第27話 因縁の敵
「……初陣から別行動とは。なかなかに厳しい扱いですな」
フリードリヒたちが下がった後、グレゴールが言った。
「意外か?」
「はい。畏れながら閣下は、初陣のフリードリヒは本陣に置き、戦の空気を覚えさせる程度で済ませるのではないかと思っておりました」
それを聞いたマティアスは、微笑を浮かべる。穏やかで、どこか諦念交じりの笑みだった。
「一、二年前ならばそうしただろう。だが状況が変わった。おそらくこれから、アレリア王国との本格的な戦争が始まる。フリードリヒを甘やかしながら成長を待っている暇はない……初陣でこの程度の任務が務まらないようでは、そもそも期待外れだ」
ともすれば酷薄なその言葉に、しかしグレゴールは何も返さなかった。
「敵は智将として知られる当代ファルギエール伯爵だ。山道の別動隊に関しても、何かしらの小細工を仕掛けてくるだろう……それを乗り越えたとき、フリードリヒはおそらく戦争の本質を知ることになる。そうなれば、あの者が本当に私の後を継ぐべき者かが分かる」
智慧があるだけでは不足。勇気を出せるだけでは不足。
皆を勝利に導けるだけでも不足。
将の、英雄の、戦場に生涯を捧げる者の器かどうか。おそらく今回の戦いで分かるだろう。
マティアスはそう考えている。
「若い指揮官と初陣の参謀に別動隊を率いさせるのだ。出発準備に不足がないか、後で見てやってくれ。物資や装備の面であの者らが何か要望を言うようであれば、可能な範囲で叶えてやれ」
「御意に」
僅かにフリードリヒへの優しさを見せるようなマティアスの指示に、グレゴールはそう答えた。
・・・・・・
「それにしても、まさか敵将がファルギエール伯爵とはな」
別動隊の要員が集合し、出発準備が進む様を監督しながら、オリヴァーが呟く。
「……フェルディナント連隊にとっては、因縁の深い相手だね」
フリードリヒも頷いて同意を示す。フリードリヒの視線の先では、ユーリカが二人分の出発準備を進めてくれている。
「間違いない。とはいえ、最後にうちの連隊と戦ったのは、俺が入隊する前のことだが」
十九年前のロワール王国との会戦。そこでマティアスが首をとった敵将こそが、当時のファルギエール伯爵家当主だった。
エーデルシュタイン王国側がおよそ六千、ロワール王国側が八千を動員してベイラル平原で激突し、かの国との戦争において最大規模となったこの会戦。当時ベイラル平原とアルンスベルク要塞はロワール王国の支配下にあり、エーデルシュタイン王国にとっては敵国のさらなる前進を防ぐための防衛戦争だった。
この会戦で、エーデルシュタイン王国は連隊編成を初めて実戦で試すこととなった。先代の早逝によってこのとき既にホーゼンフェルト伯爵位を継いでいたマティアスは、若くして抜擢を受け、フェルディナント連隊の初代連隊長として戦場に立っていたという。
会戦では、まずは両軍ともに真正面から激突した。ロワール王国軍は後方の弓兵の援護射撃を受けながら歩兵が突撃し、エーデルシュタイン王国軍は歩兵が敵歩兵の突撃を受け止めつつ、それをやはり後方の弓兵が援護した。
地勢的には緩やかな下り坂を駆け下りるかたちで突撃したロワール王国側に有利なはずだったが、エーデルシュタイン王国の軍勢は領土防衛の使命感によって士気を奮い立たせ、よく持ち応えていた。その右側面を打とうと、ロワール王国側の騎兵が全騎、一斉突撃した。ロワール王国中からかき集められた騎士と、金で雇われた傭兵、総勢およそ四百が戦場を駆けた。
王道だからこそ効果的なこの一手に、エーデルシュタイン王国側は苦しめられた。騎兵を陣の左右に二百ずつ配置していたため、右翼側の騎兵二百だけでは敵の突撃を押し止めることはできず、騎乗突撃を受け止めた右側面の歩兵に少なからぬ損害が出た。
しかし、国王自ら総大将を務めていたジギスムント・エーデルシュタインは、この機を逃さなかった。騎兵が離れて敵本陣が手薄になったこの機を逃さず、ジギスムントは陣の左側にいたフェルディナント連隊に、側方に移動した上での敵本陣への突撃を命じた。
一つの連隊として編成され、訓練を積んでいたからこそ、フェルディナント連隊は迅速に陣から切り離され、敵軍の右側面を回り込むかたちで敵本陣への強襲を果たそうとした。フェルディナント連隊が抜けたことで空いた穴は、左翼側に残っていた騎兵百が敵前衛への果敢な突撃をもって埋め、さらに予備兵力の近衛隊までが前面に出て戦線を支えた。
もちろんロワール王国側も、フェルディナント連隊の強襲に対応しようとした。しかし、昔ながらの部隊編成だったロワール王国側は迅速に兵を動かすことが叶わず、陣から無理やり切り離された千の歩兵がフェルディナント連隊の前に立ちはだかるのみだった。
隊列も乱れて指揮系統も不確かな千の歩兵を前に、マティアスは連隊の柔軟性を存分に活かして戦った。敵歩兵は三百の弓兵による一方的な遠距離攻撃で怯み、そこへ六百の歩兵の突撃を受けて完全に動きを止めた。
フェルディナント連隊の騎兵部隊およそ百は、そんな敵歩兵を易々と突破し、そのまま敵本陣へと突撃した。連隊長自らとどめの騎乗突撃の先頭を担ったマティアスは、ロワール王を逃がすために本陣直衛と共に立ちはだかったファルギエール伯爵を討ち取った。
国王が敗走し、その参謀を担う将が首をとられたことで、ロワール王国の軍勢は崩壊。壊走していく敵軍をエーデルシュタイン王国の軍勢は容赦なく追撃し、その勢いで防御が手薄になっていたアルンスベルク要塞を包囲し、陥落させた。
この戦いの結果、大敗したロワール王国は軍の再建に多大な時間を要することとなり、エーデルシュタイン王国は国境を敵側へ大きく押し込み、ベイラル平原の東部一帯の支配権を得た。敵将を討ち取ったマティアスは大勝利の象徴的な存在となり、英雄と呼ばれるようになった。
フェルディナント連隊とファルギエール伯爵家の因縁は、これだけでは終わらなかった。
歴史的な会戦から十年後。エーデルシュタイン王国とロワール王国は、ベイラル平原や北方平原、さらに北にある回廊で小競り合いをくり返していた。
ある年に発生した、比較的大きな小競り合いの最中。気鋭の騎士だったルドルフ・ホーゼンフェルトが戦死した。敵側の伏兵による襲撃で孤立した歩兵の退路を切り開くため、単騎で強引な突撃を敢行したルドルフは、敵兵が放った矢を目に受け、それが脳まで貫通し、戦死した。不運としか言いようのない死だったという。
この小競り合いで敵側の指揮を担っていたのが、戦死した父親の後を継いだ当代ファルギエール伯爵ツェツィーリア。おそらく彼女も狙ってそうしたわけではないだろうが、奇しくも父親の仇の息子を仕留めたこととなった。
このときの戦いはツェツィーリア・ファルギエールが将として頭角を現すきっかけになったとも言われており、その後彼女はロワール王国において「英雄の息子殺し」という異名と共に名を挙げたという。
いずれも、若き騎士であるオリヴァーが王国軍に入隊する以前の出来事だった。
「しかし、ホーゼンフェルト閣下はファルギエール伯爵家の名を出しても何ら表情を変えられなかったな。王国軍人の鑑と言うべきお方だ」
「そうだね……僕が同じ立場なら、無心でいられるか分からない」
軍人が戦うのはそれが務めだからであり、そこに私情を挟む余地はない。戦争で誰を殺しても喜ぶべきではなく、誰を殺されても恨むべきではない。
マティアスが以前そう語っていたことを、フリードリヒは思い出す。
「オリヴァー、それにフリードリヒ。少しいいか」
そのとき。後ろから声がかけられる。
振り返ったフリードリヒとオリヴァーは、歩み寄ってきたグレゴールに敬礼した。
「副官殿」
「出発準備は問題ないか?」
別動隊の様子を見回しながら尋ねるグレゴールに、オリヴァーが頷く。
「はっ。間もなく完了する見込みです」
「ならばよい。お前たちが別行動をとるのはせいぜい数日だろうが、食料と飼い葉以外に何か持っていきたいものはあるか? 別動隊につける輸送分隊の荷馬車には、まだ余裕があるが」
オリヴァーとフリードリヒは顔を見合わせる。
「どうだフリードリヒ。何かあるか?」
「そう言われても……」
急には思いつかず、フリードリヒはしばし思案する。
「……それじゃあ、予備の武器と、胴鎧と兜を」
「理由は?」
鋭い視線を向けながら、間髪入れずに問いかけるグレゴールに、フリードリヒは少し気圧されながらもまた口を開く。
「予備の装備なら、なくて困ることはあってもあって困ることはないと思ったので。後は……何となくというか、勘です」
勘、という曖昧な答えを聞いても、グレゴールは叱責することも嘲笑することもなかった。
「戦いにおいて勘は馬鹿にできない。お前が必要と思うのであれば持っていくといい」
グレゴールの許可を受け、別動隊は予備の胴鎧と兜を三十と、槍や剣など合計五十本ほどを持っていくことになった。
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