第46話 野外演習②

 このまま部屋に残ってヨーゼフと雑談がてら明日のことを話し合うというマティアスに命じられ、フリードリヒとグレゴールは中庭で待機する連隊のもとに戻った。

 待機がてらの休息を終えた連隊の面々は、グレゴールの指示のもとで宿泊の準備を開始。兵舎はヒルデガルト連隊で満員なので、中庭に天幕を並べて休むことになる。

 フリードリヒは本部付きの士官として、ヒルデガルト連隊側との細かな調整に追われる。通常の駐留部隊に加えて千人が泊まるとなれば、食事や水の用意をはじめ、調整すべきことは多い。

 そうして日暮れ前までに宿泊準備は終わり、慌ただしさから解放されたフリードリヒは、整然と並んだ天幕を前にひと息つく。


「フリードリヒ」


 そのとき。オリヴァーから声をかけられ、フリードリヒは振り返る。

 こちらへ歩み寄ってくるオリヴァーの隣にいたのは、ディートヘルムだった。


「紹介する。お前も名前は知っていると思うが、ヒルデガルト連隊騎兵大隊長のディートヘルム・ブライトクロイツだ」


 オリヴァーに紹介されたディートヘルムは、フリードリヒに向けて片手を軽く挙げる。フリードリヒは彼に向って、丁寧に一礼する。


「ディートヘルム殿、初めまして。ホーゼンフェルト伯爵家が継嗣、フリードリヒと――」

「あー、いいってそういうの」


 面倒そうにフリードリヒの挨拶を遮るディートヘルムの雰囲気は、フェルディナント連隊を出迎えたときとはまるで違った。良く言えば気安く、悪く言えばどこか粗野に見えた。

 先ほどのは仕事用の顔で、これが彼の素ということか。フリードリヒは内心でそう考える。


「せっかく身分の上下が緩い王国軍内にいるんだ。堅苦しいのは止めようぜ。公の場以外ではお前のことは呼び捨てるから、俺のこともディートヘルムって呼び捨てろ」

「……分かった」


 少し困惑しながら頷くフリードリヒを見て、オリヴァーが苦笑する。


「ディートヘルムは昔からこういう男だ。俺も初対面のときに同じように言われて、いくら王国軍内とはいえ初対面で年上の伯爵家嫡男を呼び捨てにはできないと言ったが、呼び捨てなければぶん殴ると言われては逆らえなかった」

「はんっ、それくらい前のめりにいかねえと、どいつもこいつも遠慮して俺から距離を置きやがるからな。兵卒や木っ端の雑魚騎士ならともかく、隊長格の士官にまでこっちの出自を理由にへこへこされたら息が詰まるんだよ」


 ディートヘルムは乱暴な口調で、そのように言い放つ。


「それで、フリードリヒよぉ。お前の話は俺も聞いてるぜ……なんともまあ、ホーゼンフェルト閣下もずいぶんと変わった後継者を選ばれたもんだな」


 フリードリヒを頭からつま先までねめつけるディートヘルムの視線は不躾だったが、悪意は感じられないのでフリードリヒも不快ではなかった。その隣ではユーリカが、何こいつ、と言いたげな顔をしていた。


「ホーゼンフェルト閣下は、かつて王国西部をロワール王国の侵攻から救ってくださった方だ。西部出身の俺たちにとってまさしく生ける英雄だ。他の西部出身の貴族子弟どもと同じで、俺も閣下に憧れてきた。閣下を尊敬して、閣下のような偉大な騎士になりたいと思って己を磨いてきた。その閣下が養子を迎えられたと聞いて一体どんな奴がと思ったが……正直、期待してたような感じじゃねえな」


 嫌味のない口調であっけらかんと言われ、フリードリヒは思わず笑う。一方でユーリカは、露骨にディートヘルムを睨みつける。


「おぉ、なんか怖いのがくっ付いてるな。お前の女か?」


 睨まれて怯んだ様子もなく、むしろ茶化すように笑いながら、ディートヘルムは尋ねてくる。


「そう、恋人だよ。彼女も騎士で、僕の護衛を務めてくれてる」

「なるほどな。女連れをホーゼンフェルト閣下が許してるんなら、きっとこの女も相応に腕が立つんだろうな」


 そう言われたユーリカは、挑戦的で獰猛な笑みを浮かべる。


「試してみる?」

「おっ、いいねぇ」

「駄目だぞ、ディートヘルム。どうせお前、フェルディナント連隊の新顔に絡んで模擬戦を仕掛けるなとオブシディアン閣下に言われてるんだろう」


 オリヴァーが口を挟むと、ディートヘルムはうんざりした顔になる。


「何だよお前、久しぶりに会った途端に俺のお目付け役気取りかよ……だが、実際その通りだ。これでも結構忙しい騎兵大隊長様だからな。あんまり長く遊んでたら連隊長からも部下からも怒られちまう。だから声をかけた目的は、お前への挨拶だけだ」


 そう言いながら、ディートヘルムはフリードリヒに視線を戻す。


「フリードリヒ。お前は本当にホーゼンフェルト閣下の後継者にふさわしい男なのか?」


 挑むように問いかけてくるディートヘルムに、フリードリヒは薄く笑いながら頷く。


「自分ではそのつもりでいるけど。軍に入る前も合わせれば二度、戦功を挙げているし、戦場で生きていく覚悟も決めてるよ」

「ふん、なるほどなぁ……だけど、まぐれは続くって諺もあるだろ? 二度までなら、単なるまぐれ勝ちかもしれねえ。言っとくけどこれは俺個人の言いがかりってだけじゃねえぞ。王国軍内や貴族社会には、同じようなことを思ってる奴はそれなりにいる。あんまり口には出さねえけどな」


 ディートヘルムの言葉にフリードリヒは微苦笑する。

 英雄の後継者として、自分の才覚や能力を疑う者がいることはフリードリヒも分かっている。マティアスに一際の信頼を置くフェルディナント連隊はともかく、他の王国軍部隊や貴族社会全体までそう簡単に認めさせられるとは思っていない。

 それでは、どうすればいいだろうか。小さく首を傾げ、無言でディートヘルムに問う。


「戦功が三度続けば、さすがにまぐれだと思う奴もほとんどいなくなるだろ。だから、いつになるかは知らねえが次の戦いでも戦功を挙げて見せろよ。そしたら俺みたいに面倒な奴に絡まれることもなくなるだろ」


 そう言って、ディートヘルムは何故か得意げな顔になる。


「人に偉そうなこと言うからには、俺も世間の噂通りの傑物だって見せてやる。明日の演習で、俺の統率力を目の当たりにしろ」

「……楽しみにさせてもらうよ」

「おお、意外とノリがいいな。気に入った」


 そう言ってフリードリヒの胸を軽く小突くと、ディートヘルムは去っていった。


「彼はいい人なの?」

「軍人としては立派な人物だし、私人としても気はいい男だな。好き嫌いは分かれるだろうが」


 ディートヘルムの背中を見ながらフリードリヒが問うと、オリヴァーはいつもの癖で頬の傷に触れながら答えた。

 個人的には嫌いではない。フリードリヒはディートヘルムへの第一印象を、そのように考えた。


・・・・・・


 翌日。アルンスベルク要塞近郊の平原。陣形演習の中で、ディートヘルムは見事に有言実行してみせた。


「歩兵は隊列を維持してこのまま前進。弓兵は左右に展開しながら進め」


 フェルディナント連隊の全隊と、ディートヘルムがヨーゼフから預かってきたヒルデガルド連隊の半数。そしてこの訓練のために西部王家直轄領から集められた徴集兵。総勢で二千にも及ぶ軍勢に、マティアスが大将として命令を下す。

 それが副官グレゴールや本陣の伝令によって伝達され、各大隊の大隊長、中隊長、小隊長へと降りていく。そうして末端まで伝わった命令が、陣形を動かす。

 ひとつの部隊として訓練を重ねているフェルディナント連隊の動きは、当然ながら整然としている。そしてヒルデガルト連隊、さらには徴集兵による部隊も、その動きにしっかりとついてきている。乱れというほどの乱れは起こらない。

 それを実現しているのが、ディートヘルムの副将としての補佐だった。彼がヒルデガルト連隊や徴集兵部隊に呼びかけることで、全体がよどみなく動いていた。

 続く訓練項目――後退を想定した陣形移動では、マティアスに指名されてディートヘルムが総指揮を務める。


「前衛は足並みを乱さず下がれ! 弓兵は両翼から援護し続けろ! 後衛は急ぎ退け! 騎兵はその側面につけ!」


 ディートヘルムの指揮は的確で、迷いは一切なかった。彼に率いられることに慣れているヒルデガルト連隊や徴集兵部隊が今は主軸となり、二千の全軍が整然と動いていた。

 指揮内容はもちろん、彼の佇まいや言葉使いも、軍人として模範的だった。


「……あの人、実は双子だったりしないよねぇ」

「あははっ、二人がかりで王国軍の新顔を驚かせるのが慣例だったりして? そうだとしたら面白いね」


 本陣から陣形移動を俯瞰して学びながら、フリードリヒはユーリカの呟きに小さく吹き出す。

 昨日の不良じみた振る舞いが嘘のように、ディートヘルムは立派な騎士に見えた。優秀な士官であり、将が務まる器であることも示していた。

 実は双子で、ちゃんとしている方と大雑把な方がいると言われても信じられる。それほどの落差を感じさせた。ブライトクロイツ家に双子がいるという話は聞かないが。

 その後、訓練は無事に終了し、アルンスベルク要塞への帰還の準備が始まる。


「よお、フリードリヒ」


 声をかけてきたディートヘルムは、既に昨日挨拶を交わしたときの調子に戻っていた。やはり彼は双子ではないらしかった。


「どうだったよ、俺の指揮は?」

「……さすがは次期ヒルデガルト連隊長だと思ったよ。素晴らしかった。将を目指す身として、多くを学ばせてもらったよ」


 フリードリヒは素直に称賛の言葉を返した。実際、ディートヘルムの能力はもはや疑いようもなかった。


「はははっ、嬉しいこと言ってくれるなぁ……それじゃあ、俺は約束を守ったから、次はお前の番だからな?」

「分かった。三度目の戦功だね」


 昨日も別に、明確に何かを約束した覚えはないが。そう思いながらもフリードリヒは答える。どちらにせよ、次の戦いでも自分が戦功を挙げるべきであることは変わらない。


「おう、三度目の戦功だ。いい報せが聞こえてくるのを待ってるぜ」


 そう言い残し、ディートヘルムは自身の連隊のもとへ戻っていく。


・・・・・・


 陣形演習を終えた翌日。フェルディナント連隊は王都の軍本部へと発つ。

 予定通りの日程で帰還することもまた、演習の一環。とはいえ、最も重要な行程を終えた後の帰路は往路以上に和やかなものとなる。


「フリードリヒ。何やらディートヘルムと話していたようだが、良い交流ができたか?」

「……はい、できたと思います。彼とは友人になれそうです」


 マティアスに問われたフリードリヒは、気安く奔放で、しかし間違いなく優秀な騎兵大隊長を思い出しながら頷く。


「そうか。あいつは少々変わり者だが。王国軍の未来を担う男であることは間違いない。世代的にもお前とは長く付き合っていくことになるだろう。良いかたちで知り合えたのならば僥倖だ」


 前を向いたまま、マティアスはそう語った。


・・・・・・


「やけに気に入ったようだな」

「あん?」


 同じ頃。アルンスベルク要塞の司令官執務室でヨーゼフに言われ、ディートヘルムはぞんざいな反応を返す。


「ホーゼンフェルト卿の養子のことだ。フェルディナント連隊が来る前は、ホーゼンフェルト伯爵家にふさわしくないつまらん男が来たらぶん殴ってやると息巻いとっただろうが」

「ああ、あいつな……見た目は細くて頼りねえが、目を合わせたときに分かった。あれは見た目で舐めたらえらい目に遭う類の奴だ」

「ほう、よく分かっとるな」


 ディートヘルムが自身と同じ認識を示したことに、ヨーゼフは片眉を上げて返す。


「ガキの頃にクソほど喧嘩した経験じゃあ、ああいう目をした奴が一番手強いんだよ。意地でも諦めず、手段を選ばず、何が何でも勝とうとするんだ」


 今や王国でも有数の騎士として名高いディートヘルムは、少年の頃からその才覚を存分に発揮してきた。叙任を受けたのは成人前、まだ十四歳のときだった。

 その一方で、ひどく喧嘩っ早い問題児としても知られていた。

 他の貴族子弟だろうと、家臣の子だろうと、平民だろうと、気にくわなければ真正面から喧嘩を挑む。自身の家柄は決して笠に着ることなく、自身が殴られようと怪我をしようと家柄を盾に復讐することはなく、とにかく喧嘩っ早かった。

 ときには屋敷を抜け出して領都の市井に出ていき、身分を隠した上で、下町で名の知れた不良に勝負を挑むようなこともしていた。

 優秀だが奔放過ぎるこの嫡男に手を焼いていたブライトクロイツ伯爵は、ディートヘルムが騎士の叙任を受けて早々に、彼を王国軍に放り込んだ。経験豊富な将として知られるヨーゼフが半ば引き取るようにして彼を指揮下に置き、鍛え上げた。

 その結果、ディートヘルムは小生意気な小僧から一人前の軍人へと成長を遂げた。場をわきまえることを覚え、入隊前と比べると見違えた。

 ディートヘルムにとって、ヨーゼフは上官であると同時に、第二の父親も同然の存在。部下の目がある場所以外では、気安く話すことを許されている。


「それだけじゃねえ。あれは間違いなく、死線を潜り抜けた奴の目だった。その上で戦い続ける覚悟を決めた目をしてやがった。あれなら英雄の後継者が務まる見込みもあるんだろうよ……とは言っても、王国中の人間にあの目を見せて分からせて回るわけにもいかねえだろうがな」

「それじゃあ、お前が言い広めてやるといい。フリードリヒは英雄の後を継ぐのにふさわしい目をしているとな。あ奴に対して懐疑的な者がいることはお前も知っているだろう」

「んな面倒くせえことしてやるかよ。自分の立場を認めさせるのはあいつ自身の仕事だろ。分かりやすい戦功を重ねて軍人も貴族も全員黙らせりゃあいいんだ」


 ディートヘルムのその言葉を聞いたヨーゼフは、にやりと笑う。


「お前、本当にあ奴が気に入ったのだな」

「うるっせえな。話がそれだけならもう行くぞ」

「おう、行け行け。報告ご苦労だった」


 元は演習の報告のために呼ばれていたディートヘルムは、扉の前で一度止まると、それまでのぞんざいな態度から騎士然とした表情と姿勢に戻る。

 そして真面目に敬礼して見せ、退室した。

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