第28話 軍議①

 翌日。フェルディナント連隊と貴族領軍の連合軍は北方平原へと出発する。そしてオリヴァー率いる別動隊は、ここで本隊と別れ、さらに北にある山道へと発つ。


「騎士オリヴァー。お前ならば心配ないだろう。頼んだぞ」

「はっ。必ずや持ち場を守り抜きます」


 別動隊の出発直前。まずオリヴァーに声をかけたマティアスは、次にフリードリヒを向く。


「フリードリヒ。私やグレゴールから受けた訓練を思い出し、務めを果たせ」

「はい、閣下」


 敬礼したフリードリヒに、マティアスは頷く。


「それともうひとつ……無事でな」


 マティアスはそう言って、フリードリヒの肩を軽く叩いた。


「ユーリカ。フリードリヒを守れ」

「はい閣下。もちろん」


 笑いながら言ったユーリカにも頷き、マティアスは離れていった。


「……」


 フリードリヒはマティアスの背中を見送る。肩には、彼に叩かれた感覚が少し残っている。

 最後の一言は、おそらく軍人としてではなく、自分を庇護下に迎え入れた主人としての言葉なのだろうと、フリードリヒは思った。


・・・・・・


 別動隊百人と、数台の馬車を率いる輸送分隊による行軍は、オリヴァーの指揮の下で何らの問題なく遂行された。

 南に半日と少し進むと、そこには東西に延びる細い道があった。


「普段、山道は商人の交易路として利用されている。係争中とは言っても、よほど戦況が激化しない限りは、商人の行き来までもが完全に途絶えることはないからな。戦争が本格化するであろう今後は分からないが」


 そんなオリヴァーの説明を聞きながら、獣道よりは多少ましな程度の道を西に進むと、森に覆われた山に行きあたる。ユディト山脈を形作る山々だった。

 連なって並ぶ山々、そのうち特に標高の低い二つの間を通るように、道は続いていた。交易路として多少は整備されているらしく、平坦な地勢が上り坂へと変わる山道の入り口は、フリードリヒが思っていたよりもずっと広かった。

 この山道の入口よりも少し後方、もし急に敵軍が侵入してきてもすぐに気づける位置に、別動隊は野営地を設営した。

 別動隊がこの山道を守るのは、本隊の決着がつくまでの一、二日の予定。既に日が傾き始めた夕刻前、オリヴァーは山道のアレリア王国側へと斥候を送り込む一方で、残りの者たちには休息をとるよう命じた。


「夜が開けて明日になれば、相手の出方によっては戦闘になるからな。お前たちもよく休んでおくといい」

「……分かった」


 少し冷え始めた春の夕刻、焚火にあたりながらひと段落している最中の会話。いかにも余裕のなさそうな真顔で答えたフリードリヒを見て、オリヴァーは苦笑し、ユーリカは愛しそうな笑みを浮かべる。


「さすがに開戦前夜となれば緊張も高まるだろうが、無理やりでも食事を胃に流し込んで、ちゃんと眠っておけよ」

「私がしっかり寝かしつけてあげるからねぇ、フリードリヒ」


 オリヴァーの気遣う言葉にも、ユーリカの冗談めかした甘い言葉にも、フリードリヒは無言でこくこくと頷くしかできなかった。

 盗賊に立ち向かったときの自分と、今の自分の落差に自分自身で驚く。分かりやすい危機が目の前に迫ってくるまで、自分は勇気が出ない質らしい。そんなことを思いながら、こんな自分に不甲斐なさを覚える。

 そのとき。


「隊長! オリヴァー隊長!」


 オリヴァーのもとへ駆けてきたのは、斥候を命じられていた兵士だった。


「随分と急いで戻ってきたようだな……何か異常があったのか?」

「山道の西側に、アレリア王国軍の部隊がいました! その数が……百ではありません! およそ三百です! 大隊規模の王国軍がいました!」


 それを聞いたオリヴァーは眉を顰め、フリードリヒは目を見開いた。ユーリカは小さく片眉を上げたのみだった。

 勇気を出したいとは思っていたが、それは危機が迫ってきてほしいという意味ではない。フリードリヒは表情を硬くしながらそう考える。


「本当か? 見間違い……ということはないか、さすがに」

「は、はい。自分は斥候として敵軍の規模を計る訓練も受けているので。百と三百を見間違えることはありません」

「「……」」


 フリードリヒとオリヴァーは顔を見合わせる。

 オリヴァーが斥候を一旦下がらせた後、二人は口を開く。


「敵軍が集結地点を発った時点では、兵力は千二百。北方平原の西に到着した時点では千百という話だったな?」

「そのはずだよ。だからホーゼンフェルト閣下は、敵軍の別動隊は百程度と判断して、同数の別動隊として僕たちをここに張りつけた」


 集結地点を発ったアレリア王国軍と貴族領軍の総数がおよそ千二百。北方平原の西には千百。そして、この山道にアレリア王国軍が三百。合計千四百。

 増えた二百は、一体どこから湧いた。


「……今は敵兵が増えた理由を考えても仕方がない。どう対処するかを早急に考えなければ」


 そう呟くオリヴァーは、さすがに表情が険しくなっていた。

 斥候の兵士から状況を聞いたのか、別動隊の兵士たちがざわつき始めている。騎士たちにも動揺が見られる、このまま指揮官のオリヴァーや参謀のフリードリヒが無策でいて、皆に動揺が広がるとまずいことになる。

 オリヴァーは騎士たちと、歩兵と弓兵の小隊長を呼び集め、即席の軍議を開く。


「まずは状況を整理しよう。こちらは百。敵は三百。どちらも正規の王国軍人」


 その確認に、全員が頷く。


「こちらの兵力は……敵に知られていると考えるべきか」

「そうだな。おそらく敵も、こちらに斥候を送ったはずだ。三倍の兵力差があることは気づかれているだろう」


 皆を代表して、この別動隊で最年長の騎士が同意を示す。


「これからすぐに襲撃を受ける可能性は……低いか」


 オリヴァーはそう呟きながら、空を見上げた。日はユディト山脈の向こうへと沈みつつあり、夜が近づいてくる。

 指揮官の呟きに、反論を示す者は誰もいなかった。

 夜襲は恐ろしいリスクを伴う。道を見失っての迷走。視界不良での誤認による同士討ち。待ち伏せや罠による反撃。一度敵陣に突っ込ませると指揮官でも収集がつかなくなり、勝てる戦いも勝てなくなる可能性がある。

 正攻法で勝利できる可能性が極めて高いのに、わざわざ賭けともいえる夜襲を行う理由が敵軍にはない。


「念のため、山道の中に見張りを置いて、その上でいくつか罠でも張っておけば大丈夫だと思う。隘路の足元を横切るように縄を張ったり、道の一部に小さな穴をいくつも掘って転びやすくしたりして。夜間ならそれでも十分に引っかかるだろうし、真夜中の山中で隊列を乱してこちらに動きを察知されて、そのまま夜襲を決行できるとは思えない」

「……単純だが効果的だな。すぐに罠を張ろう」


 フリードリヒの迅速な提案に、オリヴァーが少し驚いた表情になりながらも首肯し、歩兵小隊長の一人に命令を下す。それを受けて、小隊長は十人ほどの歩兵を率い、必要な道具を持って山道に入っていった。

 指揮官から明確な指示が出た上に、夜襲を受ける心配がひとまずなくなったことで、浮足立っていた兵士たちの士気は少し持ち直す。


「さて、これで今夜は凌げるとして……明日以降をどうやって切り抜けるかだな。さすがに百人では、三倍の正規軍人が本気で攻めてくると守り続けるのは厳しいだろう」


 山道の狭さを活用して防衛戦に臨むとしても、こちらが百人では前衛を後退しての休息も、負傷者を下がらせての交代もままならない。練度が互角で数が三倍の敵を相手に無策のまま戦えば、継戦能力の低さを突かれ、力押しを受けて敗走させられる可能性も高い。


「今から本隊に援軍を求めるのは難しいわよね」


 騎士の一人が言い、オリヴァーもそれに頷いた。


「ああ。ここから本隊のいる位置までは、昼間の移動でも半日以上かかる距離だ。こちらには連絡用の鳥もいない。誰かが伝令に出るとしても、夜間の移動では急ぐにも限界がある」


 緊急連絡の手段としては、訓練された鷹やカラスに伝令文を持たせて飛ばす方法がある。が、そのような貴重な手段は連隊本部や一部の軍事拠点の駐留部隊しか持っていない。

 人間の伝令を出すとしても、昼間と夜間では移動の勝手が違いすぎる。周囲が闇に包まれ、足元もろくに見えないとなれば、騎馬でも徒歩でも移動速度は格段に落ちる。

 おまけに、別動隊の人員は皆、半日以上の行軍を終えた後で疲れている。これから本隊のいる位置まで、真夜中に、不眠不休で伝令任務を為すのは容易ではない。


「伝令が本隊のもとに到着するのが、おそらく明日の朝。その頃には本隊も既に会戦の準備を進めているはずだ。そうそう容易に部隊を引き抜いて援軍を編成することもできまい。会戦に勝利した直後に援軍を送ってくれるとしても、到着は明日の夜だ」

「ということは、明日一日を凌げば助けが来る可能性が高い。取り急ぎ伝令を送った上で、とにかく敵の攻勢を一度退ける策を練るのがいいと思う。ここの地勢ならやりようはある」


 皆の表情が暗く、あるいは険しくなっていた中で、そう語ったフリードリヒの声は気力に満ちていた。表情は活き活きとしてさえいた。

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