第40話 宴の場①

 最初の攻勢で失敗した以上、アレリア王国も態勢を立て直す必要があり、しばらくは次の行動に移ることはない。西の国境には大きな動きがないまま日々が過ぎた。

 訓練をはじめとした平時の連隊運営。社交の場へ出るに際しての勉強や練習。それらに追われる日々を経て、フリードリヒは王城での宴に初めて出席する夜を迎えた。


「フリードリヒ。落ち着いて臨めよ。私に紹介されたら挨拶をし、相手に何か聞かれたら無難に答えればいい。それ以外の会話の繋ぎは私がする」

「はい、閣下」


 晩餐会の会場である、王城の大広間に入る直前。廊下で足を止めたマティアスは、フリードリヒを振り返って言う。それに、フリードリヒはやや緊張した面持ちで頷く。

 ある意味で、戦争よりもよほど緊張する。一年も前にはただの田舎平民だった身で、この国の支配者層が一堂に会する宴の場に入るのだから。


「それとユーリカ。頼むから面倒ごとは起こしてくれるな。今日のお前はフリードリヒの警護だ。とはいえ王城の社交で危険などないであろうから、ただ儀礼的に控えているだけの立場だ。自分から動くな。言葉も発するな。でなければ最悪の場合、お前たちを引き離すことになる」

「承知しています閣下。余計なことはしません」


 自信ありげに言うユーリカにマティアスはまだ少し心配そうな表情を向けながら、しかし最後には頷いた。


「では、行くか」


 マティアスはグレゴールを、フリードリヒはユーリカを、それぞれ従者に伴い、大広間の入り口に進む。

 そこに控える近衛兵たちが両開きの大きな扉を開き、マティアスがそれを潜る。フリードリヒは深呼吸をひとつして、後に続く。

 当代国王も次代の王太女もあまり派手さを好まないエーデルシュタイン王家だが、それでも主催する晩餐会場ともなれば、相応の豪奢さを備えていた。

 室内を昼間のように明るく照らす多くのシャンデリアと。壁際で存在感を放つ歴代の君主の肖像画や、王国の歴史上の出来事を描いた絵画の数々。いくつも並んだテーブルと、どれほどの手間がかかっているのか想像もつかない精緻な模様の刻まれた大きなテーブルクロス。その上に並べられた、贅を尽くした料理の数々。

 フリードリヒがかつて書物で読んで想像した、王侯貴族の宴の光景。それよりも数段鮮やかな空間が、そこには広がっていた。立食形式の宴の場では、既に多くの招待客が酒の杯や料理の皿を手に歓談している。

 マティアスたちの入室を見た王家の使用人がすぐに寄ってきて、ワインの入った杯を差し出してくる。

 受け取った杯を手にきょろきょろと大広間の中を眺めるフリードリヒの横で、マティアスはゆっくりと視線を巡らせながら口を開く。


「王族の方々のご登場まではまだ時間がある。今のうちに、挨拶を済ませられるだけ済ませておこう。まずは――」

「おうい、ホーゼンフェルト卿!」


 そのとき、マティアスを呼ぶ野太い声が響いた。

 マティアスとフリードリヒがそちらを振り返ると、軍服姿の老人が杯を掲げながら歩み寄ってくるところだった。


「オブシディアン卿。お越しになっていたとは」


 マティアスがその名を呼んだことで、フリードリヒは歩み寄る老人が誰なのかを知る。

 ヨーゼフ・オブシディアン侯爵。武門の宮廷貴族の筆頭で、齢六十を超えてもなお現役の軍人として国境防衛を担う、ヒルデガルト連隊の連隊長。


「何だ、儂に会うとは思ってもみなかったという顔だな」

「ベイラル平原の防衛指揮もあるでしょうから、今回はご子息などを名代に置かれるものと」


 共に連隊長を長く務める者同士、気心が知れた仲らしく、二人は気安い態度で言葉を交わす。

 アレリア王国との国境地帯でも、最大の平地であるベイラル平原。その防衛拠点であるアルンスベルク要塞がヒルデガルト連隊の本拠地であり、ヨーゼフも普段はそこに駐留している。


「ふんっ、何を言う。一向に動きのないアレリア王国なんぞのために、せっかくのただ飯の機会を逃す手はないわ。連中、北方平原で卿らに連隊一つを半壊させられてからは、つまらぬことこの上ないぞ。兵を集結させる気配も、物資を集める気配もない」


 ヨーゼフは鼻を鳴らしながらそうぼやく。

 アルンスベルク要塞の即応兵力は、徴集兵も合わせて二千に及ぶ。そこを本気で攻め落とそうとするならば、アレリア王国側は数千の兵力を揃えなければならない。

 それだけの大軍が侵攻の準備をするには最低でも数週間、いざ国境まで進軍するのにさらに一週間は要する。エーデルシュタイン王国ほどには常備軍の体制が発展していない旧ロワール王国の一帯では、全ての軍事行動がこちらよりも遅い。

 派手な侵攻の予兆をそれほどだらだらと見せられれば、当然にエーデルシュタイン王国側も察知できる。

 そもそも、急拡大の弊害で征服地の維持に兵力を割かざるを得ないアレリア王国が、エーデルシュタイン王国への侵攻に充てることのできる兵力は限られる。先の戦いで半壊した一個連隊の再編が必要な今、直ちに大きな行動に出ることはない。


「それに、もし何かあっても国境防衛はディートヘルムの奴が務めてくれるわ。仮に儂が王都滞在中にぽっくり逝っても、あ奴が残っているならば連隊の指揮は何の心配もない」

「これはまた際どいご冗談を」


 薄く笑うマティアスの傍らで、フリードリヒは一人思案する。

 ヨーゼフ・オブシディアン侯爵が口にしたディートヘルムという名は、おそらくヒルデガルド連隊の騎兵大隊長、ディートヘルム・ブライトクロイツのこと。

 北方平原に面して領地を持つブライトクロイツ伯爵家の嫡男であるディートヘルムは、ヨーゼフの推薦と王家の承認を得て、次期ヒルデガルト連隊長となることが決まっているという。

 今の彼の言葉はあながち冗談でもなく、老齢の自分が急に逝去や引退をしても国境防衛がなされるよう、当然に考えているということか。


「それで、ホーゼンフェルト卿よ。横にいるその若造が、卿の迎えた養子か?」

「はい。今日は諸卿への挨拶のため、連れてまいりました……フリードリヒ」


 マティアスに促されたフリードリヒは思案を止め、努めて冷静に一礼する。


「お初にお目にかかります。フリードリヒ・ホーゼンフェルトにございます。ホーゼンフェルト伯爵閣下より庇護をいただき、騎士に任ぜられ、養子として迎えていただきました。元は卑賤の身にございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」

「ほう、やけに頭の良い孤児を拾ったという話だったが、噂はどうやら本当だったようだな」


 フリードリヒの挨拶を聞いたヨーゼフは、少し驚いたように片眉を上げる。

 マティアスがフリードリヒを養子に迎えたことは、この一か月で軍内や貴族社会に瞬く間に広まったという。ヨーゼフも既に、フリードリヒの存在や大まかな背景は知っているようだった。


「一見すると頼りない若造に見えるが、確か、先の戦いで三倍の敵を討ち破る策を出したという話だったな。その前は、ただの田舎平民の身で五十人を超える盗賊団を討伐してみせたと」

「はっ。王国の誇る名将であらせられるオブシディアン侯爵閣下や、英雄と名高きホーゼンフェルト伯爵閣下のご功績とは比べものにならない小さなものですが、微力を尽くしてまいりました」


 ヨーゼフの見定めるような視線に、フリードリヒは真っすぐに視線を返しながら答えた。


「……なぁるほど。こいつはなかなか面白そうな奴だ。よろしく頼むぞ」

「恐縮にございます、侯爵閣下」


 豪快な笑顔を見せるヨーゼフからばしばしと肩を叩かれ、フリードリヒは無難に挨拶を終えたことに安堵を覚える。


「フリードリヒ。適当に料理をとってきてくれ。軽くでいい。自分の分もとって来い」

「かしこまりました、閣下」


 マティアスに言われ、フリードリヒはその場を離れる。ユーリカが影のようにそれに続く。

 おそらくはヨーゼフと話すために、自分が遠ざけられたとフリードリヒも理解している。

 人のいない隅のテーブルに歩いていき、皿を手に取ったフリードリヒは、時間をかけて料理を選ぶふりをする。そうしながらマティアスたちの方を窺い、戻るタイミングを図る。


・・・・・・


「本気でこのままホーゼンフェルト伯爵家を途絶えさせるつもりかと思っていたが、ようやくお前も養子をとったな」

「はい。ですが……アンネマリーとルドルフのことを忘れたわけではありません」

「馬鹿が。今さら儂にそんなことを言わんでもよいわ」


 もう三十年近くも前に死んだ妻と、十年近く前に死んだ息子。二人の名をマティアスが口にすると、ヨーゼフは半ば呆れたような苦笑を零す。

 アンネマリーは、オブシディアン侯爵家の分家の娘だった。ヨーゼフから見れば姪にあたる。

 そのアンネマリーに、若きマティアスは懸想した。武門の名家として知られるホーゼンフェルト伯爵家の継嗣であり、新進気鋭の騎士であったマティアスに、アンネマリーもまた惚れた。

 彼女と結婚させてほしいと申し出たマティアスに、彼女の父親は色よい返事を示した。しかし、当時既に侯爵位を継いでいたヨーゼフは、身分を考えると二人とも結婚するにはまだ若すぎると待ったをかけた。

 しかしマティアスは諦めず、必ずアンネマリーにふさわしい男となるから結婚を認めてほしいと何度もヨーゼフに頭を下げにいった。最後にはヨーゼフの方が根負けし、貴族にしてはかなり早い部類となる二人の結婚を認めた。

 一年ほどの新婚生活を経て、アンネマリーは子を身ごもり、そして出産の際の出血が原因で世を去った。貴族と言えど出産は死の危険を伴うため、アンネマリーのような例は決して珍しくない不幸だったが、若きマティアスは自分のせいで彼女を早逝させたと悔いた。愛する妻の後を追いかねない落ち込みぶりに、周囲はひどく心配した。

 そのマティアスに前を向かせたのがヨーゼフだった。アンネマリーの産んだ子を守り、彼女の思い出と共に生きろとヨーゼフから言われ、マティアスは立ち直った。

 それから十八年後。アンネマリーの忘れ形見である息子ルドルフも、戦場で不運に見舞われて死んだ。既に軍人として老成していたマティアスは我が子の死を淡々と受け入れて今に至るが、ヨーゼフにとってマティアスは今でも、かつての義理の甥として気にかけるべき存在だった。


「お前がアンネマリーとルドルフを生涯忘れないことは分かっとる。だが、お前が昔の記憶ばかりを心の慰めにして一人寂しく晩年を過ごしていたら、神の御許にいる二人も悲しむだろうからな。家を継がせ、役目を継がせ、自分を看取らせる者を見つけたのならば、喜ぶべきことよ……どうやらふさわしい者を見出したようだな」

「はい。フリードリヒの才覚は微塵も疑っておりません。それに加えて、あれは二度の実績と……覚悟をも示しました」

「お前が選んだのであれば間違いないだろう。肝も据わっているようだしな」


 先ほど、ヨーゼフはフリードリヒを見据え、その度胸を試した。凡庸な者ならば威圧感に負けて視線を逸らすところ、彼の視線は微塵も揺らがなかった。

 ただの見かけ通りの頼りない若造ではない。挙げた実績にふさわしい度胸はある。それはヨーゼフにも既に分かっている。


「……いずれ、アンネマリーやルドルフとの思い出もあれに聞かせてやるつもりです。私が世を去った後も、二人の存在がこの世から忘れられぬように」

「好きにすればいい。あの若者はもう、お前の息子なのだからな」


 ヨーゼフはそう言い残し、離れていった。

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