第47話 進軍計画
統一暦一〇〇八年の秋も終わりに差しかかった頃、王太女クラウディア・エーデルシュタインよりマティアスとフリードリヒに登城命令が下された。命令を受けた二人は、指定された期日に王城へと参上した。
「――どちらにせよ、本題の用件は私に対するものだ。お前は何か聞かれるまで、黙って立っていればよい」
「分かりました、閣下」
本館の前で止まったホーゼンフェルト伯爵家の馬車から降りながら、フリードリヒはマティアスと言葉を交わす。
フェルディナント連隊の連隊長であるマティアスが呼ばれたのは、アレリア王国に新たな動きが見られたためか、あるいは逆にこちらから攻勢を仕掛ける計画があるからか。そのような推察を、フリードリヒは聞かされている。
王太女に会うのもこれで四度目となれば、さすがに最初のような緊張は覚えない。
例のごとく王家に仕える文官に案内され、今までクラウディアと会ったときと同じ応接室へ。武器を預けて入室すると、彼女は例のごとく立ち上がって出迎えてくれる。
「マティアス・ホーゼンフェルト伯爵。登城ご苦労」
「王太女殿下」
マティアスが一礼で応え、フリードリヒもその後ろで無言で頭を下げる。
「そしてフリードリヒも。よく来たな」
「このような場に同席する機会を賜り、恐悦至極に存じます。王太女殿下」
声をかけられ、フリードリヒは短く無難な挨拶を返す。
あくまでも王家の客は養父の方であり、自分はただのついで。英雄の後継者と目され、王太女の覚えがめでたいから同席を許されているに過ぎない。なので、決して出しゃばらない。
「ひとまず座ってくれ。茶を淹れさせよう」
「はっ」
クラウディアの前に置かれている椅子は一脚。当然マティアスが座り、フリードリヒはその後ろに立ったまま控える。
「――さて、本題だが」
しばしの雑談の後、クラウディアが切り出した。
初めて拝謁したときは、この段階に入る前にフリードリヒは退室させられた。国家運営の実質的な責任者と、王国軍の将。その仕事の会話を直接聞くのは、これが初めてのこととなる。
「お前も察していると思うが、今回呼んだのは他でもない。アレリア王国との次の戦いについて話をするためだ」
そう語るクラウディアの表情に大きな変化はなかったが、それでも室内に流れる空気が確かに変わった。マティアスの後ろに立ちながら、フリードリヒはそう感じた。
「単刀直入に言うと、我が国の側から攻勢を仕掛けたい。とはいえ、規模としてはそう大きな話ではない。具体的な戦功を挙げるためというよりは、エーデルシュタイン王家の政治的な意思表示のための攻勢だ……我が弟コンラートを大将に据え、バッハシュタイン公爵領軍を主戦力として、エルザス回廊からアレリア王国領へと示威的な進軍を行いたい」
エルザス回廊。通称、最北の回廊。エーデルシュタイン王国とアレリア王国ロワール地方の国境地帯のうち、人が通行することのできる地点の中でも最も北にある要所。
接するのは、王国最大の貴族領であるバッハシュタイン公爵領。公爵家はこの回廊と、ノヴァキア王国との国境を守るためにこそ、半農の兵士を含めて千人もの領軍を保有している。
「進軍の目的はいくつかある。まず一つは、バッハシュタイン公爵家へと婿入りする予定のコンラートに功績を挙げさせ、あれが次期バッハシュタイン公爵としての器であることを示すため。お前も知るように、コンラートは賢いが温厚というのが貴族社会での評価だからな。国境を守り、王家にとって重要なバッハシュタイン公爵領を守るに足る勇ましさや強さを持っていると、少なくとも表向きはそういうことにするための結果が欲しいのだ。このような情勢となった今は尚更に」
クラウディアの言葉をマティアスの後ろで聞きながら、フリードリヒはバッハシュタイン公爵領の状況や立ち位置を思い出す。
バッハシュタイン公爵領で国境を接するノヴァキア王国との関係は良好で、アレリア王国との国境であるエルザス回廊も長らく戦場となっていない。仮に戦場となったとしても、さして広い侵入路ではないため、千人規模の領軍がいれば王国軍の到着まで容易に守ることができる。
そのため、バッハシュタイン公爵には武勇よりも、堅実な領地運営の能力が求められるというのがここ数十年の状況だった。公爵領は領地の広大さと人口の多さを活かした農業が盛んであり、非農業人口の多い王領に食料を供給する穀倉地帯としての役割があることも影響していた。
しかし、この春にアレリア王国が本格的な侵攻の姿勢を見せたことで状況は変わった。国境防衛という点でバッハシュタイン公爵家の重要性は一段高まった。国境を、穀倉地帯を、王家の親戚たる公爵家を守る当主は、武勇を誇る必要はないが、少なくとも頼りないことはもはや許されないのだろう。
「併せて、バッハシュタイン公爵家と、公爵領軍にも何かしらの功績を示してもらいたいという理由もある。ここしばらく、公爵領軍は規模のわりに出番が少なく、存在感が薄れていたからな。何か能力を示す機会を与えてやりたい。王子であるコンラートを大将として公爵領軍が軍事行動をとることで、王家と公爵家の結束を内外に示したいという狙いもある……そして最後にもうひとつ」
そこで一度言葉を切ってから、クラウディアは再び口を開く。
「リガルド帝国に対して、我が国の強気な姿勢を見せておきたい。かの国は友好国だが、我が国やノヴァキア王国に対するアレリア王国の威嚇について、現状では静観の姿勢を見せている。こちらがよほどの事態にでもならない限り、大陸西部ばかりに目を向けていられないというかの国の事情が大きい」
ルドナ大陸中部のほぼ全域を支配するリガルド帝国は、人口五百万を誇り、現在の大陸における覇権国家と呼べる存在。かの国から見て西に面するエーデルシュタイン王国とノヴァキア王国は友好関係を維持しているが、かの国の東にあるシーヴァル王国とは敵対関係にある。
大陸東部の雄であるシーヴァル王国の人口は、リガルド帝国の半分ほど。帝国の有利は間違いないが、永遠に絶対に負けないと言えるほどの国力差ではない。油断しすぎれば国境地帯を削り取られる危険性もある。
そのため、アレリア王国への対応はできるだけ友邦に任せ、帝国が二正面作戦をとる事態を避けたいというのが、リガルド皇帝家とそれを支える帝国貴族たちの本音。エーデルシュタイン王国はそのように推察しており、この話はフリードリヒもマティアスから聞かされていた。
「もちろんエーデルシュタイン王家としても、安易に帝国の手を借りたくはない。アレリア王国が数字上の人口や兵力ほどの強敵ではない現状、できることならば独力でかの国の侵攻を防ぎきりたい。下手に帝国の助けを受ければ、かの国は調子に乗るからな」
「ご尤もですな」
やや唐突で、少し力のこもったマティアスの相槌に、クラウディアは微苦笑した。
尊大さは覇権国家の常。友邦とはいえ帝国との国力差は十倍近く。当然、かの国との力関係は均等ではない。二正面での戦争を避けたい帝国は攻撃的な姿勢こそ示さないものの、外交、貿易、文化や宗教などあらゆる面でエーデルシュタイン王国に大小の圧力をかけてくる。
かつてのロワール王国との戦争では、エーデルシュタイン王国は序盤に苦戦を強いられ、兵力を揃えるために帝国から金を借りた。膨大な利子をつけられた負債の返還がようやく完了したのは、つい十年ほど前のことだった。
帝国の意地の悪さは、若いクラウディアよりもマティアスの方が身をもって知っている。
「とはいえ、いざというときに帝国が助力してくれないのもまた困る。だからこそ、王族を大将に据え、能動的にアレリア王国領へと進軍する強気を一度は示したいのだ……我が国の国力を考えると、万全の態勢を整えつつ、敵が決戦に出たときにそれを迎え撃って撃滅するのが最善だ。だが、帝国の貴族や市井が我が国の事情を常に理解してくれるわけではない。受け身の姿勢を弱腰と捉えられる可能性もある。弱腰の国が誰からも助けてもらえないことは、歴史が証明している」
そう言って、クラウディアはお茶を一口飲み、小さく息を吐く。
「ここまでの話からも分かるように、今回の進軍は極めて政治的な色の強いものだ。とはいえ国を守り維持する上で政治は避けられない。王家としては、侵攻の出鼻を挫かれたアレリア王国が大人しくしているこの隙に、政治を済ませておきたい……敵地を占領する必要も、敵軍を打ち破る必要もない。コンラートの率いる公爵領軍が回廊を進軍し、アレリアの地を踏み、敵と軽い小競り合いでも為す。その程度の事実があればいい。回廊越しに対峙する敵兵力は少ない。公爵領軍が演習のふりをして集結し、そこから回廊を急襲すれば達成できるだろう。お前はどう思う?」
問われたマティアスは、短い思案の後に口を開く。
「私としても殿下の御考えに賛同いたします。ですが、先の北方平原での敗北後、アレリア王国が妙に静かであることがいささか気がかりです」
北方平原の支配を試みたのであろうアレリア王国の初夏の侵攻は、失敗に終わった。一個連隊が半壊に近い損害を受けた。再び兵力を揃えて北方平原への再侵攻を試みるにせよ、出せる全力をもってベイラル平原とアルンスベルク要塞を攻めるにせよ、しばらく時間がかかるのは確か。
それにしても、アレリア王国は少々静かすぎる。マティアスはその点を懸念していた。
「単に、連隊の再編に手間取っているだけなのかもしれません。これまでに征服した地域の占領に難儀し、大侵攻の兵力を揃えることができないだけなのかもしれません。エーデルシュタイン王国ではなくノヴァキア王国へと狙いを移すつもりなのかもしれません……ですが、そうでなかった場合が問題です。当代アレリア王は手強く、東部方面軍を率いるファルギエール伯爵も油断ならない強敵です。最悪の場合、何か罠を張り、こちらが何か行動を起こすのを待ち構えていることも考えられます。可能性としては低いでしょうが」
「お前の懸念も尤もだ。我が父である国王陛下も、私が相談したらそのように仰っていた。なので念のための措置をとっておきたい……フェルディナント連隊に後詰めを任せたい」
まず、バッハシュタイン公爵領軍が、軍事演習の名目で領内で集結する。そこへ、公爵家への婿入りを予定するコンラート王子が、視察の名目で向かう。
公爵領軍と王子が合流した後、彼らはエルザス回廊へと急行し、可能ならばアレリア王国の地を踏む。数日居座るか、アレリア王国側の回廊監視部隊と軽く一戦交えた後、すぐに退却する。
万が一彼らが壊走するような事態に陥ったときのために、フェルディナント連隊が後詰めとして待機する。あまり早くにフェルディナント連隊が動き出すとアレリア王国側にこちらの進軍を予期されてしまうので、やや遅く出発し、公爵領軍の進軍直後にバッハシュタイン公爵領へ入る。
そのような作戦計画を、クラウディアは語った。
「おそらく待機だけで終わるだろうが、再編を終えて未だ新兵の割合が高いフェルディナント連隊にとっては、これもまた良い訓練になるのではないかと思う。だからこそお前たちに任せる」
「殿下の仰る通りかと存じます。王子殿下の後背をお支えするこの任務、心して臨みましょう」
歴戦の将にとっては簡単過ぎる命令、ともすれば退屈な命令に対しても、マティアスは生真面目に答えた。クラウディアはその態度に満足げな笑みを浮かべ、頷く。
「頼りにしているぞ。王国の生ける英雄よ……とはいえ、今は少々時期が悪い。進軍の決行は冬明けとなるだろう。今の時点では、冬明けすぐに連隊を動かせるよう、万全の状態を保たせることに努めてくれ」
「御意のままに、王太女殿下」
そう言いながら、マティアスは慇懃に頭を下げた。
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