第66話 事後処理①

 当面の事後処理を終えたクラウディアは、微細をフェルディナント連隊やアルブレヒト連隊に任せ、自身は近衛隊と共に王城に帰還した。

 そして、まずは報告のために、国王である父ジギスムントのもとへ向かった。


「……国王陛下。王太女クラウディア、ただいま帰還いたしました」

「ご苦労だった、我が娘よ。面を上げ、楽にするといい」


 父に負担をかけないために私室まで来訪したクラウディアは、王妃である母に寄り添われて安楽椅子に座る父の様子が、出陣前に会ったときと特に変わっていないことに安堵する。


「まずは、よくやった。お前が速やかに兵力を集結させてアレリア王国の軍勢を撤退に追い込み、コンラートとバッハシュタイン卿による謀反を鎮圧して二人を捕縛し、エルザス回廊の防衛を維持したことで、王国の平和は保たれた」


 ジギスムントの言葉に、クラウディアは沈痛な面持ちで首を横に振る。


「私の働きなど、お褒めの言葉を賜るには及ばぬものです……むしろ、此度の危機の責任は私にあります。私がコンラートを信頼し、バッハシュタイン公爵を信用したせいで、このような事態が引き起こされました」


 そう語るクラウディアの拳が強く握られ、震える。表情には悔しさが滲む。

 コンラートを大将とし、バッハシュタイン公爵領軍を主力とし、回廊を進軍する計画を立案したのはクラウディアだった。自身の計画が、二人の謀反を容易にしたと、クラウディアは責任を感じていた。


「……座れ、クラウディア」


 ジギスムントがクラウディアを名前で呼ぶときは、親子として話をするとき。クラウディアは王太女ではなく娘として、言われた通り椅子に腰かける。


「今回のことは仕方がなかった。身内をまったく信用せず、四六時中監視するわけにもいかぬ。だからこそ、身内による裏切りとあらば未然に防ぐにも限界があろう。王族として生きていればこのようなこともある。そう割り切るしかない」


 そう言われ、クラウディアは小さく目を見開いて父を見る。


「むしろ、身内の裏切りを受けるのであれば、今が最良の時だったと言えよう。アレリア王国との戦争が佳境に入った段階で同じような裏切りを受けていれば、被害や混乱はこの程度では済まなかっただろう。謀反を主導したでのあろうバッハシュタイン卿は焦り過ぎたな」


 微笑さえ浮かべるジギスムントに、クラウディアは何と答えたものか迷う。父の顔は、娘を慰めるために誤魔化しを言っている表情ではなかったからこそ。


「だが、あえて責任を求めるとすれば、それを負うべきは私だ……私は未だ王であり、このエーデルシュタイン王国は未だ私の治世下にある。だからこそ、ここからは私が動こう。血の繋がった謀反人たちを粛清する務め、王である私自らが表の場に立ち、果たしてみせよう」

「しかし父上。あまり動かれてはお身体が……」

「このような死にぞこないの身、今さら労わるほどのものでもなかろう。いや、むしろこの役目を果たすためにこそ、神は私の病状を今一度和らげたのかもしれぬ……謀反人を片付ける。身内を裁き、その血で己の手を染める。このような血なまぐさい務めは、死にゆく私一人が負うべきだ」


 ジギスムントの声は穏やかだったが、その目には力があった。

 一国を己の才覚で長年治めてきた、君主としての気迫。それはジギスムントの身が病に侵された今も健在だった。


「ヘルムート。今言った通り、明日以降は私が動く。コンラートとバッハシュタイン卿と面会し、公爵家と領軍の関係者に沙汰を下し、そして公開処刑を行う。二週間以内に全てを終える。私が最小限に動いて事が済むよう、お前は文官の長として各方面に働きかけ、然るべき調整を為せ」


 ジギスムントは振り返り、この場に同席していた財務大臣ヘルムート・ダールマイアー侯爵を向いて言う。


「御意のままに、国王陛下」


 王の最側近の一人であるヘルムートは、厳かに一礼する。それに頷き、ジギスムントはクラウディアに向き直る。


「我が娘よ。これは決定事項だ。第十二代国王ジギスムント・エーデルシュタインの名のもとに、王命として伝える。この件に関しては、お前に預けた国政の権限を再び我が手に戻す」

「……御意に」


 王命。そう言われては、クラウディアも反論する余地はない。ただ首を垂れて答え、ヘルムートと共に下がるよう命じられて退室する。


 そしてジギスムントは、護衛や使用人たちにも退室を命じ、王妃アレクシアと二人きりになる。


「あなた。ご無理をなされているのでは?」

「ここが無理のしどころだろう。我が人生最後のな」


 心配そうに問いかける伴侶に、ジギスムントは苦笑交じりに答える。


「私が多少の無理をして済むのならばそれでよい……クラウディアに、実の弟を裁いて殺めるなどという呪いを背負わせるわけにはいかぬからな」


・・・・・・


 国王ジギスムントはまず、謀反の首謀者であるエルンスト・バッハシュタイン公爵と面会した。

 王城の地下牢に囚われていたエルンストは、厳重に拘束されて監視役の近衛兵たちに囲まれ、上階へと連行される。そして一室に入れられ、そこで椅子に座らされる。

 間もなく、ジギスムントがその部屋に入る。エルンストと向かい合うように座る。


「直接会うのは久しぶりだな、エルンストよ」

「……はい。まさか、国王陛下が御自らお会いくださるとは」


 ジギスムントが言葉をかけると、エルンストは驚きの混じった表情で答える。


「私はまだ王位にある。国家の存亡を揺るがす謀反の後片付けともなれば、全く出ないわけにもいかぬだろう……それに、個人的にお前と話しておきたかったというのもある。お前が生きているうちにな」


 そう言って、ジギスムントはエルンストを見据える。体躯は病で痩せ衰えても、その視線の強さは国政の第一線に立っていた頃と何ら変わらない。


「お前の動機は、聴取を務めた官僚たちから報告が入っている。まさか今時、ルーテシア人至上主義から反帝国思想をこじらせ、王家に反旗を翻す貴族がいるとはな」

「この歳まで我が思想を巧妙に隠し通せた、という一点においては、私の勝利ですな」


 不敵に笑うエルンストに、傍らの近衛兵が険しい顔で歩み寄ろうとするが、ジギスムントはそれを手で制した。自身も、エルンストの不遜な言動を咎めはしなかった。


「ああ、悔しいかなその通りだ……お前は幼馴染だ。王家と公爵家の継嗣として、その後は当主として、良き友情を築けていると思っていたのだが」


 ジギスムントが嘆息すると、エルンストは一転して少し悲しげな表情になる。


「私もそのつもりです。少なくとも個人としては、私はあなたを友人だと思っていました。いえ、今でも思っています……しかしジギスムント殿。あなたの為してきた正義と、私の信じる正義は違うのです。決定的に。決して相容れないほどに」


 エルンストの言葉に、ジギスムントは頷く。


「そうであるならば仕方なかろう。王侯貴族は誰もが己の正義を持っている。その正義に従い、ときに戦う。お前が戦うと決めたのであれば、戦い自体を避ける術はなかった。そう納得するしかあるまい」


 そこで、二人の間に沈黙が流れる。重く息苦しい沈黙ではない。二人の数十年にわたる友情、その帰結を互いが心に受け入れるための、穏やかな沈黙だった。


「話は終わりだ。次に会うのは、お前の処刑場だな」


 ジギスムントは杖を支えにして自ら立ち上がり、部屋を立ち去ろうとする。


「国王陛下」


 そこでエルンストに呼び止められ、振り返る。


「王国に混乱を引き起こしたことは遺憾に存じます。ですが、私は己の決断と行動を、何ら後悔はしておりません」

「……それはお前、これだけ好き勝手をすれば後悔もないだろうよ」


 ジギスムントは苦笑交じりに答え、今度こそ部屋を去った。


・・・・・・


 そして場は仕切り直され、先ほどエルンストが座っていた椅子に、今度はコンラート・エーデルシュタイン王子が座らされる。

 しばしの休憩を終えて再び入室したジギスムントは、謀反の首謀者の一人となった我が子と、謀反が起こってから初めて対面する。


「いつからだ、コンラート」


 開口一番、ジギスムントはそう尋ねた。目を伏せていたコンラートは、問われて視線を上げた。

 今までと何ら変わらない、温厚で優しい瞳だった。


「……自分でも、もはや思い出せません。成人前、いえ、もっと幼い頃から秘めていた欲求だったのかもしれません」


 そう言って、コンラートの表情が微かに歪む。


「ですが、どうか信じてください。父上の治世に不満や疑問があったわけではないのです。父上は間違いなく名君であり、姉上はその跡を継ぐにふさわしい偉大な王太女です。お二人の最も近くでその様を見てきた私こそが、誰よりもそう信じているつもりです……それでも、私自身が王になりたかった。一度その思いを自覚してしまうと、もはや自分でもどうしようもありませんでした。私が欲望を抱くのではなく、欲望が私を支配しました」


 それを聞いたジギスムントは、すぐには答えなかった。先ほどエルンストとの間に流れたものとは違う、重い沈黙が流れた。


「……私も、己が良き王であったと思っている。だが、良き父親ではなかったようだ。お前の思いにも、葛藤にも、気づいてやることができなかった」


 父の言葉に、コンラートは無言を保ったまま、その目から涙が一筋、零れる。


「お前は賢い。己の行動にどのような責任が伴うか分からずして、決断をしたのではあるまい」

「はい、国王陛下」


 コンラートは頬に涙の落ちた後を作りながら、しかし表情を引き締めて答える。


「私は己の欲望を満たすため、敵国の軍勢の手を借りました。私の欲望で多くの騎士と兵士を死なせました。その罪を償う唯一の方法は、己の死であると理解しています」

「……それでよい。我が息子よ」


 コンラートの声に、瞳に、死への確かな覚悟を見たジギスムントは、静かにそう言った。

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