第67話 事後処理②

 謀反人として捕らえられたのは、コンラートとエルンストだけではなかった。エルンストと共に謀反の首謀者となった公爵家の近縁者たち、そして捕虜として拘束された公爵領軍の騎士たちも、囚われの身となった。

 領軍のうち兵士たちについては、実質的に無罪放免となって解放されている。

 そもそも戦争においては、よほど目に余る狼藉をはたらいたのでもなければ、敗北した側の兵士が何らかの責任を負うことは少ない。兵士であると同時に公爵領民である彼らは、ただ領主の命令に強制的に従わされた存在として赦された。

 一方で騎士たちは違う。騎士はすなわち士官。宣誓して叙任を受け、職業軍人として戦いに臨んだ身。いかなる場合においても、責任からは決して逃れられない。


 王都に到着し、軍本部の牢に入れられてしばらく経った後。領軍騎士の生き残りである数十人は王城へと連行された。国王より沙汰が下る、と説明を受けて。

 彼らが並べられたのは、謁見の間だった。高い天井と巨大な柱、白い壁には歴代国王の壁画。床に敷かれた絨毯だけは、罪人を座らせるためか、平時と違っていかにも粗末で飾り気のないものになっている。

 本来は王族への謁見という、栄えある場面で用いられるべき広く荘厳な空間が、今は冷たく彼らを囲んでいた。

 諦めたような表情の者。恐怖に震える者。様々な反応を示す領軍騎士たちの中に、フランツィスカもいた。

 既に戦死している父は謀反の首謀者の一人と見なされたが、謀反が始まるまで何も聞かされていなかった彼女は、他の騎士たちと同じ扱いになった。今は、後ろ手に縛られて座らされた姿勢のまま、静かに無表情を保っていた。


「国王陛下の御成である。者共、平伏せよ」


 この場での実務を取り仕切る典礼大臣が言い、並んだ騎士たちは素直に、一斉に首を垂れる。抵抗するだけの気概も、抵抗する理由も、もはや誰一人持ち合わせていない。

 間もなく。静かな足音と、杖が床を突く音が、広い室内で僅かに反響するのをフランツィスカは聞いた。

 音は謁見の間の最奥、その中央で止まる。


「……余がジギスムント・エーデルシュタインである」


 そして、厳かな声が響いた。

 フランツィスカは以前、儀式や社交の場で何度か聞いたことがある。一度だけ、直接言葉をかけられたこともある。その記憶に残る、当代国王ジギスムントの声で間違いなかった。

 長らく表舞台に出てこなかった病身の王が、本当に自ら登場するとは。そう驚きを覚える。


「バッハシュタイン公爵領軍の騎士たちよ。お前たちは罪人である。王家に牙を剥き、王国軍に剣を向け、王国の存続を揺るがした大罪人である」


 王の言葉は、大きな圧となって平伏した騎士たちを押さえつける。面を上げよ、という言葉はない。誰も、首を垂れたまま顔を上げることを許されない。


「力には責任が伴う。王国への忠誠を誓い、誇りを守ると宣言したからこそ、騎士には力が与えられている。にもかかわらず大罪人へと堕ちたお前たちの、その罪に対し、余は王の名のもとに裁きを下す」


 騎士たちの間に緊張が走る。謁見の間に漂う空気が、一気に張りつめたのをフランツィスカは感じる。


「罪に対して、どのような罰を与えるかを決める。これは王が唯一絶対の神より授かった権能である。罰を与える上で、慈悲も与えることもまた王の権能である……例えば、火刑。あるいは、串刺し刑。どちらを己と家族に与えるか、選ぶ程度の自由は下賜するのが慈悲であろう」


 ひっ、と誰かが息を呑んだ。そんな、という呟きが聞こえた。低く唸るような泣き声が、辺りに流れた。

 フランツィスカは全身から血の気が引く感覚を覚えながら、衝撃に目を見開いて床を見つめた。

 自分が死ぬ覚悟はしていた。それは当然に、受け入れるつもりでいた。

 家族まで死を賜ることも、予想していなかったわけではない。

 しかし、いざ連座での死罪を宣言されると、受ける衝撃は想像を絶した。それもただの死罪ではない。生きたまま焼かれるか、あるいは生きたまま尻から口までを串刺しにされるか。最大級の苦痛を伴う二つの処刑方法、それをどちらか選べと言うのか。

 愛する夫と、まだ幼い娘の顔がフランツィスカの脳裏に浮かぶ。あの二人を焼き殺すか串刺しにするか、どちらかを自分自身が選べというのか。

 耐えられない。そう思いながら身を震わせる。どんなに身体に力を込めようとしても、震えが止まらない。


「……そんな、ああ、そんな……許して、許してくれ……」


 隣に座らされている騎士ローマンの呟きが聞こえた。彼にも伴侶と子供、老いた両親がいる。

 他にも、後悔や家族への謝罪を呟く声がいくつも聞こえる。堪えきれず慟哭する声も。中には嘔吐している者さえいた。床に敷かれている絨毯が平時と違うのは、このような事態を想定していたのかもしれなかった。


「――だが」


 悲壮と絶望が謁見の間を埋め尽くす中で、ジギスムントの声が再び響く。


「エルンスト・バッハシュタイン公爵がお前たちに嘘を吹き込み、領主貴族としての力を悪しき目的で振りかざしたのもまた事実である。力に責任が伴うというのであれば、公爵が貴族としての責任を捨て、貴族としての力を悪用した罪は、公爵とその共謀者たちにのみ存在する。お前たちはお前たちの持つ力のもとにのみ、お前たちの罪を負うべきである。王には裁きを下す権能がある。故に、王は公正であらねばならぬと余は考える……沙汰を言い渡す。者共、面を上げよ」


 許しを受け、フランツィスカは顔を上げる。

 希望を見ていいのか。一縷の望みがあると思っていいのか。そう思いながら王を見る。絶望の底に落とされた上で聞かされた、情状酌量を仄めかす言葉に頭が混乱する。鼓動が聞こえるのではないかと思うほど心臓が高鳴り、呼吸が異様に乱れる。気を失いそうなほどの緊張を覚える。


「バッハシュタイン公爵領軍の騎士全員、その身分を剥奪する。その上で、王領へと併合される旧バッハシュタイン公爵領、そこへ置かれる王国軍の新たな部隊へ、兵卒として入隊することを命じる。君主による許しが与えられるまで除隊は認めぬ。以上」


 ジギスムントは宣言した。沙汰はそれで終わりであると。


「……お」


 静まり返った謁見の間の中で、フランツィスカは緊張に耐え兼ねて、思わず何らの意味のない妙な声を零した。

 皆の反応は様々だった。フランツィスカと同じように声を零す者。あるいは息を呑む者。逆に息を深く吐く者。隣のローマンは安堵のあまり意識を手放しかけたのか、その頭がぐらりと大きく揺れた。


「これはお前たちの身に、ただ一度きり降り注ぐ幸運である。お前たちの人生に、ただ一度きり王家が与えた慈悲である。決して二度目はない。故に、己の心に刻め。お前たちの命と家族を救った余の恩に、必ずや応えてみせろ。余の恩に報いる忠誠と献身を、余の世継ぎである王太女クラウディアに対して示すのだ。その生涯をかけて」


 フランツィスカたちを睥睨しながら、ジギスムントは言った。

 これほど偉大で、懐の深い王に、自分たちは剣を向けたのか。フランツィスカの心に深い罪悪感と羞恥が刻まれた。


「……国王陛下。お慈悲に感謝いたします。この御恩を忘れることは決してございません。王家と王国の御為に全身全霊で務め、この命と魂を捧げることを以て報いると誓います」


 誰かが言葉を返さなければならない。そう思って、フランツィスカは口を開いた。片膝をつく姿勢も敬礼もできないが、せめてもの礼節として、再び首を深々と垂れながら。

 フランツィスカの声は震えていた。目からは涙が溢れていた。

 居並ぶ元騎士の全員が、それに倣った。


・・・・・・


「国王陛下、お疲れさまでございました」


 沙汰を終えて退室し、用意されていた安楽椅子に腰かけたジギスムントは、典礼大臣の言葉に頷く。


「立場と力を奪い、心を壊した上で牙を抜いた。元より己の意思で王家に反旗を翻したのでもない連中だ。二度と逆らうこともあるまい」

「まさしく仰る通りにございます。罪人どもを震え上がらせ、その後に恩を抱かせる陛下の御振る舞い、お見事でした」


 エルンストをはじめ擁護しようもない謀反の首謀者たちは別として、その他の騎士たちは情状酌量の余地がある。ただ一まとめに極刑を下すのは容易だったが、ジギスムントは彼らに利用価値を見出し、彼らを最大限に活かすこととした。

 まずは、残酷を極めた罰を仄めかして彼らを絶望の底に叩き落とし、心を破壊する。

 そうしておいて、希望を見せる。闇に包まれた彼らに一筋の光を見せ、期待させ、揺さぶり、彼らを叩き落としたその手で今度は救い上げる。さらには、この希望を与えたのが国王たる自分であると、エーデルシュタイン王家であると強調する。

 一度壊れてひび割れた彼らの心には、王家の大恩が容易に染み込む。ジギスムントは彼らを家族ごと残酷な極刑に処そうとした恐怖の支配者から、彼らを家族ごと救った最大の恩人となる。

 狙い通りの結果を得られたのは、彼らの反応を見れば明らかだった。

 これで王家は、忠実な犬と化した元騎士の戦力を数十人、手に入れた。中央から送り込む幹部と元公爵領軍の生き残りで今後編制される新部隊、そこで分隊長や小隊長にする人材を得た。

 さらに、彼らとその家族を赦したことで、彼らの親類や知人友人である公爵領民たちに「慈悲深く寛大な王家」という印象を植えつけることも叶った。今後、公爵領を王領に併合して統治する上で、何かと都合が良い。

 そう遠くないうちに王位を継ぐクラウディアに、できる限り負債を残さないようにする。そのためにこそジギスムントが下した決断は、こうして達成された。


「後は、謀反人たちの処刑を終えるだけだな」

「はっ。それにつきましても、抜かりなく準備は進んでおります」


 ジギスムントが呟くと、典礼大臣はそう答えた。処刑はおよそ一週間後に予定されている。

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