第12話 生ける英雄

 先遣隊に半日ほど遅れて、フェルディナント連隊の本隊が到着した。

 彼らは西のアレリア王国への牽制の一環で、ここより南で訓練を行っていたのだという。複数の貴族領をまたいで行われる実戦的な訓練の最中、斥候役の騎兵部隊が、まだ夜も明けきっていない中をただならぬ様子で馬車を走らせるヘルマンを発見した。

 幸運なことに盗賊ではなく王国軍に見つかったヘルマンは、ボルガが危機にあることを報告。それを受けて連隊は訓練を中止し、急きょボルガへ出動することとなった。先遣隊の若き指揮官はそのように語っていた。

 およそ千人を擁する連隊が丸ごとやって来たのは、「盗賊は百人以上いるかもしれない」という不正確な第一報をヘルマンがそのまま伝えたため。それほどの規模ともなれば単なる盗賊とは考え難く、さらなる戦力が控えている可能性もあることから連隊の全兵力が投入されたという。

 現在は複数の偵察部隊が編成され、戦力は自分たちだけだという捕虜の証言が本当か、彼らも知らされていない別動隊などがいないかが調べられている。

 周囲の安全が確保されたボルガの住民たちは安堵し、一方で大盗賊団と真正面から戦うつもりでいたフェルディナント連隊の面々は拍子抜けした。

 フリードリヒのついた大嘘は、フリードリヒ自身の口からボルガの住民たちに明かされた。フリードリヒはただの孤児であり、マティアス・ホーゼンフェルトに私生児などいないと説明された。


 そして今、フリードリヒは臨時の連隊司令部となった代官屋敷にいた。

 より正確に言うと、屋敷の倉庫で後ろ手に縄で縛られ、床に転がされ、殴られ蹴られていた。


「ぐえっ! ……げほっ、げほっ」

「クソガキが! これで終わったと思うなよ!」


 腹を蹴り上げられて呻き、咳き込むフリードリヒに、壮年の騎士が怒鳴る。髪を掴まれて上体を起こされたフリードリヒは、今度は頬に拳を食らって吹っ飛ぶ。


「~~っ! ~~~~っ!」


 少し離れたところでは、ユーリカが同じく縛られて床に転がっていた。

 最初はフリードリヒと同じように後ろ手に縛られていた彼女は、しかしフリードリヒが殴られるのを見て騎士に飛びかかったため、今は足まで縛られて猿轡をされていた。飛びかかった際に殴られたので、左の頬が赤黒く腫れている。

 何か必死に叫びながら、芋虫のように這ってフリードリヒの方に向かおうとするユーリカを、倉庫の隅に立つ兵士たちが定期的に引きずって離す。


「ご、ごめんなさ――」

「謝って許されると思っているのか! ホーゼンフェルト伯爵閣下の私生児を詐称するなど……閣下のご子息が戦死された過去を知っての行いか!」

「いえ、本当に――」

「言い訳は聞かんぞ!」


 胸を蹴り押されたフリードリヒは、そのまま後ろに転がる。

 転がりながら、本当にまずい嘘をついたものだと思う。

 マティアス・ホーゼンフェルト伯爵の一人息子は、十年ほど前に西の隣国――今はアレリア王国に征服されて存在しない、かつての隣国ロワール王国との戦いで戦死している。

 息子を失った英雄の息子を騙る。マティアスの過去について失念したまま咄嗟についたものとはいえ、最悪の嘘だ。


「グレゴール。もう止めておけ。それくらいで十分だ」


 そのとき。フリードリヒをさらに殴ろうと襟首を掴んだ騎士に、そう声をかける者がいた。

 フリードリヒが殴られ蹴られ、ユーリカが這っては引きずられる様を、これまで椅子に座ってただ見ていた人物。英雄マティアス・ホーゼンフェルトその人だった。

 整えられたダークブラウンの髪と髭。数々の戦功や勇ましい逸話を持つ彼は、しかし見た目からはいかにも猛将というような雄々しさはない。どちらかと言えば、落ち着いた紳士的な印象を感じさせる。


「しかし閣下!」

「その者と話がしたい。起こしてやれ」

「……はっ」


 マティアスが静かに命じると、グレゴールと呼ばれた騎士はフリードリヒをそれ以上殴ることはなく、掴んだ襟首を引っ張って乱暴に起こした。

 マティアスは立ち上がり、フリードリヒに歩み寄る。床に座っているフリードリヒの前で片膝をついてしゃがみ込み、フリードリヒを見据える。


「フリードリヒと言ったな。歳は確か、十八と」

「……はい」


 心の奥底まで見通すような青い双眸を前に、フリードリヒは怯えた表情で答える。書物で読んだ英雄に会えて嬉しい……などという浮かれた感情は、さすがに微塵も湧いてこない。


「事情はこの都市の住民たちから聞いた。私の私生児を詐称して住民たちの支持を集め、彼らをまとめ上げて士気を高めさせ、策を講じて盗賊たちを壊滅に追い込んだと。大したものだ」

「……」


 フリードリヒはなんと答えたものか迷う。礼を言う空気ではないが、かといって称賛に対して謝るのもどうか。それほどでも、などと謙遜するのも違うだろう。

 結局、ぎこちなく頭を下げるに留めた。


「私の息子は八年前に、今は存在しないロワール王国との戦いで戦死した。そのことは知っていたのか?」

「……閣下のご子息が亡くなられたお話は聞き及んでいました。ですが、その、八年も前のことだったので失念していて……」


 マティアスは英雄だがその息子は一介の騎士だったので、戦死の件はそこまで大きく話題になったわけではない。そのため、知らなかったと嘘をつくこともできた。

 しかし、嘘をついても簡単に見破られるような気がして、フリードリヒは正直に答えた。


「私の嫡子が既に死んでいることを失念したまま、私の私生児を騙ったというわけか?」

「はい。ボルガの皆を説得したときは無我夢中で、英雄と名高き閣下の息子を騙れば、皆に説得力を与えて鼓舞できると安易に考えて嘘をつきました。神に誓って、閣下やご子息の名誉を毀損する意図はありませんでした。ですが、結果として不敬極まりない言動をしてしまったこと、お詫びのしようもございません」

「そうか」


 マティアスはそう言って、そのままフリードリヒをじっと見つめてきた。


「……」


 次の瞬間にも剣を抜かれ、斬り捨てられるのではないか。

 怖い。

 フリードリヒが真っ青になっていると、マティアスは表情を変えた。微かに笑みを浮かべた。


「嘘は言っていないようだな。それにしても、なかなか言葉を紡ぐのが上手い。学のない者にはできない受け答えだ。本当に元孤児なのか?」

「は、はい。赤ん坊の頃に街道に捨てられ、この都市の教会で育ちました。読み書き計算は育ての親である修道女より学びました。書物を読むことが好きなので、言葉については一般的な平民よりは知っているつもりです」

「……なるほどな」


 マティアスは立ち上がってフリードリヒを見下ろしながら、顎に手を当てて思案するような仕草を見せる。感心するような、見定めるような、そんな視線を向けてくる。


「お前が賢いことは分かった。だが、話によるとお前は広場の壇上にいきなり上がり、住民たちを一喝した上で戦いに臨ませたそうだな。随分と大胆で、ともすると無謀な行いだ」


 スッと、マティアスの目が細められる。空のように青く深い双眸を前にして、フリードリヒは心臓を掴まれたような心地になる。


「答えろ。何故そのようなことをした?」

「……腹が立ったからです」


 ボルガの皆を助けたかった。世話になった教会の人々や、孤児たちを助けたかった。悪しき盗賊を打倒しなければならないと思った。いくらでも聞こえの良い返答はできたはずなのに、フリードリヒはほとんど無意識に本音で答えていた。


「危機が迫る中で、この都市の住民たちは誰も戦おうとしなかった。抗おうとしなかった。そんな彼らに無性に腹が立ちました。自分も彼らと同じ無力な存在なのだと思うと、ますます腹が立ちました」


 無言を保つマティアスの前で、フリードリヒはさらに言葉を重ねる。


「僕は歴史書や物語本の中で英雄を知りました。この国の、この大陸の、古今東西の英雄を知りました。ホーゼンフェルト閣下についても歴史書で学びました。先のロワール王国との大戦で敵将を討った閣下のご活躍を知りました。英雄たちの活躍や生き様を知るのは、田舎都市の孤児に生まれた僕にとって心の慰めでした」


 嗚呼。もっと話したい。

 今回のことだけではない。もう何年も前から、ずっと不満を、焦燥を、憧憬を抱えてきたのだ。

 今話すべきだ。今話せば、英雄マティアスが聞いてくれる。

 どうか聞いてほしい。そう思いながら、フリードリヒは語る。


「だからこそ、迫ってきた現実を前に腹が立ちました。英雄たちに憧れながら、自分は無名で無力な民の一人としてこのまま死ぬ。自分の命も、ユーリカ――そこにいる彼女のことも守れずに無様に死ぬ。そう思うと、憤りを押さえきれなくなりました。それで……」

「……それで、そのような大それたことをしたと?」


 マティアスの問いかけに、こくりと、フリードリヒは頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る