第19話 入隊準備
冬に入っても、フリードリヒとユーリカは変わらず訓練漬けの日々を送っていた。ユーリカは順調に剣術の腕を上げ、フリードリヒは着実に体力をつけながら知識を増やしていた。
「そうだ! そのまま耐えろ! 助けが入るまで踏ん張れ!」
この日、フリードリヒはいつもと同じように屋敷の裏庭でグレゴールの稽古を受けていた。単純な、しかし力強いグレゴールの斬撃を、堅実な構えで防ぎ続けていた。
基本的な攻撃の型は十種類もない。敵味方入り乱れる戦場では、たとえ手練れの騎士でも複雑な剣技を使うことは少ないので、これらの攻撃を防ぐ方法さえ覚えておけば最低限は身を守ることができる。時間稼ぎだけならば、フリードリヒでも反復的に訓練を重ねればそう難しくはない。
「よし、よく耐えた! ユーリカ、助けに入れ!」
グレゴールの許可を得て、ユーリカが飛び込んでくる。フリードリヒが時間稼ぎの自衛をしているところへ、他の敵を倒した護衛のユーリカが助けに入る、という想定の訓練だった。
そのユーリカも、以前のように無謀な攻撃は仕掛けない。フリードリヒを背後に置く立ち位置を保ちながら戦い、最後にはグレゴールの腹へと横薙ぎに木剣を当てる寸前で止める。
「それでいい! 雑兵を倒したぞ! 次は騎士が来た!」
数歩下がったグレゴールは、今度は構えを少し変える。そして、明らかに先ほどまでよりも鋭い動きで攻めてくる。
それに対しても、ユーリカは冷静に対処する。技術的にはまだ未完成だが、それを持ち前の反射神経と身体能力で補うことで防御を成す。
「そのまま防ぎ続けろ! 安易に攻めに転じるなよ! 堅実に守りながら相手が隙を見せるのを待て! フリードリヒまだ気を抜くな! ユーリカが敵に抜かれたら、お前は最低でも最初の一撃を自力で防げ! ユーリカならその間に持ち直すだろう!」
話しながら、グレゴールは攻撃の手を緩めない。
ユーリカを怯ませた隙にフリードリヒ目がけて斬りかかろうとするグレゴールは、しかしフリードリヒが防御の姿勢をとっているために攻めあぐねる。そんな展開が二度ほど続いた後、グレゴールが隙のやや大きな攻撃をユーリカに向けて放った。
それを難なく避けたユーリカは、グレゴールに生まれた隙を見逃さず、足払いをくり出す。倒れたグレゴールの首元に木剣を突きつけ、それで模擬戦は終わった。
「戦いが長引いたことで苛立った敵の騎士は、一気にけりをつけようと力任せの攻撃を放つも、それを避けられた末に仕留められた。二人ともよくやった」
言いながら、グレゴールは涼しい顔で立ち上がる。汗はかいているものの、呼吸は少しも乱れていない。
一方のユーリカは水でもかぶったかのように汗だくで、肩で息をしていた。フリードリヒも彼女ほどではないが荒い息をしながら、緊張が切れてその場にへたり込んだ。
そんな二人の顔目がけて、タオルが投げつけられる。
「すぐに汗を拭いておけ。この気温だ。風邪を引かれて肺炎にでもなられたら困る」
「「……」」
言われた通り汗を拭きながら、フリードリヒとユーリカは呼吸を整える。
と、そのとき。
「今日もよく励んでいるようだな」
屋敷の主であるマティアスが、裏庭に出てきた。それを見てフリードリヒは慌てて立ち上がり、グレゴールと共に姿勢を正す。ユーリカも二人に倣う。
「そのままでいい。楽にしろ」
マティアスはそう言うと、グレゴールを向いた。
「どうだ、二人は」
「……あまり褒めるのも癪ですが、ユーリカは大したものです。並みの騎士が相手でも一対一ならば勝てるでしょう。フリードリヒの方も、思っていたよりはやれています。力不足を器用さで補っているようです。最低限の自衛力は入隊までに身につくかと」
「そうか、順調ならば良い……それにしても、ユーリカはそれほどか。お前が褒めるとは本当に珍しいな」
言いながら、マティアスは裏庭の隅に立ててある木剣の一本を手に取る。
「私にも少し試させてくれ」
「よろしいので?」
「ああ。今までは忙しくて、私が直々に実力を見てやることもできなかったからな」
連隊長であるマティアスは、出撃していないときでも当然ながら多忙。副官のグレゴールがフリードリヒたちの訓練に時間を割いている今は余計にそうだという。
そのマティアスも、冬に入ってからはようやく暇が増えたらしく、昼間から屋敷にいることもある。冬は他の季節よりも活動が緩やかになるのは、王国軍も世間と同じであるらしかった。
「私はユーリカを突破し、フリードリヒの首を狙う。お前たちは全力で抵抗してみせろ。寸前で止める必要はない。本気で当てに来て構わん。いいか?」
「分かりました、閣下」
「はぁい」
フリードリヒは緊張した面持ちで、ユーリカは挑戦的な笑みを浮かべながら、木剣を構える。
「では……行くぞ」
マティアスが言った瞬間、周囲に流れる空気が変わった。
「っ!?」
凄まじい速さで肉薄してきたマティアスに驚愕しながらも、ユーリカは最初の一撃を木剣で防いだ。続く二撃目を防いだときには、姿勢を大きく崩していた。
「えっ……」
その後、何がどうなったのかフリードリヒには分からないまま、足をすくわれたユーリカは空中で半回転して倒れた。かと思えば、マティアスが矢の如き速さで迫ってきた。
慌てて防御の姿勢をとるが、手元にあったはずの木剣が一瞬で弾き飛ばされた。そう認識したときには、首元に剣先を据えられていた。
「私の勝ちだな」
「……はい」
完敗だった。瞬きする間もなく敗けた。
「フリードリヒ。訓練を始めてまだ三か月も経っていないことを考えると、咄嗟の構えは悪くなかった。よほどの手練れが相手でない限り初撃は凌げるだろう。ユーリカも……確かに、グレゴールが褒めるだけのことはある。二撃目で仕留められると思ったが、防がれたのは正直言って予想外だった。驚異的な成長だ」
木剣を降ろしたマティアスはそう言いながら、起き上がるユーリカに手を貸してやる。
「座学の方も問題ないと聞いている。この調子であれば予定通り入隊させられるな?」
「はい、閣下」
グレゴールの返事を受けて、マティアスは満足げな微笑を浮かべる。
「二人とも、明日は市街地へ連れていく。そのつもりで準備をしておくように」
「かしこまりました、閣下」
フリードリヒは一礼して答え、屋内に戻るマティアスを見送った。
・・・・・・
翌日。フリードリヒとユーリカは、マティアスに連れられて屋敷を出た。
マティアスと、フリードリヒたち二人、そして荷物持ちの使用人二人で王都ザンクト・ヴァルトルーデの大通りを進む。歩きながら、フリードリヒは街並みを眺める。
辺境の小都市ボルガで育ち、ドーフェン子爵領の領都でも都会だと感じていたフリードリヒは、王都の街並みを前にすると未だに圧倒される。
大通り沿いには二階建てどころか三階建ての建物も珍しくなく、冬だというのに人通りが絶えることもない。多種多様な商店が並び、冬でも変わらず営業している。
行き交うのはエーデルシュタイン人だけではなく、白狼の毛皮を纏った北西のノヴァキア人らしき者や、東のリガルド帝国風の装束を纏った者もいる。もっと遠い地から来たのであろう、褐色の肌をした者や薄い顔立ちの者も。さらには、係争中のアレリア王国の民らしい商人や旅人もちらほらと。
ボルガで受ける一生分の刺激が、王都を歩く一日の中にある。フリードリヒはそう感じている。こうして王都を歩いているときは、故郷を旅立って本当によかったと思える。
「着いたぞ。ここだ」
マティアスがそう言って、一軒の店の前で立ち止まる。
行き先を知らされていなかったフリードリヒは、その店の看板を見て首を傾げた。
「仕立て屋……ですか?」
その仕立て屋は大店ではあったが、貴族が御用達にするような高級店には見えなかった。扉には貸し切りを示す看板が立てられていた。
「そうだ。王国軍の連隊は、仕立て屋についてもそれぞれ縄張りがあってな。フェルディナント連隊の得意先はここだ……今日はお前たち二人の軍服を作る。ここの職人は軍服作りは手馴れているから、今日採寸を済ませれば、冬の終わりまでには完成する」
それを聞いて、フリードリヒとユーリカは顔を見合わせる。ユーリカが赤い唇をニッと広げて笑い、フリードリヒも微笑を返す。
王国軍で軍服を持つのは士官のみ。戦うだけでなく、騎士として公的な場に立つ機会のある上級の軍人のみ。
自分はいよいよ王国軍人に、それも士官になるのだと、その準備をするのだと、フリードリヒは感慨を覚える。
そのとき、店から小綺麗な身なりの男が出てきて、マティアスに一礼する。
「ホーゼンフェルト伯爵閣下。お待ちしておりました」
「店主、久しいな。今日はよろしく頼む……さあ二人とも。入るぞ」
マティアスに促され、フリードリヒは店に入った。ユーリカもそれに続いた。
店内は広く、奥の方には多様な布や革が並び、端には採寸のための小部屋がある。入り口に近い側には見本品が並んでいる。質の良い、かつ実用的な服が多いようだった。
「お呼びいただければ私自らお屋敷まで参りましたところ、ご足労いただき大変恐縮に存じます」
「むしろこちらこそ、来店したいなどと言って悪かったな。この二人の社会勉強のつもりだったのだが……気を遣わせて、わざわざ貸し切りにさせてしまった」
「とんでもございません。他ならぬ閣下の御為にございますれば」
店主はマティアスに向けて慇懃に頭を下げると、フリードリヒたちを向いた。
「今回はこちらのお二方が?」
「そうだ。我がホーゼンフェルト伯爵家の新しい従士たちだ。春から王国軍に入らせる」
「なるほど。軍服は標準的なものでよろしいのでしょうか?」
「ああ、ひとまずは」
「かしこまりました。それでは早速ですが、採寸を始めさせていただきます」
そして、フリードリヒは奥の小部屋に案内される。ユーリカは女性職人に案内され、別室へと通される。
エーデルシュタイン王国軍の軍服は、王家の富の源泉である鉄を表す、黒に近い鋼色。背中にはある程度の防御力のある、漆黒のマントを羽織る。戦闘時、接近戦に臨む者は軍服の上着を脱いで各々が自前の鎧を身につけ、その上にやはりマントを羽織る。
自分専用の軍服がこれから作られる。その事実を前に、フリードリヒは高揚しながら小部屋に入った。
そうして二人が離れた後、マティアスは店主を傍に呼ぶ。
「あの二人の軽鎧も作るので、採寸の記録を後でもらってもいいか?」
「もちろんにございます。お帰りの際にお渡しいたします」
「感謝する。それと……フリードリヒの軍服に合わせて、うちの家紋の徽章をひとつ、製作しておいてほしい。マントの方も家紋付きのものを作ってくれ。実際に使うかは分からないが、どちらにせよ料金は支払う」
「……かしこまりました」
後半に関しては、マティアスは店主にだけ聞こえるよう言った。店主は表情を変えずに答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます