第50話 王子と公爵の野望

 バッハシュタイン公爵領の領都レムシャイト。その近郊に、今はアレリア王国軍およそ五百と、現時点で集結が完了している公爵領軍およそ五百の野営地が置かれていた。

 エルザス回廊の関所を開放し、アレリア王国軍を招き入れたのが三日前。もちろん、あちら側の回廊警備兵力である五百を招いて終わりではない。これからさらに多くの兵力が回廊を越え、エーデルシュタイン王国内に入り込む計画になっている。

 公爵家の居城。その城壁上に立つコンラートは、硬い表情を浮かべ、いくつもの天幕が並ぶ野営地を見渡す。王家と公爵家とアレリア王国軍、三つの旗が並んで掲げられている様を眺める。

「後悔しておられますか?」

 不意に問いかけられ、コンラートは振り返る。

 城壁上へ上がってきたエルンスト・バッハシュタイン公爵が、コンラートの隣に立った。

 アレリア王国の軍勢を国内に迎え入れ、共闘して王都と王城を包囲し、王家を降伏に追い込む。そうして王位を簒奪し、アレリア王国の属国となり、多少の搾取を受けながらも独立を維持して生き長らえる。そのような計画において、エルンストはコンラートの共謀者であり、計画そのものの提案者でもあった。


「……いや、今さら事を起こしたことを悔いはしていないさ。ただ、やはりどうしても落ち着かない。アレリア王国は、約束通り大軍を送り込んでくれるのだろうかと思ってしまう」

「御心配は不要でしょう。この好機をアレリア王国が逃すはずがございません。必ずや送り込めるだけの軍勢を送り込んでくるはずです……戦力を損耗することなく国境を越えてエーデルシュタイン王国内に入り、街道を通じて一気に王都へと進軍する。我々の手引きがあれば、アレリア王国の軍勢は必ずや成功するでしょう。率いる将があのファルギエール伯爵となれば尚更に」


 侵入するアレリア王国の軍勢の指揮官は、智将と名高きツェツィーリア・ファルギエール伯爵。コンラートたちにはそう伝えられている。


「そうだな。君の言う通りだ。後は、フェルディナント連隊が来るよりも早くオストブルク砦を確保できるかどうかだな」


 アレリア王国の軍勢を招き入れたことを王家に知られ、即応部隊たるフェルディナント連隊を差し向けられるまでには時間がある。アレリア王国軍や貴族領軍がこの地で集結するまで、十分な猶予がある。コンラートたちは当初そう考えていた。

 それを前提とした計画は、何も知らないクラウディアが後詰めとしてフェルディナント連隊を動かすと決めたために、修正を余儀なくされた。

 後詰めの件をコンラートが知らされたのは、冬も後半に入ってからだった。後詰めを置くことを止めてくれるよう、コンラートは何度かそれとなく姉に伝えてみたが、当然ながらクラウディアが計画を変えることはなかった。

 クラウディアの配慮のせいで、コンラートたちはアレリア王国の軍勢が集結するのを待つ余裕もなく動き始める必要が生じた。


「そちらについてももはや問題はございません。我が公爵領軍の一個大隊は、今日中にもオストブルク砦に到達します。指揮官には信頼できる優秀な騎士を選びましたので、必ず砦の奪取を成し遂げることでしょう。そうなれば、多少の予定のずれは問題になりません」


 公爵領と王領の領境のあたり、街道に面して存在するオストブルク砦は、今回の計画における最重要地点。

 本来は王領から北西部国境へと王国軍を進める際の補給拠点として、多くの物資を備えているこの砦は、防御施設としての規模もそれなりに大きく、それでいて普段は王国軍の補給部隊が少数駐留しているだけ。

 フェルディナント連隊に先んじてこちらの大隊が砦に到達すれば、奪取は容易。大隊規模の戦力で立てこもりさえすれば、アレリア王国の兵力がある程度揃って進軍を開始するまで持ち応えられる。即応戦力たるフェルディナント連隊は会戦にこそ強いが、単純に兵数がものを言う攻城戦では真価を発揮できない。

 この砦を補給拠点とすれば、勝利に王手をかけたも同然。公爵領軍の本隊とアレリア王国の軍勢は公爵領から王都まで進軍できる。逆に砦の守りを固められてしまえば、こちらの侵攻は困難に、王家の防衛は容易になってしまう。オストブルク砦を取れるかどうかで、エルンストたちの計画の成否が決まる。


「大丈夫です、殿下。全て上手くいきます」


 コンラートの手が少し震えているのを認めたエルンストは、そう語りかける。彼を安心させるため、自信に満ちた声色で。


「……そうだな。全て上手くいく。君を信じている、エルンスト」


 深呼吸をひとつ挟み、コンラートは答えた。エルンストは微笑を浮かべて彼に頷き、城壁を降りていった。

 後に残されたコンラートは、再び野営地を見下ろす。この自分を王位につけるため、これから戦う軍勢を見渡す。

 そして、野営地の広がる平原よりももっと遠く、南東の方角、その地平線の向こうにいるであろう姉を思う。優しく自分を送り出してくれた、愛する姉を。


「……申し訳ございません、姉上」


 呟くコンラートの目から、涙が一筋零れた。

 自分がこのような選択をしたと知ったら、姉は悲しむだろう。怒るだろう。きっと軽蔑される。そして失望される。

 それは分かっている。しかし、それでも。


「……それでも、私は……私は王になりたい」


 国王。エーデルシュタインの国王。その地位が欲しい。玉座が欲しい。王冠が欲しい。エーデルシュタイン王という呼び名が欲しい。

 周囲の自分への評価は知っている。心優しい王子。静かで穏やかな王子。勇ましく堂々たる姉とは違い、頼りなく弱々しい王子。

 分かっている。自分でも、姉弟を比べれば姉の方が遥かに君主の才覚があると思う。だからこそ自身への評価を甘んじて受け入れてきた。しかしそれでも、どうしても、我慢ができなかった。このまま挑戦する機会すらなく人生を終えることを受け入れられなかった。

 大陸の歴史を見れば、簒奪によって王位についた者などいくらでもいる。王国軍の連隊に名を残すアルブレヒト・エーデルシュタイン王もそうだった。

 ならば何故、自分が王位を望んではいけない。過去の例はいくつもあるのに、自分だけが大人しく、王家の血を引く婿として一貴族家の当主に収まる人生を許容しなければならない。自分もまた王の子なのに。


「姉上。父上。母上。どうかお許しください。どうか、どうか……」


 いつからこのような考え方をするようになったのか、自分でももう分からない。

 しかしこれだけは間違いない。自分はただ、王になりたい。隣国の傀儡の王でもいい。売国の悪王でもいい。ただ王になりたいのだ。それだけの思いで、このようなことをしたのだ。

 クラウディアを殺して王位継承権を奪おうというのではない。愛する姉を殺めはしない。彼女には不自由を強いることになるが、できるだけ快適に日々を過ごしてもらえるようにする。

 父ジギスムントに関しても。当代国王である彼を殺して玉座と王冠を奪ったりはしない。父には退位してもらい、残りの日々を母と穏やかに過ごしてもらえるよう最善を尽くす。

 それで彼らが許してくれるとは思えない。どれほど謝っても許してはくれないだろう。しかし、もう後戻りはできない。計画は動き出した。死者も出た。

 コンラートの護衛を務めていた近衛小隊は公爵領軍によって捕縛され、その際にコンラートの直衛についていた数人は、牙を剥いた公爵領軍からコンラートを守ろうと剣を抜いた。護衛対象のコンラートもまた共謀者だとは思いもせず。

 結果的に、四人いた直衛のうち二人と、公爵領軍の側も三人が死んだ。王家の忠実なる盾と、公爵家の忠実なる剣の命が失われてしまった。

 これだけでは終わるまい。自分が王位につくまでに、少なくない血が流れるだろう。

 それが分かって選んだ道だ。もはや進むしかない。たとえそれがどんなに悪しき道だとしても。


・・・・・・


「……約束は守ります、殿下。王位は必ずや貴方の御手に」


 城内に戻ったエルンストは、そう独り言ちる。思い浮かべるのはコンラートの顔。自分が旗頭として担ぎ上げた王子の顔。

 エルンストが王家に反旗を翻す動機となったのは、ルーテシア人至上主義の思想だった。

 大陸西部の民族であるルーテシア人。そして大陸中部の民であるデノール人。千年以上前に枝分かれした両民族には、当事者たちが見れば分かる程度に容姿の違いがある。

 かつて巨大な統一国家たるルーテシア王国を築き、長い繁栄を享受したルーテシア人の中には、自分たちが大陸で最も偉大な民族、神に選ばれた至高の民族であると信じる者がいる。

 エルンストもその一人だった。若かりし頃にこの考えを持つようになったエルンストは、しかし今や少数派である自身の思想を公にせず、心の中で育ててきた。

 エルンストのルーテシア人至上主義は、やがて反帝国思想へと至った。

 ルーテシア王国が繁栄を謳歌していた時代、大陸中部は未発展の田舎であり、デノール人たちは蛮族に過ぎなかった。それなのに今、ルーテシア人国家であるエーデルシュタイン王国は、デノール人国家のリガルド帝国と慣れ合っている。それどころか帝国に媚を売っている。

 王家は政治でも経済でも文化でも様々な場面で圧力をかけられながら、ろくに抵抗もしない。民はルーテシア人としての誇りを忘れ去り、小国の民として帝国人から軽んじられる現状を良しとしている。

 新興の大国を築いて運良く覇権を握っているに過ぎないデノール人が、自分たちルーテシア人を飼い慣らし、搾取している。このような屈辱的な状況は絶対に間違っている。

 帝国を信用できるはずがない。十倍近い国力差のあるデノール人国家と、対等な友邦になどなれるはずがない。帝国との歪な友好関係が一時的に成り立っているのも、大陸東部のシーヴァル王国との戦いに注力したいという帝国の都合があるからに過ぎない。

 状況が変われば、いつ手のひらを返されるか分かったものではない。帝国との友好関係など幻想だ。その友好関係も、結局はかの国の都合で搾取され続けるだけのものだ。

 このままでは自分たちは、じわじわとデノール人に侵略され、いつか完全に帝国に飲み込まれてしまう。誇り高きルーテシア人でなくなってしまう。そのようなことは許されない。


 だからこそエルンストは行動に出た。今こそエーデルシュタイン王国が帝国と距離を置き、同じルーテシア人国家であるアレリア王国に接近する千載一遇の好機だと考えたからこそ。

 アレリア王国の手を借り、できる限り迅速に、エーデルシュタイン王国を手に入れる。王城と王都を手中に収め、由緒正しきルーテシア人王族の直系であるコンラートを王位に据え、降伏させた王国軍を再編して将と士官を身内で固め、手中に収める。

 バッハシュタイン公爵領と王領。王の富の源たる鉱山や港。そして数千の兵士が手元に残れば、国内で自分とコンラートに逆らえる者はもはやいなくなり、王位簒奪は完了する。

 エーデルシュタイン王国の独立維持。その約束をアレリア王国が守ってくれるかは賭けだ。これだけ大それたことを為す以上、どうしても賭けの要素は生まれる。成功の保証などという贅沢なものは最初から求めていない。

 凶暴な覇王に見えるアレリア王も、服従の意を示した国の支配者層には比較的寛容に振舞っている。戦力に意外と余裕がないかの国の状況を鑑みても、おそらく当面は約束を守るだろうとエルンストは踏んでいる。

 アレリア王国には約束通り従属し、刺激しないようにする。約束を反故にして力で屈服させるよりも、属国として置いておく方が扱いが容易になるとアレリア王に思わせ、そうすることで平穏な状態をできるだけ引き延ばす。

 それでもいつかは、アレリア王がエーデルシュタイン王国の併合に乗り出すかもしれない。エーデルシュタイン王国は独立を失うかもしれない。そのときはそのときだ。

 一時でも玉座に座らせれば、コンラートとの誓いは果たされたことになる。新たにルーテシア人の覇権を築くアレリア王国の一部となるのであれば、国家の末路としてはそれも悪くない。帝国に飲み込まれるより遥かに良い。

 これがエルンストの世界観であり、動機であり、目的だった。エーデルシュタイン王国を帝国から解放し、ルーテシア人の誇りを守る。それが正しいと信じているからこそ、エルンストは今こうして反逆の首謀者となった。


 最初の段階は、簡単に成功した。

 エルンストは自身の心の内を隠し、他者の心の内を見透かす術に人一倍長けている。コンラートが歪な野心を秘めていることは、いずれ義理の親子になる間柄として、二人で酒を飲み交わしていたときに分かった。彼の説得に際して、さしたる苦労はなかった。

 バッハシュタイン公爵家の家臣団と公爵領軍。そのうち政治的な発言力を持っている者は十人にも満たない。その全員が、親類や直臣などエルンストに近しい立場の者。

 皆、長年エルンストと付き合ってきた側近たちだ。中にはエルンストと思想を共有している者もいる。そうでない者も、所領や官職など絶大な権益を約束すれば懐柔は容易だった。

 信頼できる者たちを動かしてアレリア王国軍を招き入れ、同時に公爵領軍に嘘の布告をした。既に公爵家は王家に宣戦を布告し、反旗を翻したと。勝利か死か、それしかないと。勝利の暁には全員に大きな褒美を与えると。

 結果、今のところ順調に計画が進んでいる。後はオストブルク砦さえ取れれば、以降の進軍はアレリア王国の軍勢が主体となってやってくれる。

 自分たちは勝利する。そう確信しながら、エルンストは歩く。今日の午後にはアレリア王国の新たな軍勢が到着する。出迎えの準備をしなければならない。

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