第23話 登城
「――はい、よろしいでしょう」
ホーゼンフェルト伯爵家の屋敷の一室。軍服姿のフリードリヒに、家令のドーリスが笑顔でそう言った。
室内には立食会のためのテーブルがひとつ。フリードリヒの手にはワインの杯。フリードリヒは今日ここで、社交の場での礼儀作法を正しく守ることができるか試された。杯を片手に、貴人役のドーリスに話しかけられて無難に受け答えし、たった今無事に合格をもらった。
「フリードリヒくんは本当に頭が良いわね。何を教えてもすぐに憶えてくれるから私も楽ですよ」
「ドーリスさんの指導が分かりやすいおかげです」
「あら、嬉しいことを言ってくれるわね」
ホーゼンフェルト家の従士となった直後から、フリードリヒは儀礼の場での本格的な礼儀作法も時々こうして学んでいる。ドーリスを教師とし、定期的に練習を重ねた結果、少なくとも見苦しくはない立ち振る舞いが出来ようになっている。
「ねえドーリスさん、私は?」
「ユーリカちゃんは……佇まいは品があって素敵よ。無難な笑顔を作ってみせるのも、とても上手になったと思うわ。だけどお話しすると……公の場では、あまりお話ししない方がいいかもしれないわね。今はまだ」
「ふふふっ、分かったぁ」
少し困ったように笑うドーリスに、ユーリカは笑い返した。
そのとき、部屋の扉が開かれる。
「入るぞ」
入室してきたのはマティアスだった。屋敷の主の登場に、三人は一礼する。
「ドーリス。フリードリヒの立ち振る舞いはどうだ?」
「大変よろしゅうございます。旦那様の従者として公の場に出ても、正しく立ち振る舞えることでしょう。会議や謁見の場、社交の場、いずれも問題ございません」
ドーリスの答えを聞き、マティアスは頷く。
「そうか、よくやってくれた。フリードリヒもよく頑張った」
「ありがとうございます、閣下」
「早速だが、その努力の成果を発揮してもらう」
その言葉に、フリードリヒは小さく首を傾げる。
「クラウディア・エーデルシュタイン王太女殿下より登城命令を賜った。登城の際、お前も伴うようにと殿下が仰せだ」
「……っ、私もですか?」
フリードリヒは顔を強張らせる。王国軍の将であるマティアスが王太女に呼び出されるのは分かるが、たかが従士の自分が随行するよう直々に指名を受ける意味が分からなかった。
「そうだ。私が元孤児の平民を従士として登用し、軍に入れて手元に置くなど初めてのことだからな。殿下はお前に興味を抱かれたらしい。会って話してみたいと仰せだ……おい、何もそんな顔をしなくてもいいだろう」
ますます顔を強張らせるフリードリヒを見て、マティアスは苦笑した。
「私には身に余る光栄です。まだ実戦も経験していない半人前の身で、殿下に拝謁するなどあまりにも畏れ多い。今回は――」
「断れるわけもないと分かっているくせに悪あがきするな。殿下の前で敬礼し、御言葉を賜ったらそれに答えるだけだ。礼儀作法はドーリスのお墨付きなのだし、お前の賢しさならできない仕事ではあるまい」
「……分かりました」
フリードリヒは諦念を顔に浮かべながら、結局は頷いた。
「伯爵閣下。私もついていけるんですか?」
「いや、殿下への拝謁を許されたのはフリードリヒだけだ」
「……でも、私はフリードリヒの護衛なんですけど」
ユーリカは眉間に皺を寄せ、不満げな顔になる。
「王族への拝謁時には一切の武装が禁じられる。短剣の一本も禁止だ。だからお前が護衛につく意味はない」
「今の私なら素手でも一人二人は倒せると思います」
「王家の護衛を倒してどうする。そんなことを言い出す奴は、なおさら殿下の御前に連れて行けないぞ……たとえ冗談でも屋敷の外では言うなよ」
マティアスは呆れ顔で言い、またフリードリヒを向く。
「とにかく、これは決定事項だ。登城は二日後なので、フリードリヒは心の準備をしておけ」
・・・・・・
気乗りしない予定ほどすぐにやって来るのが世の常。瞬く間に二日が過ぎ、フリードリヒはマティアスに連れられて王城の門を潜った。
台地へと続く急斜面の上に、さらに十メートルを超える城壁がそびえ立ち、あらゆる侵入者を拒絶するこの国の中枢。唯一開放される出入り口である城門は鉄の骨組みを分厚い木板で覆った頑強な作りで、王都から城門までの登城路は幅が狭く、大軍が一気に進むことはできない。
城内には王族の生活とこの国の行政の場である本館があり、その他にも兵舎や厩舎、倉庫、庭園や小さな農場まで存在するという。
初めて入った城内を、フリードリヒは見回す。その面積は、故郷ボルガの市域を丸ごと収めてもなお余裕があるのではないかと思えた。
本館は四階建て。複数の塔をはじめとした防御設備を備えた、豪奢というよりは質実剛健で荘厳な印象を感じさせる館だった。
「……」
その本館を見上げながら、フリードリヒは少しだけ口をへの字に曲げ、誰にも聞こえない程度に嘆息する。
来てしまった。
もちろん、軍人として何者かになりたければいつかは王族に拝謁しなければならないと分かってはいるが、求めるタイミングは今ではない。
どんな奴か見てみたい、などという理由で呼び出されても、今の自分はただのつまらない若造でしかない。がっかりされる予感しかしない。もっと、軍で何か功績を挙げて自信をつけた上で呼び出されたかった。
おまけに今日は、ユーリカが傍にいない。ただでさえ落ち着かないのに、五歳のときからほぼ常に一緒に行動してきた彼女がいない状態で、人生最大の緊張を乗り越えなければならない。
ああ、帰りたい。そう思いながら、フリードリヒは館の扉を潜る。マティアスの後ろに続き、敬礼する近衛兵たちの間を通り、王家の居所に踏み入る。
館内にもやはり、荘厳な光景が広がっていた。
玄関の広間は二階まで吹き抜けになっており、最初に目に入ったのは初代君主ヴァルトルーデ・エーデルシュタインを描いたものと思われる巨大な肖像画だった。
その他にも飾られた様々な像や絵画は、館の入り口を彩るというよりは、来訪者に対して王家の威容を見せつけるために存在しているようだった。
この光景を、これから何度も見ることになるのだろうか。フリードリヒはそんなことを考えた。
「マティアス・ホーゼンフェルト伯爵閣下。王太女殿下がお待ちです。ご案内いたします」
フリードリヒたち――主にマティアスを出迎えたのは、一人の文官だった。歩き出した彼にマティアスが続き、最後尾をフリードリヒが歩く。
壁に等間隔で飾られた絵画を横目に見ながら、暗い茶色の床板を踏みしめて廊下を進む。階段を上がり、また廊下を進む。
そして到着したのは、精緻な装飾が施された扉。
二人の近衛騎士に守られたこの扉の前で、文官が口を開いた。
「王太女殿下。ホーゼンフェルト伯爵閣下をお連れしました」
「通せ」
扉の向こうから聞こえたのは、入隊式のときに聞いたのと同じ、力強い女性の声だった。
マティアスが武器を近衛騎士に預け、フリードリヒも自身の剣と短剣をもう一人の近衛騎士に手渡す。二人の近衛騎士は、マティアスとフリードリヒが他に武器を持っていないかを軽く確認した後、扉の前からどいた。
文官が扉を開き、マティアスが入室する。フリードリヒは小さく深呼吸し、彼の後に続く。
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