第20話 騎士
フリードリヒとユーリカが学んでいるのは、剣術と軍学だけではない。騎士となるために必須の技術である騎乗に関しても、グレゴールから日々教えられていた。
天性の勘でボルガを出る前に騎乗の基礎を身につけたユーリカは、その後もグレゴールでさえ目を見張る成長を遂げた。
既に年も明けた晩冬の今、彼女は自由自在に馬を乗りこなしている。馬の体格や体力次第になるが、いざとなったらフリードリヒを後ろに乗せて戦場から全速力で離脱することもできるだろうとグレゴールに評されている。
そしてフリードリヒも、戦場で自分の面倒を見られる程度の実力は身につけた。
最初こそ怯えが勝ってなかなか馬を上手く操れなかったものの、一度要領を掴めば持ち前の賢さを発揮して器用に上達した。ただの行軍ならばグレゴールやユーリカに遅れることもなくなり、道の具合にもよるが短時間の全力疾走も、速さに臆することなくできるようになった。
「あの丘の頂上まで行くぞ! 遅れずについてこい!」
一月も末に近づいたある日。王都近郊まで出て騎乗訓練を行っていたフリードリヒたちは、グレゴールの指示に従って馬を走らせる。ユーリカは余裕をもって、フリードリヒは懸命に、馬を操ってグレゴールについていく。
そして、三人は丘の頂上に辿り着く。
「二人ともよくやった。少し休め」
グレゴールはそう言いながら、自身も馬から降りる。
フリードリヒは馬の首元を撫でてから、ユーリカと並んで地面に腰を下ろした。
丘の上からは、王都が一望できた。冬の澄んだ空気に包まれるザンクト・ヴァルトルーデは美しかった。そして王都の北側、台地にそびえ立つ王城は、荘厳で凛々しかった。
「ここは王都と王城を見渡す上で最も都合の良い場所だ。おまけに王都と王城の西側に位置する……もし西のアレリア王国と本格的な戦争に突入し、王国軍が敵を食い止めることに失敗すれば、王都近郊まで迫った敵はこの場所に陣を置くだろう。そして、あの美しい都市と荘厳な城を破壊するために丘を下る」
グレゴールの言葉を聞いたフリードリヒは、ぎょっとして彼を振り返る。ユーリカも目を見開きながら彼を見る。
「あの王都こそが、エーデルシュタイン王国の中心であり、王都を見守る王城こそが、この国の心臓だ。王国はこの場所から始まり、王国の全てはこの場所に収束する……この景色を記憶に刻みつけろ。これから自分たちが守る国の象徴として。覚えておけ。王国軍が何のために戦うのかを。そして覚悟を決めろ。王国軍人になる覚悟を」
「……」
フリードリヒは無言で、再び王都と王城を見る。隣に座るユーリカが、グレゴールには見えないようフリードリヒの手をそっと握った。
彼女の手を握り返しながら、フリードリヒは考える。
何者かになりたい。そう思ったからこそ、ここまで来た。ときに弱音を零しながらも懸命に訓練に励み、多少なりとも成長した。
グレゴールの言わんとすることは理解できる。しかし、自分は正直なところ、決して崇高な使命感をもって軍人になるわけではない。今ここで、自分が真に覚悟を決めることができたとは思えない。きっとそんな容易なことではないのだろう。
その覚悟を心に刻んで初めて、何者かになれるのだろうか。歴史に名を刻み、己の生きた意義を世に知らしめるような何者かに。どうすれば、心にまで覚悟を刻めるのだろうか。
「ひとまず、お前たちの基礎訓練は終了だ。もちろんお前たちはまだ未熟だから、今後も引き続き鍛えてやる。だが、それは見習い従士としてではなく王国軍人としてだ。一度軍人になれば、お前たちはいつ実戦を経験してもおかしくない。だから最後に言っておく」
グレゴールはそう言いながら立ち上がる。
「フリードリヒ。ユーリカ。二人とも、とにかく死ぬな。まずは生き残れ。ホーゼンフェルト伯爵閣下よりいただいた機会を、軍人としての命を無駄にするな……以上だ。帰るぞ」
「……はい、従士長」
「はい、従士長」
フリードリヒは表情を引き締めながら。ユーリカはいつもの表情で、しかし素直な口調で。そう答えた。
フリードリヒが立ち上がったとき、丘を風が吹き抜けた。フリードリヒの深紅の髪を、澄んだ空気が撫でていった。
晴れた日中は、もうそれほど冷たさを感じない。間もなく春になる。
「……」
冬なのに汗ばかりかいていたな、などと、フリードリヒは情緒の欠片もない感想を抱いた。
・・・・・・
宮廷貴族であるホーゼンフェルト伯爵家の屋敷は、そう大きなものではない。しかしそれでも、屋敷には大貴族の居所として必要な部屋が備わっている。
複数の寝室。居間と食堂。応接室。いくつかの客室。当主の執務室。武具や貴重品や資料を収める倉庫。そして――晩餐会や謁見、儀式に用いる広間。
二月の末。フリードリヒとユーリカは、完成したばかりの真新しい軍服を身につけ、帯剣し、この広間に入った。
広間の最奥の壁には、王国軍の軍旗とホーゼンフェルト伯爵家の旗がかけられていた。そしてその前には、傍らにグレゴールを従えたマティアスが立っていた。二人とも軍服に加えて、身分や立場に合わせた装飾品を全て身につけた正装だった。
マティアスの軍服、その左胸のあたりでは、ホーゼンフェルト伯爵家の家紋と王家から授与された勲章が存在感を放つ。肩には連隊長であることを表す徽章。今日の彼はフリードリヒたちの主人として、そして王国軍の将として、この場に立っていた。
今日ここで、フリードリヒとユーリカは騎士に任ぜられる。
騎士身分は王国において特別な意味を持つ。優れた戦いの技術、あるいはそれに匹敵する能力や功績を持つと認められた者が叙任され、戦場において騎乗を許される。どれほど生まれの身分が高くとも、たとえ王族であっても、軍人として水準以下であれば騎士の叙任は受けられない。
一度叙任されても、その実力や人格が騎士にふさわしくないと判断されれば、騎士身分は剥奪されることもある。
エーデルシュタイン王国において騎士叙任の権利を持つのは、王族と領主貴族。そして、王国軍の近衛隊長と連隊長。
「従士フリードリヒ。従士ユーリカ。前へ」
マティアスが厳かに言う。
この儀式を見届ける証人として呼ばれた、フェルディナント連隊の大隊長たちが広間の左右に立つ中で、フリードリヒとユーリカは鋼色のカーペットを歩いて進む。
片膝をついた二人を前に、マティアスは剣を抜き、まずはフリードリヒの前に立つ。
「従士フリードリヒ。汝は王国に忠誠を誓い、誇りを守り、以て騎士となることを誓うか」
「私フリードリヒは、王国に忠誠を誓い、誇りを守り、以て騎士となることを唯一絶対の神に誓います」
マティアスの問いかけに、フリードリヒは練習した通りの文言を返す。
「よかろう。盗賊に立ち向かって勝利を成し、王国の民衆を守ったその功績と能力を認め、ホーゼンフェルト伯爵マティアスの名において汝を騎士に任ずる」
マティアスはそう宣言し、フリードリヒの両肩を剣で軽く叩いた。
「従士ユーリカ。汝は王国に忠誠を誓い、誇りを守り、以て騎士となることを誓うか」
「私ユーリカは、王国に忠誠を誓い、誇りを守り、以て騎士となることを唯一絶対の神に誓います」
次にユーリカも、同じように誓いの言葉を述べる。
「よかろう。その類まれなる戦いの才覚を認め、ホーゼンフェルト伯爵マティアスの名において汝を騎士に任ずる」
マティアスがユーリカの両肩に剣を当て、そして儀式は終わった。
この日。この場で。フリードリヒとユーリカは騎士となった。
「二人とも立て」
主人に命じられた二人は、騎士として立ち上がる。
「言うまでもなく分かっているだろうが、何ら後ろ盾のない立場から従士に取り立てられた者が、これほどの短期間で騎士に任ぜられるというのは稀有なことだ。フリードリヒには騎士とするに値する聡明さが、ユーリカには強さがあると考えたからこその叙任であるが……お前たちが真に騎士にふさわしいかどうかは、お前たちのこれからの働きによって決まる。主人として、お前たちの奮闘に期待している」
「心して励みます、閣下」
フリードリヒはこの半年の間に何百回と練習してきた敬礼を示し、ユーリカもそれに倣った。
これは始まりでしかない。まだ何も成し遂げていない。
★★★★★★★
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