第33話 山道の戦い②

 間もなく、敵の姿が見えた。昨日と今朝の二度、送った斥候の報告通り、およそ百の軍勢が山道を抜けて現れた。

 この山道を守るべく、敵将マティアス・ホーゼンフェルト伯爵が送り込んできた別動隊。その指揮官と思しき壮年の騎士は、こちらを見て部下たちに何やら指示を下す。それからすぐに、敵軍は全隊が停止する。

 敵の指揮官も山道を抜ける前に斥候を送ってきたのだろうが、斥候が届ける情報は常に最新のものというわけではない。こちらの全員が完全装備で、陣形まで組んで待ち構えているこの状況は想定外だったか。

 その想定外で戸惑っているであろう敵に、態勢を立て直す時間を与える優しさを、ヴァンサンは持ち合わせていなかった。


「弓兵は一斉射! その後に全軍突撃! 一気に叩き潰してやれ!」


 その命令が、戦闘開始の合図となった。後方の弓兵が曲射によって敵軍に矢を浴びせ、牽制する中で、ヴァンサンたちは一斉に突撃を開始する。

 敵軍は前衛が矢の一降りを受けて怯んだ後、行軍時の隊列のままで後退し始める。

 数の不利を補うため、山道に入っての戦闘を選ぶつもりか。


「逃げる隙を与えるな! このまま勢いに乗って敵軍を撃破するのだ!」


 確かに、平原よりも山道で戦う方が敵は時間を稼げる。しかし、数ではこちらが圧倒的に有利であり、既に逃げ腰の敵よりも勢いづいている。士気も極めて高い。

 多少の地勢の悪さなど問題にはならない。勝った。ヴァンサンはそう思った。

 鬨の声を上げながら突撃する歩兵と、彼らに速度を合わせて馬を走らせるヴァンサンたちは、山道のちょうど入り口あたりで敵軍と激突する。


「敵が退くよりも早く押し込め! 敵が隊列を維持できないほど苛烈に攻めろ! 後退ではなく壊走させてやれ!」


 ヴァンサンは自軍を鼓舞しながら、自ら馬上で剣を振るう。あるいは手綱を操り、馬で敵兵に体当たりする。

 敵も前衛にはより精強な者を配置しているようで、果敢に迎え撃ってきたが、勢いに乗っているこちらの攻勢には敵わない。武器がぶつかり合う音、怒号や悲鳴、断末魔の叫びが響き渡る中で、戦いはアレリア王国側の優勢で進む。

 やがて両軍の戦列が解け、最前衛では敵味方が混ざり合い、乱戦に突入する。

 山道も入り口の辺りはまだ横幅があるとはいえ、広い戦場とは言えない。そんな中で一対一の、あるいは多対一の戦いがいくつもくり広げられる。

 個人の武芸の腕に頼る戦い。局所的には敵が有利になる場面もあるが、全体としてはやはりこちらが勝っている。敵の前衛には死傷者が次第に増えており、後衛に至っては今にも駆け足で逃げ出しそうなほど隊列を乱しながら後退を続けている。

 最初の突撃からしばらく戦い続けたヴァンサンは、今は最前衛の乱戦を部下たちに任せ、自身はやや後方で戦場を俯瞰していた。攻め方や万が一の引き際を見誤らないよう、指揮官の務めに専念していた。


「……」


 そして、敵の後衛の退き方を見ながら、違和感を覚えていた。

 精強な者を前衛に、そうでない者を後衛に配置。とはいえ、仮にも正規軍人である敵の後衛が、あれほど無様に浮足立ちながら退いていくものだろうか。死傷者が増えている前衛を支えようと躍り出てくる者もいるのが自然ではないか。

 それに、と思いながらヴァンサンは中空を見上げる。

 両軍とも弓兵が味方を援護しようと、矢を曲射している。移動しながらでは思うように攻撃できないためか、戦場の空を飛び交う矢の数は少ないが、それを踏まえても敵側から飛んでくる矢の数はあまりにも少なすぎる。敵の弓兵は一個分隊、十人もいるか怪しい。

 山道を塞いでおくための別働隊とはいえ、配置された百人の中に弓兵がこれほど少ないことはあり得るのか。

 戦況を見回しながら短時間で思考を巡らせたヴァンサンは、そこでふと、思い至る。

 徴集兵を正規軍人の中に織り交ぜるという、総指揮官ツェツィーリアの策。もし、敵もそれと同じようなことをしているとしたら。

 ハッとした表情になり、まずは山道の左側面を、次に右側面を振り向く。森に覆われた斜面の中に敵影らしき姿を認め、口を開く。


「伏兵だ! 右を警戒――」


 ヴァンサンが言い終わるよりも早く、森の中からいくつもの矢が自軍の横腹に飛び込んでくる。


・・・・・・


 こちらの百人の部隊が敵軍を山道へと誘引しながら戦う中で、伏兵の五十人はさらに前進し、山道の間近まで出てきた。指揮官であるオリヴァーの合図があれば、いつでも奇襲を仕掛けられるように身構えていた。

 伏兵の編成は弓兵が二十に、歩兵と騎士が合わせて三十ほど。弓兵たちは既に、弓に矢を番えて射撃の体勢に入っている。


「よし、放て!」


 オリヴァーが機を見極めて命じる直前。

 敵軍の指揮官と思しき騎士が、馬上からこちらを向いた。伏兵に気づいたのか、何かを叫ぼうとした。

 一斉に放たれた二十本の矢は、木々の隙間を抜けて敵軍に襲いかかる。無警戒だった側面から完全な不意打ちを食らい、十人近い敵の騎士や兵士が一度に倒れる。

 馬上で目立っていた敵指揮官にも数本の矢が向かうが、仕留めるには至らなかった。驚異的な反射神経で身をよじり、頑強な全身鎧で矢を受け流した敵指揮官は、乗っていた馬が矢を受けて暴れたために落馬。しかしすぐさま立ち上がり、健在の姿勢を見せた。


「弓兵はもう一度斉射! その後に騎士と歩兵は突撃!」


 命令通り、弓兵たちがもう一度矢の斉射を行った後、騎士と歩兵たちが突撃を開始する。不意打ちの矢を受けて未だ混乱する敵軍、その横腹に、精強な三十人が一斉に斬りかかる。

 さらに、この奇襲とタイミングを合わせ、正面からも攻撃が行われる。それまで山道で敵軍の攻勢を押し止めていた前衛が、残っていた気力を振り絞って一気呵成に前進する。

 山道側面の森に残っている二十人の弓兵たち、そして山道の方にいる十人の弓兵たちは、敵の後衛を狙ってまさに矢継ぎ早の攻撃を展開する。前面に立って白兵戦をくり広げる味方を援護するため、敵の後衛が容易に前進できないよう矢を曲射し続ける。

 この援護のおかげで、敵軍の前衛は孤立。落馬した指揮官を含む百人足らずの兵力で、正面と側面からの挟撃に晒される。

 このまま押し勝てるか。森の中から戦況を見守っていたフリードリヒはそう思ったが、戦いはそこまで簡単には終わらなかった。

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