第69話 処刑②

 エルンストが何も成し遂げられないまま世を去った後、最後の罪人が死刑台に上げられる。

 コンラート・エーデルシュタイン王子。他の罪人たちと同じ無地の簡素な服を着せられ、後ろ手に縄で縛られた彼を前にした民衆は、さすがに今までのようには騒がない。

 民に愛された優しい王子。その変わり果てた姿に、彼らも衝撃と動揺を覚えて黙り込む。

 集った民衆の大半は、王都の住民。彼らはコンラートの話を聞く機会も、コンラートの姿を目にする機会も多かった。貧民救済事業や文化芸術の促進に努めていたコンラートと、直接言葉を交わしたことのある者も少なくない。

 だからこそ、彼がこれから大罪人として処刑される事実を前に、重苦しい空気が流れる。

 コンラートが死刑台の上で膝をつき、首を垂れる。そして――ジギスムントがその傍らに立つ。

 まさか、と誰もが思う。民衆も、騎士たちも、貴族たちでさえも。この展開は、公開処刑の実務に従事するごく一部の者以外には事前に知らされていなかった。


「コンラート・エーデルシュタイン王子。この者は国を守るべき王族でありながら、バッハシュタイン公爵と共謀し、己の欲望のために隣国と手を結んだ。エーデルシュタイン王家は、王国の守護者であらねばならない。建国以来のこの使命に背いた者に、与えるべき慈悲はない」


 ジギスムントは鋭く言い放つ。冷徹な表情で、我が子を見下ろしながら。


「我は王である。王の名のもとに、この愚かな謀反人を裁く。王自らの手によって、この大罪人の首を刎ねる」


 宣言したジギスムントは、グスタフが差し出した、君主のみが振るうことを許される剣を手に取る。そして、コンラートの首の上で構える。

 大勢の人間に埋め尽くされているとは思えないほど、広場は静かだった。

 その空間の中で、クラウディアは一人、思い出す。コンラートと最後に言葉を交わしたときのことを。




「……何故だ、コンラート」


 総指揮官としてバッハシュタイン公爵領での事後処理に追われていたクラウディアは、王都に帰還した後にようやく、コンラートと一対一で顔を合わせた。彼を厳重に拘束させ、近衛騎士たちを退室させた上で。

 本当は、死を待つ謀反人になり果てた弟と向き合うのは辛く、恐ろしかった。それでも会わないわけにはいかなかった。彼と話さないまま死に別れれば、一生涯、後悔が付きまとうと思った。

 彼の動機については、既に報告を受けている。失敗の果てに刑死を受け入れる彼の覚悟についても聞いている。

 それでも、最初に口を突いて出たのは、何故、という言葉だった。


「何故……何故、姉である私に一度も話してくれなかったのだ。本当は王になりたいと」


 それを知っていれば。弟の葛藤や苦悩を知っていれば。彼の望みを叶えることはできずとも、もっと違う結末に辿り着けたかもしれないのに。そう思わずにはいられなかった。


「……怖かったのです。そのような我が儘な心情を吐露して、姉上をがっかりさせてしまうことを恐れたのです。だからずっと心の内に秘め、我慢し続け……結局、最も姉上をがっかりさせる選択をしてしまいました」


 自嘲するように微笑を零しながら、コンラートは答える。拘束され、椅子に座らされた姿で。


「姉上の言葉を忘れたわけではありません。支配者は守護者でなければならない。その教えを今も覚えています……それでも、私は自分の欲望を抑えきれなかった。何故……何故、私のような人間が生まれてしまうのでしょうか。何故、人はそれが愚かな行動であると分かっていながら、それでもときに愚行に走ってしまうのでしょうか」


 諦念交じりの問いに、クラウディアは答える言葉を持たなかった。クラウディアにも答えは分からなかった。分かっているのはただ、現実はもう変わらないということだけ。


「姉上、最後にひとつだけ、お願いがあります」

「……何だ?」


 国を裏切った謀反人。多くの犠牲を生んだ大罪人。それでも、今でも、コンラートは愛する弟だった。

 王族としては決して許すことができないとしても、公には二度と愛をもってその存在を語ることができないとしても、姉として彼の願いを叶えられるものなら叶えたい。クラウディアは渇望を覚えながら尋ねる。


「どうか……どうか時々でいいので、思い出してほしいのです。こんなことになるずっと前の、こんな愚か者になるずっと前の、姉上に可愛がられるばかりだった幼き日の私のことを。愚かな大罪人として歴史に名を刻むことは避けられないとしても、せめて姉上の記憶の中では、姉上の愛した弟の姿でありたいのです。ただ良き思い出の存在でありたいのです」


 それを聞いたクラウディアの手に、力がこもる。

 弟の前では決して泣かないと決めていた。それなのに、頬を涙が一筋、流れた。


「分かった。これから王族として、そして女王として歩んでいく中で、一人の姉として幼き日のお前のことを思い出そう。コンラート。我が弟よ」

「……感謝します、姉上。これで、もう何も恐れることはありません」


 清々しささえ感じさせる穏やかな表情で、コンラートは言った。




 そのときと同じ気配を、コンラートは纏っていた。彼には現世でやり残した後悔も、死への恐怖もないのだと、クラウディアには分かった。


「……罪には等しく罰が伴う。それがたとえ王の子であろうとも」


 ジギスムントが言い、そして剣を振り上げる。

 皆に愛された優しい王子。国を裏切った謀反人。

 コンラート・エーデルシュタインの首が落ち、その命が消えた。


・・・・・・


 謀反人の処刑によって状況がひとまず収束を迎えた、その数日後。政治的にはバッハシュタイン公爵領の事後処理をはじめ問題が未だ山積しているが、市井の空気に関しては、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。

 王族が加担した謀反という、本来であれば王家の権威失墜にも繋がりかねない事件。しかし、国王ジギスムントの存在によって、そのような事態は防がれた。

 巷では死亡説さえ流れていた病身の王。それが未だ存命であり、その威厳が以前と何ら変わっていないことが社会に示された。大罪を犯した我が子を、自らの手で容赦なく裁いてみせるその厳格さをもって、ジギスムントは誰しもに畏怖の念をあらためて抱かせた。

 公開処刑の様子は、既に王都や王領の外まで噂となって広まり始めている。吟遊詩人や商人などを活用した王家による情報工作も始まっており、ジギスムントによる王子処刑の様は、物語性を帯びながら今後も国内外に広まっていく。

 結果的に今回の謀反は、ジギスムントという偉大な王の存在を、今一度社会に知らしめることに繋がった。ジギスムントはその威容をもって、エーデルシュタイン王家の名誉を守り通した。

 今回の一件で王家が表立って政治的・軍事的に揺らぐことはほとんどないものと見られている。少なくとも現実で導き得る結末としては、最良と呼べる結末となった。


「とはいえ、後味は悪いね」


 戦いを終えて与えられた休暇をユーリカと共に市街地で過ごし、市井の空気を肌で感じた後に屋敷に帰宅し、自室でひと段落つきながら、フリードリヒは呟く。


「フリードリヒ、まだあの王子様のことを気にしてる……よね?」


 隣に座るユーリカが、フリードリヒの頭を撫でながらその顔を覗き込み、首を傾げる。

 フリードリヒは少しの間黙り込み、そして頷く。

 コンラート王子とは、一度だけとはいえ直接言葉を交わし、あの穏やかな表情を向けられた。そして、己の父親に首を落とされるという彼の最期を目の当たりにした。その壮絶な光景は数日で忘れられるものではない。

 そして、それ以外にも。


「コンラート王子は許されないことをした。それは間違いない。だけど……僕には彼の気持ちが分かってしまう。彼の心情を、完全には否定できない。ボルガで生き続けたら、僕も彼のようになっていたかもしれないから」


 コンラート王子の動機は、フリードリヒもマティアスを通して聞いた。

 どんなかたちでも良いから歴史に名を残したい。そのような考えに自分は染まらなかったと、言い切ることはできない。

 もしマティアスに見出されることなく、ボルガで人生を重ねていたら。何者かになりたいという漠然とした欲求を抱え、年月とともに膨れ上がったその重みに、いつか耐えられなくなったら。

 悪名でも構わないから、とにかく己の名を歴史に刻みつけたい、などと考えるようになっていたとしたら。自分もコンラート王子のような愚かな行動に走らなかったとは断言できない。


「もしそうなってたとしても、私はやっぱりフリードリヒと同じことをしたよぉ?」


 顔を寄せて言うユーリカの吐息を頬に浴びながら、フリードリヒは寂しげに微笑する。

 フリードリヒもそう思った。歴史に残る大悪党になりたいと自分が言えば、彼女は喜んで付き従い、一緒に悪逆の限りを尽くし、最後は一緒に死んだだろうと。

 だからこそ、寒気を覚えた。処刑されるコンラート王子の姿を見たときに。


「ねえ、フリードリヒ」


 呼ばれてフリードリヒが振り向くと、ユーリカに唇を奪われる。

 長い、長い、長い口づけの後で、ユーリカは僅かに唇を離し、妖艶で優しい笑みを見せた。


「そんなことにはならなかった。私たちの人生は変わった。それが現実だよ」

「……うん。ありがとう、ユーリカ」


 自分は生ける英雄の継嗣となった。これからもそうして生きていく。辛く困難な道のりが待っていることは確かだが、その果てにあるのは少なくとも、悪名を求めて刹那的な行動に走る愚かな末路ではない。

 そのような末路へと、ユーリカを道連れにすることもない。


「今の道に進んでよかった。ユーリカを守るためにも」


 そう言って、今度はフリードリヒの方から彼女に口づけする。

 二人は抱き合い、そしてユーリカがフリードリヒをベッドに押し倒す。


「……愛してる。私のフリードリヒ」


 互いに決して離れないというその意思を確かめ合うように、二人は肌を重ねる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る