第22話 期待、愉悦、意図

 それから一週間は、個人の基礎訓練や小部隊ごとの戦闘訓練に費やされた。入隊者たちを連隊に馴染ませるためか、比較的緩やかな空気の中で訓練は進められた。

 本部付きのため所属部隊のないユーリカは、手の空いている騎士や隊長格の兵士から次々に模擬戦を申し込まれ、一週間で三十人以上と戦った。そのうち二十人以上に勝利した。

 さすがは連隊長も認める実力だと皆がユーリカを称賛し、そのユーリカがいつも寄り添っているフリードリヒも、今のところ智慧を発揮する機会はないながらも一目置かれるようになった。


「大したものだな。あくまで一戦闘員としてだが、年齢や訓練期間を考えると破格の強さだ……連隊本部の直衛として有能なのは間違いないだろう」


 今日も今日とて模擬戦が開かれ、自分なら勝てると宣言した若い騎士が奮戦しながらもユーリカに押されている。それを囲む人だかりの一角で、オリヴァーがフリードリヒに語る。

 あくまで一戦闘員として、とオリヴァーが評した理由はフリードリヒにも分かる。戦争は集団で行うものであり、よほど小規模な小競り合いでない限り個人の武勇が戦況を変えることはない。戦いの腕が立つのは、個人として誇るべきことではあるが、それ以上のことではない。

 連隊長のマティアスも恐るべき強さを誇るが「将にもなると自分で戦うこともほぼないから、こんなものは部下たちを従わせる説得力としてしか使い道がない」とぼやいていた。


「駄目だくそっ! 勝てねえ!」


 そのとき。模擬戦の決着がつき、敗北した若い騎士が地面に膝をついて叫んだ。


「ははは、全然敵わなかったな」

「だから言っただろうが。お前じゃあユーリカに勝てるわけないって」


 豪語した上で敗北した若い騎士は皆にからかわれ、勝利したユーリカは称賛を受けながらまんざらでもない顔をしている。


「こうなったらフリードリヒに挑む!」

「はあ? 何言ってんだお前」

「自分よりフリードリヒの方が凄いってユーリカが何度も言ってるだろ? だからフリードリヒに勝てばユーリカに勝ったも同然だ! どうだフリードリヒ、受けて立つか!?」


 若い騎士に木剣で差され、皆の注目を集める羽目になったフリードリヒは、視線を泳がせながら答える。


「……座学の試験か机上演習なら受けて立つけど」

「駄目だ! 勝てる気がしねえ!」


 それを聞いた騎士がまた膝をつきながら嘆くと、爆笑が巻き起こった。


「はははっ、一人で何騒いでんだよお前」

「お前は剣術はそこそこだけど、頭は悪いからな。今のやり取りからもよく分かる」

「閣下が賢さをお認めになったフリードリヒに勝てるとは思えないわね」


 からかわれる若い騎士を皆と一緒に笑いながら、フリードリヒは口を開く。


「何ていうか、意外と……」

「連隊に受け入れられている気がするか?」


 オリヴァーに内心を言い当てられて少し驚きながら、フリードリヒは頷いた。


「皆、ホーゼンフェルト伯爵閣下には絶対の信頼を置いている。その閣下がお前を見出して、ご自身の傍にお前を置いているんだ。お前には相応の才覚があるのだろうと皆思っているさ……それにお前は、盗賊討伐という明確な功績を挙げている。お前が思っているよりも、連隊内でのお前の期待値は高いぞ。もしへまをすれば一気に下がるだろうがな」

「……それじゃあ、頑張らないとね。皆の閣下への信頼に傷をつけないためにも」

「ああ、頑張れ……さて、今日は王都に出る仕事がある。お前たち二人も連れて行くよう閣下より命じられているからな。ついてきてくれ」


 オリヴァーはそう言うと、集まっている者たちに呼びかける。


「皆、そろそろ見物は終わって訓練に戻れ! それとユーリカ、こっちに来てくれ!」


・・・・・・


 フリードリヒとユーリカは、オリヴァーに連れられて王国軍本部を出た。


「今から行くのはフェルディナント連隊の得意先の商会だ」


 王都の通りを進みながら、オリヴァーは説明する。フリードリヒとユーリカはそれを聞きながら、彼の後ろを並んで歩く。

 エーデルシュタイン王国軍は、数千人を擁する巨大な組織。戦時はもちろん、平時も組織運営のために食料や馬の飼い葉をはじめとした多くの物資を必要とする。

 軍務における物資の運搬は輸送隊が務めるとしても、物資そのものの調達に関しては、民間の商会による協力が不可欠。そのため、王都には軍部と契約している御用商会がいくつもあるのだと、座学でフリードリヒも学んでいた。


「軍需物資も連隊ごとに得意先の商会があってな。請求が行くのは軍本部だが、手間を省くために平時の消費分の注文は連隊ごとに行い、物資は各連隊の拠点に直接納入されるようになっている。さすがに兵士に任せられる仕事ではないから、遣いに出るのは士官の役目だ。本部付の士官であるお前に任される機会も多くなるだろうから、今のうちに仕事を覚えておくといい」

「分かった。今のところ僕は役に立ってないし、頑張るよ」


 そう言いながら、フリードリヒは視線だけを周囲に巡らせる。

 王国軍士官の軍服は、当然ながら王都民なら誰もが知っている。鋼色の軍服と漆黒のマントは目立つ。通行人は皆、一目見てフリードリヒたち三人が王国軍の士官だと理解する。

 目礼で敬意を示してくれる者や、憧憬のこもった表情を向けてくる少年少女。こちらを指差しながら「かっこいい」と呟く幼子。いずれにせよ好意的な視線が多い。

 それを受けながら、思わず顔がにやけそうになるのを、フリードリヒはこらえる。

 揃いの鋼色の軍服。肩からたなびく漆黒のマント。フリードリヒもドーフェン子爵領の領都で王国軍士官を何度か見かけたことがあるが、確かに格好よかった。近現代を描いた書物の中によく登場するエーデルシュタイン王国軍人の、あれが本物かと憧憬を抱いた。

 今は、自分がその軍服を纏って歩いている。かつて自分が抱いた尊敬や憧憬を、今は自分が抱かれている。

 あまり品の良い喜び方ではないことは分かっているし、まだ王国軍人としての義務を何も成し遂げていないのに尊敬と憧憬だけ先に受け取るのは申し訳ないとも思うが、それでもやはり悦に入らずにはいられなかった。

 ニヤニヤしながら歩いていてはせっかくの格好いい軍人像が台無しなので、努めて平然とした顔を保ちながら、フリードリヒは王都の通りを進む。


・・・・・・


 フリードリヒたちが入隊して数週間。新米たちもそれぞれの所属小隊でそれなりに馴染み、連隊単位での訓練が定期的に行われるようになっていた。

 全隊での陣形構築。そして、敵軍との戦闘を想定した陣形移動や攻撃。これらの戦闘訓練以外にも、年に数回は紛争がなくとも国境近くへと展開し、演習などが行われるという。係争中のアレリア王国に対する威嚇も兼ねて。


「フリードリヒ。こちらは前衛に歩兵、その後方に弓兵、騎兵は右翼側に控えている。敵は歩兵が千と弓兵二百。騎兵は後方にごく少数。横隊を組んだ歩兵の左右に弓兵が展開している陣形だ。お前ならばどう攻める? しくじれば隊は壊滅し、大勢が死ぬ。よく考えて答えろ」


 入隊後、何度目かの会戦の訓練中。マティアスと共に本陣から連隊を俯瞰していたフリードリヒは、急な問いかけに驚きながらも思案する。

 陣形は敵味方それぞれ奇をてらわない王道のもの。歩兵の数では負けているが、弓兵の数では勝っている。敵にまとまった騎兵部隊がいないのも有利な点となる。

 力押しでは歩兵の差で押し負けるが、一定時間ならば敵の攻勢を受け止められる。その間に騎兵の破壊力を活かすべき。そう考えた上で口を開く。


「……歩兵と弓兵はそれぞれ横に広く展開させ、敵歩兵を真正面から受け止めます。弓兵のうち中央の中隊は敵歩兵に対する曲射を行わせて味方歩兵を援護し、左右の中隊は敵側面の弓兵に対してそれぞれ攻撃させます。弓兵の数で敵を上回っている有利を活かして持ちこたえさせ、その間に騎兵を敵の左側面へと突撃させます」

「いいだろう。軍学の常道に則っているな。まずはそれが大切だ。返答も早かった」


 マティアスはそう言って、全隊に状況の想定を説明し、各部隊に命令を下す。

 弓兵は各中隊がそれぞれの攻撃目標――がいるものと想定している位置に訓練用の矢を曲射し、歩兵は最前面の者たちが一斉に盾を構え、槍を前に突き出す。

 間もなく騎兵部隊が動き出し、それと同時に弓兵の各中隊に攻撃を止めるよう命令が下される。騎兵が歩兵の前、実戦であれば敵歩兵がいる位置を薙ぎ払うように突き進み、こちらの勝利という想定でこの訓練は終了となる。


「……」


 命令を下したのも騎乗突撃や弓兵の攻撃停止のタイミングを計ったのもマティアスだが、各部隊をどう動かすかの判断は自分が行った。無難に判断できた。そのことにフリードリヒは安堵する。隣を見るとユーリカが笑いかけてくれたので、フリードリヒも笑みを返す。


「フリードリヒ」


 マティアスに名を呼ばれ、フリードリヒは表情を引き締めて視線を彼の方に戻す。


「千人規模の兵士を動かす決断を下すのは、容易なことではない。一士官としては優秀な者でも、将の立場に立たされて判断を迫られると、大抵の者は固まって思考が止まるか、焦りや緊張で明らかに誤った選択をする。その点、お前は優秀だった」

「恐縮です、閣下」

「だが驕るな。周囲に何もない平原で、兵力差の少ない敵が、何らの策も講じることなく真正面から攻めてくることなど実戦ではほとんどない。戦いとは本来もっと複雑で、流動的で、予想がつかないものだ」

「……肝に銘じます」


 英雄の教えに、フリードリヒは頷いた。

 最近、フリードリヒはこうしてマティアスから直接教えを受けている。グレゴールから教わる基本的な戦い方や知識ではなく、マティアスの将としての智慧や経験を、直々に授けられている。

 その意味を、英雄の意図を、フリードリヒは日々考えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る