第3話 4日目 順天・麗水

トラベル小説


 ソウルを夜10時に出て、朝5時に順天(スンチョン)に着いた。その距離750km。途中、2度ほどのトイレ休憩があったが、ずっと高速道路を走ってきた。暗くてよくわからなかったが、相当のスピードで走ってきたようだ。電車でも来ることはできるが、1日を有効に使うためには早朝に到着する夜行バスが一番いい。

 朝5時には着いたが、どこもあいていない。仕方なく、バス停近くのベンチで仮眠をとった。朝7時になって、食堂があきはじめ、そこで朝定食を食べた。焼き魚定食だ。500円で食べられるのはうれしい。

 タクシー乗り場に行き、目的地の順天城(スンチョンソン)跡に行くために、プリントアウトした地図を見せた。ここはバスで行けないところなので、タクシーで行くしかない。30分ほどで到着した。帰りのタクシーを探すのは至難の業なので、スマホの翻訳機能を使って、2時間後に迎えに来てくれ。と頼んだ。運転手はOKと言っていたが、本当に来てくれるかどうかはわからない。その時間に他の客がいれば、こっちには来てくれない。会社の他のタクシーに頼むということはしないと思った。日本人が考えるきめ細かいサービスを考える人たちではないのだ。

 さて、駐車場から歩きだすと、まず驚いたのが400年前の城跡であるのに、整備されているということだ。石垣が崩れたところは補修がされている。地元順天市の史跡として保存していく姿勢が大いに感じられる。

 そして、展望台みたいな丘の上に立った。順天城の全貌が見える。目の前には複雑なラインの入り江が見える。400年前とは違う景色なのだろうが、水軍の基地として最適なのはよくわかる。

「ここで小西行長と李舜臣(イスンシン)が戦ったんですね」

「そうだよ。小西行長が作った一番西の城、倭城(ワソン)だ」

「あそこに案内板がありますよ」

と木村くんが、韓国語の案内板を指さした。書いてある内容は分からないが、右上にさし絵があり、そこに日本式の天守台が描かれている。本当にあったかどうかは定かではない。単なるイメージなのかもしれない。小西行長にしてみれば、仮の城である。櫓は造ったと思うが、天守台まで造る意味はあったのだろうか。はなはだ疑問だ。

「ここが水軍の基地だとすると、湾の入り口をふさがれたら出られませんよね」

「よく気づいたね。李舜臣の作戦はまさにそれだったんだよ。ぼろ船を湾の入り口に沈めたんだよ」

「そして、火攻めですか?」

「その通り、火矢を使ったようだ。小西勢は鉄砲や大砲が主だから、苦戦したようだね」

「それでも行長は降伏はしなかったんですよね」

「李舜臣はゲリラ的戦法を使っていたからね。1万を越す小西勢に2千ぐらいの少数で戦いを挑んでいたからね」

「例の亀甲船ですね」

「李舜臣が乗り込んでいたわけではないようだけど、小回りがきく船だったようだ。

すばしっこくて、大砲ではねらいにくかったみたいだ。後で見にいくかい?」

「エッ! 400年前の船が残っているんですか?」

「まさか、レプリカだよ。でも実物大らしいよ」

「いいですね。興味あります」

「それじゃ、後で行くか」

と言いながら、城跡を歩いた。入り江までは急な坂を下らなければならず、2時間の制約では駐車場にもどれそうもないので、城跡の上の部分だけを歩くことにした。

 整備途中ということで、いたるところで修復がされている。400年前の雰囲気はないが、100年たてば史跡としての価値がでてくるだろう。そのころには、妻といっしょに天国から見られるかもしれない。と心の中で思っていた。ニヤニヤしている私を見て

「木村さん、なにがおかしいんですか?」

という問いかけには笑って返すしかなかった。亡くなった妻が見ていると言うと、また木村くんに何か言われそうだった。


 予定の2時間がたった。駐車場でポツンと待つ。いるのは我々2人だけだ。

「木村さん賭けませんか?」

「どんな賭け?」

「タクシーが遅れてくる時間。負けた方は夕食もち、どうですか?」

「いいね。じゃ、オレは10分遅れ」

「それじゃ、僕は20分遅れ。近い方が勝ちですよ」

「OK。でも、二人とも遅れてくると思っているんだね」

「だって、すでにもう5分すぎているじゃないですか。この3日間で待たされるのがあたり前というのがよく分かりましたから」

「よく言えばおおらか、悪くいえばおおざっぱということかな」

「そうですね。でも、日本が細かすぎるのかもしれませんよ。南フランスを旅した時もそう感じましたから」

「あの時はすごい経験をしたもんね。警察には連れていかれるし、強盗にもあったしね。ラテン系の系統なんだね。だから韓国人は東洋のラテンと言われるのかもしれないよ」

と言っているうちに、タクシーがやってきた。15分ぴったしだった。

「引き分けでしたね」

「神さまが争うなと言ったのかな?」

私は神ではなく、天国にいる妻の顔が頭に浮かんだ。神ではなく、カミさんなのだ。と思うとまたにやけた顔になった。

 タクシーの運転手にスマホの翻訳機能を使って麗水(ヨス)まで行ってほしいことを伝えた。彼の縄張りではないので、最初戸惑っていたようだが、ナビにデータを入れると了解してくれた。その距離およそ40km。40分の距離である。着いたのは麗水のバスターミナル。港はすぐ近くだ。タクシー料金は2000円程度。日本ならば1万円を越す。韓国が安いのか、日本が高すぎるのか、スイスやベルギーも高かった。

 以前、駐在時に韓国人の同僚に聞いたことがある。韓国人は、いい大学を出て、財閥系の企業に入社することが最高の道だということだ。タクシーの運転手は底辺の部分で就職できない人がなる仕事。黒塗りの模範タクシーの運転手になれば、そこそこの生活が送れるということだった。だから一般タクシーの運転は荒いのかもしれない。


 バスターミナルの観光案内所で、亀甲船の情報を得た。1kmほど離れたところにつながれているとのこと。橋を越えた島のふ頭にあるらしい。

「歩こうか」

ということになり、港の景色を見ながら歩いた。橋は近代的なアーチ型の橋である。近代的な建物ばかりで歴史はほとんど感じない。

 20分ほど歩いて、目的地のふ頭についた。大きな船の間に竜頭の丸っこい船がつながれている。小屋みたいなところで乗船券を買って、船の中に入る。船の中は、天井があるので、狭苦しく感じる。でもかがむほどではない。そこに櫓をこぐ穴が20ケ所ほど、多い時にはひとつの櫓に4人ぐらいでこぐと説明板に書いてある。小さな船で80人も漕ぎ手がいたら、相当のスピードがでるだろう。大砲は12門おける。近距離戦闘用なので小型の大砲だ。先頭の竜頭の口からは花火がでるらしい。船の中に100人もいたら狭くてたまらなかったと思う。この船の最大の特徴は、屋根にある。屋根の上に刀の刃先が埋められており、船に乗り込んだら、大けがをしてしまう。大砲の直撃弾を受けないかぎりは沈まない構造だ。二人で感心しながら、朝鮮の英雄李舜臣の気分になっていた。ソウルのホテル近くに李舜臣の銅像があるが、その見方が変わった。

 夕方5時のソウル行きのバスに乗ることができた。食事をしている余裕がなかったので、コンビニでサンドウィッチを買った。味は微妙だった。

 バスは昼行便なので、4列シートの一般バスである。シートはリクライニングできない。その代わり、優等バスより1000円ほど安い2500円で行くことができる。この安さは魅力だ。席は空いていたので、木村くんとは左右に分かれて座った。窓に頭をくっつけて眠ることができた。

 夜12時、ソウルのバスターミナル到着。地下鉄はまだ動いていると思ったが、タクシーで帰ることにした。東ターミナルから市庁裏まで20分ほど、1000円程度で来ることができた。ホテルに入る前にライトアップされている李舜臣におじぎをしてから入った。

「李舜臣って、東郷平八郎が敬愛した武将なんですね」

「そうだよ。スマホで調べたの?」

「はい、ロシア艦隊に立ち向かう時に、李舜臣の戦法を取り入れたと書いてありました」

「敵前での大回頭だね。T字で相対することで、こちらの大砲の数が多くなる戦法だ。東郷ターンといわれるやつだ。そのヒントは李舜臣の戦法にあったらしい」

「すごい武将だったんですね」

「日本に帰ってから李舜臣のドラマを見てみたらいいよ。レンタルビデオ屋さんにあると思うよ。50話以上あるから長いけどね」

「そうします」

「さあ、明日はプサン行きだ。荷物整理だよ」

ベッドに入ったのは、2時過ぎだった。

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