第34話 山道の戦い③
「敵が来たぞ!」
森の中から援護に努めていた弓兵部隊の指揮官が叫ぶ。フリードリヒたちが視線を向けると、敵軍の後衛側にいた兵士のうち三十人ほどが、森の中に残っている伏兵を仕留めようと山道の側面に踏み入ってくるところだった。
森に覆われた足場の悪い斜面を苦労しながら登ってくる敵兵は、半数ほどが前進の途上でこちらの弓兵に狙撃されて無力化される。
しかし残りの半数は、距離を詰めて弓兵たちに襲いかかる。
正規のエーデルシュタイン王国軍人である以上、弓兵たちも接近戦の訓練は受けているものの、やはり騎士や歩兵ほどには強くない。おまけに、農民の志願兵に貸す胴鎧や兜などが不足していたため、彼らは自身の防具を提供していた。
極めて軽装のまま接近戦に臨むことになった弓兵たちは、苦戦を強いられる。
「あれが指揮官だ!」
「あいつを殺せば勝ちだ! 仕留めろ!」
こちらの弓兵の隊列を強引に突破した数人の敵兵が、フリードリヒを差して言いながら斜面を登ってくる。
「ええっ……」
ピンポイントに殺意を向けられたフリードリヒは、顔を強張らせて声を零す。
今のフリードリヒの服装は、軽量で動きやすい革鎧に漆黒のマントを羽織った姿。分かりやすくエーデルシュタイン王国軍士官の見た目をしており、最前に出て戦うこともなく戦場を俯瞰していたフリードリヒを、敵兵たちは指揮官と誤認したらしかった。
誤解で狙われるフリードリヒとしては、いい迷惑だった。
「フリードリヒはそこにいて」
フリードリヒと同じく、革鎧を身につけたユーリカがそう言って剣を構える。フリードリヒを守るように、その前に立つ。
そして、接近してきた敵兵、その先頭の一人に斬りかかる。
「なっ――」
決着は一瞬だった。立ちはだかったのが若い女であるために油断したらしい敵兵は、斜面を上ってきた疲れもあってか反応が遅かった。ユーリカの斬撃を受け止めた剣は敵兵の手を離れて空中を舞い、無防備になった敵兵はそのまま腹を貫かれて倒れる。
「畜生っ!」
二人目の敵兵は油断したまま距離を詰められる愚は犯さなかったが、単純に技量が低かった。敵兵が横薙ぎにくり出した一撃を、ユーリカは身を伏せて容易く避けながら足をかける。
「や、止め――」
転んだ敵兵が命乞いしようとする間もなく、その頭を目がけてユーリカは剣を振り下ろす。転んだ拍子に兜が脱げていた敵兵の頭は、あっけなく叩き割られた。
「でやあああああっ!」
間髪入れず、三人目の敵兵がユーリカに襲いかかる。先の二人よりは腕に自信があるらしく、その攻撃には切れがあった。ユーリカは苦戦まではしていないものの、速攻で仕留めるというわけにはいかないようだった。
そうして三人目の敵兵が時間を稼いでいる間に、残る二人の敵兵が回り込むようにしてフリードリヒに迫る。
「大将首はもらうぞ!」
二人のうち、前にいる兵士が獰猛な笑みを浮かべながら言った。剃り上げた頭には刃傷の跡。口の周りには野性味あふれる髭。岩のように盛り上がった筋肉。見るからに手練れの古参兵だった。フリードリヒは強張った表情のまま、身体ごと彼を向いた。
マントの陰に隠れていたフリードリヒの手元が、敵兵からも見える。装填済みのクロスボウが、腰だめに構えられている。
「はっ?」
敵兵の驚きが収まるまで待つことなく、フリードリヒは引き金を引いた。
防ぎようも避けようもない至近距離からの高初速の一撃が、敵兵の胸を容赦なく貫いた。
戦場に反則はない。クロスボウという、連射性能が極めて低い代わりに強力無比な兵器を使い、フリードリヒは実力も戦闘経験も自身より遥かに上であろう敵古参兵を倒した。
「くそっ! てめえ!」
最後の一人、まだ若い敵兵が怒りの形相で駆け寄ってくる。
クロスボウの再装填は間に合わない。フリードリヒはクロスボウを捨て、剣を抜き、構える。ますます表情を強張らせながら、浮足立つのをこらえる。短く何度も息を吐き、少しでも心を鎮めようとする。二度目の戦いにして初めて、自ら武器を持って敵を迎え撃つ。
今、身を守ってくれるのは自分の剣だけ。それを握る自分の腕だけ。敵が殺意を全開にしながら迫り来る。本当に来る。
「死ねえええっ!」
振り下ろされた敵兵の剣を、フリードリヒは自身も剣を振って弾く。
刃と刃が衝突し、重く硬質な音が響く。木剣ではない。刃を潰した訓練用の剣でもない。殺傷力のある真剣。その鋭い刃がぶつかり合う衝撃が、手から伝わってフリードリヒの全身を揺さぶる。
刃が跳ね返るその反動で、フリードリヒも敵兵も一歩下がる。
再度剣を構えた敵兵が、今度は剣先を突き込む姿勢を見せる。
と、次の瞬間。
既に三人目の敵兵を倒していたユーリカが、斜め後ろの死角から最後の敵兵に迫った。目にも止まらぬ速さで剣を突き出し、敵兵の喉を剣で貫いた。
「ぐぼぁっ!?」
奇妙な叫び声を上げた敵兵は、自身がどこからどう攻撃されたのかもよく分かっていない様子で驚愕に目を見開きながら、自身の鮮血にまみれて倒れた。
その頃には、森に踏み入ってきた残り十人ほどの敵兵も弓兵たちに倒されている。あるいは進撃を諦めて山道へと逃げ戻っている。いくら相手の方が重装備とはいえ、半数程度の敵に接近戦で敗けるエーデルシュタイン王国軍人ではなかった。
「フリードリヒ、無事?」
「僕は平気。ユーリカは怪我してない?」
「私は大丈夫だよぉ。フリードリヒが無事ならよかった」
敵の返り血にまみれたユーリカの満面の笑みに、フリードリヒも笑顔を返した。
一方で、山道でも激しい戦いがくり広げられている。
指揮官自ら先頭に立って敵軍に斬り込んだオリヴァーは、今まさに目の前の敵兵を一人斬り伏せたところだった。
そして顔を上げると、目の前には敵の騎士。矢に馬をやられるまで騎乗していた、敵側の別動隊の指揮官。鎧の質を見るに、それなりの立場の貴族なのは明らか。
敵指揮官もたった今、こちらの兵士を一人倒す。そして顔を上げ、オリヴァーを見る。互いの表情は兜に阻まれて分からないが、確実に目が合った。
互いに、目の前の相手を次に戦うべき敵とみなした。
「騎士オリヴァー・ファルケだ! その首もらい受ける!」
「アランブール男爵ヴァンサンだ! やれるものならやってみろ、若造!」
名乗りに応えたのは、少なくとも若くはない男の声だった。アランブール男爵の名は、ロワール王国の主要な貴族の一人としてオリヴァーも聞いたことがあった。
肉食獣のような覇気を放ちながら剣を構える敵指揮官――ヴァンサンに、オリヴァーは素早く斬りかかる。
最初の一撃は、敵の防御を誘い出すための牽制。案の定ヴァンサンは剣を構えて守りに入り、オリヴァーの剣を受け流す。
オリヴァーは即座に手首を切り替え、次の攻撃を放つ。しかし、ヴァンサンは左手を構えるだけでそれを受け止めた。
刃は鉄製の籠手に阻まれて通らなかったが、衝撃は相当のものであったはず。しかし、ヴァンサンは大して怯んだ様子もなく、再び両手で剣を構える。
それからさらに数合、二人は剣を打ち合わせる。技量と経験値はオリヴァーの方が劣るが、体力の面では、歳をとっている上に開戦時から動き続けているヴァンサンの方が不利だった。
疲れのためか、ヴァンサンの動きが僅かに鈍る。その隙を逃さず、オリヴァーは勝負に出る。左側面に回り込み、防御が比較的薄い鎖帷子の部分を貫こうと剣を突き出す。
しかし、ヴァンサンはその刺突の直撃を免れた。オリヴァーのくり出した剣先は、兜の側面に阻まれてほとんど見えていなかったはずなのに、ヴァンサンはそれでも攻撃を躱した。
熟練の騎士の勘なのか。驚愕するオリヴァーに、ヴァンサンが迫る。右足で力強く地面を蹴り、自身の体重と鎧の全重量をオリヴァーにぶつける。
全力の刺突が不発に終わったオリヴァーは、体勢を崩していたために耐えられず吹き飛ぶ。背中から地面に転がり、立ち上がろうとしたときには、既にヴァンサンが目の前に立っていた。
そして、今度はヴァンサンが剣を突き出す。オリヴァーの兜の正面、視界を得るために横一線に開いている隙間に、剣先が突き込まれる。
仕留めたと思ったのか、ヴァンサンの動きが一瞬止まる。
その一瞬が勝敗を分けた。
兜を貫かれたはずのオリヴァーの右手が動いた。転ばされてもなお剣を手放していなかった右手は、その剣をヴァンサンの右足、鎧に覆われていない内腿の辺りに深々と突き刺す。そのまま力任せに横に引っ張り、肉と皮膚を切り裂く。
右足を走る太い血管が切断されたために、傷口からおびただしい量の血が噴き出す。立っていられず膝をついたヴァンサンの首元に、再び剣が突き込まれる。
「……」
声を漏らすこともなく、ヴァンサンは絶命した。まるで支柱を失った鎧飾りのように、その身体が地面の上に頽れた。
勝利したオリヴァーは、まずは自身の兜にねじ込まれた剣を引き抜く。
そして兜を脱ぐと、その左頬には深い切り傷が走っていた。
「見事な腕だった。アランブール卿」
強敵の亡骸に、オリヴァーは騎士として敬意を込めて言う。
転んで地面に叩きつけられた際、オリヴァーの兜の顎紐が解け、兜は右側に回るように少しずれていた。そこへ剣を突き込まれたため、その剣先はオリヴァーの顔を貫くことはなかった。鼻先を切り裂き、左頬の皮膚と肉を破り、頬骨まで削るほど深く抉ったが、そこまでだった。
もし兜がずれていなかったら。ずれる角度が少し違っていたら。刃を突き込まれる角度が、兜のもっと内側だったら。おそらく左目から脳までを貫かれていた。
まさに紙一重。自分はただ幸運だった。
そう思いながらオリヴァーは立ち上がり、ヴァンサンの兜を脱がせる。最初に聞いた声の印象通り、実力と経験を兼ね備えていたのであろう初老の男だった。
その首元に、剣を振り下ろす。
「アランブール男爵は戦死した! お前たちの指揮官は死んだぞ!」
戦場にオリヴァーの声が響き渡る。敵味方全員の動きが止まり、皆の視線がオリヴァーと、斬り落とされて掲げられたヴァンサンの首に集まる。
数瞬前まで激戦がくり広げられていたとは思えないほどの静寂が、戦場に流れる。
「……っ!」
「閣下がやられた!」
「くそっ! そんな馬鹿な!」
先に静寂を破ったのは、アレリア王国側の騎士と兵士たちだった。若い兵卒たちはもちろん、古参兵や騎士身分の者たちも大きく動揺しているようだった。
「た、退却だ! 山道の外まで退け!」
残っている中では上位の立場らしい騎士が叫んだのをきっかけに、アレリア王国側の別動隊は一斉に退いていく。まだ息のある負傷者を抱え、あるいは引きずるようにして、西へと逃げていく。
「追わなくていい。追撃は不要だ」
逃げ去る敵軍に襲いかかろうとした兵士たちを、オリヴァーは止める。
数ではこちらが不利である以上、下手に追撃して敵軍を刺激し、反転攻勢でも受ければ壊滅しかねない。そもそも、小規模な別動隊でアレリア王国領土に深く侵入するのは無謀。
敵将を仕留めて敵軍の撃退に成功した以上、以降は山道を守りながら援軍を待つべき。そう判断しての指示だった。
「そこの騎士! 待たれよ!」
最初に退却命令を下した敵騎士が去ろうとしたのを、オリヴァーは呼び止める。
「アランブール男爵の首をお返しする。連れていけ」
「……感謝する」
敵騎士は剣を収め、ヴァンサンの首を両手で受け取る。周囲を見回し、逃げ損ねている仲間がいないことを確認すると、足早に去っていった。
「皆、よくやった! 我々の勝利だ!」
オリヴァーが勝ち鬨を上げると、力強い返事が響いた。
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