第54話 オストブルク砦奪還③
それが戦闘開始の合図となった。
突然の事態に敵がまだ混乱している僅かな時間を無駄にせず、幌馬車からは歩兵たちが飛び出してくる。御者に扮していたフリードリヒは、御者台に置いていたクロスボウを手に立ち上がる。
「門を完全に開け! 門の周囲を囲め! この場を死守しろ!」
今日はオリヴァーの参謀ではなく、自分自身が指揮官としてこの別動隊を率いている。フリードリヒは精一杯の声を張りながら、御者台を飛び降りて馬車の後方へと駆ける。
それに、ユーリカが続く。今しがた仕留めた敵騎士の口から剣を引き抜き、フリードリヒの傍を守りながら後ろに下がり、その途中で兜を脱ぐ。
元は他人の頭に合わせて作られた兜。小顔のユーリカが被るために隙間に詰めていた布が落ち、それと同時に彼女の長い黒髪がふわりと広がる。
「門を開けさせるな! こいつらを仕留めろ!」
「おい、もっと兵士を集めろ! 敵が砦に侵入した!」
当然、公爵領軍も無抵抗のままではいてくれない。城壁上にいた指揮官らしき女性騎士が叫び、その横にいる側近らしき騎士も声を張る。他の騎士や隊長格らしき兵士たちも、事態を飲み込んで口々に指示を飛ばす。
早くも動き出し、フリードリヒを槍で串刺しにしようとした兵士に対して、ユーリカが脱いだ兜を投げつける。怯んだ兵士にフリードリヒはクロスボウを向け、引き金を引く。
そうして敵を一人倒しながら、二人は味方が半円の陣形を構築しつつある門の前に辿り着く。
フリードリヒ、ユーリカ、オリヴァー、ギュンター、ヤーグ、そして兵士二十人。それを現時点でも倍の人数の敵が囲む。
「殺せ! 皆殺しにして門を完全に閉じろ! こんな小勢――があっ!」
勇みながら突き進んできた古参兵らしき敵を、ユーリカが瞬殺する。先ほど彼女が騎士一人を屠った手際を見ていなかったのか、若い女性であるユーリカを相手に明らかに油断が見える迫り方をした古参兵は、ろくな抵抗も為せずに喉を切り裂かれて倒れる。
別方向からは、兵士数人がまとめて襲いかかってくる。
「隊列を堅守して数の不利を補え! 各々の持ち場を守れ!」
オリヴァーが指示を飛ばしながら、自身も隊列に並んで剣を振るう。
およそ二十人もいれば、門の周囲を半円状に囲むには足りる。隣を味方と守り合えば、正面で一度に対峙する敵の数はこちらとさして変わらない。
砦の中にいる兵力では敵の方が圧倒的に上とはいえ、その全てが西門側にいるわけではない。むしろ、フェルディナント連隊がやって来ることを警戒してか、東門の側にいる者の方が多いようだった。
襲撃の報を受けて待機中の兵舎から飛び出してきた者たちも、フェルディナント連隊が攻めてきたと思って東門に走ろうとしたところ、一部は西門に集まるよう言われて足を止め、戸惑いから状況把握が遅れていた。
そうして敵の西門側への集結に混乱が生じている現状、戦力差は守るだけならば絶対的に不利というほどではない。完全な勝利は必要ない。半ば以上閉じられた門を開き、騎兵部隊を迎え入れるまで持ちこたえればそれでいい。
隊列に加わっていない兵士が数人、閉じかけの門を再び開こうと力を合わせて押す。その間にも複数の方向から敵兵が迫るが、固い隊列を前に攻めあぐねる。
フリードリヒは事前にそこまで計算していたわけではなかったが、門の前に雑に止められた二台の荷馬車も、丁度よく敵の攻勢を阻む障害物となっていた。ある程度の広さが取られている門の前も、幌つきの荷馬車が場所をとっているせいで、敵が一斉に押し寄せることを困難にしていた。
二台の荷馬車の間に至っては、ギュンターがほぼ一人で守っていた。
「があああああぁぁっ! 死にやがれえええぇっ!」
大柄な体躯に見合った大きさの剣を、ギュンターは片手で軽々と振り回す。さして幅のない荷馬車の間を通って攻めかかろうとした敵兵は、ギュンターの猛攻に叩き潰されるか、暴風のような戦いぶりに恐れをなして後ろに下がる。
剣より間合いの長い槍による刺突をくり出す者もいるが、ギュンターはもう片方の手に握った盾でその攻撃を受け流す。攻撃は荒々しく大胆に。一方で防御は堅実に。そんな彼の戦い方が遺憾なく発揮されていた。
戦場の最前列で雑兵を相手に武器を振り回せば、無類の強さを発揮するだろう。かつてフリードリヒがギュンターに対して抱いた感想が的中していたことを、彼は鬼神のごとき戦いぶりをもって証明してくれていた。
「弓兵は城壁上や建物の屋根に上がれ! 門を開けようとしている敵を殺せ!」
このまま任務を果たせるかに思われたが、公爵領軍もそこまで甘い相手ではなかった。最初に命令を下していた敵指揮官の女性騎士が再び叫び、それに従った公爵領軍の弓兵たちが高所から矢を放ってくる。その矢を受けて、門を開けようとしていた兵士のうち二人が倒れる。
さらに、混乱が解けて徐々に敵兵が集まってきたため、数的不利も大きくなる。いくら隊列を組んでいても、数倍の兵力差になるといつまでも互角には戦えず、じりじりと押し込まれる。敵の剣や槍、矢を受けて倒れる者も出てくる。
「誰か門に取りつけ! 盾を持っている者は護衛につけ! 任務完遂か死か、それしかないぞ!」
「全員、今より二歩後ろに! 陣形を狭める!」
オリヴァーとフリードリヒがそれぞれ声を張る。新たに騎士ヤーグと一人の兵士が開きかけの門に走り、盾を持っている数人が彼らを守る。全員が後ろに下がることで、隊列の穴を埋める。
敵の攻撃はさらに激しくなる。味方も命懸けで持ち場を死守する。矢と怒号と断末魔の叫びが飛び交い、手放された武器や噴き出した血が中空に飛ぶ。
フリードリヒも指揮のみ担っているわけではない。半円の陣の内側でクロスボウの弦を引き、新たな矢を装填して発射する。高所に陣取る敵の弓兵を狙い、牽制する。
その周囲では、ユーリカが忙しく駆け回る。このような小さな戦場では個人の戦闘能力が大きな効果を発揮する。遊撃を務める彼女は、隊列が崩れそうな場所に走っては目の前の敵を瞬く間に殺していく。
オリヴァーは、今は弓を手にして、門を開けようとしている兵士たちの援護に努めていた。貴族家出身の彼は子供の頃から騎士になるべく教育を受けているので、剣以外の武器も一通り扱える。
クロスボウの弦を引きながら、フリードリヒは周囲に視線を巡らせる。相当数の敵を倒したが、こちらも死傷者が続出している。戦列が持つのはあと数十秒か。門の片側は既に開いているが、もう片側の開放が間に合うかはぎりぎり。
と、そのとき。半円の陣の左翼側に向けて、まとまった数の敵が突っ込んでくるのが見えた。敵指揮官の女性騎士が自ら十人以上の兵士たちを率い、こちらの陣形を一気に粉砕しようと勝負に出てきた。
「ギュンター!」
ここまできて敗けるわけにはいかない。フリードリヒはそう考え、ギュンターに呼びかける。振り返った彼と目を合わせながら、迫りくる敵と荷馬車の荷台を指差す。
ギュンターはいかにも荒くれ者といった見た目だが、だからといって頭が悪いわけではない。むしろ理解力や咄嗟の判断力には優れている。フリードリヒの意図を察し、荷馬車の中から敵兵の集団に投げつけるための適当なものを引っ張り出す。
彼が隊列から一時抜けた穴を埋めるため、フリードリヒは二台の荷馬車の間を目がけてクロスボウの矢を放つ。
巨漢で怪力を持つギュンターだからこそ投げられるもの。荷物が乱雑に積まれている荷台の中から、彼が選んだのはよりにもよって、縄で縛り上げられた捕虜の騎士ローマンだった。
「おらあああああっ!」
小柄な方とはいえ、鍛えられた肉体を持つ成人男性一人を、ギュンターは軽々と放り投げる。そんなものを投げつけられる方はたまらない。騎士ローマンの身体は突き進んでくる敵兵の集団のちょうど中心あたりに落下し、数人が薙ぎ倒される。彼らが一塊になって転んだことで、それより後ろにいた者たちの突撃が止まる。
そうして集団の半数以上が足止めされ、残る五、六人はそのまま一気呵成にこちらの陣形を突き破ろうと迫る。
「死んでも止めろ! あと少し耐え抜け!」
オリヴァーが言いながら、番えていた矢を直射し、突撃してくる敵兵を一人仕留める。そこで弓を投げ捨てて再び剣を抜き、隊列に加わる。
オリヴァーと兵士たちの奮戦で、陣形はなんとか保たれる。しかし、彼らの間をすり抜けた一人が、ついに半円の内側に入り込む。
その一人は、敵指揮官だった。
「死ねえええっ!」
彼女が最初に狙いを定めたのは、陣形の内側にいて、最も無防備な者。クロスボウの再装填が終わっていないフリードリヒ。
もはや再装填は間に合わない。剣を抜く暇もない。そう判断したフリードリヒは、白兵戦の装備としては何とも頼りないクロスボウ本体を構えて防御の姿勢をとる。
凄まじい気迫で斬りかかってくる敵指揮官――とフリードリヒの間に、割って入ったのはユーリカだった。
音もなく突き進んできた彼女は、その突進の勢いも利用して斬撃を放つ。敵指揮官は見事な反射神経で、自身の剣を構えてその攻撃を受け止める。
「フリードリヒは殺させない!」
「貴様! よくもローマンの鎧を着て!」
殺意のこもった視線と言葉を交わし、互いに飛びのいて距離をとる。構えなおし、そして再び激突する。
数度切り結び、しかし決着はつかない。敵指揮官はユーリカに匹敵する強さだった。公爵領軍ならば実戦経験はほとんどないはずだが、それを補って余りある技量があった。手練れ相手の真剣の斬り合いで、全く臆さない度胸と覚悟も。
「ユーリカ!」
フリードリヒが叫ぶ。ユーリカは振り返ることなく、一際強烈な一撃を放って敵指揮官を怯ませる。その隙に大きく飛び下がる。
一瞬の隙。そこを突いて、装填を終えたフリードリヒがクロスボウを放つ。心臓のど真ん中を狙った一撃だったが、敵指揮官は咄嗟に身体を捻り、矢を肩口に受けながら倒れた。
「場所を開けろ! 突撃が来る!」
そのとき。騎士ヤーグの声が響く。既に門は完全に開け放たれていた。
フリードリヒたちは陣形を解き、門の左右、突撃の邪魔にならない位置で城壁に張りつく。
「門を守れ! 敵を止めろおおおぉっ!」
肩を押さえ、無理やり身体を起こしながら敵指揮官が叫ぶ。敵兵たちが門を塞ごうと殺到し――突入してきた騎兵部隊が、それを容易く打ち砕いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます