第6話「訂正する力」⑥
第四章(最終章) 「喧噪のある国」を取り戻す
「訂正する力」、それは過去を再解釈することによって、新たな幻想を作り出し、現実をうまく人々の生活に合ったものにすることでもある。
しかし、それは都合のいいように勝手に過去を解釈して事実を捻じ曲げるのではなく、あくまで過去を再解釈することによって、よりよい生活を送れるようにする知恵である。
ウクライナ戦争では、SNSの活用により、詳細な戦争被害が明らかになっている。しかし、その現実だけを見つめると、どんどん人々の憎悪が増幅されるのみで、戦争を終わらせることにはならない。
古代ギリシャでは、多発する戦争を抑止するために、憎悪を増幅させないため、過去の戦争をなかったことにするという建前を試みた。
それはかなり無理のある幻想を作り出すことだが、人間は幻想の上に立って物事を考えないと、とうてい平和にはたどり着けない。
露骨な現実ばかり提示したのでは憎悪は増すばかり。こういった場面でも、「訂正する力」は有効である。
平和は喧噪ある社会の上になりたつということもできる。政治とは無関係の話題で盛り上がったりできること、ちょっと騒がしく、無駄なことを言い合える社会。
そういう喧騒が健全な社会を作り、ひいては健全な国家を運営することができる。
平和とは、戦争の欠如、政治の欠如である。政治とは全く関係のない価値観で生活できる状態、それを平和という。
戦後日本とは、政治とは関わらない豊かな文化を生み出す時代だった。そう過去を訂正することによって、現在の政治的過多をもういっぺん見直そうというのが東氏の考えだ。
もちろん、世の中は政治的なものがなければ、運営できない。しかし、実際は政治が働いているが、はたからみると、政治が消えてみえるような世の中、そうやって幻想を作り出し、現実を訂正し、平和を実現しやすくする世の中。「訂正する力」は平和を実現するためにも、必要な力である。
ここまでが第四章のまとめです。
最後に私の感想をちょっと言っておきます。
最後に東氏は日本の国防についてふれるが、その場面でとても誤解されやすい部分にふれる。訂正する力によって過去を改ざんし、自分の都合のいいように過去を解釈し歴史認識を広めるという意味で、訂正する力を表現しているのではないということを強調しておきたい。
あくまで、過去の事実を尊重し、その上で訂正する力を駆使し、一種の幻想を作り出し、平和を構築するさいの基礎にすると東氏は述べているのである。
現実ばかりでは、憎悪を増幅させ、身も蓋もなくなってくる。なので、幻想というものに現実をくるみ、平和構築の目的に合わせて訂正するという意味である。
東氏のこの発想、では、現実でどのように訂正する力を行使すればいいのか、ちょっと途方にくれる感じがあるが、ニュアンスはとてもよく伝わってくる。
これから先は個々人がそれぞれ、この「訂正する力」を認識し、平和主義を再構築していくしかないのだろう。
最後、ちょっと抽象的に終わったが、この後は、我々が自ら考えていく領域である。
「訂正する力」、感想文、終わり。
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