第2話 フリードリヒの日常②

 肉屋で二人分の豚肉を買ったフリードリヒは、機嫌良さげに鼻歌を歌うユーリカと共に歩く。

 夕刻前のこの時間帯、通りは買い物客や仕事帰りの者が多く歩いている。行き交う人々の中に――フリードリヒは、できれば見かけたくない姿を見かけてしまった。


「よお孤児野郎。はみ出し者のくせに堂々と通りを歩きやがって、何やってんだ?」


 声をかけてきたのは、フリードリヒと同い年の、ブルーノという青年だった。

 フリードリヒが子供の頃、ガキ大将のいじめっ子として同年代の間で知られていた彼は、今は荒っぽい性格の不良として街では有名。かつて好き放題にいじめたフリードリヒが、孤児出身のくせに多少稼いでいることが気にくわないのか、今でも子供の頃のように時おり絡んでくる。

 ブルーノの隣では、彼がいつも連れている子分が二人、にやにやと嫌な笑みを浮かべている。


「おい何とか言えよ。ぶら下げてんのは豚肉か? どっかから盗んだんじゃねえのか?」


 なおも声をかけてくるブルーノを、フリードリヒは無視する。

 ブルーノは子分たちを連れて後ろからついてきながら、あれこれと嫌な言葉を投げてくる。ユーリカは鼻歌を歌うのを止め、フリードリヒの腕に寄り添い、ブルーノたち三人の気配を気にしながら歩く。


「ねえフリードリヒ、どうする?」

「相手にしなくていいよ。街はずれまではついてこないだろうし」


 耳元に囁くユーリカに、フリードリヒはそう答えた。

 いざとなれば勝てるが、面倒ごとはできるだけ避けたい。馬鹿は無視するに限る。


「おい、無視すんじゃねえよ。孤児のくせにいつも女侍らせやがって。生意気なんだよ。見てくれが良ければそんな化け物女でも用は足りてるってか? ちゃんと穴はあるだろうからな」


 ブルーノの下卑た挑発に同調するように、子分たちが汚い笑い声を上げる。


「……前言撤回。路地裏におびき寄せて、後はユーリカが好きにしていいよ。ああでも、目立つ怪我はさせないでおこう」


 フリードリヒは小さな舌打ちを零し、そう言った。


「ふふふっ、分かった。任せといてぇ」


 それに、ユーリカはにんまりと楽しげな笑みで応えた。

 二人は帰路から外れる道に入り、ブルーノたちがついてくるのを確認した上で、いきなり走り出して狭い路地に飛び込んだ。


「あっ! おい待ちやがれ!」


 その言葉からして、ブルーノと子分たちはちゃんと後を追ってきている。そう思いながら、フリードリヒは飛び込んだ路地で彼らを待つ。

 そのフリードリヒの前には、ユーリカが立っていた。軽く肩を鳴らし、足では小さくステップを踏み、どこかうきうきした様子でブルーノたちを待ち構えていた。


「おいふざけんなよ孤児野郎――」


 路地に駆け込んできたブルーノに、ユーリカはいきなり蹴りを放った。


「おわっ!?」

「ぶげっ!」


 ブルーノは間一髪で身を伏せてそれを避けたが、すぐ後ろにいた子分は対応しきれなかった。ユーリカの靴に横顔を打たれ、吹き飛んだ勢いで路地の壁に激突し、そのまま伸びてしまう。


「てめえ!」


 もう一人の子分が果敢にもユーリカに殴りかかるが、それは無謀な行動だった。

 子分の拳をユーリカは涼しい表情で躱し、膝で腹を蹴り上げる。また拳を躱し、今度は足をかけて子分を転ばせる。一切の無駄のない、まるで猫のようにしなやかな動きだった。

 無様に地面に転がった子分の足と足の間、男にとって最大の急所を、ユーリカは蹴り上げる。何も潰れたりしないよう手加減した軽い蹴りだったが、子分はそれでも言葉にならない悲鳴を上げてのたうち回る。

 その可哀想な様を見て、フリードリヒは小さく笑いを零した。


「油断してんじゃねえ!」


 ブルーノはそう怒声を放ち、ユーリカではなくフリードリヒ目がけて突進してきた。

 弱い方を狙って人質にでもしようというのであれば、ブルーノにしては賢い。フリードリヒは感心して小さく片眉を上げる。

 両腕でフリードリヒの首を掴もうとしたブルーノは――しかし、フリードリヒのもとにはたどり着けなかった。

 後ろから飛びかかったユーリカが、ブルーノの膝裏を蹴る。地面に膝をついたブルーノは、ユーリカにそのまますねを踏まれて立ち上がれず、後ろから腕を回されて首を絞められる。

 ブルーノが伸ばしていた手はフリードリヒの首の手前で空を掴み、ブルーノはそのまま顔を赤くしてじたばたともがいている。


「あはは、残念。惜しかったね」


 そんなブルーノを見ながら、フリードリヒは苦笑した。


「ねえ、馬鹿」


 もがくブルーノの耳元で、ユーリカが挑発するような声で言う。


「こうして私に負けるのは何回目? 私がすっごくすっごく強い化け物女だって知ってるでしょう? それなのにどうして、毎回私たちに絡むの? 今度こそ上手くいくと思ったの? 今までそれで何回私にこうして負けたの? ねえなんでそんなに頭が悪いの?」

「ぐ、ご……は、離……」


 ユーリカは強い。天性の才覚とでも言うべきものがあるらしく、誰かに指導を受けたわけでもないのに、異様に強い。

 筋力では男に敵わない代わりに、俊敏さで相手を圧倒するのがユーリカの戦術。細く引き締まった身体を巧みに使い、まるで野生の猫のように戦うユーリカに、ブルーノは勝てたためしがない。


「ユーリカ、その辺で止めてあげよう」


 ブルーノが白目をむき始めたのを見て、フリードリヒは言った。その言葉に従い、ユーリカはすぐにブルーノを離して立ち上がる。


「げほっ、げほっ、げえぇ……て、てめえ。こんなことしてどうなるか」

「えっ、まさか誰かに言うつもり? 元孤児の女にぼこぼこにされたからパパママ助けてって家族に泣きつくの? 兵隊さん助けてって領軍にすがりつくの? いいよぉ言いたいなら言っても。そのときは私もあなたたちの無様な負け方を街中に言いふらしてあげるよぉ?」


 地べたに座り込んで肩で息をするブルーノを、ユーリカが小馬鹿にする。ブルーノはユーリカを睨み上げ、しかしそれ以上は何も言わなかった。

 ボルガは小さな都市だ。噂はすぐに広まる。いくら相手がユーリカとはいえ、三対一の喧嘩で女性に惨敗したなどと、ブルーノが自分から話せるわけがない。


「ついでに言うと、僕もユーリカもボルガの皆にとって便利な存在だからね。君たちの骨を折りでもしたのならともかく、殴る蹴るしただけで僕たちが檻に入れられたりボルガから追放されたりすることはないよ。君のご両親、別に有力者でも何でもないし」


 そう言いながら、フリードリヒはブルーノの前にしゃがみ込む。


「ねえ、ブルーノ」


 そして、少し困った表情になる。


「いい加減にさ、僕たちに絡んでくるのは止めてよ。別に僕たちの方から君に何かしたわけじゃないよね? ユーリカの言う通り、君たちが負けたのはもう何度目か分からない。嫌な言い方になるけど、君たちは僕たち……というか、ユーリカには勝てないって分かりきってる」


 フリードリヒの声には、露骨な呆れの色が混じる。


「本当に、暴れたいならせめて他の人に絡んでよ」

「うるせえ。元孤児のくせに。この俺がお前らなんかに負けたままでいられるわけねえだろ。いつか目にもの見せてやる」

「……そう」


 視線を逸らしながら吐き捨てるブルーノを前に、フリードリヒは嘆息した。

 駄目だ。話が通じない。そう思って立ち上がった。


「お大事にね、ブルーノ。そっちの二人も」


 そう言い残し、路地を出て帰路に戻るフリードリヒに、ユーリカも続く。


「ユーリカ、怪我してない?」

「あれくらいで私は怪我なんかしないよぉ。フリードリヒは大丈夫?」

「僕も平気。ユーリカのおかげだよ」


 フリードリヒが答えると、ユーリカはとろりとした笑みを浮かべながら腕に寄り添ってくる。


「そう、よかった……これからも私が守ってあげるからねぇ、フリードリヒ」

「ありがとう。頼りにしてるよ、ユーリカ」


 フリードリヒに絡んでくるのはブルーノたちだけではない。元孤児という侮られやすい立場にいるフリードリヒには、他の不良じみた連中も時おり近寄ってくる。

 この都市から徒歩で一日の場所にある領都に偶に出かけた際も、いつも小綺麗なフリードリヒは小金を持っていそうに見えるのか、よく目をつけられる。

 そんなとき、ユーリカはその強さを発揮していつも守ってくれる。

 フリードリヒは、自分たち二人がどうやって生きていくかを考える。ユーリカよりは社交性があるので、客との関係を維持し、仕事を得る。そしてユーリカは、フリードリヒを守る。

 二人はそうして生きてきた。これからも生きていく。そうして生きていくしかないと、フリードリヒは思っている。


「帰ろう……ああ、その前に教会に寄らないとね」

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