第11話 三番目に知る感情


   * * *


「それで前に比べて表情が柔らかくなったのか! いいじゃないか」

 

 ハリエットの家のダイニングで、イライザはそう言ってカラカラと笑った。


「人間は、実感が伴う場合にしか表情を作らないものだと思っていました」

「あはは、きっと君の周りにいた人たちは、素直な人ばかりだったんだな」

「はい。主人マスターもオリヴィアさまも、表情豊かで感受性の強い方でした」

「ん? オリヴィアさんというのは」

主人マスターの奥様です。昨日、名前を思い出しました」


 丈の足りないエプロンに身を包んだセブンスが、にこやかに答える。彼の手には、うっとりするほど「丁度いい」色合いの焦げ目がついたキッシュを乗せたオーブンプレートがあった。湯気と共にクリームと卵の柔らかな香りが立ち上り、料理人の腕の良さを物語っている。


「――諸々、順調みたいだな。その手は平気なのか?」

「はい。負担になる重さではありません」

「いやそっちではなく、プレートを直に……まあいい。君がいいなら。ハリエットも、行き詰まってはいないようで安心だ」

「ありがとうございます。まだまだ手探りなところばかりですが……」


 コーヒーを淹れてきたハリエットが、テーブルにつきながら目を伏せた。目の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。


「ちゃんと寝てるかい? ハリー」

「資料を整理していたら、つい夜ふかししてしまって」

「出る前に仮眠を取った方がいいよ。午後から十三層の調査なんだろう」


 あくびが出そうになる口にコーヒーを流し込みながら、ハリエットはうなずいた。


「そうですね。ケンさんの足を引っ張るわけにも行きませんし」

「ケンさん? ああ、メカニックの」

「今日の調査に同行してくださるんです」

「なるほどな。確かに警察の方で聞き取りをした時、気にしているようだった」

 

 デルファイ・カンパニー運送部の所長と再度話し合い、前回の調査の翌々日に二人は十三層のリフトを調査することになっていた。その際に交渉の場に現れて、同行して調査したいと願い出たのが同業者メカニックである「ケンさん」だったのだ。


「メカニックの君たちをそこまで心配することはないかもしれないけれど、気をつけるんだよ。入口とはいえ、二桁層ティーンズはあまり治安がいい場所とは言えないから」

 

  * * *


「――財布は無事か? カメラは? ならよかった。現場はこっちだ」


 メカニック・ギルドの中にも、「ケンさん」のフルネームを知っている人はいない。広く知られているのは、十四層の移民街に住んでいることと、他のメカニックには到底使いこなせない得物を使っていることぐらいだ。

 それでもここ数年のハリエットよりはギルドに顔を出しているから、実はもう世間にとってはハリエットの方が謎の多いメカニックなのかもしれない。


「通報を受けて駆けつけた時、リフトは横倒しになって暴れ回っていた。地面に放り出された魚みたいな有様だった。ひとまず止めるしかないと思って、制御装置を斬った」


 昼過ぎにも関わらず明かりがないと薄暗い十三層の集配所は、想像よりは清潔で新しかった。造られたばかりなのだろうか、地面を覆う鉄板にサビは少なく、動き回る機械マシナリーも小綺麗だ。

 ケンの白髪の混じった黒髪の後頭部を見ながら、セブンスが話の腰を折らない程度の小声でハリエットに囁いた。


「彼は今、『斬ったスラッシュド』と言いましたか。『撃ったショット』ではなく?」

「聞き間違いじゃないです……ケンさんは銃を使わないんです。わたしも、この目で何度見てもよく分かりません」

「――それで、斬り出した記憶石が赤く染まっていたことに後から気づいてな。最近多いんだろうそういうのが。嫌な予感がするから、個人的に調べていた」


 その言葉と共に、ケンが足を止める。そこだけ激しく地面が抉れ、瓦礫が小さな山になって隅に避けられていた。その横をなんでもない様子で、木箱を乗せたリフトが通り過ぎていく。


「俺は機械に近寄らないと止められないから、他のメカニックより機械の動きを感じ取りやすいらしい。あのリフトの挙動は、普通の暴走機械とは違った」

「どう違ったんですか?」

「空虚さがなかった。まるで行きたい場所があって、そこに行きたくて駄々をこねているようだった」


 地面にくっきりと刻まれた車輪の跡をケンが示す。それは激しく蛇行しながら、確実に一つの方向へ向かおうとしていた。


「運搬機用の立体レールの方向……」

「正解だ、ハリエットちゃん。上か、じゃなきゃ下。奴は別の階層に行きたがっていた」

「六層で暴走した切り替えポイントも、下を指し続けていました。どこかの層に、この機械たちが気にかける何かがあるのでしょうか」

「――しかし、ここのリフトの目に上下を見渡す機能はないようです。彼らはおそらく、自分達がいる場所以外の層を知りません」


 側を行くリフトを見ながら、セブンスが呟いた。


「あなた方は、記憶石の発達した機械に対して主人マスター以上に根拠のない期待を託しているように思われます。たとえ思考が進化しても、私たちの知覚できる範囲が元の性能を超えて拡大するわけではありませんよ。抱ける感情も、経験を基に少しずつ増やしていくことしか――私もまだ、知らない感情ばかりです」


 目を伏せる彼の表情に、不自然な硬質さはない。しかしその内容は明らかに「向こう側」から語られたもので、その意味に気づいたケンが驚いた声を漏らす。


「一昨日は半信半疑だったが――お前まさか機械人形オートマタか」

「はい。記憶石の赤変は、内部のプシュケウム回路の異常発達によるものだと私たちは判断しました。機械の思考回路は自動更新装置の影響で進化を始めており……私もそれによって、皆さんの持つ知性に近いものを得た機械たちの一つです」

「そんな事が……いや待て。それなら」


 彼の言葉を聞いていたケンは、しばらく考え込む表情を浮かべ……やがてハッとしたように唇を噛んで、手のひらを滑るように動かした。――腰の方へ。そこに括り付けられた、黒く光る鉄の鞘へ。

 カチリと音を立て、鞘から銀色の刀身が覗く。


「ケンさん⁈」

「ハリエットちゃん。状況は、君たちが思うより深刻だ。ここの機械は、早く止めてやった方がいい」

「でも機械の行動原理は、あくまで人間のために動くことだと聞きました。ですからわたしたちは、こうなった機械とわたしたちの間にあるはずの『誤解』を解くために、こうして調査を――」

「『誤解』じゃない。確かに俺も気づかなかった。彼が今言っただろう。たとえ機械が人間みたいに考えられるようになったとしても、奴らの身体は変わらない。元々動かない目は動くようになったりしないし、喋りたくても喋れない。走りたくても走れない」

「――まさか!」


 ハリエットが口元に手を当てて小さく叫ぶ。


 精巧に、人間ができるほとんどの行動を再現できるように創られたセブンスを近くで見ていたから、気づけなかった。


 そしてきっと、これはセブンスにとっても盲点だった。


「感情が芽生えた機械は、まず最初に戸惑いを知り、そして自分がやりたいことを見つけてからは――で、狂ってしまう」



 ガシャン!!と大きな衝突音が響いた。


 

 静かに貨物を運んでいたはずのリフトたちが一斉にそのアームをだらりと下げ、全ての荷物を放り捨てる姿が三人の視界に飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る