第42話 新兵①

「そういえば、お前がホーゼンフェルト伯爵閣下の養子に迎えられた件、市井でもかなり噂になっているぞ。うちの連隊の者たちや、貴族の関係者から広まったようだ」


 王城での社交から数日後。軍本部の訓練場での待機中に、フリードリヒはオリヴァーからそう話しかけられた。


「……どんな風に噂されてる?」

「最初の一、二週間は単に事実のみが広まっていたようだな。お前が閣下の私生児を詐称しながら盗賊を討伐して、閣下に才覚を見出された話。そして先の戦いで功績を挙げ、閣下の養子に迎えられた話だ」


 フリードリヒが少しの不安を覚えながら尋ねると、オリヴァーは自身の頬の傷に触れながらそう答える。先の戦いでついた消えない傷に時おり触れるのは、彼の新たな癖となっている。


「……その後は?」

「この数週間で、皆好き勝手な想像を交えて話すようになっているな。お前が元孤児だという点は驚きをもって語られることもあれば、そんな奴が本当に英雄の後継ぎにふさわしいのかと怪しんだり小馬鹿にしたりする者もいる。そんなに頭の良い奴が孤児上がりだなんておかしいから、実は本当に英雄の私生児なんじゃないかと言う者もいるな」

「うわぁ、言いたい放題だね」


 フリードリヒは思わず苦い笑みを零した。

 王太女クラウディアの言った王家の「喧伝」が広まれば市井での言われようも少しは変わるかもしれないが、その効果はしばらく期待できそうになかった。


「気にするな。市井の噂なんてそんなものだ。あまりにも酷いと閣下が判断されたら、ホーゼンフェルト伯爵家や王家の方で何か手が打たれるだろう」

「……そうだね、今は仕方ないか。そもそも、僕が立場にふさわしい成長と活躍をすればいい話だから」

「いいぞ、その意気だ」


 小さくため息を吐いたフリードリヒの肩を、オリヴァーは親しげに叩く。

 フリードリヒがホーゼンフェルト伯爵家に迎えられ、マティアスの継嗣という立場に変わったことが公表されてからも、二人の距離感は以前と変わっていない。

 むしろ、共に危機を乗り越え、死線を潜り抜けたことで以前にも増して距離が縮まり、まさしく戦友と呼べる気安い関係になっている。


「ねぇフリードリヒ、来たみたいだよ」


 そのとき。隣に立っていたユーリカの言葉を聞いて、フリードリヒは彼女が指さした方を向く。オリヴァーも同じ方向に視線を向ける。

 フリードリヒたちフェルディナント連隊の面々が待機している訓練場に、グレゴールら数人の騎士に連れられた、数十人の兵士が入ってくるところだった。


「……あれが補充兵か」

「遠目に見た感じ、ものすごく弱そうってわけじゃないねぇ。訓練部隊から来たわりには」

「ああ、使い物にならないほどの軟弱には見えないな。一安心だ」


 フリードリヒたち三人は、兵士たちを見て語り合う。

 先の北方平原での戦いで、フェルディナント連隊には三十八人の死者が出た。また、手足を失ったり、後遺症を抱えたりして一線を退かざるを得なくなった重傷者も二十人ほどいた。

 勝利を成したとはいえ、今までのアレリア王国との小競り合いとは比較にならない損害を受けたフェルディナント連隊には、訓練部隊から兵員が補充されることとなった。

 現在、アレリア王国が大きな動きを見せる気配はない。かの国の兵力は王国軍と貴族領軍を合わせておよそ二万にも及ぶが、それは古来からの領土である王国中央の防衛兵力や、今まで併合してきた地域の監視及び治安維持要員も含めた総数。東部侵攻に向けられるのは、併合した旧ロワール王国やミュレー王国の兵力と中央から派遣した兵力、合わせて八千程度と見られている。

 その八千も、エーデルシュタイン王国だけでなくノヴァキア王国までを広く睨むために使える総数。今まさに対峙する兵力だけを見れば、エーデルシュタイン王国はアレリア王国に決して劣っていない。

 アレリア王国が無理をして他地域の兵力や平民の徴集兵を大動員してくるか、共にかの国と対峙するノヴァキア王国が落ちない限りは、エーデルシュタイン王国が危機に陥る可能性は低い。

 とはいえ、戦争は水物。今は良くとも数か月後には状況がどう変わっているか分からない。だからこそ、比較的余裕のある今のうちに兵力を再編するのは、フェルディナント連隊にとって重要な務めだった。


「それじゃあ、歓迎の姿勢に入らなければな」


 そう話しながら、オリヴァーは待機している騎士と兵士たちの方へ歩み寄り、正面側に集まるよう呼びかける。フリードリヒとユーリカは、訓練場の正面中央に向かう。

 グレゴールがマティアスのもとへ駆け寄り、敬礼して口を開く。


「閣下。訓練部隊より、フェルディナント連隊への補充兵五十五名を連れてまいりました」

「ご苦労だった、グレゴール。この正面側に整列させてくれ」

「はっ」


 グレゴールは声を張って補充兵たちに整列を命じる。補充兵たちが横一列に並んでいく様を見ながら、フリードリヒはグレゴールに声をかける。


「腕っぷしはそれなりに強そうだけど、練度はそれほどでもないように見えるね」

「何せ、今年の春に訓練部隊に配属されて、まだ半年と経っていない連中ですからな」


 グレゴールは眉間に皺を寄せて補充兵たちの整列を見守りながら答える。彼に敬語を使われることに、フリードリヒも最近ようやく慣れてきた。


「訓練部隊の隊長によると、部隊行動の基礎と最低限の倫理教育だけは何とか叩き込んだ、とのことです。それ以上の教育に関しては、連隊内で新兵として使いながら施してほしいと」

「……倫理教育?」

「隊内で気にくわない奴がいても斬り合わない。降伏した捕虜を虐殺しない。敵国の民だろうと無闇に略奪や暴行をしてはならない。そういった教育です」


 それを聞いたフリードリヒは、露骨に引いた表情になる。


「そういう教育が必要ってことは……」

「傭兵上がりです。それも、まともな規律のある名の知れた傭兵団にはいなかった連中、下手をすれば盗賊落ちしていたような連中です。訓練兵の中でもすぐに戦力として使い物になりそうな者となると、どうしてもこの手の連中が多くなるのだそうで……少々、先が思いやられますな」


 グレゴールの呟きに首肯して同意を示しながら、フリードリヒは微妙な表情を浮かべた。

 軍隊経験の浅さという点では自分も大概だが、規律すら最低限、下手をすればそれ以下の新兵たちを上手く使っていけるのかと不安を覚える。


「こうした連中を使うにはコツが要る。そのことをわきまえた上で上手く使ってやれば、心強い戦力になるだろう」


 そう言われ、フリードリヒはマティアスを振り返る。


「コツ、ですか?」

「そうだ。要は、舐められないことだ」


 小首を傾げる継嗣に、マティアスは微笑を浮かべて頷いた。


「士官は兵士の命を握っている。だからこそ兵士は立場や身分だけで士官に敬意を抱かないが、傭兵上がりは特にそれが顕著だ。強い者が偉く、舐められた者は立場から引きずり落とされるのが常という世界に生きていた連中だ……お前も連中に舐められず、上手く信頼関係を築いていけるように頑張るといい。特に最初が肝心だぞ」

「……はい」


 フリードリヒは微苦笑交じりの顔で答えた。


・・・・・・


 整列した補充兵と、集合した連隊一同。その前に置かれた壇上に、マティアスは連隊長として上がる。壇の周囲には副官グレゴールや大隊長をはじめとした連隊幹部が並び、その末席にフリードリヒも立つ。


「補充兵の諸君。訓練部隊への入隊から半年足らずで正規の王国軍人となった諸君は幸運である。しかしこれは、戦時の特例的な措置である。己に十分な能力が備わっているわけではないと、諸君は理解していることと思う……諸君は最早、傭兵ではない。誇り高き王国軍人である。それを心に刻み、軍務に邁進せよ」


 声は穏やかに、しかし並々ならぬ気配を放ちながら、マティアスは補充兵たちを睥睨して訓示を述べる。


「以上だ。フェルディナント連隊へようこそ」

「連隊長閣下に敬礼!」


 グレゴールが声を張り、補充兵たちは一斉に敬礼を示す。

 彼らの敬礼はお世辞にも一糸乱れぬとまでは言えなかったが、少なくとも連隊長への敬意はうかがえた。わざわざエーデルシュタイン王国軍への入隊を選ぶ者たちが、生ける英雄マティアス・ホーゼンフェルトを知らないはずがない。

 連隊としての補充兵の歓迎はこれでひとまず終わり、新たに迎えた五十五人の各部隊への割り振りが始まる。


「傭兵としての経歴が三年以下の者はこっちに来い! もたもたするな!」

「弓を扱える者はこちらへ集まれ!」


 王国軍人らしい機敏さには欠けるが、素人の徴集兵よりは迅速に、補充兵たちは動いていく。


「騎乗戦闘を行える者はいるか? いたらここへ来い」


 そう呼びかけたのはオリヴァーだった。その言葉に、数人の補充兵が集まる。


「一度実力を見る。まずはお前からだ」


 オリヴァーはそう言い、一人ひとりの騎乗技術を見ていく。

 馬上での姿勢。手綱の操り方。馬に全力疾走をさせることができるか。馬上で武器を振るうことができるか。騎乗したまま得物の一撃で狙った的を破壊することができるか。

 そうした技術面の確認を終えたオリヴァーは、集まった数人のうち、一人だけに合格を与えた。


「新兵。お前の名前は? 騎乗技術はどこで身につけた? 何故王国軍に?」

「ギュンターです。親父が傭兵上がりだったんで、馬の乗り方も武器の扱い方も親父から習いました。農家の三男で継げる農地もねえんで、故郷を出て傭兵になりました。いくつか小せえ傭兵団を転々としてたんですが、女ができてもうすぐガキが生まれるんで、この国に腰を落ち着けて正規軍人になりてえと思いました」


 答えた補充兵――ギュンターは、まるで熊のように大柄な偉丈夫だった。比較的体格の良いオリヴァーよりもさらに一回り大きく、山のような筋肉でその身を覆っていた。顔立ちも、機嫌を損ねている熊のように恐ろしげだった。


「新兵ギュンター、お前は騎士になりたいか?」

「俺でもなれるんなら」

「……いいだろう」


 ややふてぶてしい態度で答えたギュンターに、オリヴァーはニヤリと笑って言う。


「今は腕の良い騎兵戦力が一人でも多く欲しいからな。お前を俺の小隊に置いてやる。ただし立場は騎士見習いだ。騎兵部隊の中でも最下層で、特例的に騎乗を認められている以外は兵卒と変わらない扱いだ」


 先の戦いでは、本隊と別動隊を合わせて騎士が三人死んだ。そのうち二人は貴族子弟から補充のあてがあるが、あと一人足りない。そこで、新兵の中で見込みのある者がいれば騎士見習いに選ぶことになった。騎士ノエラを失ったオリヴァーは、自身の小隊に加える騎士見習いを決める権限を預かっていた。


「腕っぷしだけでは騎士にはなれない。お前が騎士にふさわしいと判断できたら、そのときは俺がホーゼンフェルト伯爵閣下に推薦する。いいな?」

「分かりやした」


 ギュンターが素直な返事を見せると、オリヴァーは満足げに頷く。


「俺は騎士オリヴァー・ファルケだ。よろしくな、ギュンター……おい、どうした?」


 オリヴァーの名乗りを聞いたギュンターは眉間に皺を寄せる。オリヴァーも思わず怪訝な表情を返すと、ギュンターはしかめ面のまま口を開く。


「いや、てっきりあんたが……じゃねえや、あなたがホーゼンフェルト閣下の養子のフリードリヒ様なのかと」


 それを聞いたオリヴァーは、小さく吹き出した。


「いや、俺はただの一騎士だよ。フリードリヒは……ほら、この深紅の髪の男だ」

「ん?」


 ちょうど通りかかったフリードリヒを差してオリヴァーが言うと、フリードリヒは足を止めて振り返る。


「……こんな軟弱そうな奴が、英雄マティアス・ホーゼンフェルトの養子?」


 ギュンターは目を見開き、その表情から苛立ちさえ滲ませながら言った。

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