第53話 オストブルク砦奪還②
オストブルク砦にバッハシュタイン公爵領軍の一個大隊が迫っている。まだ確定ではないが、今は敵と断定して対応を考えるべき。
街道上で急きょ始まった即席の軍議の中で、フリードリヒはグレゴールや大隊長たちが話し合う声を聞きながら、一人思考を巡らせた。
まず、フェルディナント連隊が救援に駆けつけるのは不可能。どう考えても、砦に迫る公爵領軍の一個大隊よりも早く到着することはできない。
そして、砦の駐留部隊、およそ三十人の輸送小隊だけで防衛を成すのも不可能。敵との兵力差は絶望的。守りきれないことが明らかなのに死守を命じ、彼らを無駄死にさせることはできない。
となると、砦を一度放棄して敵に明け渡し、その後に素早く取り戻す手段を考えるのが現実的。
しかし、三百の兵力が閉じこもった砦へと真正面から攻勢を仕掛けて奪還するのは至難の業。それなりの規模があるオストブルク砦は、三百人がいればその防御力を十全に発揮できる。
おまけに力押しの攻城戦となれば、騎士や兵士個人の練度はあまり関係ない。フェルディナント連隊がその真価を発揮して戦うことは難しい。たとえ千の兵力を全投入しても、砦を奪還するのは厳しいだろう。
さらに言えば、損害を度外視してとにかく奪還すればいいというものでもない。
自分の見解が正しければ、砦を巡る攻防は、これから進軍してくるであろう公爵領軍やアレリア王国の軍勢との緒戦に過ぎない。砦の奪還と引き換えに、フェルディナント連隊が緒戦から壊滅的な損害を被っていては話にならない。
そうなると、どうにかして敵の隙や意表を突き、なるべく少ない損害で、何か奇策をもって、できる限り速やかに砦の奪還を果たさなければならない。
その前提でフリードリヒは考えた。これまでに読んだ歴史書や物語本、そこに記されていた数多の攻城戦。その中に使える要素がないか記憶を巡らせ、思案を巡らせた。
およそ二百年前、動乱の時代。エーデルシュタイン伯爵家が建国に向けて勢力拡大を図っていた頃の、敵軍になりすました小部隊が敵勢力の城に侵入した戦い。
ヒルデガルト・エーデルシュタイン女王の時代。ノヴァキア王国の砦に対して二方向からの攻勢路を確保し、同時に攻撃を仕掛けることでついには陥落させた戦い。
古の統一国家、ルーテシア王国の時代。リガルド帝国との国境紛争で、伝令の騎士を徹底的に狩ることで、包囲した帝国の砦を完全に孤立させて陥落に追い込んだ戦い。
それらの要素を組み合わせ、フリードリヒは最終的にひとつの策を考え出した。
成功するか否かは賭けでもあったが、そもそも戦争に絶対の勝利はなく、策にも絶対の成功などない。どんな手をとろうと賭けの要素をはらむのは必然。
マティアスもそう考えたのか、彼は連隊長としてフリードリヒの策を採用した。
・・・・・・
策の要となる別動隊の指揮官に、フリードリヒは自ら志願した。少数の別動隊に非常な危険を強いるこの策を提案しておいて、自分は本陣に留まることなどできないと考えたからこそ。
その覚悟をマティアスにも認められ、まずは数騎――ユーリカ、オリヴァー、ギュンターを連れて本隊を発った。
途中までは街道を進み、やがてオストブルク砦を大きく回り込むようにして、砦の北西に向かった。主要な街道の周囲に巡らされている、地元民たちが日常的に使用するような道を通り、砦を奪取した敵に見つからずに迂回した。
道に関しては、オリヴァーが頼りになった。騎兵大隊の幹部である彼は、重要地点であるオストブルク砦周辺の道を記憶しており、訓練で実際に訪れて地理を把握していた。グレゴールから受けた座学で大まかな地図のみ暗記していたフリードリヒよりも遥かに詳しかった。
オリヴァーの先導のおかげもあり、フリードリヒたちは翌日の日暮れまでに、オストブルク砦の北西数キロメートルの地点に辿り着いた。行軍は規模が大きくなればなるほど遅い。数騎の騎馬だけであれば、連隊全体が移動するよりも倍は速く動ける。
そのさらに翌日、フリードリヒたちは街道に面した森の中に身を潜めた。そこで待った。敵の伝令がオストブルク砦へと向かうために通過するのを。
自分が砦を奪取した大隊の指揮官であれば、奪取成功の報を本隊のいる場所――おそらくは公爵領都レムシャイト――まで届ける。鷹使いによる連絡体制を整えているのはこの国では王国軍だけなので、公爵領軍の情報伝達手段は騎馬となる。
そして、伝令に出た騎士に本隊からの報告を持ち帰らせる。
前線で一時孤立する部隊の指揮官にとって、本隊の状況、増援がいつ頃来る見込みかという情報はできる限り得ておきたいもの。指揮をとる自分のためにも、部下たちの士気維持のためにも。
十中八九、敵の伝令は大隊指揮官に報告を持ち帰るため、目の前の街道を通る。
そう推測したフリードリヒの計算では、敵の伝令が通過するのは午後。砦を奪取した翌朝に伝令が発ち、一日でレムシャイトに到達して本隊に報告し、その翌日である今日にまた本隊からの連絡を砦に持ち帰るだろうと予想していた。
その予想は見事に的中。通過する伝令の騎士を捕らえるのは容易だった。
公爵領軍の支配域を走っているからと警戒心の薄かった伝令は、街道脇の森から飛び出したギュンターの振るった剣によってあっさりと馬上から叩き落とされた。騎乗者を失った馬は逃げ出す前にオリヴァーが確保。落馬した騎士にはユーリカが飛びかかって取り押さえ、それで捕縛は終わった。フリードリヒの出る幕などなく、僅か数秒の出来事だった。
捕らえた騎士――ローマンと名乗った若い騎士からは、公爵領の現状について多くの情報が得られた。フリードリヒの考察は概ね当たっており、公爵家が王家を裏切ってアレリア王国の軍勢を招き入れたこと、コンラート王子も公爵家と共謀していることが確定した。
その日の夕刻には、フリードリヒたちと同じ経路で砦を迂回した、騎士ヤーグ率いる荷馬車隊が合流。二台の幌馬車に歩兵二十人ほどを乗せた彼らと共に一夜を明かし、そしていよいよ砦奪還の作戦決行日を迎えた。
ここからの策は比較的単純なもの。まず、フリードリヒたちは公爵領軍の輸送隊のふりをして砦の西門へ接近。それにタイミングを合わせ、フェルディナント連隊が東から姿を現し、騎兵部隊のみ先行して輸送隊を襲うそぶりを見せる。こうすれば、敵は輸送隊をよく確認しないまま、友軍を助けるために急いで砦の中に迎え入れる。
砦に侵入した輸送隊はそこで正体を現し、西門の周囲を確保して死守。門を開放し、騎兵部隊を砦の中に迎える。一方でフェルディナント連隊の本隊は、東門から攻勢を仕掛ける。
それなりに強固なオストブルク砦とはいえ、西門から内部に侵入されながら東門を守るのは不可能。外と中からの攻勢で、一気に敵部隊を制圧する。
この策の成功率を高める上で、騎士ローマンを捕らえられたのは非常に都合が良かった。ただ北西から来たという理由だけで友軍の輸送隊だと敵に思わせるのと、伝令の騎士の鎧を身につけた者が輸送隊の先頭に立っているのでは、敵に怪しまれないのは確実に後者の方。任務から帰還するローマンが、ついでに荷馬車の先導を本隊から命じられたのだと思ってもらえる可能性が高い。
伝令として軽快に駆けることを求められるためか、騎士ローマンは男にしては小柄で、線も細かった。そのため、彼からはぎ取った鎧は体格の最も近いユーリカが身につけ、彼女がローマンになりすますこととなった。軽量な革製の兜を被り、顔を風よけの布で覆う伝令の姿をとれば、言葉を発するまで別人だと気づかれることはそうそうない。
ちなみに、ローマンは生かしてある。素直に情報を吐いた騎士身分の捕虜。最終的に反逆罪で処刑されるかもしれないが、それは王家が沙汰を下すこと。フリードリヒと参謀役のオリヴァーは共にそう考え、ローマンは縛り上げられて荷馬車の床に転がされていた。
本隊と打ち合わせているオストブルク砦への到達時刻は、ちょうど正午。本来は昨日中に到着できるペースで進軍していた本隊が、策の決行に遅れる心配はほぼない。
案の定、フリードリヒたち偽の輸送隊が砦の西門から視認できる位置に到達したとき、砦の東側から回り込んできたのであろう本隊の斥候を遠くに確認できた。
斥候は急いで本隊に戻り、西側から公爵領軍の輸送隊が砦に向かっていると報告。それを受けて連隊長マティアス・ホーゼンフェルト伯爵は、輸送隊を狩るために騎兵部隊を先行させた――という体で、騎兵大隊長オイゲン・シュターミッツ男爵の率いる百騎が砦を回り込んできた。
フリードリヒたちは彼ら騎兵部隊と茶番の逃走劇をくり広げ、仲間を助けることしか頭にない公爵領軍によって、砦の中に迎えられた。
自身を騎士ローマンと誤認したまま近づいてきた敵の騎士に対し、ユーリカは今、言葉ではなく刃をもって答えた。
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