第70話 ある少女の復讐①
バッハシュタイン公爵領からの撤退より少し経ち。ツェツィーリア・ファルギエールは、自身の拠点である東部首都トルーズから、アレリア王国の王都サンヴィクトワールへと参上した。
かつてのアレリア王国領土のほぼ中央、現在の領土から見れば西寄りに位置する、アレリア王国の中枢。王国の権勢拡大と共に人口は増加の一途をたどり、現時点で既に十万に迫っているとも言われている。
そんなサンヴィクトワールの南に位置しているのが、アレリア王家の居所たる王城。大国の主の
家としてふさわしくあろうと、今もなお城壁や館の規模拡大が行われているこの城に、ツェツィーリアは騎士セレスタンを伴って入城する。
「ファルギエール卿。お待ちしていました」
「……これはこれは、エマニュエル殿下」
出迎えたのは、アレリア王国の広大化に伴って置かれた行政の長、宰相職を担う王弟エマニュエル・アレリアだった。彼の登場に、ツェツィーリアは小さく目を見開く。
「私などを迎えるために、お忙しい殿下が御自ら?」
「あなたは東部におけるアレリア王国軍の要であり、国王陛下が最も注目している人物です。王家としても、相応の礼をもって迎えなければ……それに、私は確かに宰相ですが、実務の点ではそう忙しい身でもありませんよ。大筋を決めれば、後は有能な官僚たちが動いてくれます。陛下が用意してくれた名誉職のようなものです」
柔和な表情で言うエマニュエルだが、彼もまた凡人ではない。
体躯は細く、背もさして高くない。子供の頃は病気がちだったと聞いている。しかし非常に聡明なことで知られており、特に内政に関してその手腕を発揮してきた。
征服した国々で旧支配者層と民衆の間に分断を作り、中央へと富を集中させる。その統治方法を考えて具体化させたのは、他ならぬ彼だという。
「さあ、参りましょう。会談の準備が整っております」
挨拶もそこそこに、ツェツィーリアはエマニュエルに案内される。
向かった先は、国王が臣下との会談に使う部屋の中でも、最も格が高い一室。先に室内に通されて待っていたツェツィーリアは、間もなくやって来た主を前に起立すると、貴族の礼節に則った所作で片膝をつく。
「国王陛下。ファルギエール伯爵ツェツィーリア、王命により参上いたしました」
「よく来たな、ファルギエール卿。そう堅苦しい挨拶をせずともよい。面を上げよ」
許しを受けて、ツェツィーリアは顔を上げ、己の現在の主君を見る。
アレリア王国国王、キルデベルト・アレリア。齢四十を超えてもなお若い頃と変わらぬ屈強な体躯を、広大な王国の支配者にふさわしい豪奢な衣装で包んだ彼は、正しく覇王の風格をもってツェツィーリアを見下ろしていた。
椅子に腰を下ろしたキルデベルトに命じられ、ツェツィーリアも着席する。
「報告は読んだ。此度はご苦労だったな……また、随分と大変だったようだが」
そう切り出したキルデベルトの顔に怒りの色はなかったが、その笑みと言葉には若干の皮肉が含まれる。
「またしてもエーデルシュタイン王国への侵攻を成せず、陛下の御心を乱し奉りましたこと、誠に遺憾に存じます。釈明の言葉もございません」
ツェツィーリアは、彼女にしては珍しく真剣な表情で答え、頭を下げる。
昨年の北方平原での戦いは、誤魔化しようもなくアレリア王国の敗北だった。ツェツィーリアの提示した策を承認したのは国王であるキルデベルトだが、戦場での敗北はやはり将の責任となる。
そして、今回のバッハシュタイン公爵領からの侵入。計画失敗の責任はエルンスト・バッハシュタイン公爵にあるが、彼がアレリア王国へと持ち込んだ計画を、成功の見込みありとしてキルデベルトへ繋いだのはツェツィーリアだった。
二度続けて敗北した将、とツェツィーリアを見る者も今後出てくるだろう。ツェツィーリアとしては、キルデベルトの皮肉に反論する余地はない。
「エーデルシュタイン王国側の顛末は聞いたか?」
「はっ。謀反の首謀者たちは、揃って斬首に処されたと聞き及んでおります。ジギスムント・エーデルシュタイン国王自らが民衆の前に立ち、その手でコンラート王子の首を刎ねたと」
「そうらしい。ジギスムントは堂々たる振る舞いで己の威厳が健在であることを国内外に示し、さらには我が子をも裁く厳格さをもって、己と王家に対する評価を守ったと……見せ方ひとつで事を収めてみせるとは、さすがと言うべきか。敵側の名君というものはまったく厄介だな。いい加減にくたばってくれたら助かるのだが」
キルデベルトは鼻で笑うようにそう言った。
ジギスムント・エーデルシュタインの名声は、アレリア王国が今までに征服した国々の君主たちと比べても高かった。そして今、彼の治めるエーデルシュタイン王国は、キルデベルトにとって今までで最も厄介な敵として立ちはだかっている。
だからこそ、キルデベルトもバッハシュタイン公爵の提案に乗った。公爵家を利用してエーデルシュタイン王の首をこちらの傀儡にすり替えさせ、ひとまず従属させ、そう遠くないうちに国ごと奪うつもりだった。しかし、その策までもが失敗した。
「今回あらためて分かったが、やはりエーデルシュタイン王国は手強い。軍制は洗練され、将兵は強く、王太女による兵力招集の対応も早かった。その上でジギスムントが未だ生きているとなると……今回と似たような搦め手を用いてもそうそう打ち破れまい。力を蓄え、準備を整えた上で、真正面から勝利を取るのが最善と言えよう。お前はどう思う?」
「まさしく陛下の仰る通りと存じます」
ここで異論を述べても説得力はなく、王の心証を悪くするだけ。そう考え、ツェツィーリアは無難な返答をする。
「そうか。では、ひとまず仕切り直すとしよう。ファルギエール卿、お前にはノヴァキア王国の攻略を命じる。エーデルシュタイン王国に関しては、然るべきときまで現状維持に努める」
そこで初めて、ツェツィーリアの顔に感情が出る。悔しさと、そして焦燥が僅かに表れる。
それを見たキルデベルトは、面白がるように片眉を上げる。
「不満がありそうだな」
「っ、いえ。まさか陛下よりの御命令に不満など」
キルデベルトはツェツィーリアの言葉を信じていないようだったが、気を悪くした様子もない。
「お前の望みは分かっている。だが、アレリア王家にも事情がある。王家への支持。そして我が覇道。どちらも勝利によって支えられているものだ。この意味が分かるな?」
「……はっ」
国の安寧は王家のみでは成せない。そこに暮らす貴族や民の感情に、必ず左右される。ジギスムントがエーデルシュタイン王家の威信を維持するために自ら表舞台に立つ必要があったように、キルデベルトにも守るべき威信がある。
現在、アレリア王家の権勢を支えているのは軍事力と、キルデベルトの掲げる野心。その後ろ盾は、王国の勢力拡大を歓迎するタカ派の貴族たち。先代国王の時代から急進的な勢力拡大を続けているうちに、自然とこのような構図が出来上がった。
彼らタカ派は、従えている限りは頼もしい後ろ盾となるが、そのためには彼らの望むものを与えなければならない。
すなわち、アレリア王家の勝利。勝てる王家に、強き君主に仕えているという彼らの誇りを守り続け、そうして彼らを満足させてやらねばならない。
後ろ盾を維持するために、アレリア王家は強気な姿勢を崩せない。だからこそ、ミュレー王国の征服からさして経っていない今の時点で行動を起こし、さらに東への領土的野心を顕示した。
行動を起こしたら、次は結果を示さなければならない。数年以内にエーデルシュタイン王国かノヴァキア王国のいずれかを征服して見せなければ、キルデベルトは勢いを失ったと見られ、タカ派の貴族たちに舐められ、その権勢は揺らぐ。
エーデルシュタイン王国の攻略で二つの策が立て続けに失敗に終わった現状、さらに失敗を重ねることは避けたい。より弱いノヴァキア王国の攻略にひとまず本腰を入れるというのは、妥当な話だった。
この事態の原因を招いたツェツィーリアとしては、異議を唱える余地はない。
「ノヴァキアを落とし、その後エーデルシュタイン攻略に注力する。その前提でまた策を立てよ。そうすれば……お前の家族の仇を討つ機会もまた巡ってこよう」
「陛下の御慈悲に心より感謝を。次こそは、必ずや大勝利を献上いたします」
恭しく一礼するツェツィーリアに、キルデベルトは頷く。
「それでよい。我が期待にお前が応えてくれると信じているぞ――ルドナ大陸全土を支配する。そのためにはお前の才覚が必要なのだ。他の貴族たちの手前、私が今後もお前を贔屓するには、それにふさわしい実績をお前に示し続けてもらなければならないのだ。ツェツィーリアよ」
ルドナ大陸。その全てをアレリア王家の手中に収める。キルデベルトは本気でそのような野望を抱いていた。
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