第57話 捕虜の使い方
コンラート・エーデルシュタイン王子とエルンスト・バッハシュタイン公爵の共謀はもはや疑いようがない。コンラート王子もまた、王家と王国を裏切った謀反人で間違いない。
彼らが王位獲得を最終的な目標に掲げて謀反に走っているらしいと、オストブルク砦の奪還に際して捕虜とした騎士たち複数人から証言を得た。
鷹による伝令でその報告を受け取ったクラウディアは、すぐには反応を示さなかった。ただ黙り込み、視線を伏せ、王太女執務室には重い沈黙が流れた。
「……少し、一人になりたい。皆出てくれ」
「御意」
クラウディアが呟くように命じると、代表して近衛隊長グスタフ・アイヒベルガーが答える。彼に促され、同席して報告を聞いていた大臣級の側近たちが退室していく。
最後にグスタフが部屋を出て扉を閉めたのを確認し、クラウディアは椅子の背にもたれ、深いため息を吐きながら天井を見上げた。
「……」
このような報告を受ける覚悟はしていた。しかし同時に、コンラートは共謀していないという報告が届くことを願っていた。心からそう願っていた。
そうであってほしかった。コンラートはバッハシュタイン公爵に騙され、脅され、今は公爵領で囚われの身となっている。救い出しさえすれば、愛する弟は自分のもとに戻ってくる。そうであってほしかった。
それはもはや叶わない。コンラートは逆賊となってしまった。
「間違っている。何故こんなことをした。コンラート……」
両手で顔を覆い、悲痛な声で、クラウディアは呟く。
エーデルシュタイン王国を作り上げたヴァルトルーデ・エーデルシュタインは、平民の生まれだった。一平民から貴族の妻となり、やがて自身が当主となり、そして建国の母となったからこそ、彼女は言った。国とはすなわち民であると。国のために民があるのではなく、民のために国があるのだと。王家の下に民がいるのではなく、民に支えられて王家が立っているのだと。
支配者は守護者でなければならないのだと。
コンラートは王位簒奪を目指している。アレリア王国の手を借りてそのようなことを成すということは、コンラートが王位についたエーデルシュタイン王国は、アレリア王国の傀儡国家、良くてせいぜい従属国になるということだ。
その結果、犠牲になるのは民だ。王侯貴族はアレリア王国に下っても地位と富を維持しながら生き残る道があるだろうが、その割を食わされるのは他ならぬ民だ。民の平穏な暮らしは奪われ、彼らには過酷な日々が待っている。
重税による生活苦だけではない。いずれ、エーデルシュタインの兵や民がアレリア王の野心を満たすために戦わされ、死ぬことさえあり得るのだ。旧ロワール王国の兵や民が、エーデルシュタイン王国侵攻のために戦わされている現在のように。
だからアレリア王国に屈してはならないのだ。戦えば国と民を守りきれる可能性が残っている限り、戦わなければならないのだ。建国の母ヴァルトルーデの子孫であるエーデルシュタイン王家には、この国の民を守り続ける義務があるのだから。
それなのに、コンラートは王家を裏切り、民を裏切った。もはや擁護の余地はない。
自分は支配者として、国と民を守護しなければならない。敵は討ち、あるいは捕らえ、裁かなければならない。侵入した異国の軍勢も。それを招き入れた逆賊も。
それが王太女としての使命だ。愛する弟を正しく導くことのできなかった姉としての責任だ。
何度か深呼吸をして、クラウディアは顔を上げた。その顔に、先ほどまでの弱々しさは微塵も残っていなかった。
「待たせたな。皆入ってこい」
クラウディアが呼びかけると、直ちに執務室の扉が開かれ、グスタフを先頭に側近たちが戻ってくる。
彼らはクラウディアの変化を見ても何も言わない。今は何も言うべきではなく、もはや何も言う必要はないと全員が理解していた。
側近たちはクラウディアの前に並び、室内を緊張が支配する。
「此度の報告には大きな朗報もあった。オストブルク砦の奪還が成し遂げられたことは幸いだ。そうだな、グスタフ?」
「はっ。敵はおそらく、オストブルク砦を橋頭保として王領へと進軍する計画であったと思われます。その砦の奪還が叶ったとなれば、敵は計画を大きく修正せざるを得ないでしょう。フェルディナント連隊の活躍で、我々は大幅な猶予を得られました」
クラウディアの問いかけに、グスタフは淡々と答えた。
「この猶予を逃す手はない。我々は引き続き集結準備を進めるが、集結地点は奪還したオストブルク砦へと定める。我が軍こそがオストブルク砦を橋頭保とし、バッハシュタイン公爵領へと攻め込むのだ……そして、我が領土に侵入したアレリアの軍勢を駆逐し、逆賊であるバッハシュタイン公爵とコンラート王子を討つ」
実の弟であるコンラートを含めて「逆賊」とクラウディアが呼び放つと、室内に満ちていた緊張がより一層鋭くなった。
「私自らが軍を率いるという意思は変わらない。コンラート王子の裏切りの報は、いずれこの城内や王都にも広まるだろう。私が城を空ける間、頼りになるのは大臣であるお前たちだ。秩序の維持は任せてよいな?」
「もちろんにございます。王太女殿下はどうか、何らの憂いなく戦いに臨み、王家の果たすべき正義を果たしてくださいませ」
厳かに言ったのは、財務大臣ヘルムート・ダールマイアー侯爵。文官の頂点に立つ彼はいかにも官僚然とした生真面目な男で、やや気難しく神経質ではあるが、その能力は確かなもの。
ヘルムートに賛意を示すように、他の側近たちも彼の言葉に首肯する。
「それでこそ我が側近たちだ。皆、頼りにしているぞ」
クラウディアは満足げな表情で言うと、彼らを下がらせる。グスタフのみ、今後の作戦計画について話があると言って残らせる。
彼以外の全員が退室し、少し間を置いてから、クラウディアはまた口を開く。
「近衛隊の中でも特に信用のおける者たちを使い、宮廷貴族たちを調べてくれ」
その命令を受けても、グスタフは表情を変えなかった。
「城内の誰もかれもが裏切り者ということはないだろう。そうであれば今頃、私も父も毒殺されるか寝首を搔かれているはずだ。だが、コンラートが一人で秘密裏にバッハシュタイン公爵と連絡を取り続け、今まで裏切りの計画を進めながらそれを隠し通してきたとは考え難い。あの弟にそこまでの器用さはない。おそらく手助けした者が一人二人いる。その者はこれから、こちらの動きをコンラートに伝えようと動くか、機を見て逃げ出そうとするはずだ」
「それでは直ちに」
「ああ、頼んだぞ」
グスタフは例のごとく見事な敬礼を見せると、大臣たちが出ていった扉とは別の出入り口、ごく一部の者しか知らない隠し扉から退室していった。
・・・・・・
オストブルク砦奪還の翌日。日がだんだんと高く昇っていく午前中。
砦の北西に数時間進んだ街道上に、先の戦闘で捕らえられたバッハシュタイン公爵領軍の捕虜たちが並べられていた。
その数、実におよそ二百人。重傷者も含めて全員が両手を縄で縛られ、それどころか足まで縛られ、猿轡までされ、身動きもとれず会話もできない状態にされている。
ここまで捕虜を連行してきたフェルディナント連隊の兵士たちが、騎士オリヴァーの指示で捕虜を動かす。捕虜たちがなるべく一塊になって集まるよう、置かれた場所の悪い者を適宜引きずって移動させる。
その雑な扱いが昨日の戦傷に障ったのか、くぐもったうめき声や叫び声を上げる捕虜もちらほらといる。
いかに寄せ集めてもこれだけ大勢の人間が街道上に収まるのは無理があるため、多くの捕虜は街道からはみ出し、ただの平原の上に置かれることとなる。
「騎士フランツィスカ殿。本当にいいのですか?」
この任務の指揮官を任されているフリードリヒは、捕虜配置の作業が終わるのを待ちながら、騎士フランツィスカへと尋ねる。彼女もまた、他の捕虜たちと同じくこの場に置かれている。
「あなたは大隊長を務めていたほどの人物で、バッハシュタイン公爵家の親類でもあります。おまけに、命に別状がないとはいえ重傷を負っている。あなた一人くらいはオストブルク砦で保護し、王家による裁きが下る日まで平穏に過ごしてもらってもいいのですよ?」
「……いや、気遣いには感謝するが、それはできない」
肩口に包帯を巻かれ、その包帯が痛々しく血で染まっているフランツィスカは、フリードリヒの護衛を務めるユーリカに猿轡を外されてすぐにそう答える。
「私はこの大隊の指揮官だ。敗北の責任も、部下たちがこのような扱いを受ける責任も、全ては私にある。出自を理由に、私だけが暖かい砦の中で休むことなどできない」
彼女の答えを聞いたフリードリヒは、微苦笑を零す。
「やはりそう言いますか。王国を裏切った敵側ながら、あなた個人は立派な騎士ですね。心からそう思います」
「……生ける英雄の継嗣から、そのように評されるとは光栄だ」
複雑そうな面持ちで、フランツィスカは言った。
上位の軍人になるほど、たとえ敵同士でも個人的な感情で憎しみ合うことは少なくなる。マティアスから教育を受けたフリードリヒは、特にそのような気質を持っている。
おまけに昨夜話を聞いたところ、この騎士フランツィスカは今回の謀反について、家門の指導者たちから直前まで何も聞かされていなかったという。聞かされたときには既にアレリア王国の軍勢が領内に到着しており、さらには既に王家への宣戦布告はなされたと言われ、選択の余地なく戦う覚悟を決めていたという。
だからこそフリードリヒは、彼女に同情も覚えながら、個人的には敬意をもって接している。
フリードリヒが目配せをすると、ユーリカが無言で頷き、フランツィスカの猿轡を戻した。
丁度そのタイミングで、オリヴァーが歩み寄ってくる。
「フリードリヒ。任務完了だ。全員並べ終えた」
「分かった、ご苦労さま。後は彼を解き放つだけだね」
オリヴァーに頷き、フリードリヒは周囲一帯に座らされた、あるいは転がされた捕虜たちの目の前を歩いて移動する。
向かった先にいたのは、騎士ローマン。昨日の戦闘でギュンターに投げ飛ばされながらも特に怪我らしい怪我を負わなかった幸運な彼は、そのギュンターが傍で監視につく中、怯えた表情で立ち尽くしていた。捕虜の中で彼だけは、両手を拘束されているのみで口も足も自由だった。
「さて、騎士ローマン。君にまた頼みがある。これが最後の頼みだ」
フリードリヒはローマンの前に立つと、彼を怖がらせないよう努めて穏やかに問いかける。それでもローマンは緊張した面持ちで、ごくりと唾をのむ。
「ギュンター」
「へい」
フリードリヒが促すと、ギュンターは短剣を抜いてローマンの腕を掴む。
「ひっ……」
何を想像したのか一気に青ざめたローマンは、しかし手を拘束していた縄を切られ、完全に自由の身となったことでかえって混乱した様子でフリードリヒを見た。
「あ、あの、これは……?」
「君はこれから領都レムシャイトの公爵領軍本隊のもとまで走って、ここにいる捕虜たちを救出するために助けを求めるんだ。君の伝令としての能力を見込んで、この役割を任せる」
フリードリヒに言われ、ローマンは状況を理解し始めた顔になる。
「フェルディナント連隊にはオストブルク砦で二百人もの捕虜の面倒を見る余裕はないので、彼らはここに捨てる。乱暴な措置だが、今は国家の存亡を左右する重要な戦争の最中である以上、こちらも反逆者の軍勢に対してできる配慮は限られている。理解できるね?」
フリードリヒが目を細めながら問うと、ローマンは額に汗を浮かべながらこくこくと頷く。
今は初春。夜はまだまだ冷え込む。水も食料も与えられず、外套も着ていない状態でこんな場所に何日も放置されれば、間違いなく死者が出る。無傷の者でも死にかねない。重傷者は言うまでもない。
それ以外の危険もある。付近の森から、負傷者たちの血の臭いを嗅ぎつけた狼や熊などが寄ってくる可能性もある。そうなれば、反撃どころか逃げることもままならない捕虜たちは、一方的に喰われて凄惨な最期を迎えるしかない。
捕虜たちをそのような状態に置くのは残酷な措置だが、ローマンも自分たちの立場を考えると、非人道的だなどと抗議することはできない。
「君の仲間たちのうち何割が生きてレムシャイトに帰還することができるかは、君の働きにかかっている。君が早くレムシャイトに報告を届けるほどに、公爵領軍本隊による捕虜たちの救出も早くなり、助かる者が増えるだろう。だから……頑張って走るんだ」
自身の役割の重要性を理解したローマンは、疲れた顔に悲壮な決意を滲ませて頷く。
フリードリヒはそんな彼に、自ら鞄をひとつ手渡してやる。
「これに水と食料が入っている。体力と気力を保つための頼りにするといい……それとひとつ、助言をしよう。謀反の指導者たちに報告する前に、仲間が無防備な状態で平原に放置されている件をできるだけ多くの兵士に喋るんだ。そうすればすぐに話は広まる。一度広まれば、バッハシュタイン公爵たちはもはや捕虜を見捨てることはできなくなる。兵士たちがそれを許さない」
鞄を受け取るローマンに、フリードリヒは声を潜めて言った。ローマンは硬い表情で頷いた。
「それじゃあ、騎士ローマン。走って」
フリードリヒが言うと、ローマンは弾かれたように走り出した。
街道を北西へ向けて、この先の道のりの長さを考えると心配になるほど速く進んでいく。その背中が瞬く間に遠ざかっていく。
「……さようならローマン! 君の多大な貢献に感謝する!」
ふと思い立ってフリードリヒが大声で呼びかけると、それを聞いたギュンター、ヤーグ、その他の騎士と兵士たちから笑い声が起こった。ユーリカもクスクスと笑い、オリヴァーは少し呆れたような苦笑を零した。
馬上から叩き落とされながらも尋問に対して自分が知っていることを素直に語り、砦の攻略戦では丁度よい投擲物となり、今はこちらの作戦の一環として必死に走っている。そんな若き騎士ローマンは、敵でありながら多大な貢献をしてくれた、感謝するにふさわしい男だった。
★★★★★★★
新年あけましておめでとうございます。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
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