第10話 盗賊襲来②
「よっしゃあ! 盗賊どもの行列のケツは塞いだぞ! 大成功だ!」
「馬鹿! 手を止めるな! どんどん投げろ!」
南門のすぐ近く、大通りに面した宿屋の二階。窓から盗賊たちを見下ろしながら、住民の男たちが話す。
人がいるのはこの宿屋だけではなかった。大通りに面する建物はどれも、二階や屋根に数人ずつ男たちが配置されていた。
なかには女性もいた。子供や老人や病人と一緒に隠れていてもよかったところ、自ら志願して戦闘員の側に加わった勇敢な者たちだった。
「よし、火がついたよ! 投げな!」
火種のランプを手にした、肝っ玉の据わっている中年女性が言い、その夫である農民の男が窓から瓶を投げる。
瓶に入っているのは酒。ただのワインやビールではなく、高価で酒精の強い蒸留酒。瓶の口からは布が伸びており、その布の先端には火が灯されている。
放物線を描いて飛んだ酒瓶は、退路を塞がれて立往生している盗賊たちの隊列のど真ん中へ。一人の盗賊の頭に当たって砕け、次の瞬間に火炎がまき散らされる。
頭から火に包まれた不運な盗賊は断末魔の叫びを上げながらのたうち回り、飛び散った火を浴びた周囲の盗賊たちも悲鳴を上げる。
長く伸びた盗賊の隊列に、次々に瓶が投げ込まれ、火が生まれる。
「ははは! いいぞいいぞ! 面白いくらい燃えるぞ!」
「さすがは代官様の秘蔵の蒸留酒だ!」
「一発で何百スローネもする贅沢な攻撃だ! 食らいやがれ!」
高価な蒸留酒。その出所は、ボルガを捨てて逃げ去った代官ヘルマンの屋敷の地下だった。
安いものでも一本で労働者の一週間分の給金が消し飛ぶ蒸留酒を、ヘルマンは先代代官である父の代から集めていた。飲んで楽しむためというよりも、収集それ自体が趣味だった。
それを、時おりヘルマンに雇われ、彼と話す機会の多かったフリードリヒは知っていた。蒸留酒がよく燃えることや、ときに武器として使われることは、書物から学んだ。
ヘルマンと彼の父が数十年かけて集めた蒸留酒は、実に百五十本以上。それらが今、単なる火炎瓶となって次々に家々の窓や屋根から投げられ、通りで炎の花を咲かせている。
「ちっ、もう二本とも投げ終えちまった」
「だからって休んでる暇はねえぞ。酒瓶がなくなったら石だ」
火炎瓶は住民一人につき一本か二本。手持ちを投げ終えた者は、広場の石畳から剥がしておいた石材を次々に放り投げる。
・・・・・・
「お頭! どうしやす! 相手が高所にいるんじゃあ反撃もろくにできねえ!」
「このままじゃあ全滅ですぜ!」
「……前進だ! 一気に走って大通りを抜けるぞ!」
退路は複数の火炎瓶による火の海で塞がれている。正面の中央広場まで突き進み、広場にいる連中を倒すしかない。素人相手の白兵戦ならば勝ち目は十分にある。
そう判断したゲオルクの命令で、部下たちは一斉に走る。数多の戦場を潜り抜けた傭兵たちは、指示を受ければ即座に動く。
「ちくしょう、何なんだここは……」
彼らの先頭を行きながら、ゲオルクは悪態をつく。
油断がなかったと言えば嘘になる。しかし、ただの田舎都市の住民どもからこれほど熾烈な抵抗を受けることを予想するのは、いくらなんでも無理だ。
ここはただの小都市で、戦力になる者は全滅させたはず。代官も、非常時に頼りになるような人間だとは聞いていない。それが何故、こんな効果的な作戦や凶悪な武器を用意した上で待ち構えている。
戦闘経験も学もない民衆をまとめ上げ、大した猶予もない中で的確に指示を出して戦いの準備をさせ、これだけの作戦を考えて実行に移す。一定以上の戦の知識と、よほどの決断力、そして民衆に言うことを聞かせるだけの尋常ならざる説得力がなければ不可能だ。
戦慣れした貴族でも滞在しているのか。そうでもなければこの状況の説明がつかない。
ゲオルクは答えの出ない思案をくり広げながら、降り注ぐ攻撃を潜り抜けて進む。後ろを振り返る余裕はない。部下たちが一人でも多く大通りを突破できることを祈るしかない。
間もなく、ゲオルクは沿道の建物から降り注ぐ攻撃を突破し、広場に出る。
広場はおそらくこの都市内で唯一、地面が石畳に覆われていた。その石材を投擲のための武器としたのか、全体の半分以上が剥がされている。
そして、広場にあったのは半円の陣だった。五十人ほどの男たちが、武器を手に半包囲の陣形を作って待ち構えていた。
武器は例の火炎瓶もあれば、棒の先端にナイフを縛りつけた急ごしらえの槍や、鋤などの農具もあった。それらを構える男たちは、明らかに怯えや不安の色を浮かべている者も多い。足が震えているような有様の者もいる。
本物の戦を経験してきた自分たちの敵ではない。そう思いながらゲオルクは後ろを振り返る。生き残っている部下は三十人ほど。随分と減ってしまったが、足りるだろう。
適当なところから突破して包囲を崩し、乱戦に持ち込めば、こんな臆病な雑魚どもは一網打尽にできる。そうなればこちらの勝利だ。
「へえ。まだ結構生き残ってるね」
ゲオルクが思案を巡らせていると、半円の陣の中央から進み出てくる者がいた。
若い男だった。深紅の髪が特徴的な、瞳まで赤い、まだ十代に見える男だった。右手には着火済みの火炎瓶をひとつ持ち、傍らには剣を握った若い女を侍らせていた。
「……てめえが指揮官か」
誰だ。この都市の代官にしては若すぎる。身なりからして貴族の類ではない。討伐隊を率いていた騎士の息子か何かか。
ゲオルクが睨みつけても、その男は少なくとも見かけの上では、怯んだ様子がなかった。こちらを真っすぐに見据え、その口元は笑っていた。
「そうだよ。あれだけ火で炙ってやれば全滅してくれるかと思ってたけど……意外と死なないものだね。まるでゴキブリだ」
「っ! てめえ!」
こんな小僧に自分たちはしてやられたのか。ゲオルクの頭に血が上る。後ろに並ぶ部下たちも一斉に殺気立つのが分かった。
「あのガキを殺せ! そうすれば住民どもは烏合の衆になる!」
そう叫び、ゲオルクは自ら先陣を切る。部下たちも鬨の声を上げながら続く。
剣を構え、深紅の髪をした指揮官の男目がけて突き進み――その途中で転んだ。
「なっ!?」
正確には足元が沈んだ。石畳が剝がされている部分に足を踏み入れた瞬間、地面に足を飲み込まれ、そのまま膝の上まで沈んだ。
落とし穴だった。さして深くはなかったが、踏み込んだ右足が穴の底についた瞬間、落下の衝撃に全体重が加わって足首に激痛が走った。
そのまま前のめりになって転び、取り落とした剣が前に滑っていった。すぐ後ろから走ってきていたらしい部下の一人に背中を蹴られ、その部下はゲオルクにつまずくかたちで転んだ。
「ぎゃああっ!」
「うおっ!」
「何なんだおい!」
声に振り返ると、部下たちも次々に落とし穴にかかっていた。石畳が剥がされたそこかしこに、浅い落とし穴がいくつも仕掛けられているらしかった。
雑に石畳を剥がした地面は土が飛び散って荒れており、おまけにゲオルクたちは頭に血が上ったまま走ったので、落とし穴があることに誰も気づかなかった。
深紅の髪の男を仕留めるための一斉突撃は、勢いを失って止まっていた。落とし穴に足をとられた者。その仲間につまずいて倒れた者。落とし穴を警戒して急停止したところ、状況がよく分かっていない後続に突っ込まれて共に転んだ者。ひどく無様な状況だった。
「投げろ!」
深紅の髪の男の声が聞こえ、ゲオルクは前を向く。
男は手にしていた火炎瓶を構え、ゲオルクを見ていた。
「クソが!」
ゲオルクが叫んだのと同時に、深紅の髪の男が火炎瓶を投げた。
狙いを少し逸れて落ちた瓶は、ゲオルクの目の前で火炎を巻き起こした。
・・・・・・
フリードリヒは命令を下しながら、自身の手にしている火炎瓶を盗賊の頭領らしき大男目がけて投げつけた。
頭領の姿が火炎で見えなくなったのと同時に、盗賊を半包囲している住民の男たちのうち、火炎瓶を手にした十数人がそれを次々に投げ込む。
「うわあああっ!」
「や、止めろ! ぎゃあ!」
「助けてくれぇ!」
混乱して動きが止まっている最中に攻撃を受けた盗賊の生き残りたちは、次々に火炎に包まれていく。肉の焼ける匂いと、断末魔の叫びが辺りに広がる。
火炎が近くに落ちなかった幸運な者や、火の壁を強引に突破した者もいるが、彼らもそう効果的な抵抗はできない。盗賊たちの得物は剣が主だったので、槍や農具などリーチの長い武器による半包囲を前に攻めあぐねる。
「くそ! こっちに来るな!」
「寄るな! 止まれ! そっから動くなよ!」
武器を構えた男たちは、それぞれ懸命に声を張って盗賊の生き残りたちを牽制する。半円の陣を堅持する男たちの中には、必死の形相のブルーノもいた。
勝ったか。周囲を見回しながらフリードリヒが思った、そのとき。
「下がって!」
ユーリカに抱きつかれ、そのまま強引に後ろに下げられた。
「うおおおおおおっ!」
それとほぼ同時に目の前の火炎が割れ、盗賊の頭領が吠えながら飛び出してきた。
「うわっ、まだ生きてる」
表情を強張らせながらフリードリヒが言うと、頭領にじろりと睨まれる。頭領は自身の右腕に燃え移っていた火を左手で叩いて消すと、近くに落ちていた剣を拾い上げ、そして再びフリードリヒを見据える。
硬直するフリードリヒを守るように、ユーリカが前に出る。
「……嬢ちゃん、そこをどきな。死ぬぞ」
「は? 誰に言ってんの?」
ユーリカは不愉快そうな声で答え、そしてほとんど予備動作もなく動いた。
「っ!」
その動き方で彼女がただの小娘ではないと分かったらしい頭領は、驚きながらも鋭い斬撃を受け止めた。それからさらに二撃、ユーリカの力任せの攻撃を防いだ。
その三合で頭領が右足を庇いながら戦っていることに本能的に気づいたユーリカは、姿勢を低くして横に飛ぶ。
左側に回られた頭領が右足を軸足にして動くのをためらう、その一瞬の隙が命取りとなった。
頭領は防御のために剣を構えるが、その体勢が悪い。ユーリカが横に薙いだ剣先が頭領の右の手元を捉え、数本の指ごと剣をはじき飛ばす。
「くそっ! 待て――」
構えを変えたユーリカが突き出す剣は、頭領が咄嗟に出した左手のひらを貫き、そのまま頭領の胸に深々と突き刺さった。明らかな致命傷だった。
ユーリカが剣を引き抜くと同時に、頭領は膝から崩れる。
口から血を溢れさせながら、自身を倒したユーリカではなく正面のフリードリヒを見た。
「……小僧。お前、何者だ」
尋ねられたフリードリヒは、しばし無言で頭領を見下ろす。
自身の言葉が聞こえる距離には頭領とユーリカしかいないことを確認した上で、口を開く。
「フリードリヒ。元孤児の、ただの平民だよ」
それを聞いた頭領は、驚きに目を見開き、そして最後に小さく笑った。
「凄い奴もいたもんだ」
呟くように言ってがくりと項垂れ、頭領はそのまま動かなくなった。
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