第9話 青い目の人形


   * * *


 ノーサンギアの層と層を繋ぐ昇降機の床面積は、大人数が一度に移動できるようにかなり広く取られている。ガラスと金網越しに風景が下へ流れていくのを、セブンスは見るともなしに眺めていた。

 退勤時間とはややズレていることもあって昇降機は空いており、際立った容姿の彼に男女問わない好奇の視線が向いていたが、セブンスが気に留める様子はない。その隣に立つ同行者も、彼に向かう視線には無頓着だった。


「――やっぱり手がかりになりそうなのは、あの子の言葉でしょうか」


 ゴウンゴウンと音を立てながら上昇する昇降機の中でもじっとメモ帳を見つめ続けていたハリエットが、ぽつりと呟いた。


「『あなたが心配』ですね?」

「そうです。『あなた』は一体、誰のことを指していたんでしょう」



 所長から四件の暴走のあらましを聞いた後、二人はそのまま実際に暴走が起きた現場を見にいく事に決めた。そしてまず最初に取り掛かったのは、事務所に置かれたままだった機械人形オートマタの観察だった。


 ふわふわの巻き毛に陶器の頬を持った少女型の機械人形は、大きな青色の瞳をぱっちりと見開いたまま完全に動きを止めていた。背丈はハリエットの腰よりはやや高い程度で、前方に差し出された両手のひらにトレイを乗せれば、ちょうど椅子に座った人間の手元にお茶が来るのだろう。

 メモ帳に鉛筆を走らせ、時折カメラのシャッターを押しながらハリエットは黙々と観察を続けていく。

 

(フリッツ工房の茶運び少女ウェイトレス・ドール――発売されたばかりの頃、とっても人気だったから覚えてる。事務所を開いた頃には流行りは過ぎていたけれど、その分修理の相談も多かった。移動用の車輪の軸がすり減ってガタつきやすくて、何度か交換を頼まれたっけ。あとよく聞いた話だと、発声機能の調子が悪くて声がガラガラになったとか……あれ? でも確かこの子って)


「ブライトンさん」

「っ⁈ なんですかっ、セブンスさん」


 突然後ろから声をかけられて、慌てて振り返る。棒立ちになったセブンスが、ハリエットを見ていた。


「もしよろしければ、感じた事を声に出していただけないでしょうか。そうすれば二人で分析できますし、手書きのメモよりさらに記録の効率が上がるはずです」

「あっ、確かに……そうですね、やってみます」


 提案する彼はいつも通りの涼しい顔だったが、その立ち姿にはどこか哀愁が漂っているように見えた。構ってもらえずにうなだれる犬を咄嗟に連想して、慌ててその脳内イメージをかき消す。ごまかすように、ハリエットはドールに顔を近づけた。

 機械人形によくある仕様で、このドールの制御装置も胸部に埋め込まれていた。ぽっかりと穴が空いたままの胸に鏡で光を当て、単眼鏡モノクルの拡大機能も使いながら慎重に観察を進めていく。


「このタイプの茶運び少女ウェイトレス・ドールは、特定の言葉に反応して簡単なおしゃべりや占いをしてくれたり、歌を歌ったりしてくれるんです。ただ、それはあくまで創った時に読み込ませていたワードやセンテンスを適当に並べて再生しているだけなので……この子がその日のお天気の話をしていたというのが、少し不自然なんです」

「赤変の影響でしょうか?」

「そうだとしたら、かなり昔から記憶石の変化自体は起こっていたという事になりますよね……あ、いえ、待ってください」


 ハリエットが目を留めたのは、記憶石に直接つながっていたはずの部位だった。後から付け足されたようなパーツがいくつか、制御装置に押し込まれている。


「加工された形跡があります。この子、元から改造されていたみたいです。多分、外部から情報データを入力するためのものですね。何かに接続して情報の更新を行っていたんだと思いますが……所長は何かご存じですか?」

「え? あー……確かに何か社員が言ってたが、なんだったか……今度確認して連絡するよ」

「この子が暴走を起こす前、いつもと変わった振る舞いをすることはありましたか?」

「分からんな……強いて言うなら、一週間前くらいから少し反応が鈍かったくらいか? 元々おもちゃが精巧になったくらいのもんだし、多少不器用なのもご愛嬌だと思ってたから気にする奴はいなかったが」


 腕を組む所長に、セブンスが質問を投げかけた。


「普段、みなさんはこの人形ドールとどう接していましたか」

「どう、ね。最初はみんな物珍しくて何度も話しかけてたけど、最近は仕事始めに一言話しかけるのが習慣みたいなもんになってたな。この職場、まあなんというか華はないし――お決まりの言葉しか言わなくても、それなりに可愛がられてはいたよ」


 その後も調査を行ったものの、改造の痕跡以外に目立った異変は見つけられなかった。二人は事務所を離れ、上層にある異変の起きた切り替えポイントへと向かったのだった。



 メモ帳に走り書きした『あなたが心配』という言葉を鉛筆の先でぐるぐると囲みながら、ハリエットは自分自身に問いかけるように言った。


「リフトの暴走を察知して、事務所の人たちを心配していた? それともリフトそのものを?」

「……そもそも『心配』という感情は、どのような場合に発生するのでしょう」

「え?」


 顔を上げ、彼の顔を見る。彼は、少しだけ眉を寄せて口元に手を当てていた。


「身体に損傷を負うリスクやアクシデントにより機能が停止するリスクは、常に誰にでもあります。ですが私はまだ、『心配』という感情を持ったことはありません」


 淡々と自分の解体を依頼してきた彼の姿を、ハリエットは思い出した。


「それは、セブンスさんが自分の……損傷や停止を、怖がっていないからでしょうか」

「はい、おそらくそうでしょう。――あなたが私の今後について言葉を探してくれた時、あなたは私を『心配』していましたか? そうだとすれば、それはなぜですか」

「うーん……?」


 そう言われると途端に分からなくなって、ハリエットは首を傾げた。だって心配なんて、理由を考えながらやるものじゃない。

 ただ、セブンスが自分の行動目的を見失った時、どうにか彼を励ましたくなってしまった理由は自分でも分かる。

 ハリエットの脳裏に、きつく背中を丸めた痩せぎすの姿がよぎった。


(『――どうしようハリー。私これじゃあなんにもないの。描けないんだもの――』)


「自分にはこれしかない」と思ったものをいきなり取り上げられてしまうのは、本当に辛いことだろうと想像できたからだ。


「……計算でリスクを把握できても、実際の理解は伴っていないのかもしれません。近しい人や自分自身が傷ついて悲しんだ時の記憶が、似たような他者を『心配』したくなる気持ちにさせるのかも」

「なるほど……」

「そう考えると、機械が『心配』という感情を知るのは少し大変なのかもしれないですね。あの子はどうやって、誰かを心配するようになったんでしょう」

「……」


 セブンスはそのまま、自分の考えに没頭してしまった。呼吸をしない彼は、こうなると本当に彫像のように見える。

 そんな彼の横顔を見ているうちに、騒がしいベルが鳴り響き、昇降機の扉が開いた。

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