第52話 オストブルク砦奪還①

 バッハシュタイン公爵領軍の中でも腕自慢を集めた一個大隊三百は、オストブルク砦を確保するために急ぎ進軍していた。

 道中では砦周辺の哨戒中と思われる王国軍騎士と遭遇し、不覚にも取り逃がした。その要因はいくつもある。こちらの騎兵部隊は戦闘を想定して全員が完全装備であり、一方の相手側は軽装だったこと。遭遇時に相手側は峠道の頂上にいて、こちらは麓にいたために道を駆け上がって追わなければならなかったこと。王国軍の軍馬は公爵領軍のものより質が良いこと。結果として、死にものぐるいで逃げ去る王国軍騎士を捕らえそこねてしまった。

 逃げ延びた騎士は間違いなく、オストブルク砦にこちらの接近を報告する。その報告は前進してくるフェルディナント連隊にも伝えられる。先に砦に着くのはこちらだが、砦を確保した後、本隊が進軍してくるまでフェルディナント連隊から砦を守らなければならない。

 となると、砦を攻略した後に守りを固める時間が一秒でも長く欲しい。だからこそ彼らは、全力で歩みを進めていた。


「足を止めるな! 戦いの前に休みたければ、夕刻より前にオストブルク砦に到達するのだ!」


 そう鼓舞の声を上げるのは、大隊を率いる騎士フランツィスカ。エルンスト・バッハシュタイン公爵の従兄の娘にあたる彼女の言葉に従い、騎士と兵士たちは懸命に足を動かす。彼らの顔には疲れが見えるが、士気が挫けている者はいない。

 既に自分たち公爵領軍は、最高指揮官であるエルンストの名の下、王家に反旗を翻した。敗北して謀反人と呼ばれながら極刑に処されるか、あるいは勝利に貢献した褒賞として金や土地、地位を得るか。そのどちらかしかないと聞かされているからこそ。

 本来は日暮れまでに砦に到達して包囲し、明日の朝に攻略を開始する予定だったが、できれば今日中に落としてしまいたい。フランツィスカの判断のもと進み続けた彼らは、遂にオストブルク砦を視認できる距離まで迫る。

 それと同時に、正面から騎士が一騎、駆けてくる。王国軍人ではない。フランツィスカが斥候に出していた直轄の部下、ローマンという騎士だった。


「ご苦労だった、ローマン。随分と砦に近づいていたようだが、敵は?」

「それが、砦は放棄されています。門は開け放たれ、内部には人影ひとつ見えませんでした」

「砦の中まで見たのか? なかなか無謀な真似をしたな……だが、それは朗報だ」


 騎士ローマンの報告を聞いたフランツィスカは、そう言って笑みを零す。


「皆、せっかく士気を高めていたところ残念な報せだ! 敵は砦を捨てて逃げ去った! 今日のところは、武勇を発揮する機会はないぞ!」


 その呼びかけで、大隊の兵士たちの間にどこか拍子抜けしたような、それでいて安堵したような空気が漂う。

 戦わずに砦を取れるのであればそれに越したことはないと、皆が思っていた。冗談を飛ばしたフランツィスカもそれは同じだった。この先のさらなる戦いを前に、兵力を損耗することはできる限り避けたい。


「さあ、日が暮れる前に砦に入り、守りを固めるぞ。今夜は私の権限で砦の備蓄食料を好きなだけ食わせてやる!」


 その言葉に皆が歓声を上げ、公爵領軍の一個大隊は意気揚々と、無傷で確保した砦に入る。


・・・・・・


 それから三日後。フランツィスカ率いる大隊は、オストブルク砦を堅守していた。いつ王国軍フェルディナント連隊がやって来ても防衛戦闘に入れるよう、万全の態勢を整えていた。


「皆、待機中も気を抜き過ぎるなよ。今日こそフェルディナント連隊がやって来るものと思え」


 平穏なまま三日も経ち、さすがに少し気が抜けてきた部下たちに、フランツィスカはそう呼びかける。

 フェルディナント連隊がいつ到達するかは彼らが王城を発った日によるが、早ければ昨日には来るものと、フランツィスカは事前に聞かされていた。

 昨日来なかったとなれば、おそらく今日か、遅くとも明日には到達し、攻勢を仕掛けてくる。

 公爵領軍の本隊や、アレリア王国の軍勢の進軍はまず間に合わない。援軍が来るまで一週間程度はこの大隊で持ちこたえることを想定すべき。攻城戦は防衛側が圧倒的に有利なので、よほど油断しなければ砦を落とすことはないだろうが、それでも気を抜くわけにはいかない。


「しかし隊長。ローマンの奴、やけに帰りが遅いですね」

「ああ。もしかしたら、領都の方で何かあって足止めを食らったのかもしれないな」


 傍らの部下の言葉に、フランツィスカは頷いて答える。

 騎士ローマンは、オストブルク砦を確保した翌朝、領都レムシャイトへと報告するために伝令に発った。歩兵を含む三百の軍勢ならば二日弱かかる行程も、単騎で急げば一日で走破できる。昨日中には戻ってくると誰もが思っていたが、彼は未だ帰還していない。

 フランツィスカとしては、フェルディナント連隊がここへ到達する前にローマンに戻ってきてほしいところだった。

 三百の兵がいれば砦を当面守ることは叶うとしても、本隊やアレリアの軍勢が具体的に何日後にやって来るか分かった上で籠城するのと、いつ援軍が来るか不明な中で籠城するのとでは士気を維持する難易度が段違いになる。

 それなりに兵力集結が進んでいるであろうレムシャイトから、最初の進軍がいつ行われるのか、ローマンに報告を持ち帰ってもらいたいのが指揮官としての本音だった。

 フェルディナント連隊の到達後も、敵の包囲の程度によっては、伝令一騎ならば隙を見て迎え入れることも叶う。しかし、危険はできるだけ冒したくない。


「隊長! 北西から荷馬車の隊列が接近してきます!」


 そのとき。砦の西門側の城壁上にいる見張りが、そう声を張った。


「荷馬車だと?」


 フランツィスカは少し怪訝な表情を浮かべながらも、部下を伴って城壁上に上がる。西門から北西へと伸びる街道に視線を向けると、確かに遠くの方から、騎士に率いられた二台の幌つき荷馬車が接近してきていた。


「……方向から考えても、領都レムシャイトからやって来たこちらの輸送隊であることは間違いないな」

「荷馬車を先導してる騎士はローマンですね。ようやく帰ってきたか」

「あんなもん引き連れてたら時間がかかって当然だ。帰りが遅かったのも納得です」


 次第に接近してくる輸送隊を見ながら、フランツィスカは部下たちと言葉を交わす。

 隊列先頭にいる騎士は確かにローマンだった。騎士の鎧は一人ひとり違うが、直轄の部下の鎧を見間違えるはずもない。伝令の基本装備である小さな軍旗も掲げている。


「ですが、一体何を積んだ荷馬車で? 本隊が来るより早く物資輸送を始めるなんて聞いてませんよね?」

「ああ、聞いていないな。だが戦争とは予定通りにいかないものだ。もしかしたら、アレリア王国側から何か運んでおくよう要請があったのかもしれない……どちらにせよ、ローマンが報告してくれるだろう」


 戦争とは予定通りにいかない。分かったようなことを言ったフランツィスカも、実戦経験が豊富なわけではない。

 ノヴァキア王国との国境でも、エルザス回廊でも、ここ数十年も戦闘は起きていない。そのためバッハシュタイン公爵領軍は、基本的には王国軍の補助戦力として、北方平原やベイラル平原での小競り合いに時おり参戦するのみだった。

 フランツィスカは今までに二度、小競り合いに参加し、そのどちらでも敵と直接刃を交えてはいない。騎士として優秀なつもりではいるが、戦争を熟知しているとは言えない。

 そのため、予定外の物資輸送を前にしても、そういうこともあると思っただけだった。


「ローマンたちを迎え入れる準備をしろ。西門を開けて――」

「た、隊長!」


 そのとき。フェルディナント連隊が来るであろう東門の見張りにつけていた騎士の一人が、ひどく焦った様子で駆けてきた。


「王国軍の接近を確認しました! ホーゼンフェルト伯爵の旗が掲げられてます! フェルディナント連隊で間違いありません!」

「……来たか」


 報せに皆がざわめき始める中で、フランツィスカは静かに呟く。城壁上を走って砦の東側まで回り込み、南東の方向を俯瞰する。生ける英雄ホーゼンフェルト伯爵がそこにいることを示す旗を、自身の目で確認する。

 騎兵部隊を先頭に、その後ろに弓兵、さらに後ろに歩兵。隊列の周辺には周辺偵察の騎士が距離を置いて駆けていた。千の軍勢が近づいてくる様は、彼らが実戦経験豊富な精鋭である事実も相まって、強い威圧感があった。

 と、そこでフェルディナント連隊は早くも動きを見せる。オストブルク砦の周囲を調べていたらしい斥候の一騎が全速力で連隊の本陣に戻ったかと思うと、間もなく先頭の騎兵部隊が前進し始める。砦の東門ではなく、砦の北側から回り込むように動く。


「まずい! ローマンたち輸送隊を仕留める気だ!」


 フランツィスカは血相を変えて叫ぶ。

 王国軍の中でも、フェルディナント連隊の騎兵部隊は最精鋭。およそ百騎が一糸乱れぬ動きで素早く前進する。対する公爵領軍の輸送隊は、荷馬車を牽いているため足が遅い。


「おい、ローマンたちを早く砦に入れろ! このままでは捕まるぞ!」


 フランツィスカは叫びながら、敵の騎兵部隊を追うように北回りで西門側に戻る。輸送隊も敵の接近に気づいているらしく、ローマンに急かされながら荷馬車が走る。御者に急かされ、荷馬が必死に駆ける。

 御者と荷馬たちの努力のおかげで、結果的に輸送隊の退避は間に合った。二台の荷馬車とそれを護衛していた数騎の騎士が砦に入り、門が閉められていく。敵騎兵部隊も、閉門の様子を見て前進の足を止めた。

 城壁上でフランツィスカはひとまず安堵の表情を浮かべ、一方で西門の前では、砦に入ったローマンたちを仲間が迎える。


「ははは、危ないところだったな、ローマン。見てて冷や冷やしたぜ」


 騎士の一人が、気安くローマンに話しかける。しかし、下馬したローマンの返事はない。兜を取ることもない。


「おい、どうしたんだローマン。疲れて声も出ないってか? ……がっ」


 騎士は奇妙な声を漏らし、その動きが止まる。口から剣が生えていた。

 尋常でない速さで剣を抜いたローマンが、騎士の口に剣先を突き込んでいた。

 刹那、周囲の空気が止まる。瞬きひとつの僅かな時間、静寂が訪れる。

 そして次の瞬間には、公爵領軍の騎士や兵士たちが驚嘆と混乱に包まれる。ある者は叫びながらあとずさり、ある者は険しい表情で剣を抜く。


「ローマン様が味方を殺したぞ!」

「ど、どうしちまったんだ! 何でだ!」

「違う、こいつはローマンじゃない!」

「お、おい! 荷馬車から敵が! 王国軍兵士だ!」


 西門の前に広がる混沌、その只中にある数台の荷馬車から、兵士たちが次々に出てくる。その数はおよそ二十人。

 そして、片方の荷馬車の御者台にいた兵士が、傍らに置いていたクロスボウを手に立ち上がる。そうしながら、兜代わりに頭に巻いていた頭巾を取り、深紅の髪を露わにする。

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