第24話 拝謁

「マティアス・ホーゼンフェルト伯爵。登城ご苦労。よく来てくれた」

「王太女殿下」


 二人が室内に入ると、王太女クラウディアはわざわざ起立してマティアスを出迎えた。フリードリヒは彼女に視線を直接向けないようにしていたが、彼女が立ち上がるのが気配で分かった。

 相手が国王ではなく一王族であり、公的な謁見の場でもないので、マティアスはクラウディアに対して軽く一礼しただけだった。

 一方のフリードリヒは、マティアスの傍らに立ち、彼よりも深く一礼し、頭を上げてもやはりクラウディアを直視はしない。

 姿勢を正し、視線は下げたまま、室内を視界にとらえる。王族が貴族と面会するためによく使われるという部屋の中には、円卓がひとつあり、そこに今は二つの椅子が置かれている。いずれも派手な装飾などはないが、一目で上質さが分かる重厚なものだった。

 クラウディアの後方には護衛の近衛騎士が二人。さらに、彼女の補佐と給仕を務めると思われる使用人も控えている。


「早速聞くが、後ろの若者が件の従士か?」

「はっ」


 クラウディアが尋ね、マティアスが答えながらフリードリヒを向く。

 今だ。

 そう思いながら、フリードリヒはその場で片膝をついて首を垂れる。


「お初にお目にかかります。ホーゼンフェルト伯爵家が従士、フリードリヒと申します。この度は王太女殿下に拝謁する栄誉を賜りましたこと、光栄の極みにございます」

「……ほう」


 少し感心したようなクラウディアの声が聞こえた。

 完璧だ。所作も声も文句なしだろう。フリードリヒはそう思った。


「従士フリードリヒ。面を上げよ」


 そう言われて立ち上がり、初めてクラウディアの顔を見る。

 入隊式でも遠目に見た、輝くような金髪。力強い目が印象的で、表情には揺るぎない自信が満ちていた。纏う空気そのものが、常人とは違った。

 弱冠二十五歳でありながら、今は王国の政治の実務を取り仕切る王太女。これが支配者の存在感なのかと、フリードリヒは思った。


「入隊式では騎士の列の端にいたな。その深紅の髪を覚えているぞ」

「恐縮に存じます、殿下」


 クラウディアの声は穏やかで、彼女は微笑さえたたえていたが、それでフリードリヒの緊張が解けるわけではなかった。せめて顔が強張ったりしないよう努めながら答えた。


「元孤児から従士に取り立てられて一年も経たないという話だが、なかなか落ち着いているではないか。それに、挨拶もしっかりできている。教養なく文言を丸覚えしただけでは、そこまで淀みなく話すことはできないだろう……所作や言葉遣いを見る限りは、既に立派な騎士に見えるな」


 マティアスに視線を移しながら、クラウディアは言う。


「この者は元より、孤児上がりの平民としては異質なほど聡明でした。この者の騎士教育や礼儀作法の教育を務めた我が従士たちも、この者の学習能力は類まれなものだと語っておりました」

「教育の賜物というだけでなく、この若者自身の才覚というわけか……従士フリードリヒ」

「はっ」


 再びクラウディアに顔を向けられ、フリードリヒは慌てて気を引き締める。


「確か、お前は小都市ボルガの民衆をまとめ上げ、盗賊の集団に打ち勝ったそうだな。襲撃した盗賊を単純に迎え撃つのではなく、策を講じて包囲殲滅したと報告を受けている。ただの平民が成したとは思えない、素晴らしい戦功だ」

「畏れながら、盗賊討伐が叶ったのはボルガの住民たち全員で力を合わせたからこそです。私も微力を尽くしましたが――」

「その微力というのは、ホーゼンフェルト卿の私生児を詐称して彼の栄光を利用したことか?」

「……っ、その件につきましては、咄嗟のこととはいえ安易な言動に走り、ホーゼンフェルト伯爵閣下の栄誉を汚しかねない事態を招いたため、申し開きのしようもございません。閣下より寛大な沙汰をいただいたことに感謝し、閣下と王国軍、王家と国家の御為に尽くすことを以て贖罪としていく所存です」


 顔を強張らせないフリードリヒの努力は、クラウディアの不意打ちで無意味となった。硬い表情で額から汗を流しながら早口で答えると、その様を見たクラウディアは小さく笑う。


「なるほど、これがお前の素の表情か。だが咄嗟の受け答えを見るに、頭の回転が速いのは確かなようだな」


 からかわれた、いや試されたのか。フリードリヒは思わず目を泳がせる。


「フリードリヒ。気を悪くしたならすまなかった」

「いえ、そのようなことは」


 王族からの謝罪などあまりにも畏れ多い。フリードリヒは焦りを覚えながら頭を下げる。


「お前の聡明さは分かった。だが、聡明であるからといって、必ずしも良き軍人になれるわけではない……フリードリヒ、お前は半年前までただの平民だったが、今は王国軍の軍人だ。叙任を受けた騎士だ。そんなお前は、何のために戦う?」


 そう問いかけてくるクラウディアの、放つ空気が変わった。

 圧が強くなった。そう感じた。

 また、試されている。

 そう思ったフリードリヒは、即座に口を開く。


「何者かになるためです」

「……なるほど。つまりは名誉と栄達か」


 無表情で呟いたクラウディアを見て、フリードリヒは硬直した。

 答え方を間違えたか。そう思ったが、クラウディアは優しげな笑みを見せた。


「別に、不純な動機だなどとは思わない。王国軍とて官僚組織で、騎士や兵士とて人間だ。皆それぞれの理由があって入隊していることは分かっている……だが、何者かになる、という言葉選びは面白いな。騎士になりたい兵士や、貴族に叙されたい騎士は多いだろうが、そういう言い方ではないのか。何者かになるためか」


 見定めるような目で、クラウディアはフリードリヒの頭からつま先までをねめつける。


「確かに軍に入れば、歴史に名が残るほどの戦功を挙げる機会もあるかもしれない。このホーゼンフェルト卿のように、王国の英雄と呼ばれるほどにまでなるかもしれない。だがそれは、死の危険を伴う戦いの果てにあるものだ……お前はただの平民だった。聡明だからといって、死を恐れぬ勇猛さまで持ち合わせているとも限るまい。お前は戦いが怖くはないのか?」

「……怖くないとは言えません。いずれやって来るであろう軍人としての初陣に、今から恐れを覚えないと言えば嘘になります」


 答えながら、自身の中から緊張が消えていくのをフリードリヒは感じた。

 半年前、マティアスに問われたときと同じだった。語りたいと、聞いてほしいと、思った。


「ですが、それを上回る感情があります。昨年、盗賊の集団が迫り来る中で、私はその感情を知りました。名も無き民の一人として、無力な羊として、世界の片隅で死んでいく。何者にもなれないまま、何者かになる挑戦の機会さえ得られないまま死ぬ。そう思うと強い怒りを覚えました。そんな運命は受け入れ難い。そんな運命を乗り越えるためなら、命をかけて戦ってみせる。そう考えました」

「そして、実際に命をかけて戦い、運命を乗り越えてみせたというわけか」


 フリードリヒの目を見据えて、クラウディアは言った。


「怒りはときに大きな原動力となる。怒りを意志へと変え、意志をもって恐怖を乗り越えた経験を持つお前ならば、確かにこの先の戦いへの恐怖も乗り越えられるのだろう……死線をくぐり抜けた者に、戦いへの恐怖を問うとは。愚問だったな」


 自嘲気味に笑ったクラウディアに、フリードリヒは微笑を浮かべて首を小さく横に振る。


「問いを変えよう。これが最後の問いだ。ホーゼンフェルト伯爵家の従士であり、一人の騎士であり、そして王国軍人であるフリードリヒ。お前はこれから、どのような手段をもって何者かになることを目指す?」

「……大義ある勝利です」


 短い思案の後、フリードリヒは答えた。


「私は……書物を通して、多くの英雄を知りました。彼らには共通点があると気づきました。一つは当然、大きな勝利を得ていること。もう一つは大義を持っていることです。大義のために戦い、勝利してその大義を守る。それが英雄なのだと思いました。私も王国軍人として、騎士として、大義ある勝利に貢献する人間でありたいと思っています。そうあり続ければ、いつか何者かになれるかもしれないと考えます」


 フリードリヒは語り切った。クラウディアの力強い瞳から、彼女の瞳が放つ圧から、視線を逸らして逃げることはしなかった。


「……いいだろう」


 クラウディアはそう言って、フリードリヒの肩に手を置いた。


「好奇心で呼び出したが、会って話をしてみて良かった。フリードリヒ、お前のことは覚えておこう。これからの活躍に期待している」

「勿体なき御言葉です。いただいたご期待にお応えできるよう、全身全霊をもって努めます」

「頼もしいな。それでは……今日は下がってよい。ご苦労だった。これからホーゼンフェルト卿と話をするので、お前は別室で待っていてくれ」

「御意」


 フリードリヒは敬礼し、整った所作で踵を返す。

 この部屋まで案内してくれた文官に手招きされて部屋を出ると、後ろで扉が閉められた。

 その瞬間、急に気疲れが押し寄せてきた。忘れていた緊張が今さら戻ってきて、どっと肩が重くなり、顔が強張り、息を吐いた。

 怖かった。あれだけぺらぺらと喋って、よく失敗せずに済んだものだ。

 いや、失敗していないと思っているのは自分だけで、実は気づかないうちにとんでもない失言をしているのかもしれない。そう思うと顔が青くなる。


「ご心配なさらず。立派に受け答えをなされていたと思いますよ。お疲れさまでした」

「……どうも、ありがとうございます」


 苦笑交じりに労ってくれた文官に、フリードリヒは硬い笑みを返した。

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