第56話 奪還後

 戦闘が終わって間もなく、マティアスと連隊本部の面々もオストブルク砦に入った。

 遺体の片付けや負傷者の治療、矢の回収など後処理が進む砦の中で、フリードリヒはマティアスに歩み寄る。


「連隊長閣下」


 フリードリヒが敬礼し、その傍らについているユーリカが倣う。


「ご苦労だった、フリードリヒ。そしてユーリカも。報告を聞こう」


 今後の連隊司令部となる石造りの主館まで歩きながら、フリードリヒは三日前に本隊から離れた後の出来事について、報告を語る。

 捕らえた敵の伝令から情報を得て、バッハシュタイン公爵家の謀反とコンラート・エーデルシュタイン王子の共謀が確かであると分かったこと。つい先ほど生け捕りにした敵の大隊指揮官である騎士も、同じ証言をしたこと。

 公爵家はアレリア王国の軍勢をエルザス回廊より招き入れており、詳細な規模までは不明だが敵の集結が領都レムシャイトにて進んでいること。

 敵の輸送隊になりすまして砦の内部に侵入する策は成功し、騎兵部隊との合流も達成。西門からの砦攻略の推移は、ほぼ予定通りであったこと。


「そうか。コンラート王子殿下の裏切りがもはや疑いようもないとなれば、凶報とはいえ王家に報告せざるを得ないな」


 それら報告を聞き終えたマティアスは、重苦しい声で言った。

 臣民に、貴族社会に、そして王族たちに愛されてきた優しい王子。マティアス個人も彼が幼い頃から見知っている王子。彼が国を裏切ったという事実の確定を前に、生ける英雄でさえも衝撃と失望は避けられないようだった。


「閣下。今後は予定通り、オストブルク砦を堅守しながら増援を待ちますか?」

「ああ、それもいいが……増援が来るまでには今しばらくかかる。できることなら、今のうちに敵の戦力を少しでも削っておきたい。公爵領軍だけならば、おそらくレムシャイトから引き離した上で殲滅することも可能だろう。試しておきたい策がある」


 マティアスのその言葉に、フリードリヒは小首を傾げる。

 公爵領軍とアレリア王国の軍勢が、完全に対等な友軍として仲良く共闘できるとはフリードリヒも考えていない。とはいえ、レムシャイトから公爵領軍のみを上手く引き離して殲滅するのは容易なことではないように思われた。


「フリードリヒ。降伏した公爵領軍の捕虜は、それなりの数になるな?」

「……はい。敵の抵抗は苛烈でしたが、それでも生存者は半数を割ってはいないはずです」


 戦いの後処理はまだ始まったばかりだが、それでも大まかな状況は分かる。フリードリヒが答えると、マティアスは頷く。


「その捕虜を使う。捕虜たちをはじめ公爵領軍の多くは、半農の地元民。公爵家が彼らをどのように結束させ、士気を維持しているかについては以前教えたはずだ。そして、百人単位の捕虜の面倒を見てやるのは、こちらとしては相当な手間となる。さらに、今はまだ初春。これらの条件から、お前ならばどのような策を考える?」


 問われたフリードリヒは、少しの思案の末、納得したような表情を浮かべる。

 そしてフリードリヒが語った策に、マティアスは「正解だ」と答える。


「今日はもう時間がない。今夜のうちに捕虜をまとめ、明日の朝にこの策を実行に移す」

「了解しました、閣下」


 話している間に一行は砦の主館に辿り着き、連隊本部の面々はグレゴールに連れられて広さのある会議室にひとまず入る。マティアスとフリードリヒは指揮官用の執務室に入り、ユーリカは部屋の外で待機する。

 執務机の上には筆記具や、お茶の入ったカップさえ置かれたまま。椅子も引かれたままになっている。少し前までは敵の指揮官が使用していたのであろう室内で、マティアスはフリードリヒを振り返る。


「ところで、別動隊の損害は?」

「……現時点で死者六人。重傷者五人です。あと数人、死者が増えるかもしれません」


 フリードリヒは努めて平静に答えたつもりだったが、その声はどうしても硬くなった。

 連隊の中でも腕自慢の兵士を集めていた別動隊。それでも大損害は避けられなかった。実に半数近くが戦死あるいは重傷を負った。

 策が成功してもこのような結果になることは想定されていた。覚悟の上でフリードリヒは策を提案し、兵士たちは別動隊に志願した。

 仲間の死が苦しくないはずがない。それでも、以前のように打ちのめされて泣き崩れ、ふさぎ込んだりすることはない。自分はもうそのような段階を越えている。


「そうか。半数以上が無事であったことは僥倖だ。よくやった」

「恐縮です、閣下」


 フリードリヒは姿勢を正し、そう答えた。


「下がってよい。 ……いや、待て」


 退室を許されたフリードリヒは踵を返し、しかし部屋を出る直前に呼び止められて振り返る。


「厳しい状況でよく生き残った。お前が無事で何よりだ」

「……ありがとうございます」


 養父の言葉にフリードリヒは微笑で応え、今度こそ退室した。


・・・・・・


 日が暮れるまでに戦闘の後処理は終わり、オストブルク砦はフェルディナント連隊の完全な管理下に入った。

 最終的に、砦の奪還作戦による連隊の死者は十八人。重傷者がほぼ同数。死者のうち八人が別動隊から出たものだった。危険な任務に自ら志願した彼らの犠牲で砦の奪還は果たされ、その結果として、王家の補給拠点を奪った敵が王領の目の前まで迫ってくる事態は回避された。

 対するバッハシュタイン公爵領軍の損害は、死者九十四人、重傷者七十一人という凄まじいものになった。逃げ場の少ない砦の内部で騎兵部隊による蹂躙を受けたこと、大隊指揮官が途中で戦闘不能になって全軍降伏の判断を下せる者がいなかったことが、死傷者の増加に繋がった。

 生き残った捕虜たちは全員が武装解除され、拘束され、倉庫などに押し込められて厳重な監視下に置かれている。

 そして夜半。多くの者が寝静まり、交代制の見張りが砦の内外を監視するだけとなった時間。騎士見習いギュンターは、この時間の見張り役の一人として東門近くの城壁上に立っていた。

 別動隊の主力として活躍したので、見張り役を代わってゆっくり寝ていてもいいと何人かの先達から言われたが、自身が新人であることや、オリヴァーに騎士見習いとしての気概を見せたいこともあり、申し出は丁重に断った。

 冬が明けてそう経っていないこの時期、夜間はまだまだ冷え込む。ギュンターは軍服の上からさらに外套を着込み、敵など来るはずもない野外をそれでも生真面目に見回している。冷たい風が吹こうと、その大柄で頑強な体躯は身震いひとつしない。


「退屈しているだろう」


 不意に声をかけられ、ギュンターは振り返る。


「……オリヴァーさん。寝てなくていいんで?」

「ああ。あまり眠くないんだ。今日の午前中まで、待機中に嫌というほど休んでいたせいだろう」


 城壁上へ上がってきたオリヴァーは、ギュンターの問いにそう答えた。

 別動隊の先遣隊として発ったフリードリヒ以下四人は、オストブルク砦の西側の街道沿いに到着してしまってからは、動くよりもただ待機している時間の方がよほど長かった。敵の伝令の捕縛と尋問、後続の荷馬車隊との合流、その後の砦への進軍以外は、ひたすら森の中で座っていた。

 そのため、人一倍体力のあるギュンターやオリヴァーなどは、働きのわりには疲労していない。


「ほら、飲むといい」

「どうも」


 温かいお茶の入った無骨な木製のカップを渡され、ギュンターはこくりと頭を下げて受け取る。オリヴァーもカップを手に、ギュンターの隣に並んで野外に視線を向ける。


「どうだった。あいつの指揮官としての才覚は」


 あいつ、というのがフリードリヒのことであると、ギュンターは即座に理解する。


「……大した人だと思いやした。ただ凄い策を考え出すだけじゃねえ。本人が殊更に腕が立つわけでもねえのに、どう見たって危険極まりない戦場に自分も入ってきた。怖気づいたりせずに戦ってた。矢が飛び回ってる中でも落ち着いて周りを見て、俺に指示まで飛ばしてきた。ありゃあ本当に大した人です」


 自分が口下手な自覚はあるが、ギュンターはそれでも口下手なりに精一杯語る。

 今さらフリードリヒを認めないはずがない。かつて訓練場で彼が放ってみせた迫力は、確かな実力に裏打ちされたものだったと認めない選択肢はない。

 自身が考えた策で、敵がひしめく砦への困難な侵入を果たした。策だけ出して安全な後方にいるのではなく、自ら武器を手に最前線で戦った。厳しい戦いの最中でも冷静だった。戦いが終わっても落ち着き払っていた。

 あれでまだ、ようやく今年で二十歳だという。軍人となってから、これがまだ二回目の戦いだったという。

 生ける英雄から後継者に選ばれるのはあのような人間なのだと、今日、ギュンターも心の底から納得した。


「お前があいつの実力を理解してくれて何よりだ……新たにこれだけの戦功を挙げたとなれば、あいつの名もさらに上がる。あいつの出自を内心快く思っていない者たちも、あいつの能力は認めざるを得なくなっていくだろう。それはこの連隊にとっても喜ばしいことだ。あいつはいずれ、この連隊の長になるであろう人間だからな」

「……オリヴァーさんは、自分が連隊長になりたいと思ったことはないんで? もしフリードリヒさんが成り上がらなけりゃあ、歳を考えるとオリヴァーさんが次の連隊長になっててもおかしくなかったんじゃねえですか?」


 ギュンターが尋ねると、オリヴァーは苦笑を零した。


「昔はそういう夢を見たこともある。だが、何年か軍にいるうちに思い知った。将になるには優秀な士官であるだけでは不足だとな。ホーゼンフェルト閣下はもちろん、ヒルデガルト連隊のオブシディアン閣下や、アルブレヒト連隊のアイゼンフート閣下も、良き将となる方々は皆何か常人ならざるものを持っている。俺にはそれがない。俺は良い部隊長にはなれるつもりでいるし、もしかしたら凡庸な将くらいにはなれるのかもしれないが、それでは駄目なんだ」


 そう語るオリヴァーに、無理をしているような様子はなかった。諦念も悔しさもなく、彼は良い意味で達観しているように、ギュンターには見えた。


「フリードリヒは、名将になる上で必要な何かを持っている。ならば俺は、あいつを支える良き士官になりたいと考えている。副官グレゴール殿や騎兵大隊長シュターミッツ閣下がホーゼンフェルト閣下を支えておられるようにな。それが俺にとって、王家と国家のためにできる最大の貢献で、おそらくは軍人としての到達点だ」


 そこで言葉を切り、オリヴァーは小さく息を吐く。


「それに、フリードリヒにはきっと支えてやる人間が必要だ。あいつにはユーリカがいるが、仲間は多いに越したことはないだろう。あいつは傑物だが、同時に一人の人間でもある……英雄は生まれながら英雄ではなく、一人で英雄になっていくわけでもないのだと、あいつを間近で見ているとそう思える」


 彼の言葉の意味を完全には理解できず、ギュンターは首を傾げる。


「気にするな。こっちの話だ……とにかく、そういうわけだ。お前もいずれ、俺やフリードリヒの良い側近になってくれることを願っているぞ。お前には見込みがあると俺は思っているからな」

「……精進します」


 尊敬する上官にそう言われ、誇らしさと少しの照れを覚えながら、ギュンターは頷いた。




★★★★★★★


2023年最後の投稿となります。

今年も拙作をお読みいただき、誠にありがとうございました。

年始は通常通りに月曜日(1月1日)から更新する予定です。


2024年も、作家エノキスルメをご愛顧いただけますと幸いです。

何卒よろしくお願いいたします。

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