第41話 宴の場②
「ヒルデガルト連隊長のオブシディアン卿に挨拶をしたからな。今のうちに、もう一人の連隊長にも挨拶を済ませておくか」
「分かりました、閣下」
申し訳程度に料理を口にし、ワインを数口飲んでから、マティアスが言った。フリードリヒはすぐに答え、近くを歩いていた給仕係に二人分の皿を返す。
そして、歩き出したマティアスの後に続く。マティアスが進む先にいたのは――藍色の髪を後ろでひとつに結んだ女性だった。
彼女は凛々しく硬質な雰囲気を纏い、大広間の壁際で立っていた。傍らには従者と思われる壮年の男性軍人を控えさせ、他の出席者とは距離を置いていた。
話す相手がいないというよりは、誰からも話しかけられたくないのであえて近寄りづらい空気を放っている。そんな様子だった。
「アイゼンフート卿。少し話せるか?」
「……もちろん構わない。ここは社交のための場だ」
そんな彼女に、マティアスは臆することもなく声をかける。彼女は特に会話を拒否することもせず、無表情で応じる。
レベッカ・アイゼンフート。アルブレヒト連隊の第二代連隊長で、王国北部に領地を持つアイゼンフート侯爵家の現当主。三人の連隊長の中では最も若く、まだ三十代半ば。
彼女についての基礎情報を、フリードリヒは頭の中でなぞる。
「そう言うわりには、一人でつまらなさそうな顔をしていたようだが」
「何を今さら。私が社交の場を苦手としていることは卿も知っているだろう。だが、来ないわけにもいかない」
「大貴族家の当主の宿命だな」
「おまけに今や連隊長だからな。オブシディアン卿が国境地帯から来るというのに、より王都に近い場所に駐留する私が来ないわけにもいくまい」
レベッカは無機質な表情を崩し、微かに苦笑する。同じ軍人同士だからか、意外にもマティアスと彼女の会話は弾んでいる。
連隊の創設時から隊長を務めるマティアスやヨーゼフと違い、レベッカは五年ほど前に隠居した父親から爵位と連隊長職を継いだ身だと、フリードリヒはマティアスから聞かされている。
世襲というわけではない連隊長職を彼女が若くして継いだ背景には、アイゼンフート侯爵家の少しばかり特殊な立場がある。
エーデルシュタイン王国がまだ存在せず、巨大な統一国家が大陸西部を支配していた時代。今のエーデルシュタイン王国北部の山沿いには、山向こうの現ノヴァキア王国側から困難な山越えを果たして定住した者たちが住んでいた。元は異民族である彼らは、遥か昔からこの地に暮らす者たちと、ときに激しい対立をくり広げてきた。
社会的には冷遇されがちだった彼らと手を組んだのが、統一国家の崩壊後、動乱期に台頭したエーデルシュタイン伯爵家。当時の伯爵であったヴァルトルーデ・エーデルシュタインは、自身の建国後に彼ら異民族を厚遇することを約束し、彼らを味方に引き入れた。
山の近くで長く暮らしてきた彼らの精強さにも助けられながら、ヴァルトルーデはついに周辺地域を掌握してエーデルシュタイン王国を建国。約束を守り、異民族の族長にアイゼンフート侯爵位を下賜し、彼らの住む一帯を侯爵家の領地として安堵した。
数万の民をまとめる者にふさわしい明確な社会的地位と、その後ろ盾を得た族長――初代アイゼンフート侯爵は、エーデルシュタイン王家に変わることのない忠誠を誓った。以来二百年近くが経った現在も、庇護を与える王家と忠誠を誓うアイゼンフート侯爵家の盟約は保たれている。
昔と比べれば混血や文化的融和が進んだものの、民族的・文化的に独特なアイゼンフート侯爵領の立ち位置は、今でもある程度保たれている。そんな彼らの精強さと結束を活かすため、アルブレヒト連隊の士官にはアイゼンフート侯爵領やその周辺地域の出身者が多い。
だからこそ、少なくとも今この時代では、アイゼンフート侯爵家の人間が連隊長職を継ぐのが最善である。そう判断したジギスムントによって、レベッカは能力も認められた上で、若くして連隊長に任命されたという。
彼女がぼやいた通り、アルブレヒト連隊の拠点である要塞は、王都から比較的近い場所――南西に二日半ほど進んだ位置にある。王国北部を代表する立場にあり、王都から比較的近い位置に駐留している以上、彼女が社交の場に顔を出さざるを得ないのはまさしく宿命だった。
「それで、話というのは?」
「この者に挨拶をさせておきたくてな。我がホーゼンフェルト伯爵家に養子として迎えたフリードリヒだ」
マティアスに紹介され、視線で促され、フリードリヒは一歩進み出て頭を下げる。
「お初にお目にかかります。フリードリヒ・ホーゼンフェルトにございます――」
ヨーゼフに挨拶をしたときと同じ言葉を、そのままレベッカに対しても伝える。
「そうか、よろしく頼む」
対するレベッカの言葉はそれだけだった。必要最低限の返事だった。フリードリヒと、その後ろにいるユーリカを一瞥し、すぐにマティアスの方へと視線を戻してしまった。
「アイゼンフート卿。私が養子を迎えた話は?」
「一応、耳にしていた」
「ならば説明は不要だな。いずれはフリードリヒが私の後を継ぐ。卿と話すこともあるだろう。今から見知り置いてもらいたい」
「分かった。この者の顔と名前は覚えておこう」
マティアスと話しながら、レベッカはもはやフリードリヒに一瞥もくれない。彼女がこの話題にほとんど興味がないことを、その態度が示していた。
「話はそれだけだ。邪魔をして済まなかったな」
「いや、紹介に感謝する。それではまた」
挨拶を終えて離れながら、フリードリヒは微妙な表情になる。
「……あまり良く思われていないのでしょうか」
「気にするな。アイゼンフート卿はいつもあのような調子だ。彼女は自分の家と連隊のこと以外にあまり興味を持たない」
マティアスは本当に何も気にしていない様子だったので、フリードリヒもそれで納得する。
そのとき。大広間の前方がにわかに騒がしくなる。
「主役のご登場のようだな」
マティアスが振り向きながらそう言った。
彼の視線の先をフリードリヒも向くと、今日の主役であるコンラート・エーデルシュタイン王子とリーゼロッテ・バッハシュタイン公爵令嬢、そして宴の主催者である王太女クラウディアとエルンスト・バッハシュタイン公爵が大広間に入ってくるところだった。
「皆、楽にしてくれ」
大広間に集っている王国貴族たちが一斉に首を垂れる中で、クラウディアがそう呼びかける。王太女の言葉を言葉を受けて、貴族たちはすぐに顔を上げる。
「王国貴族たちよ。そして、友邦の客人たちよ。エーデルシュタイン王家にとってめでたき日に、これほど多くの者が集ってくれた。国王である我が父に代わり、皆に礼を言わせてほしい」
クラウディアが話す間、主役であるコンラートは彼女の傍らで微笑をたたえながら静かにしている。いつも堂々と勇ましい姉とは違い、彼は穏やかで大人しい人物として知られている。
「我が弟コンラートと、その婚約者となったリーゼロッテ・バッハシュタイン公爵令嬢を。より一層強い絆で結ばれる王家と公爵家を。今宵は皆で盛大に祝おう」
クラウディアがそう言って杯を掲げると、一同はそれに倣った。
そして、宴が本格的に始まる。コンラートとその婚約者リーゼロッテ、二人の傍らにつくクラウディアとエルンストのもとへ、出席者たちは次々に挨拶に向かう。
挨拶の順番には、各々の貴族社会での立場がある程度反映される。宮廷貴族とはいえ伯爵で、王国軍連隊長の一人であるマティアスは、貴族社会の中でも相当な上位にいる立場。彼がクラウディアたちのもとへ歩み寄ると、その前に割って入るような者はいない。
「王太女殿下、コンラート王子殿下。そしてバッハシュタイン公爵閣下とリーゼロッテ嬢も。此度の両家のご婚約、誠にめでたく存じます」
「祝いの言葉に感謝する、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵……そしてフリードリヒも、今日はよく来てくれた」
「……このようにめでたき場に居ることが叶い、光栄の極みに存じます、殿下」
マティアスと共に自分も名を呼ばれる。そのことから、自分はもう従士ではなくマティアスの継嗣としてこの場にいるのだと、フリードリヒは強く実感する。
「お前は初めて会うのだったな。これが我が弟コンラートだ。素直で心優しく、おまけに頭も良い自慢の弟だ」
「姉上、そのように子ども扱いをしながら紹介するのは勘弁してください。私はとうに成人した身ですよ」
クラウディアの表情は以前フリードリヒが拝謁したときよりも柔らかく、彼女が一人の王族としてだけではなく、一人の姉として語っているのが分かった。一方のコンラートは苦笑交じりで、少し照れくさそうな表情を見せている。
「フリードリヒ・ホーゼンフェルト殿。あなたの話は私の耳にも聞こえています。一平民でありながら大規模な盗賊の討伐を果たし、先のアレリア王国との戦いでも活躍し、ホーゼンフェルト伯爵家に養子として迎えられたそうですね。素晴らしいことです」
「私のような者のことを存じていただき、大変光栄に思います。まだまだ……未熟な身ですが、立場にふさわしいはたらきを以て王家の御為に貢献できるよう、精進いたします」
若輩、という言葉を使うことを、フリードリヒは意識して回避した。自分より二歳上なだけのコンラートの前で選ぶべき言葉ではない。
「先の戦いで奇策を講じ、三倍の敵部隊を撤退に追い込んだフリードリヒの才覚は、もはや疑いようがないものと考えます。この者は分かりやすく勇ましい質ではありませんが、智慧という点では智将と名高き敵国のファルギエール伯爵にも引けを取りません……我がホーゼンフェルト伯爵家を継ぐべきはこの者であると、確信しております」
マティアスのこのような語り口を、フリードリヒはこの一か月で何度か聞いた。
軍本部などで他貴族に会い、フリードリヒを紹介する際、マティアスは先の戦いで敵側の将だったツェツィーリア・ファルギエール伯爵を引き合いに出すようになった。偶然の結果とはいえ、フリードリヒは智将ツェツィーリアとほぼ同じ奇策を用い、山道の戦闘で勝利を掴んでいる。
かつて自身の息子を殺した因縁深き敵将、それに匹敵する才覚の持ち主を見つけ、自身の後継者に据えた。マティアスがそう語れば、聞いた者は誰もが説得力を覚える。
「王国の生ける英雄たる卿がそこまで言うのであれば、フリードリヒの才覚は紛れもなく本物なのであろう。英雄を継ぐ者がいるという事実は、この国を統べる王家にとっても喜ばしい。フリードリヒの活躍は王家としても喧伝していきたいところだ」
マティアスとクラウディアの会話に、フリードリヒはほんの僅かに違和感を覚える。どこか、打ち合わせた上でのやり取りのように思える。
おそらく、自分が英雄マティアスの後継者であることを、この会話が聞こえている者たちに印象づけるためのものだろうか。クラウディアの語った「喧伝」の意図もそうだろう。
年齢を考えると、英雄マティアスが自身の存在そのものをもって国内の士気を高め、敵国への牽制を果たせる時間はそれほど長くはない。しかし英雄には後継者がおり、才覚を示し、功績も挙げている。そう貴族社会や市井に広め、種を撒いておけば、マティアスが一線を退いた後も、後継者に纏わせたその威光が国を守護する。
もちろんそれは、後継者と目された自分が、それにふさわしい成長を遂げる前提であるが。そう思いながら、フリードリヒは努めて平静な表情を保つ。一度覚悟を決めた身、今さら緊張や動揺を見せることはしない。
「何とも頼もしい限りですな。若き才能は王国の宝です。王家をお傍でお支えするバッハシュタイン公爵家としても、ホーゼンフェルト卿が後継者を得たことを喜ばしく思います」
そこで、エルンスト・バッハシュタイン公爵も会話に加わる。彼は理性的で、冷静で、模範的な王国領主貴族と評されている。存在感という点では少々地味だが、長年にわたり大領を手堅く治めて高評価を得ている。
その一人娘であるリーゼロッテ公爵令嬢は、無難な微笑を浮かべて黙ったままだった。
彼女は才覚という点では凡庸であり、大貴族家の家督を継ぐのに向いた気質ではないと、フリードリヒはマティアスから聞いている。彼女がそのような人柄だからこそ、大人しいが賢いコンラートがバッハシュタイン公爵家に婿入りし、勇ましさよりも聡明さを求められる領地運営の務めを果たすのであると。
「世代としては、フリードリヒは私やコンラート、リーゼロッテ嬢と同じになる。いずれやってくる私の治世下でも、ホーゼンフェルト伯爵家には引き続き活躍してもらいたいものだな」
「私もこれからは貴族家の跡継ぎとなる身です。共に頑張っていきましょう、フリードリヒ殿」
「勿体なき御言葉です、殿下」
コンラートに言われたフリードリヒは、恭しく一礼して答えた。
そうして挨拶を終え、ひと段落……というわけにもいかなかった。その後もフリードリヒは、マティアスに連れられて数多くの挨拶をこなした。
一癖も二癖もある宮廷貴族たち。文官である彼らは、宮廷内の立場としては武門のホーゼンフェルト伯爵家と対立することもあるものの、それでも大枠では拠り所たる王家への忠誠というかたちで利害と志を同じくしている。
王国社会を為政者として支える領主貴族たち。その中にはオリヴァーの父親であるファルケ子爵もいた。
友邦である東のリガルド帝国や、北のノヴァキア王国、さらには南の島国の外交官たち。エーデルシュタイン王国の生ける英雄の後継者で、おまけに元孤児という異例の出自を持つフリードリヒは、彼らの好奇心を集めることとなった。異国の官僚である彼らにあまり勝手に自分のことを明かすのも良くないと考え、フリードリヒは無難な受け答えで乗りきった。
「フリードリヒ、今日はよくやった。大広間に入る前よりも貴族らしい顔になったな」
「……ありがとうございます。いい経験になりました。ただ、疲れました」
晩餐会の終了後、立場の近しい者たちにもう一度軽く挨拶をして大広間を出た直後。微苦笑を浮かべるマティアスと、フリードリヒはそんな言葉を交わす。
幾多の挨拶を終え、多大な精神的疲労と引き換えに貴族としての経験値をめきめきと鍛え、フリードリヒの初めての社交は無事に終わった。
ちなみに、ユーリカは最初の宣言通り、最後まで余計なことはしなかった。
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