのまま病を患ってやはり死んだという事情が公表された。


 ツェツィーリアは家族を失った。父も、母も、生まれたばかりの弟も失った。その理由を、憎むべき対象を求め、全ては父を討ったマティアス・ホーゼンフェルト伯爵のせいだと結論づけた。

 父は軍人で、戦争をしていた。ならば敵に討たれることがあるのも仕方がない。

 しかし、家族の仇であるホーゼンフェルト伯爵もまた軍人だ。ならば、自分が彼を討つことも許されるはずだ。むしろ称賛されて然るべきことだ。彼は敵国の英雄なのだから。


「……次こそは。次こそは私の手で貴方を仕留めてくれる。私から家族を奪った貴方を、貴方の新たな息子から奪って差し上げよう」


 鏡に写る自身の微笑を見据え、ツェツィーリアは言う。

 ツェツィーリアは幼くしてファルギエール伯爵家の家督を継いだ。幼稚さを許される子供であることを止めた。母の葬儀の日を最後とし、以降は己の感情を隠すようになった。

 父の遺産で生き長らえ、父の遺臣たちに支えられて育ち、そして父と同じように軍人となった。

 壮絶な努力と、そしてファルギエール伯爵家の名声もあって早期に大隊規模の指揮官となり、何度目かの戦いでホーゼンフェルト伯爵の息子を討った。復讐に一歩近づいた。

 しかし、まだだ。肝心のホーゼンフェルト伯爵を仕留めてはいない。彼はあれから二十年が経った今も生き長らえ、最近では孤児上がりの養子などというものを迎えたというではないか。本格的な開戦後はエーデルシュタイン王国の情報も入りづらくなっているが、その事実だけはかろうじてツェツィーリアも把握している。

 噂では、昨年の北方平原の戦いで、ツェツィーリアと同じような策を講じてこちらの別動隊を敗退に追い込んだのは、ホーゼンフェルト伯爵の養子となった件の騎士だという。

 先のオストブルク砦奪還の策も、ホーゼンフェルト伯爵らしくはない。むしろ自分が考えそうな姑息な手口だとツェツィーリアは思っている。おそらくはそれも、例の養子が考えたものだろうと直感的に信じている。

 ホーゼンフェルト伯爵は、随分と賢しい孤児を拾ったらしい。自分から家族を全て奪っておいて、己は新たに家族を持ち、親子揃って自分の復讐の邪魔をするとは。まったくもって腹立たしい。


 より一層、復讐心も滾るというもの。


 マティアス・ホーゼンフェルト伯爵を討ち、家族の復讐を果たす。父ジェラルドと同じ苦しみを彼に味わわせ、彼の養子には自分と同じ、父親を奪われる喪失感を与える。

 必ず成し遂げる。傷だらけの己の心に、さらに深く傷を刻むように、ツェツィーリアは決意を強固にする。


「……さて、まずはノヴァキア王国だ。どうやって落としてやろうかな」


 化粧台の鏡の前から離れたツェツィーリアは、部屋の外で待っているセレスタンのもとへ歩きながら独り言ちる。弾むような軽い声で、まるで休日の予定でも考えるかのような顔で。




★★★★★★★


ここまでが第二章となります。お読みいただきありがとうございます。

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書籍化に関しても順調に進行中です。最高のかたちでお届けできるよう頑張ってまいります。

具体的なお知らせに関しては、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。


引き続き『フリードリヒの戦場』をよろしくお願いいたします。

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