第18話 実戦訓練

 フリードリヒたちがホーゼンフェルト伯爵家に迎えられて一か月半ほどが経ち、秋も深まった頃からは、より実戦的な訓練が始まった。

 順調に体力がついてきたフリードリヒは最低限の自衛のために。体系的な戦闘術の基礎を身につけ始めたユーリカは一人前の騎士となるために。二人はグレゴールを相手とし、打ち合いの稽古を行っている。


「視線を逸らすな! 相手の剣筋を見ていなければ防げないぞ! この臆病者が!」


 怒鳴りながらグレゴールが振り下ろした剣を、フリードリヒはなけなしの勇気を振り絞って受け止める。返事をする余裕もない。

 訓練なので、二人とも構えているのは当然ただの木剣。その上グレゴールの木剣には布が厚く巻かれているが、それでも鋭く振られるその剣先は恐ろしかった。

 剣そのものはもちろん、グレゴールの気迫も恐ろしい。何度も実戦を潜り抜けてきた本物の騎士の気迫に、ほんの二か月前までただの田舎平民だったフリードリヒは圧倒される。

 その気迫に押され、何度か打ち合わせた末にフリードリヒは自身の木剣を取り落とす。


「あっ」


 そして次の瞬間には、首の寸前にグレゴールの木剣が据えられていた。


「終わりだな。騎士フリードリヒは無様に剣を取り落とし、戦場で何ひとつ功績を挙げることなく戦死だ。これで五回死んだぞ。今日だけでだ」


 不敵に笑ったグレゴールに、フリードリヒは強張った笑みを返した。

 グレゴールは明らかに全力を出していない。一撃こそ重いが、技術的には何ら難しいことはせずに攻めかかってきている。にもかかわらず、フリードリヒはものの数十秒で敗けてしまう。

 フリードリヒの目標は、勝つことではない。一人で敵一人を相手取り、しばらく持ち応える。ただそれだけ。その目標でさえ達成できていない。


「やはりまだまだ体力不足だな。それらしく防御できているのは最初の数打だけ。すぐに剣の重さに振り回されるようになり、自由が利かないからと怖がって相手の剣から目を背けようとする。体力が尽きると相手の攻撃を受けた衝撃に耐えられず、剣を取り落とす」


 グレゴールは片手で軽々と木剣を振りながら、フリードリヒの弱点をそう評する。


「お前がどう動こうとしているかは分かる。その判断は概ね正しい。やはり賢しい分、技術の飲み込みは早いのだろう。だが技術を体現する体力がないのでは意味がない……冬明け、軍への入隊までにこの三倍の時間を耐えられるようになれ。そうすれば、戦場で一人孤立しない限りはそうそう死なないだろう」

「……戦場で一人孤立したら?」

「そんな状況になったら誰だって死ぬ。俺や閣下だってそうだ。戦争とはそういうものだ」


 物語本の英雄譚とは違うぞ、と言いながら、グレゴールは今度はユーリカを向く。


「お前がそうならないために奮戦するのが、こっちの生意気な小娘の務めだ……ユーリカ。次はお前の番といこう」


 グレゴールはそう言って、剣を構える。

 フリードリヒを相手にしていたときとは纏う空気が違った。気迫はそのままに、鋭利な刃物のような空気を纏いながら隙のない構えをとっていた。


「さあ来い」


 次の瞬間、ユーリカは嬉々とした表情で木剣を振り上げてグレゴールに斬りかかった。

 最初の一撃を、グレゴールは剣を横に構えて受け止めた。その衝撃で跳ね返った自身の剣をユーリカは瞬時に構えなおし、グレゴールの足元に横薙ぎに一閃する。

 それを、グレゴールは冷静に退いて避けた。

 フリードリヒに分かったのはそこまでだった。その後は目にも止まらぬ速さで何度も木剣がぶつかり、いつの間にかユーリカが押されていた。

 と、後ろに大きく飛びのいたユーリカは明らかな間合いの外で木剣を振りかぶり、それをグレゴールに向けて投げる。

 同時に自分も跳躍し、いつから隠し持っていたのか分からない木製の短剣を振りかざしながらグレゴールに迫る。

 グレゴールは木剣を難なくはじき落とすと、飛びかかってきたユーリカの短剣が自身に届く前に手を伸ばし、ユーリカの首元を正確にとらえて掴む。

 そしてそのまま、ユーリカの身体を地面に叩きつけた。


「ぐえっ!」


 さして勢いをつけたわけではなく、地面は土なので、ユーリカは怪我をした様子はない。しかしそれでも受けた衝撃は大きかったのか、彼女はカエルが潰れたような声を出した。


「大馬鹿者が。ガキの喧嘩じゃないんだぞ。簡単に主武装を手放す馬鹿がどこにいる」


 呆れた顔で言いながら、グレゴールはユーリカのシャツの襟を引っ張り上げて彼女を立たせる。ユーリカはもう平気そうな顔で、服についた土をはたいて落とす。


「駄目だった? じゃない、駄目でした? こうすれば今日こそ勝てると思ったんですけど」

「当たり前だ。剣を投げるのは、本当に追い詰められて切羽詰まったときの最後の手段だ。多少押された程度で投げるな……まったく、こんな小細工が通用すると思ったのか? いつの間に訓練用の短剣など隠し持った」


 拾え、とグレゴールに言われ、ユーリカは地面に転がっていた自身の木剣と、木製の短剣を拾い上げる。


「そもそも戦い方が粗すぎる。お前も剣術に則って戦ったのは最初の数打だけだったが、お前の場合はフリードリヒと違って、ただ技術を忘れて熱くなっただけだろう。身体能力に任せた乱暴な攻め方が通じるのは、相手が素人の徴集兵や雑兵のときだけだと前にも言ったはずだ。手練れの兵士や訓練を積んだ騎士を相手にするときは、雑な力押しでは負けるぞ……それと、馬鹿みたいに攻めるな。見てみろ」


 そこで言葉を切り、グレゴールは木剣の剣先をフリードリヒの方に向ける。戦い始めたときと比べると、グレゴールたち二人とフリードリヒの距離は随分と遠かった。


「お前は目の前の強敵との戦いで熱くなり、周りを見ていなかった。そのせいで自分が誘導されていることにも気づかず、守るべきフリードリヒからこれだけ引き離された。お前が投げつけた剣が俺を仕留めていたとして、その次はどうする? これだけ離れた場所で他の敵に囲まれたフリードリヒをどう守る? 今度はその短剣も投げるのか?」


 ユーリカはフリードリヒを振り返る。そして、フリードリヒとの距離に気づき、愕然とする。


「さっきも言ったが、戦場で孤立したら死ぬ。今、お前はフリードリヒを死なせたぞ。これが訓練だったからいいが、実戦だったらフリードリヒは二度と生き返らない」


 ユーリカは明らかに動揺した様子だった。彼女は首を横に振りながら、その口元だけが動き、ごめんなさい、と声なく呟く。フリードリヒは優しい笑みで頷くが、それがどれほどの慰めになったかは分からない。


「従士ユーリカ」


 グレゴールに名を呼ばれ、ユーリカは彼の方を向いた。


「もう一度言う。これは子供の喧嘩ではない。本物の戦争だ。そのための訓練だ。分かったか」

「……分かりました、従士長」


 ユーリカは神妙な表情で、硬い声で答えた。

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