第43話 新兵②

「……こんな軟弱そうな奴が、英雄マティアス・ホーゼンフェルトの養子?」


 ギュンターは目を見開き、その表情から苛立ちさえ滲ませながら言った。フリードリヒの第一印象がよほど期待外れなようだった。


「ちょっと、いきなり何こいつ? 新兵の分際で私のフリードリヒに向かって」

「あはは。まあ、気持ちは分かるよ。期待に添えなくて悪いね」


 ユーリカが露骨に敵意を見せる横で、フリードリヒはさして気にした様子もなく微苦笑する。その反応がかえって癪に障ったのか、ギュンターの表情はさらに険しくなる。


「おいおい冗談きついぜ。女侍らせてへらへら笑ってる、こんな奴が憧れの英雄の後継ぎだってのかよ……あんた、一体どんな手ぇ使って取り入ったんだ?」


 その言葉を聞いたフリードリヒは、微苦笑を浮かべたまま、しかしその目をスッと細める。

 自分が勇ましい性格や容姿ではないことは明らか。なので、目の前の新兵の落胆は理解できる。落胆されたこと自体を責めはしない。

 だが、自分が戦功と葛藤の果てにマティアスの後を継ぐと決めたその覚悟を侮辱され、さらにはユーリカの存在を「女侍らせて」などと言われたことは許容しかねる。


「なかなか良い度胸だね、新兵。君の名前は?」

「あぁん?」


 目の前まで歩み寄ってフリードリヒが問いかけると、ギュンターは凄んで見せる。気弱な者なら対峙しただけで卒倒しそうな彼の顔を見据えても、フリードリヒは身じろぎもしない。

 要は、目の前の大柄な男は人を殺した経験のあるブルーノのような奴だと思えばいいと、フリードリヒは考える。ブルーノは全然怖くなかったし、今では自分も人を殺したことがある。なので目の前の男を恐れる理由はない。

 まったく怖くはない。ただ、今後のことを考えると少々厄介だと思う。面倒くさいと考える。


「なるほど、これが舐められるってことか……」


 困り顔で首を傾げながら、フリードリヒは呟いた。

 ホーゼンフェルト伯爵家の継嗣という立場を振りかざし、マティアスの威光に頼れば、目の前の新兵に謝罪させることも言うことを聞かせることも一応できるだろう。

 しかし、それでは意味がない。養父の威光を笠に着なければ新兵を従わせることもできない養子など、この世の誰からも英雄マティアスの継嗣とは認めてもらえない。


「とりあえず、誤解は一つずつ解こう。まずはこの彼女、騎士ユーリカはホーゼンフェルト伯爵家の従士で、連隊本部の直衛、かつ僕の護衛だ。ただ僕に気に入られたから傍についているわけじゃない。強いからここにいるんだ。おそらくだけど、彼女は君よりも強い」

「……」

「何なら試してみるといい。今から、この場所で」


 殺気を滲ませるギュンターに言いながら、フリードリヒはユーリカに視線を向ける。ユーリカはにんまりと笑いながら、フリードリヒに頷いた。


「どうする、新兵? 逃げてもいいけど」

「冗談じゃねえ。やってやろうじゃねえか」


 ギュンターがユーリカにそう答えた直後。話が聞こえていたらしい古参騎士のヤーグが、大ぶりな木剣と細めの木剣を一本ずつ持ってきて、それぞれギュンターとユーリカに手渡す。

 ユーリカが新兵と模擬戦をする。その話は瞬く間に訓練場内に広まり、見物してやろうと騎士たちが、つられて兵士たちも、集まってくる。


「……思ってたよりも大事になったね」

「まあ、いいんじゃないか? あいつは新兵の中でも一際大柄で目立っているからな。生意気な態度をとってユーリカに打ちのめされたとなればいい見せしめになるし、あいつにとっても良い経験になるだろう」


 フリードリヒがオリヴァーとそんな会話をしながらマティアスの方を見ると、彼もフリードリヒを見返しながら、少し呆れた顔で頷いた。その隣では、グレゴールが小さく肩を竦める。

 二人とも呆れ気味ではあるが、この模擬戦が駄目というわけではないらしい。フリードリヒはそう理解してマティアスたちに頷き返し、ユーリカの方へ向き直る。

 既に彼女とギュンターを囲んで見物人たちが円を作っており、開けた空間の中央で木剣を手にした二人が向かい合い、その間に審判を務めるヤーグが立っていた。


「いいか、新兵。木剣とはいえ相手に直撃はさせるなよ。お前さんが傭兵時代にどんな訓練をしていたかは知らんが、王国軍の模擬戦ではそれが規則だ。王家の御為に命を預けて給金をもらっている身で、無駄に怪我を負うことは許されんぞ」

「分かりやした」


 ヤーグの注意に、ギュンターは素直に頷いた。

 こいつは見た目で相手を判断して従うかどうか決めている。一人前の騎士らしく見える相手の言うことは素直に聞く。ギュンターのことをそのように理解したユーリカは、不敵に笑う。

 自分と、自分が愛するフリードリヒも、素直に従うべき相手だと力ずくで認めさせてやる。そう決意する。


「では、始め!」

「がああああああああっ!」


 ヤーグが合図した瞬間、ギュンターは獣のような咆哮を上げながら木剣を振るった。

 その迫力だけで並みの兵士ならば逃げ出しそうな雄叫びと共に、それなりに重量があるであろう大ぶりの木剣を軽々と振り回す。まるで暴風のようなその猛攻は――ユーリカを追い詰めることはできない。

 剣を下ろしたままのユーリカに、ギュンターの木剣はかする気配もない。せいぜい風圧で彼女の長い黒髪を揺らす程度の効果しかない。


「……体格に頼った我流の戦い方だな。父親が傭兵上がりだと言っていたのだが」

「じゃあ、父親は剣の腕が冴えなかったか、あるいは彼が父親の教えをあまり覚えていないか、そのどちらかだね」


 戦況を見守りながら、フリードリヒはオリヴァーとそんな話をする。

 ギュンターの攻撃は重く、破壊力に満ちているが、それ故に大雑把で遅かった。戦場の最前列に立ち、人並外れた体格に人一倍大きな武器を構えて暴れるのであれば無類の強さを発揮するのだろうが、手練れを相手に一対一で戦うことには明らかに向いていない。

 特に、素早さを武器として俊敏に立ち回るユーリカが相手では相性は最悪だった。

 ユーリカは余裕のある表情で、笑みさえ浮かべ、軽々とギュンターの猛攻から逃れ続ける。まるで子供の遊び相手にでもなっているかのような振る舞いに、ギュンターは明らかに苛立つ。


「クソが! 真面目に相手しやがれ!」

「えぇ? 本気出したら瞬殺しちゃうから可哀想なんだけど……っ!」


 ニヤリと不敵に笑ったユーリカは、ほとんど予備動作も無しに攻めに転じる。


「なっ!?」


 急に横薙ぎにくり出された攻撃に、ギュンターは咄嗟に剣を手元に引き戻して対応した。

 ユーリカの攻撃は軽く、手元で構えられたギュンターの剣は少し揺れただけ。そうギュンターが認識したときには、既にユーリカは次の攻撃をくり出していた。突き上げるようにくり出された刺突を、ギュンターは後ろに大きく飛んで躱した。


「……防戦は思っていたよりもできるな。だが、ユーリカを相手にいつまで持つか」

「まだ半分遊んでるみたいだからね。彼女がその気になれば、もういつでも仕留められる」


 再び、フリードリヒはオリヴァーと言葉を交わす。

 ギュンターは守りに関してはなかなか筋が良かった。大柄な体躯に似合わず、器用に剣を手元で動かして身を守っていた。しかしそれでも、ユーリカの相手としては不足だった。

 訓練を経て本格的な初陣を経験したからか、あるいはフリードリヒと共に覚悟を決めたからか、ユーリカは騎士として殻をひとつ破り、その戦い方は以前よりもさらに磨かれている。元より肉体の使い方に関して天性の才覚があり、予備動作が小さいのが特徴だったが、最近では殺気をも隠すようになった。

 戦いにおいて相手の攻め方を予期するために重要なのが、攻撃に移る際の予備動作と、戦う生物として放つ殺気。それを最小限に抑えたユーリカの攻撃は、迎え撃つ側にとっては非常に読みづらいものとなる。

 防戦一方で、見るからにやりづらそうな表情をしていたギュンターは、やがて足をすくわれて無様に尻餅をつく。そこへ、顔の前に木剣の切っ先を向けられて息を呑む。規則通り寸止めに留められた刺突。誰が見ても、決め手になっていた。

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