第44話 新兵③

「そこまで。ユーリカの勝ちだ」


 ヤーグが宣言すると、なかなか見応えのあった模擬戦に称賛の声が飛び交う。見事な勝利を成したユーリカはもちろん、奮闘した新兵にも労いの声がちらほらと飛ぶ。

 フリードリヒとしても、ギュンターは思っていたよりは善戦したと考える。少なくとも見かけ倒しではなく、一戦力としてはなかなか頼りになりそうだと思う。

 しかし、敗けは敗け。彼女を舐めたギュンターは、自身の認識の誤りを認めなければならない。


「さすがはユーリカだね。今日も素晴らしい戦いだったよ」

「ふふふっ、ありがとうフリードリヒ。愛してるよぉ」


 ユーリカは喜色満面で答えながらフリードリヒに歩み寄り、その傍らに立つ。彼女に寄り添われながら、フリードリヒは今度はギュンターの方を向く。


「君もなかなか良い戦いぶりだったよ。迫力満点だった。戦場で前に立ってくれたらさぞ心強いことだろうね……もう一度聞こう。君の名前は?」

「……ギュンター」


 観念して素直に答えたギュンターに、フリードリヒは微笑を向ける。


「よろしく、新兵ギュンター。さて、ユーリカがその実力故に今の立場に置かれていることは、君にも理解できたと思う。そうだね?」


 フリードリヒの問いかけに、ギュンターは悔しげな顔をしながらも頷く。


「それじゃあ、誤解はひとつ解けたわけだ。もうひとつの誤解も解こう……君から見て、僕がホーゼンフェルト閣下の養子として不足な件だ。では、僕がどうであれば閣下の養子にふさわしいと思う? もっと分かりやすく、筋骨隆々で勇ましそうであれば足りる? それなら君自身は? 君ほどの偉丈夫は大陸中を探してもなかなかいないだろう。君は自分自身が閣下の養子にふさわしいと思う? 僕と立場を交代できる? 自分ならすぐに閣下に認めていただけると言える?」


 ギュンターの前にしゃがみ込みながら、フリードリヒは問いを畳みかける。ギュンターは返答に困った様子で固まっている。最初の威勢の良さは見る影もない。


「そもそも、英雄の後を継ぐ上で必要な能力とは何だと思う? 一騎士や兵士として戦場の最前列に立って、目の前の敵を倒すこと? 一人で十人を倒せばいい? 二十人を倒せば足りる? それで王国の英雄としてふさわしいと言える? どうかな?」

「……いや」

「そうだね。閣下がどうして英雄と呼ばれるか。それは閣下が将として、軍勢同士の戦いを勝利に導くことができるからだ。導いてきたからだ。であれば、英雄の後継者には将としての能力が求められる。そして何より、将としての覚悟が」


 フリードリヒは一方的に語る。ギュンターは半ば呆然としながらそれを聞く。


「新兵ギュンター。君は指揮が取れる?」


 問われて、ギュンターは言葉に詰まる。


「数人や十数人の規模じゃない。百人を、千人を、今すぐ率いて敵と戦えと言われたら、君にはそれができる? それだけの規模の軍勢を適切に動かすことができる? 当然だけど、敗北は許されない。敗北すれば君の率いる騎士や兵士たちは死ぬ。この場にいる者たちが皆死ぬ。敵に防衛線を突破されれば王国領土が蹂躙され、民も死ぬ。女性も、子供も死ぬ。君に家族は?」

「……いる。結婚したばかりの女房と、もうすぐ生まれるガキが」

「じゃあ、君の妻と子も死ぬかもしれないね。君の妻は大勢の敵兵に犯され、君の子供は遊び半分に虐待され、最後は二人とも切り刻まれるかもしれない。それは全て、敗北した君の責任になる。誰かの妻が、夫が、子供が、親が、友人が、大勢死ぬ。君はその全ての死の責任を負うんだ。あいつのせいで大勢が死んだと、生涯にわたって指を差されるんだ。将であるギュンターがしくじったせいで大勢が死んだと、後世でも語られ続けるんだ」


 どれほど勇ましくとも、所詮は傭兵上がりの一兵卒。想像もつかないほど規模の大きな話をされて、ギュンターの顔色が悪くなっていく。


「それでも臆することなく指揮をとれなければ、将にはなれない。怯むことなく勝利を掴めなければ、英雄の後継者としてはふさわしくない。さて、君はどう? 自分なら指揮をとれると、勝利を掴めると自信を持って断言できる?」

「いや、お、俺は……」

「目を逸らすな」


 視線を泳がせるギュンターに、フリードリヒは微笑を浮かべたまま底冷えのする声で言う。

 有無を言わさぬその声に視線を正面へと戻されたギュンターは、フリードリヒの赤い双眸に見据えられ、まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直する。


「僕にはできる。今この瞬間にフェルディナント連隊の全軍を率いて戦えと命じられたら迷わずそうする。まだ孤児上がりの平民だった頃、僕は戦い方も知らない同郷の平民たちを率いて盗賊の集団を撃退した。先の北方平原での戦いで、僕は百人の別動隊と共に三百人の敵に勝利した。今度は千人を率いて戦えと言われたらやる。いつでもそうする覚悟が出来ている。勝利に必要ならば、あらゆる手段をとる」


 そして、あらゆる犠牲を払う。仲間の避けられない死を許容する。

 それら最後の言葉は、心の中だけで呟く。


「閣下は僕のこの覚悟を認めてくださった。だからこそ、僕は閣下に養子として迎えられた。君にも同じだけの覚悟ができるのなら、それだけの覚悟ができたと君が自負する日が来たら、僕では閣下の養子に不足だという君の言い分をもう一度聞こう。それでどうかな?」

「……わ、分かりやした」


 ギュンターは声に怯えを滲ませながら答えた。

 それを受けて、フリードリヒは笑みを深める。こう言ったが、ギュンターがこの話を蒸し返すことは二度とないだろうと確信する。


「君が理解してくれて嬉しいよ、新兵ギュンター。これからもよろしく」


 フリードリヒはギュンターの頭をわしわしと気安く撫でる。その振る舞いにギュンターがびくりと身を竦ませ、フリードリヒはそれを横目に立ち上がって彼から離れる。フリードリヒが話す間は少し離れていたユーリカが、すぐさま隣に寄り添う。

 座り込んだまま呆然とするギュンターに、今度はオリヴァーが歩み寄る。


「いきなりあの二人の洗礼を受けるとは大変だったな。だが、元はと言えばお前のせいだぞ」

「は、はい……あいつは、いや、あの人は一体何者なんです?」


 オリヴァーに手を貸されて立ち上がりながら、ギュンターは尋ねる。その顔はどこか不安げだった。得体の知れないものに遭遇して怯える顔だった。


「フリードリヒは規格外だ。腕が立つわけでも勇ましいわけでもないが、驚くほど聡明で、ここぞという場面での胆力は異常と言ってもいい。それに……先の戦いを乗り越えてからはどこか凄みも加わった。穏やかそうな顔をして、時おりあんな顔を見せるようになった」


 いつもの癖で自身の顔の傷に触れながら、オリヴァーは語る。


「得体が知れず恐ろしいとお前が感じるのも理解できる。だが考えてみろ。あれだけ規格外な男がいずれホーゼンフェルト閣下の後を継ぎ、俺たちを率いて敵に対峙してくれるとしたら、頼もしいと思わないか?」

「……はい」


 あの底知れない目。声と言葉からみなぎる自信と覚悟。あれを敵に向けて共に戦ってくれるとしたら、確かに心強い。そう思いながら、ギュンターは頷いた。

 フリードリヒの後ろ姿を見ても、軟弱で頼りないとはもう思わなかった。


・・・・・・


「フリードリヒ、凄くかっこよかったよぉ。横で聞いててゾクゾクしちゃった」


 肩にしなだれながら言うユーリカに、フリードリヒは微苦笑を返す。


「一応、僕も色々と経験して覚悟を決めた身だからね。本気を出せば少し凄みを見せることくらいはできるよ」


 そんな話をしながらフリードリヒたちが向かったのは、連隊長であるマティアスのもと。彼の前で立ち止まったフリードリヒは、軽く敬礼して口を開く。


「閣下、お騒がせしました」

「構わん。結果的に、新兵たちにお前が舐められずに済んだようだからな」

「お見事な手腕でした、若様」


 模擬戦が始まる前とは違い、マティアスは満足げに、グレゴールは感心した様子で言う。二人ともユーリカの勝利は予想していたようだが、その後にフリードリヒが語りかけるだけでギュンターを圧倒したことについては予想外だったらしかった。


「オリヴァーが小隊の補充要員に選んだのが、あの大柄な新兵か?」

「そのようです」

「では、お前もあの新兵には目をかけてやるといい。あれはまだ粗削りだが、磨けば勇ましく強い騎士になるだろう。オリヴァーと並んで、いずれお前の側近格になるかもしれない人材だ」

「……分かりました、閣下」


 フリードリヒは後ろを振り返り、オリヴァーの隣にいるギュンターを見ながら答えた。

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