第10話 六層にて
* * *
縦に深く掘られた鉱山の跡に作られた街・ノーサンギアは、穴の空いた円盤状の「層」がいくつも積み重なったような構造をしている。
採掘地の周りをぐるりと囲むように築かれた高層の都市が立地的な限界を迎え、開発は広大な穴の中へと向かった。採光のため中央には一定の大きさの余白を残しながら、地盤を整備し、求められた施設を建設する。最初の層が埋まれば、下へ、さらに下へ。
取り込める日差しの量に不安が生じるようになってからは、チーズのように大小の穴が空いた層が築かれた。それでも薄暗さを増していく下層に、なお人々は集まった。層と層を繋ぐ昇降機やゴンドラなどの移動手段も発達し、街は立体的に、複雑に育っていった。
いつしかそれぞれの層には、ある程度の個性が生まれていた。
上流階級の邸宅が集まる層、工場が集まる層、マーケットが開かれ、多くの市民で賑わう様になった層、中流階級の住宅が集まる層、歓楽街、移民街、スラム街。
異常が起きた切り替えポイントのある六層は、市民の生活を支える食品工場や菜園、養殖池が集積する階層だった。
「――確かに怖かったっすね。直しても直しても下を指すとか、なんか
当時ポイントの近くにいたというデルファイ・カンパニーの従業員は、砕けた調子でそう語って身震いした。年の頃はセブンスの見た目と同じくらいだろうが、くるくると巻いた栗毛が幼く見せている。
「まー荷運び自体に迷惑はかかんなかったから、『怖かったなー』くらいで済んでるんすけどね。もし方向間違ったまま運搬車が進んでたら一大事っすよ。ドミノ倒しにダイヤが全部ズレて……うわっ、弁償とかさせられんのかな」
「暴走が起きた当日には、どんな荷物を運んでいたんですか?」
「ほとんど食品っす!
問題のポイントは、六層の最も大きな穴に向けて迫り出すように設けられたポートの根本に位置していた。記憶石を取り替えたら異常は直ったというのは確かなようで、今は上層を指したまま沈黙している。
「普段この機械に、みなさんはどう接していましたか」
「どうも何もないっすよ、ここに記憶石がはまってるのも気にしたことなかったし……てっきり、本部の管制室で全部命令出してるもんだと思ってたっす」
ほら、と従業員の青年は上を指した。ポイントを見下ろすような位置に、街の光をキラリと反射するものがある。
「大体の
「もしかして、録画が残っていたりしませんか?」
「あーそこまでは分かんないっすね……すいません」
確かに、映像記録が残っていたらイライザたちがとっくに確認している気がする。頭をかく青年従業員にいえいえ大丈夫ですと返して、ハリエットはメモ帳に書き込みを進めていった。
六層の中央部とはいえ午後五時も近いこの時間にはほとんど日も差さず、写真を撮るのを諦めた彼女はポイント周辺をスケッチしていく。手早く鉛筆を走らせていると、その手元を見た青年が声を弾ませた。
「お姉さんめっちゃ絵うまいっすね!」
「えっ⁈ あっ、ありがとうございます」
「ホント上手っすよ。アン――じゃない、妹の持ってる本の挿絵みたいっす」
肌に感じる温度が、スッと下がったような気がした。
「そんな」
「俺あんま女の子向けの本とか詳しくないんすけど、そのシリーズだけは妹の借りて読んだんすよ。機械の国の王子さまが、人間のお姫さまと一緒にいろんな場所を旅する話で……そういえば最近新しいの出ないっすね。お姉さん知ってますか?」
「え……っと」
「――すみません、彼女の観察の妨げになりますから」
静かな声が、二人の間に割って入った。はっとして振り返ると、セブンスがじっと青年を見つめている。「ごごごごめんなさいっす!」と背筋を伸ばした青年が、あたふたと頭を下げた。
「集中したかったっすよね? 気づかなくってすいませんでした!」
「いえ、そこまで気になさらなくても!」
スケッチ作業は、ちょうど一区切りつくところだった。ハリエットはメモ帳を閉じて、青年のフォローに入る。
それから二人は従業員たちに挨拶をして六層のポートを離れ、下へ向かう昇降機に乗り込んだ。地上も日没が近いのだろう。ランプの明かりが目立ち始め、眼下の「二桁層」は暗く沈んでいる。
「……十三層の調査は、後日に回してもらいましょうか」
「そうですね。それがいいでしょう」
眩い灯りや料理店の煙突から立ち上る煙が、上へと流れていく。それを眺めながら、ハリエットは小さく問いかけた。
「わたし、そんなに困っているように見えましたか?」
「はい。返せる言葉はあるものの、あえて返答を避けているように見えました」
「……気を遣わせてしまって、すみません」
俯くハリエットに、セブンスは問いかけた。
「答えたくなければ、そう言ってくださって構いません。彼が言及していた『本』は、あなたに近しい人が書いたのですか?」
「! そうです。よく分かりましたね」
「応接室に、彼の説明に近い小説本がありましたから」
昨日の晩、自分が寝ている間に彼を居住スペースに入れるのは躊躇われて、施錠ができる応接室に残したことを思い出す。応接室の本棚の目立たない位置に入れたままにしていた、華やかな表紙の本のことも。
「読んだんですか?」
「少しだけですが。確か作者は――メリッサ・ブライトンと」
「はい。……母の作品なんです」
友人以外の誰かの口から、何の含みもなくあの人の名前が発されたのは久しぶりだったからだろうか。ハリエットは自然に、彼に向けて物語っていた。
「童話作家で、文も絵も一人で書いていました。人気のある作家だったらしいというのは、大きくなってから知りました。ただ、数年前に右手に怪我をした時、筆が握れなくなってしまって――怪我自体は治ったのですが、心が疲れてしまって、うまく手が動かせなくなって」
傷ついた心が健康な身体の機能すら蝕んでしまうという現象を、機械は理解できるのだろうかとぼんやり考える。
「それで、その怪我が――暴走して道に突っ込んできた機械が掠めてできた怪我だったので、あの人はとても機械を怖がるようになったんです。あっ、赤変とは関係のない、ただの暴走でしたよ! ……その後、しばらく塞ぎ込んでいた母を、被害者の会を名乗る方たちが訪ねてきて……その方たちが何というか、とても激しい考え方を持っていると気づいた頃には、母はそういうのにすっかりはまり込んでいて」
「激しい?」
「機械を、心底嫌うんです。人間の反対側にあるモノ、神の反対側から遣わされたモノだと」
会って数日も経っていない人間に言う話ではないだろう。現にハリエットはこの数年間、誰にも自分から家族の話をしてこなかった。
ただ、人間ではない、しかも半世紀もの日々を越えてやってきた彼になら、話しても大丈夫だろうという気持ちがハリエットの口を動かした。
「機械は、この世界にとってあまりにも当たり前にあるものですから。あの人が発信するようになった言葉は、当然たくさんの人を戸惑わせました。有名な作家だった分、話が広がるのも早くて――」
少し言葉が詰まった。
「ブライトンさん、」
「……今、母は父と一緒に郊外にいるんですが。母のことを知っている人や、母の本を好きだった人に会うと、どうしても困ってしまって。機械と人間のおとぎ話をいくつも書いてきたあの人が、あんな風になっちゃった事、知ったらこの人もショックを受けるかな、と思ったら」
「――ハリエットさん」
顔を上げると、まっすぐにこちらを見つめるセブンスと目が合った。透明なアメシストに、そこそこひどい顔の自分が映っている。
「ご、ごめんなさい急にこんな話をしてしまって。分からなかったですよね」
「……そうですね。私にはまだ、理解しづらい所もありました」
「で、ですよね――」
「少なくとも私は、ハリエットさんが思うままに話して、書いて、笑っている所を見たい」
「んえっ?」
想像の斜め上の言葉が飛び出してきて、ハリエットの喉が異音を鳴らす。セブンスは訥々と、自分の意見を述べ始めた。
「私を作り、長い年月を過ごした
「な、なるほど」
「今のハリエットさんのお話についても、考え続けることにします。いつかはあなたを悩みから自由にできるように」
「……ありがとうございます」
「それと……先ほどの彼を、あそこまで動揺させるつもりはなかったのですが。今後あのような場合、どう振る舞えば良いのでしょう」
真面目な顔で放たれた言葉に、ハリエットは「ふふ」と笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます