第51話 対応策
オストブルク砦からの報告を受け、マティアスはまず、グレゴールとフリードリヒ、そして連隊の大隊長たちを集合させた。鷹使いが書簡を書く準備をしている間に、臨時の軍議を開いた。
顔を突き合わせた幹部たちの表情は、一様に厳しい。
「公爵領軍が日暮れまでにはオストブルク砦に到達となると、あと三時間もない。駐留部隊の救援に向かおうにも、計算するのも馬鹿らしいほど明らかに間に合わんな」
厳しい表情で言ったのはグレゴールだった。それに、歩兵大隊長である騎士バルトルトが頷く。
「こちらはまだ行軍の初日。本来の予定では砦まであと一日半。兵士全員に翼でも生えない限りは不可能だろうな」
「では、オストブルク砦は諦めるということになりますか?」
もう一人の歩兵大隊長である騎士 リュディガーが言うと、難しい顔で首を傾げたのは騎兵大隊長のオイゲン・シュターミッツ男爵だった。
武門の宮廷貴族である彼は、フェルディナント連隊創設以来の古参士官の一人。グレゴールと並んでマティアスの最側近となっている。
「あっさり諦めるのは、正直言って惜しいな。オストブルク砦は重要な防衛拠点だ。敵に奪われると、この先の戦いが相当厳しいものになるだろう」
「……しかし、オストブルク砦に駐留しているのは輸送部隊の一個小隊三十人でしょう。三百人を相手に防衛を成すのは、これもまた不可能では? いくら攻城戦は防衛側が有利とはいえ、戦力差が十倍では……」
眉間に皺を寄せて言うのは、弓兵大隊長の騎士ロミルダ。彼女の言葉に頷いたのはグレゴールだった。
「もし死守を命じれば、駐留している兵は文字通り全滅するだろうな」
その言葉を最後に、重苦しい沈黙が漂う。軍人は死を覚悟しているものだが、とはいえ絶死の命令ともなれば容易には下せない。その死を対価に何らの成果が見込めないとなれば尚更に。
幹部士官たちの会話を無言で聞いていたマティアスは、そこでフリードリヒを向いた。養父と同じく無言で、ずっと思案の表情をしていたフリードリヒを。
「フリードリヒ。何か策はあるか? 我々の到着まで、オストブルク砦を持ちこたえさせる策は」
問われたフリードリヒはすぐには答えない。マティアスとグレゴール、大隊長たちの注目が集まる状況で思案を続ける。
そして、顔を上げ、口を開く。
「……砦を持ちこたえさせる策は、正直に言って思い浮かびません。ですが、一度奪取された砦をその後すぐに奪い返す策であれば、ひとつ考えました」
その言葉に、大隊長たちは驚いた表情を見せた。これほど厳しい状況で、この短時間で策を生み出したこと自体が、彼らからすれば驚異的だった。
一方で、マティアスとグレゴールは驚かない。
「説明しろ」
マティアスの命令に、フリードリヒは頷く。
「まず、駐留する輸送小隊には砦の放棄を命じ、こちらに合流させます。それと並行して――」
簡潔に淀みなく、策が語られる。それを聞いた大隊長たちは再び、今度はグレゴールも、驚きを表情に表した。
マティアスだけは、最後まで表情を変えない。
「――以上です。過去に読んだいくつかの戦記から要素を借りて組み合わせたものですが、どうでしょうか」
問われたマティアスは、短い思案の後に口を開く。
「上出来だ。不確定要素も含まれるが、今ここでそれ以上の案が出ることもあるまい。とにかく時間がない。お前の策を採用する」
マティアスが答えるのとほぼ同時に、鷹使いが書簡の準備ができたと告げにくる。
「今から私が言う通りに書け。まずはオストブルク砦に向けた書簡からだ」
そう言って、マティアスは砦の駐留部隊に向けた指示を語り始める。
・・・・・・
大隊規模のバッハシュタイン公爵領軍がオストブルク砦へと進軍し、王国軍騎士に対して敵対行動をとったこと。公爵家が王家に牙を剥いた可能性が高く、その背後にはアレリア王国の存在があり、公爵家がアレリア王国の軍勢を招き入れる可能性があること。
コンラート・エーデルシュタイン王子も、共謀者であるかもしれないこと。
それらの推測が綴られたマティアス・ホーゼンフェルト伯爵からの緊急報告の書簡は、鷹によって王城まで届けられた。
この報を、クラウディアは自身の執務室で、近衛隊長を務めるグスタフ・アイヒベルガー子爵より受け取った。
「……まさか、そんな」
肝が据わっていると周囲から評されてきた。己でもそのように自負してきた。そんなクラウディアも、さすがにこのような報せを受けては平静ではいられなかった。驚きに立ち上がった姿のままで、執務机に両手をついた姿勢で固まり、呆然とした表情を浮かべていた。
そんな馬鹿な。そんなはずはない。理性ではなく感情が、自分自身にそう訴えかける。
思い出したのは、愛する弟の出立を見送ったときのこと。行ってまいります、と言ったコンラートの凛々しい顔。脳裏に浮かんで離れないその顔が、クラウディアに沈黙を強いる。
「王太女殿下。如何いたしましょう」
グスタフが無表情のまま、そう問いかけてくる。問うまでに長すぎるほどの間を置いたことが、いつも無機質な態度しか見せない彼なりの気遣いであるらしかった。
「……お前はどう思う。この報告について」
「ホーゼンフェルト卿の推測は、妥当なものであると愚考いたします。殿下は国政の実務を司る御方であられる以上、誠に畏れながら、考え得る最悪の事態を想定した上で動かれるべきかと」
いっそ冷たいほど淡々とした声で、グスタフは現実的な答えを返す。
「…………そうだな。とにかく今は、公爵領軍やアレリア王国の軍勢が進軍してきた場合に備えて動くべきだろう。状況が状況だ。私が直々に出る。近衛隊の三個中隊に出撃準備を命じてくれ。そして、アルブレヒト連隊とヒルデガルト連隊にも、半数を動かすよう命令を届けろ。それと、王領内で徴集兵を集められるだけ集めるように」
「かしこまりました。貴族領軍はどういたしましょう?」
問われたクラウディアは、数瞬の間黙り込み、考える。
「計画漏洩の危険を考えると、バッハシュタイン公爵家が他の貴族家に呼びかけていた可能性は低いと思うが、どうだ?」
「私もそのように思います」
「では、王国西部一帯の貴族領軍にも集結を命じろ。応じなかった貴族家は裏切り者と見なす」
「はっ」
各軍の動かし方をひとまず決めたところで、クラウディアは苦い笑みを浮かべる。
「これだけの兵を動かそうにも、集結までにはしばらくかかる。オストブルク砦に関してはフェルディナント連隊だけが頼りか」
「私も彼らの力を信じたいところですが、現実的に考えると、砦は一度敵に明け渡すことも想定された方がよろしいかと存じます。あの要衝を取られては厳しい戦いを強いられるでしょうが、今ばかりは止むを得ません」
グスタフは気休めを語る男ではない。彼の返答は厳しいものだった。
本気で防御拠点を落とすのであれば、兵力差は十倍あれば十分だが、三倍では足りない。輸送小隊がいるだけのオストブルク砦は一度奪われる可能性が極めて高く、その奪還はフェルディナント連隊の独力では難しい。
策をもって砦の奪還を試みると報告の書簡には記されていたが、それをあてにして楽観的に今後の防衛計画を練るわけにはいかない。
自分たちの援軍が到達する前に敵のさらなる軍勢が進軍し、フェルディナント連隊は砦の奪還を諦めて後退することを強いられる。そうなる前提でその後の戦いに備えるべき。常識で考えればそうだとクラウディアにも分かる。しかし。
クラウディアの脳裏に浮かんだのは、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵。そして彼の継嗣となったフリードリヒ。生ける英雄と、不利な状況で二度の大勝利を成した若き騎士。
「最前線のことは我々には見えない。どう動くかは現場の将に任せるしかあるまい。砦がどうなるにせよ、私たちは万全の状態で次の一手を打てるよう準備を進めるのみだ。後は……父上にも現状をお伝えしなければな。私自ら行こう」
病身の父王には、できるだけ精神的な苦痛を与えたくない。
しかし、自分はあくまで国政の実務権限を預かっているだけの王太女。未だエーデルシュタイン王国の頂点に君臨しているジギスムントに、これほどの重大事態を報告しないわけにはいかない。
報告するのならば、王子も謀反の共謀者である可能性を伏せて語ることもできない。王家として最悪の事態を想定して動く以上、国王にも全てを伝えるべき。
そう考えたクラウディアは、苦渋の表情で言った。
「お前は各方面への命令伝達を頼む。私も父上にお伝えしたらすぐに、戦いの準備に移る」
「御意」
感情を持たないかのような振る舞いから、軍人になるために生まれてきた男などと評されているグスタフは、絵画にできそうなほど整った敬礼を見せた後に退室していった。
その後。クラウディアは国王である父に、事態の報告に向かった。
コンラートが王家を裏切った可能性を告げられたジギスムントは、表情を動かすことなく、ただ一言「そうか」と答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます