第4話 盗賊出現

 それから数週間が経ち、その間も特筆すべき出来事はなかった。

 フリードリヒたちの暮らすエーデルシュタイン王国ドーフェン子爵領は、王国の北西にある田舎領地。この国と西の隣国アレリア王国は係争中だが、ドーフェン子爵領が接する国境は全域が山脈であるため、軍隊の侵攻路にはならない。

 そんなドーフェン子爵領の中でも辺境に位置するここボルガは、特に平和だった。点在する農村を繋ぐ拠点として築かれた、人口五百人ほどの何の変哲もない小都市。こんな場所で、事件らしき事件は滅多に起こらない。

 昨日も、一週間前も、一か月前も、一年前もさして変わらない。平穏で退屈な日常が続く。そんな日々の中で――しかし、ある秋の日、珍しく非日常的な出来事が起こった。

 その日、フリードリヒは自作農家の蔵で麦の量を数える手伝いの仕事を終え、ユーリカと共に自宅まで歩いていた。明日からの休日の予定を話しながら。


「まとまった休みは久しぶりだし、領都まで行こうか」

「いいね。前行ったときに新しく開いてた料理屋、また行きたいなぁ」


 十二歳のとき、フリードリヒは修道女アルマの用事の付き添いで初めて領都に赴いた。

 人口およそ三千の領都は、この国の中では大都会というわけではないらしいが、それでもボルガと比べたら段違いに栄えていた。様々な店が並び、市場が開かれ、芸人が路上で芸を行い、領外から訪れた商人や旅人が行き交っていた。

 その街並みに、フリードリヒは魅了された。なので、自分で金を稼ぐようになってからは、時おりユーリカと共に領都に出かけている。

 さして金に余裕はないので、安宿に一、二泊し、安い料理屋や露店で食事するだけだが、そうして都会で刺激を受けることは、書物を読むことと並んでフリードリヒの心の慰めになっている。


「そうしよう。あのときは開店したばかりで混んでたけど、今度はゆっくりできると……あれ、何の人だかりだろう」


 中央広場に住民たちが集まっているのを見たフリードリヒは、そちらを向いて呟く。


「フリードリヒ、行ってみる? 何か事件かも」

「あはは、この田舎で? 珍しいね」


 ユーリカに笑いながら答えると、好奇心でその人だかりに近づく。


「何があったんですか?」

「おお、フリードリヒじゃないか。何でも、南の農村の近くに盗賊が出たらしいぜ。村からボルガに来てた連中が帰りの道中で襲われて、慌てて逃げ戻ってきたんだと」


 フリードリヒが手近な住民に声をかけると、その中年の男はそう説明してくれた。


「へえ、盗賊。大変ですね」


 さして驚くこともなく、フリードリヒは答えた。

 ドーフェン子爵領は王国の中でも平和な方だが、それでも時おりこうして盗賊や、熊などの獣が出ることもある。特に盗賊に関しては、国境沿いの貴族領である以上、ある程度は仕方のないことだった。

 ドーフェン子爵領の面する国境は全面が険しい山脈だが、他の貴族領ではその山脈が途切れ、アレリア王国と平原や回廊で接している箇所もある。そのため定期的に戦闘が発生しており、そこから傭兵崩れや脱走捕虜などが流れてきて盗賊化することがある。

 もっと珍しい例だが、一か八か国境の山脈を越えてきたアレリア王国の犯罪者などが、そのまま盗賊になることもある。

 とはいえ、ほとんどの場合それもすぐに領軍に討伐されて終わる。この騒ぎもすぐに終息するだろうから自分には関係ないと、フリードリヒは考える。

 広場の中央には、代官からの布告や簡易裁判の際に使われる木製の壇が置かれている。その檀上へ今まさに、領軍のボルガ駐留部隊の隊長デニスが上がる。


「あー、いいか皆。聞いてくれ」


 デニスが壇上から住民たちに呼びかけると、間もなくざわめきは収まり、集まっている者たちの注目が彼に集まる。


「ここにいる奴らはもう聞いてるだろうが、盗賊が出た。出くわした連中の話によると、数は四、五人だそうだ。その程度の規模で村や都市を襲うってことはないだろうが、放っておくわけにもいかないからな。明日、俺が部下たちを率いて討伐に出る。だが皆も知っての通り、このボルガの駐留部隊は俺を含めて十人しかいない。確実に盗賊を討伐するために、手伝いの民兵が十人ばかりほしい。志願者を募りたい」


 デニスの呼びかけを受け、住民たちに驚きの色はなかった。盗賊や獣などがボルガの近くに現れた際、デニスは討伐のためにいつもこうして住民から補助戦力を募る。

 彼は元孤児のフリードリヒにも気安く接してくれる気のいい人物で、住民からの信頼も厚い。軍人としての実力も確かで、盗賊や獣の討伐に失敗したことはない。その彼が今回も盗賊討伐を主導するとなれば、住民たちの顔に不安の色はない。


「久々の志願者集めだな。フリードリヒ、お前も志願するか?」

「まさか。しませんよ」


 先ほど状況を説明してくれた中年の男に問われ、フリードリヒは首を横に振る。


「ははは、そうだよな。孤児上がりでふらふらしてるお前に務まる役目じゃねえ」


 もともと本気で尋ねたわけではなかったらしく、男はへらへらと笑いながら言った。ごく自然に自分を見下す言葉に、しかしフリードリヒは作り笑いで応える。

 こうした言葉を投げられることは珍しくない。この社会では、産まれ育つ、あるいは産み育てる家族を持ち、堅実な仕事を持ってこそ真に一員と認められる。

 家族を持たずに育ち、あちこちに呼ばれて出向く自由業のような働き方をしているフリードリヒとユーリカは、常に社会のはみ出し者と見なされる。

 もちろん気分が良いはずもなく、胸糞悪いことこの上ないが、何を言おうが無駄。なのでフリードリヒは、それ以上反応しない。

 デニスによる志願者の募集に、勇敢な男たち――有力な自作農家の家長やその継嗣など、都市社会の中心にいる責任感の強い者たちだ――が応じる声が響く。この段になってはもはや自分に関係のない話だと、フリードリヒはユーリカとともに広場を離れる。


「明日の領都行き、どうする?」

「……さすがに盗賊討伐が済むまでは中止かな」


 フリードリヒたちが気にしているのは、自分たちの休暇のことだった。

 盗賊討伐については、元より心配していない。デニスたちが討伐に出るなら、明日の夜には既に解決しているはず。領都への出発を一日延ばす羽目になって残念だと、考えるのはただそれだけだった。

 盗賊討伐の失敗の可能性など、端から頭にはなかった。

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