第45話 野外演習①

 新兵たちが加わって一か月と少し。彼らもフェルディナント連隊の一員としてある程度馴染んできた秋の最中、大がかりな野外演習が行われることとなった。

 アレリア王国は未だ新たな動きを見せる気配はなく、今年はこのまま再侵攻を起こさないものと見られているが、先の戦いで大損害を負った部隊――東部方面第二連隊の再編が行われているのは必然。

 そのため、フェルディナント連隊が国境地帯への展開演習を行い、こちらの即応戦力も健在であることを誇示することとなった。

 目的地はベイラル平原の東端、国境防衛の要であるアルンスベルク要塞。そこへ一週間以内に到着し、野営地を置き、会戦を想定した陣形を作る。野営以降の行程にはベイラル平原を守るヒルデガルト連隊からも一部部隊が参加し、複数の連隊が連係しての大規模な会戦能力をエーデルシュタイン王国が維持していることを、アレリア王国側に知らしめる。

 そうした目的のもと、フェルディナント連隊はまず、王都ザンクト・ヴァルトルーデを発った。


「そうか、フリードリヒたちがアルンスベルク要塞に行くのは初めてだったな」

「知識だけは散々蓄えてきたけどね。書物を通して」


 要塞到着までは期限があるとはいえ、王国軍の標準的な行軍速度を保っていれば問題なく辿り着ける程度。さして急ぐこともなく街道を進みながら、フリードリヒはオリヴァーと言葉を交わす。

 アルンスベルク要塞は、フリードリヒが読んだ書物の中に幾度となく登場してきた。

 建設されたのは今から三百年近くも前、ルドナ大陸西部が統一国家――ルーテシア王国によって支配されていた時代。ルーテシア王国が勢力拡大の過程で軍事拠点のひとつとして築いたアルンスベルク要塞は、王国が崩壊して消え去った後も存続し続けた。

 広大な大陸西部の統治者がいなくなり、各地の大貴族が群雄割拠する動乱の時代の中、要塞は幾度も主を変えた。エーデルシュタイン王国とロワール王国が台頭した後は、両国の間で支配権を巡って争いが起こり、やはり何度か主を変えた。

 たびたび戦場となりながらも破壊し尽くされることはなく、今は主たるエーデルシュタイン王国よりも長く生きている要塞として国境を守り、今までと何ら変わることなくベイラル平原を睥睨している。


「ギュンターは? 要塞には行ったことがある?」

「……いえ、自分はどっちかというと、ノヴァキアとかミュレーとかそっちの方で仕事をしてましたんで。エーデルシュタイン王国の国境地帯は、北の方までしか行ったことはねえです」


 オリヴァーの雑用係を兼ねて隣に置かれているギュンターは、フリードリヒに話しかけられて少し緊張した顔で答える。


「ということは、故郷も大陸西部の北の方なの?」

「はい、実家はミュレー王国……じゃねえや、アレリア王国のミュレー地方にあります。親父もお袋も兄貴も、生きてりゃあ今も自作農をやってるはずです」

「……なるほどね」


 家族はミュレー地方にいるのに、自身はエーデルシュタイン王国で正規軍人となった。ギュンターのそんな身の上を知り、フリードリヒは何か事情がありそうだと察する。


「大したことじゃありません。農家の三男なんて生まれだったもんで、元々は村の適当な小作農家に婿入りさせられそうだったんです。それが嫌で親父と大喧嘩して、最後は勘当されて家を飛び出しちまって。腰を落ち着けて第二の人生を送るんなら、二度と帰らねえ故郷からはできるだけ遠い場所がいいと思ってこっちに来やした。どうせなら暖かい場所でガキを育てたかったっつう理由もあります」


 フリードリヒは特に詮索しなかったが、ギュンターは身の上を話すことに抵抗はないのか、自らそのように語った。

 どうせなら暖かい場所で、とギュンターが語ったように、大陸西部の北側に位置するノヴァキア王国や旧ミュレー王国はどちらもやや寒冷で、作物の育ちが他の地域と比べると悪い。そのためノヴァキア王国は、毛皮の加工品や鉱山資源などを輸出して国外から食料を輸入し、国内の食料生産力の低さを補っている。

 一方のミュレー王国は、ノヴァキア王国ほど森や鉱山に恵まれていない。おまけに人口は三十万程度の小国だった。なのでアレリア王国の攻勢に耐えられず、降伏して併合された。


「色々あったようだが、お前はもうエーデルシュタイン王国民で、王国軍人だ。この調子で早く王国騎士にもなってほしいものだな」

「そうだね。頑張って、ギュンター」

「は、はい」


 オリヴァーに同調してフリードリヒはにこやかに言ったが、対するギュンターの声はやや硬い。


「……そんなに怖がらなくてもいいのに」

「ははは、あのときのフリードリヒはなかなか迫力があったからな。あれを目の前で向けられたのなら仕方ない」


 少し寂しそうに呟くフリードリヒに、オリヴァーが言う。

 時おりこうやって雑談を挟みながら、演習の行軍は何事もなく続く。


・・・・・・


 新兵たちの行軍も何ら問題はなく、フェルディナント連隊は予定通りの日程でアルンスベルク要塞の近郊に到着した。


「……これがアルンスベルク要塞か」

「大きいねぇ」


 馬を進めて近づくほどに巨大さが明らかになっていく要塞。それを前にして、フリードリヒとユーリカはそう呟いた。

 平原の東端のあたり、小高い丘の上に鎮座するアルンスベルク要塞は、丘の北側を足場の悪い森に守られ、南側は丘の斜面がやや急なために上るのに適さない。要塞の周囲は深く広い空堀に囲まれ、西側と東側に作られた門は跳ね橋を上げることで侵入者を拒むことができる。

 高さ十メートルを超える城壁は足場や塔、狭間やバリスタを備え、収容できる兵員は最大でおよそ三千人。兵員と物資が十分であれば、一万を超える軍勢の猛攻にも耐えると言われている。

 歴史を見ても両軍全力の真っ向勝負で陥落した例は片手で数えられるほどで、大半は籠城物資の枯渇による降伏や籠城部隊の寝返り、あるいは十九年前にエーデルシュタイン王国が奪取したときのような、守りが手薄になっている状況での強襲によって主を変えてきた。

 主がエーデルシュタイン王国に変わってから十九年。柔軟性のある一個連隊と、いつでも直轄領民から徴集兵を集められる体制の確立によって、アルンスベルク要塞はかつてないほど固く守られている。

 敵が急襲の兆候を見せた時点でヒルデガルト連隊と徴集兵で即座に要塞の守りを固めることができ、大軍を揃えて圧倒しようとすればエーデルシュタイン王国側も当然に対抗して大軍を集め、そうなれば決戦は結局平原での会戦となる。そのため、要塞そのものは駐留拠点かつ補給拠点かつ監視拠点となっているのみで、長らく直接の戦場にはなっていない。

 そんな大要塞の、東に面した門が開かれる。中から数騎の騎士が出てきて、フェルディナント連隊へと近づいてくる。


「出迎えが来たな……全隊停止」

「停止! 全隊、その場で止まれ!」


 マティアスの命令をグレゴールがよく通る声で後方に伝え、千人が行軍の足を止める。

 隊列先頭に立っていたマティアスたちの前で、出迎えのヒルデガルト連隊騎士たちも停止し、最前にいた騎士が敬礼した。


「お待ちしておりました、ホーゼンフェルト伯爵閣下。我々が先導します」

「ディートヘルム。出迎えに感謝する」


 マティアスの返事を横で聞いたフリードリヒは、目の前の若い騎士がヒルデガルト連隊の騎兵大隊長ディートヘルム・ブライトクロイツであると理解する。

 北方平原に面した領地を持つブライトクロイツ伯爵家の嫡男で、次期ヒルデガルト連隊長が内定している、王国有数の騎士。王国軍の未来を担う逸材の一人。そう語られるディートヘルムは、いかにも騎士然とした、貴族然とした男だった。

 まだ若いというほどではないが、中年というほどでもない。年齢はおそらく三十歳前後か。


「……では、参りましょう」


 そう言って踵を返す直前に、ディートヘルムはマティアスの後ろにいるフリードリヒへと視線を向けてきた。

 マティアスの傍に控える側近格のうち、長年副官を務めるグレゴールではない人物。今まで見かけた覚えがない新顔で、側近である割にはやけに若い男。

 自分がマティアスの養子となったフリードリヒ・ホーゼンフェルトであると、ディートヘルムも察したのだろう。フリードリヒはそう考える。


「……」


 何故か睨みつけてきたディートヘルムから、フリードリヒは目を逸らさない。すると、ディートヘルムの方がすぐに視線を外した。

 フリードリヒは特に何も言わず、マティアスに続いて馬を進める。


・・・・・・


 アルンスベルク要塞ほどの防衛拠点ともなれば、その内部も広い。堅牢な石造りの建物が並ぶ要塞内は、ひどく無骨で殺風景な小都市のようだった。

 司令部の置かれた主館。駐留部隊が寝起きする兵舎。独立した食堂。いくつもの倉庫。何十頭もの馬を収められる厩舎が複数。見張りと防衛のための塔も複数。武具修繕のための鍛冶工房まで備えられている。

 要塞の中心には、訓練場や増員の宿泊場を兼ねているのであろう中庭があった。その中庭も庭というよりは、雑草や石を取り払って整地しただけの、ただの広場だった。

 要塞内に迎えられたフェルディナント連隊は、この中庭で待機。一方でマティアス他数人は、ディートヘルムによって主館に案内される。

 三階建ての主館の、二階の最奥。フリードリヒはマティアスの後ろに続き、グレゴールと並んで扉を潜る。いかにも執務室然とした部屋の中には、王城の晩餐会でフリードリヒも挨拶をしたヨーゼフ・オブシディアン侯爵がいた。


「オブシディアン卿。此度は世話になります」

「よく来たな、ホーゼンフェルト卿」


 立ち上がって出迎えたヨーゼフと、マティアスは気安い口調で挨拶を交わす。


「新兵連れと聞いていたが、予定通りの到着か。さすがだな」

「恐縮です。新兵と言っても傭兵上がりで、この一か月でそれなりに鍛えましたので。明日の陣形訓練も問題ないかと」

「そうかそうか……まあ、何だ。いかな王国軍人とはいえ、長く行軍して到着したばかりで皆疲れているだろう。今夜一晩くらいは肩の力を抜いてゆっくり休め。お前も、連隊の連中もな」

「はい。感謝します、オブシディアン卿」

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