第55話 オストブルク砦奪還④

 助走をつけて勢いよく突入してきた精鋭の騎士たち。その大質量に、半農の歩兵の集団は呆気なく蹴散らされ、踏み潰される。集団で防衛線を築く時間も、大勢が槍を構えて並べるだけの空間もない。公爵領軍は逃げまどうばかりとなり、門の周囲は騎兵部隊によって完全に確保される。


「お前たちよくやった! 後は我々に任せろ!」


 別動隊にそう呼びかける騎兵大隊長オイゲンの言葉が、フリードリヒにはこの上なく頼もしく聞こえた。

 ようやく安全な状況になったことで、フリードリヒは疲労を自覚してその場に座り込む。

 周囲を見回すと、ユーリカは当然、オリヴァーやギュンター、ヤーグも無事。しかし砦に侵入した別動隊二十数人のうち、実に半数ほどが戦死あるいは負傷で倒れていた。腕の立つ精鋭を選抜した別動隊だったが、にもかかわらず大損害を負っていた。


「フリードリヒ、無事? ……やだ、怪我してる」


 歩み寄ってきたユーリカがそう言って、心配そうな表情でフリードリヒの前にしゃがみ込み、右腕に触れる。

 フリードリヒがその腕を確認すると、胴鎧や籠手で覆われていない上腕のあたり、おそらくは敵の矢が掠ったのか、鎧下が破れて浅い裂傷ができていた。戦闘中は緊張で痛みも感じず気づかなかったが、傷を自覚すると、ひりつくような痛みがじわじわと実感される。


「軽傷だから大丈夫だよ。記念すべき初の戦傷だね」


 フリードリヒが気丈に笑うと、ユーリカはどこか寂しそうな顔になった。


「……ごめんなさい。守ってあげられなくて」

「そんなことないよ。ユーリカが奮戦して、敵の指揮官を止めてくれたおかげで、かすり傷一つで済んだんだから。ありがとう……愛してる」


 軍務中なので、最後の言葉ははっきりと言葉にはせず、微かな声と唇の動きだけで伝える。ユーリカは嬉しそうににんまりと笑い、フリードリヒに顔を寄せようとして、彼女も今が軍務の最中だと思い出したのか自制する。

 後でね、とフリードリヒが小声で言うと、ユーリカは小さく舌なめずりをしながら頷いた。


「ああもう、これ息苦しい」


 立ち上がったユーリカは、元々は騎士ローマンのものである胴鎧を外し、地面に捨て置く。男性用に作られた胴鎧を女性のユーリカが長く装備しているのは、さすがに窮屈なようだった。


「フリードリヒ、無事だったな。何よりだ」

「……オリヴァーも。よかった」


 そのとき。オリヴァーが歩み寄ってくる。フリードリヒは彼に答えながら、疲労をこらえて立ち上がる。


「東門の方ももうすぐ終わるようだ。砦の外と中から同時に攻撃されては、敵もそう長くは持ちこたえられまい。俺たちの勝利だな」


 オリヴァーが指差す方をフリードリヒも向く。西門の周囲を制圧し終えた騎兵部隊は、そのまま砦の東側へと敵を追い詰めている。

 大隊長オイゲンの傍らにいる騎士が、空に向けて鏑矢を放つのが見えた。それは砦の東門へと攻勢を仕掛けている、マティアス率いる本隊への合図だった。

 砦の東側に追い詰めた敵を、砦の外側と内側から挟撃する。オストブルク砦の奪還作戦も大詰めを迎えていた。


・・・・・・


 フェルディナント連隊の本隊を引き連れてオストブルク砦に到達したマティアスは、まず周辺偵察の斥候に扮した騎士を数騎、展開させた。

 砦の西側まで回り込んだ彼らは、予定通り敵の輸送隊に扮して砦に接近している別動隊を確認。その報告を受け、マティアスはまず、オイゲン率いる騎兵部隊を送り出した。

 残ったのは歩兵部隊と弓兵部隊。真正面からの攻城戦において騎兵部隊は真価を発揮できないので、陽動を兼ねた攻勢の戦力としては歩兵と弓兵だけで十分。

 バッハシュタイン公爵領軍は王家の所有物たる砦を完全に占領下に置いており、城壁上には武器を構えた騎士や兵士が並んでいる。事情説明の伝令なども出てこない。彼らが王国軍に敵対していることはもはや明らかであると、マティアスは状況から断定する。


「弓兵は前へ。隊列が整い次第、矢の斉射を開始せよ」


 マティアスの命令で、弓兵大隊長の騎士ロミルダが三百人の弓兵を率い、前衛として並ぶ。敵が砦から打って出てくる可能性は皆無に近いので、弓兵が前に出ても問題ないとマティアスは判断していた。

 軍の練度は、戦闘はもちろん行軍や陣形構築の速さに表れる。弓兵たちは日頃の成果を発揮し、迅速に整列を終える。


「構え! ……放てぇ!」


 自身も腕の良い弓使いであるロミルダは、愛用の弓を手に曲射の構えをしながら命じる。彼女の命令で、三百の矢が一斉に放たれ、放物線を描いてオストブルク砦の東門に降り注ぐ。

 敵側からも、反撃の矢や投石が飛んでくる。半農の兵士の多い公爵領軍は弓兵が少ないため、矢よりも投石の方が多い。

 それら投擲攻撃の勢いはなかなかのものだった。既にそれなりの数の兵士が東門の側に集結し、一人ひとりが矢継ぎ早に攻撃を放っていると分かった。


「半農のわりには、それなりに鍛えられているようですな」

「ああ。さすがは最大規模の貴族領軍と言うべきか。真正面から攻勢を仕掛けていたら、さぞ苦労したことだろう」


 敵側の反撃は苛烈だが、こちらの弓兵部隊の損害は少ない。マティアスが事前に指示し、ロミルダは弓兵たちにあえて間隔を広くとって隊列を組ませている。そのため、数で劣る敵側の矢や投石は誰もいない地面に落ちる割合が多い。

 矢の密度が下がるためにこちらの攻勢の効果も低いが、そもそもこちらの攻勢は、敵に損害を負わせるためのものではない。砦の中に侵入した別動隊のいる西門から、一兵でも多くの敵を引き離して東門に張りつけるためのもの。王国軍の一個連隊から攻勢を受けている、と認識した敵が東門に兵力を割いてくれればそれでいい。

 派手に矢や投石が飛び交い、しかし互いにさして多くの死傷者は出ない。そんな状態がしばらく続く。

 と、ある瞬間から敵の反撃の勢いが落ちた。飛んでくる矢や投石の数が目に見えて減り、城壁上に立っている敵の騎士や兵士たちが、露骨に後ろを気にし始めた。

 間もなく、城壁上に立つ敵の数そのものが減り始める。城壁を降りるよう命じる騎士と、城壁上に留まるよう命じる騎士がいるらしく、指揮が混乱して兵士たちも戸惑っているようだった。

 そして、砦の中から鏑矢の音が響く。突入を果たして西門の周囲を制圧した騎兵部隊が、砦の内側から敵に攻勢を仕掛け始めたことを示すオイゲンからの合図だった。


「弓兵は攻撃停止。歩兵を突入させよ……破城槌は出さなくていい。あの様子ならば門の破壊は必要ないだろう」

「はっ」


 マティアスの命令が伝えられ、弓兵の攻撃が止む。突入する味方歩兵や、砦の内側から東門に迫っているであろう騎兵部隊への誤射を防ぐための措置だった。

 そして、二人の大隊長、騎士バルトルトと騎士リュディガー率いる歩兵二個大隊が前進する。先頭を行く歩兵たちの手には、城壁を乗り越えるための梯子も抱えられている。

 さして激しい抵抗も受けず、歩兵たちは城壁の下に辿り着き、梯子を立てかける。十を越える梯子がかけられ、そこを歩兵たちが一斉に上り始める。

 この突入の瞬間こそが攻城戦の攻め手にとって最も困難なときであり、一方で防御側にとっては最も容易に敵を撃退できる好機でもある。梯子を上ってくる敵は極めて無防備。石や土嚢、熱した湯や油、ときには糞尿まで、何かしらを城壁上から落とせば素人でも敵を落とせる。その気になれば子供でも手練れの騎士を殺せる。

 そんな絶好の機会にもかかわらず、敵側の反撃はぬるい。全体を統率する指揮官が不在の上に、各部隊の指揮官の指示はかみ合わず、普段は一介の平民である兵士たちは各個の判断力もそう高くない。もはや、組織立って効果的な反撃を為せる状況にない。

 敵側も防衛のために色々と準備していたようだが、その成果は出ていない。あらかじめ集めていたのであろう石などを投げ落とす兵士の絶対数が少なく、熱した湯か何かが入った大鍋を抱えた兵士たちに至っては、人数不足で大鍋を支えきれず途中でひっくり返して自分たちの足に浴び、周りにいた者たちも含め大騒ぎしている有様。

 そうしている間に、城壁からの突入の一番槍を果たす者が現れた。それに続き、続々と歩兵たちが城壁上に到達し、乗り込んでいく。こちらの兵を目の前にした敵は、抵抗する者もいるが、早々に諦めて降伏する者も多い。


「……貴族領軍とはいえ、もはや一個大隊を相手に砦攻めをしているとはとても思えませんな」

「仕方あるまい。砦の内と外から同時に攻められては、おそらく我々とてあのような有様になる」


 どれほど強固な防衛拠点も、内側から攻撃を受けて耐えられるようにはできていない。百を超える敵に侵入され、騎兵を除く一個連隊の戦力に攻城戦を仕掛けられ、三百の兵力が打ち勝てるはずもなかった。

 こちらの歩兵たちが砦への突入を成功させてから間もなく、東門が開け放たれる。残る歩兵が門から侵入し、しばらくの間戦いの喧騒が砦の中から響く。

 しかし、それもそう長くは続かなかった。もはや勝機なしと見たバッハシュタイン公爵領軍は生き残っている全員が降伏。オストブルク砦は陥落した。

 公爵領軍が砦の主であったのは、わずか三日足らずのことだった。

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