第5話「訂正する力」⑤

第三章 親密な公共圏をつくる


 この章の冒頭、東氏は哲学というものを定義する。哲学とは、「実存」、「時事」、「理論」が合わさったものであるという。

 実存とは、客観とか主観とかにとらわれず、実際に世にあるということ。時事とは、その時々の出来事、理論とは、実際に世にあるものについて、存在する背景にある法則のこと。

 訂正する力を論じることは哲学にほかならない。ゆえに、この三つを兼ね備えたものでなければならないという。

 「訂正する力」の必要性を実感したのは、東氏の自身の会社経営の経験が大きいという。

 会社経営とは、理想を掲げて前に進むことと同時に、常に状況に応じて、経営を訂正していかなければならない。そうしないと、利益が出ずに倒産してしまう。まさに訂正する力が如実に問われることになる。

 ゲンロンカフェという文化人と一般人の交流する場、それがとても評判がよかったという。

 そこでは登壇者は長時間にわたり、一般の人と討論する。なにがよかったかというと、「余剰の情報」を提供することにより、一般人との議論が活発になり、盛り上がる。「余剰の情報」とは登壇者の表情であったり、登壇者との意外な雑談だったりとメインの討論以外に一般人にもたらす余剰である。

 それがゲンロンカフェを盛り上げ、しいては、ゲンロンという会社経営を軌道に乗せたともいえる。

 「余剰の情報」によって、「実はこういう人だったのか」とか「これはじつはこういうことだったのか」というふうに、最初の印象や考えを訂正できる。ここでも「訂正する力」の有効性が証明される。 

 自分自身を訂正可能な立場に置くことも重要だ。かたくなに主義主張を変えずに、そのことばかり論じていると、周りの状況が変わった時に対応できなくなる。

 そういった訂正可能な立場はある程度親しくなった関係上でしか成り立たない。

 そのようなある程度、距離の近い人間関係を構築するにはどうするか。それには組織を作ればいいと東氏はいう。

 ある程度の顧客を作り、お金のやりとりをし、持続可能な組織にすることで、訂正可能な状況を生み出す。

 それがしいては、社会に訂正する力を生み出すこととなる。

 世の中には交換可能なものと交換不可能なものが存在する。交換可能なものとは、「嫌なら職場を辞める」とか「嫌なら学校へいかない」という選択肢があることである。逆に交換不可能なものとは、身体であったり、家族関係であったり。

 世の中、交換可能なものばかりで生活するわけにもいかず、かといって、交換不可能なものばかりでは息がつまってしまう。

 その両者を適度に行き来するためには「訂正する力」が必要となってくる。

 東氏は最終的には人間は分かり合えないものだという。その苦しみから解放されるには、たえず、関係を、そして見方を「訂正」し、認識を更新していく。そうすることによって、新たな気付きを得る。それが大切だという。

 「お前は俺を理解していない」と言い続けられる場。それを大切にしてかないといけないと東氏はいう。

 「お前は俺を理解してない」と言い続け、たえず訂正を求める。それが民主主義である。

 そして、そういう議論の場を活性化させるために、「祭り」というものがひつようになってくる。

 以上が第三章のまとめと私のちょっとした感想です。

 次回、第四章、最終章です。

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