第58話 公爵家の事情

 オストブルク砦を奪い返された。奪取からわずか三日後に。

 その凶報がレムシャイトに運ばれてきたのは、夕食時を過ぎた頃だった。


「おのれ! 一個大隊もの兵力があって、どうして砦の一つも守り切れぬ!」

「指揮官は何をやっていたのだ!」

「納得できん! 詳しく説明しろ!」


 バッハシュタイン公爵家の屋敷の会議室。急きょ招集された家門の重鎮たちは、焦りや怒りを隠すことなく伝令の騎士に問い詰める。

 数日前には砦奪取の朗報を運んできた若い騎士は、部隊が行軍するなら一日半かかる距離を半日強で無理やり走ってきたために、もはや左右を兵士に支えられてようやく立っている有様。息も絶え絶えで答える余裕はない。


「おい、早く説明しないか!」

「そうだ、叙任を受けた騎士ならば、いついかなる時も――」

「諸卿、落ち着かれよ。王子殿下の御前だぞ」


 見かねて口を挟んだのはエルンストだった。報告を語るだけで精一杯だったのであろう伝令を気遣う気持ちもあり、同席しているコンラートの前で家門の者たちが情けない有様を見せることを諫めたい気持ちもあった。


「オストブルク砦を奪還されたことは確かに凶報であり、詳細については気になるところだが、それよりも今はまず優先して話し合わなければならないことがある。平原に放置されているという二百人の捕虜の件だ」


 伝令の退室を許した後、エルンストが言うと、彼の側近たちは先ほどまでの騒ぎぶりが嘘のように表情を暗くする。


「やはり救出すべきか?」

「しかしだな。今の我々にそのようなことをしている余裕は果たしてあるのか? 救出したところで、弱った捕虜などすぐに戦線復帰させられないだろう。負傷者も多いそうじゃないか」

「そもそも……これは敵の罠だ。どう見ても」

「見捨てるつもりか? 今まで鍛えてきた貴重な公爵領軍を二百人も? 放置されている捕虜の中には私の娘もいるのだぞ!」


 消極的な発言が立て続けに起こる中で、それらに対して怒気を露わにする者もいる。

 怒鳴ったのはエルンストの従兄で、自身も領軍騎士であるエグモントだった。彼の娘である騎士フランツィスカは捕虜となった大隊の指揮官であり、他の捕虜たちと共に平原に放置されているという。


「それは分かっているが……そもそも、騎士フランツィスカの敗北でこのような事態になっているのではないか」

「その通りだ。それにこう言っては悪いが、君の娘も騎士になった以上、戦場での死は覚悟の上では――」

「戦場だと!? 縛り上げられ、平原にごみのように放置されて死ぬことが戦場での死と言えるものか! 戦った末に散るのならばともかく、こんな死に方をさせるために大切な娘を騎士にしたのではない! 今このときも、娘は凍えて獣に襲われているかもしれないのだぞ!」


 怒気をはらんだ訴えに、強く反論できる者はいない。彼らも皆、騎士フランツィスカのことは家門の一員として、彼女が幼い頃から知っている。


「私も、捕虜たちを見捨てるべきではないと考える」


 空気が重く静まり返ったところで、エルンストが口を開いた。


「諸卿が集結する前に報告が入ったのだが、捕虜の件は早くも兵士たちの間に広まり始めている。当然、兵士たちは捕虜の救出を望み、それが為されるものと思っている。捕虜たちは彼らにとって同郷の知人友人、そして親兄弟だ。我々が捕虜を救出せず見捨てると言えば、残る七百の公爵領軍はもちろん、八万の公爵領民たちの忠誠と敬愛が危うくなる」


 バッハシュタイン公爵領軍の兵士たちは大半が半農。交代で軍務や訓練につき、一年のうち半分ほどは地元で農民として過ごしている。このような制度の上に領軍を組織しているからこそ、一個連隊に匹敵する規模を維持することができている。

 八万の人口から千もの兵士を集めれば、誰もが軍内に同郷の知人や親類を多く持つことになる。よく知っている者たちと共に武器を持って訓練し、お互いを、お互いの家族や土地を、共有する故郷を守るために戦うのだという意識を持つからこそ、彼らは半農にもかかわらず一定以上の士気と高い結束力を保ってきた。

 そうなるよう、公爵家も積極的に彼らの愛郷心や身内同士の絆を利用してきた。

 そして今、公爵領軍の実に五人に一人が初春の寒空の下に捨てられている。凍え、獣に怯え、苦しんでいる。レムシャイトに残っている本隊の誰もが、捕虜の中に同郷の知人友人、者によっては血の繋がった家族を持っている。

 もしも公爵家が捕虜を見捨てる決断をしたら。当然ながら凄まじい反発が起こるだろう。公爵領軍だけではない。捕虜の遺族、全ての領軍兵士の家族、その親類や知人。反発は公爵領の全体に広まっていく。公爵領を守ってきた兵士たちをいきなり王家への謀反に動員し、都合が悪くなると二百人を見捨てた公爵家を、領民は許さない。

 たとえ王位を奪ってもすぐに王国中央の全てを自由に動かせるわけではない以上、公爵領は引き続き権力の基盤として維持しなければならない。今の時点で領民全員から反発されるような事態を招くことはできない。

 エルンストたちは捕虜を見捨てることができない。兵士たちの地縁と血縁に基づく結束を、これまで散々利用してきたからこそ。


「だが、エルンスト……先ほども言っている者がいたが、これは罠ではないのか?」


 自身が戦いの素人だとわきまえているからか、おそるおそるといった様子でコンラートが口を挟む。未来の主君の言葉に、エルンストも頷く。


「おそらくは仰る通りでしょう。我々が捕虜救出を試みることを見越して、フェルディナント連隊が待ち構えているものと思われます。だからこそ、こちらも動きようはあります。敵が待ち伏せているのは我が領内。地形は隅々まで把握しており、待ち伏せの配置も見当はつきます……私が公爵領軍の本隊を率い、敵の待ち伏せを突破して捕虜を救出してまいりましょう」


 公爵領軍の最高指揮官として。公爵家の当主として。その覚悟を示すように、エルンストは力強く宣言した。


・・・・・・


 翌日の午前中。エルンスト率いるバッハシュタイン公爵領軍本隊のうち、コンラートの護衛と野営地の治安維持のために残す兵力を除いた五百が、レムシャイトを発とうとしていた。


「バッハシュタイン公爵閣下。もう一度だけ確認しますが、本当に向かわれるのですね?」


 いざ出発を宣言しようとしていたエルンストに声をかけてきたのは、ツェツィーリア・ファルギエール伯爵の副官である騎士セレスタンだった。


「……無論だ」


 アレリア本国で兵を集めているツェツィーリアに代わり、先遣隊の指揮官として送り込まれている彼に、エルンストは冷たい声で答える。


「では、やはりもう一度だけ、進言いたします。どうかご再考を。公爵領軍のみでフェルディナント連隊の罠の中に飛び込んでいくのは極めて無謀なことと存じます。たとえ政治的に多少の痛手となれど、捕虜は見捨てるべきです」


 エルンストは眉根を寄せる。

 異国のたかが一士官に、公爵領軍の内情の何が分かる。こちらにとっては重要な政治的事情を、多少の痛手、などと簡単に片付けられてはたまらない。


「こちらの事情は既に説明したであろう。卿がそこまで言うのであれば、アレリア王国も兵を出せばよい。集まっている全てを動かせとは言わぬ。ほんの数百でいい。それで、罠を張っているであろう敵と互角以上になれる」


 フェルディナント連隊が砦を空にするはずがないので、捕虜を餌として伏兵を置くとしても、その数は五百から、多くとも七百程度。こちらが千程度の兵力を揃えれば数で優位に立ち、そうなれば十分以上の勝機がある。


「いえ、私がアレリアの兵を動かす権限をファルギエール閣下よりお預かりしているのは、オストブルク砦の奪取後、砦への増援を送り込む場合のみです。砦を敵に奪い返された今、貴国の捕虜を救出するためだけに、私の独断でアレリア王国の軍勢を動かすことはできかねます」

「であれば、状況が大きく変わったことを伝えた上で、一部の兵をこちらに貸してくれないかファルギエール伯爵に伝えろ。卿ら、確か鷹使いを連れてきているのであろう?」

「はい。ですが鷹はつい早朝に本国のファルギエール閣下のもとへ送り出しました。公爵領軍がオストブルク砦の奪取に失敗した報をお届けするために」

「……こちらに相談なく、一羽しかいない鷹を勝手に送ったのか?」


 エルンストが睨みつけても、騎士セレスタンは微塵も怯まない。


「はい。他に報告すべきこともないと考えておりましたので。まさかあなた方が今日いきなり、敵の罠と知っていながら捕虜救出を強行しようとするとは思ってもみませんでした」


 生意気な返答に、エルンストは聞こえよがしに舌打ちをする。

 アレリア王国と名将ファルギエール伯爵の威光が背後にあるからと、この騎士は明らかにこちらを舐めている。当初はまだ殊勝な振る舞いを見せていたが、日に日にぼろが出ている。

 他のアレリアの将兵も、態度は似たようなもの。この作戦において、バッハシュタイン公爵領軍とアレリア王国の軍勢に上下関係はない、というのが事前の取り決めであったはずなのに。


「ファルギエール閣下の率いる部隊とはまだ距離があると思われるため、鷹が戻ってくるのはおそらく昼前となります。その後こちらから再び書簡を送ろうにも、貴重な鷹をしばらく休ませてから飛ばさなければなりません。その後にまたファルギエール閣下より返答が戻ってくるのを待ち、返答の内容次第でアレリアの兵を動かすとなると……出発は明日まで待っていただきたく」

「そんなに悠長に待っていられるか! もうよい! 我が兵たちを救出するのに、わざわざ貴国の助けなど要らぬ!」


 仲間を救出するために一刻も早く出発したがっている公爵領軍の兵士たちを、丸一日も待たせることなどできない。そう考えながら、エルンストはセレスタンを怒鳴りつける。

 エルンストは反帝国思想を持ってはいるが、だからアレリア王国が好きだということにはならない。同じルーテシア人である分、リガルド帝国よりもましだと思っているに過ぎない。

 大国の本質など結局は変わらない。力の強い隣国など、東にあろうが西にあろうが厄介で不愉快なだけ。今あらためてそう確信する。

 こちらにも策はある。一晩かけて考えた策が。その策をもって、捕虜の救出を独力で見事成功させればいい。

 そうすれば、アレリア王国側の見る目も変わる。公爵領軍の実力を、指揮官である自分の実力を証明すれば、今後の作戦においても、王位奪取後のコンラートの統治においても、アレリアに舐められる程度や機会は減るはず。

 自分は一世一代の賭けに臨んでいるのだ。この程度の勝負どころで勝ちを掴む力がなければ、その後も困難な状況を逆転させられるはずがない。エーデルシュタイン王国を正しく救うことなどできるはずがない。


「話は終わりだ! 我々は出発するぞ! いいな!」

「……こちらは二度、進言をいたしました。どうかそのことをお忘れなきよう」


 嫌味を言い残すセレスタンを無視し、エルンストは士官たちに出発を命じる。出発を今か今かと待っていた公爵領軍の部隊、総勢五百が急ぎ足で前進を開始する。

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