第1部-2章

第7話 最初の朝

 翌日イライザが現れた時、ハリエットは朝食の真っ最中だった。彼女がかなり早い時間に事務所のドアを叩くのはいつもの事だったので、そのままダイニングまで通してしまう。

 慣れた様子で入ってきたイライザは、テーブルの傍に佇む姿に気づいて「うおっ」と小さく声を漏らした。


「え、昨日一日ハリエットの家で過ごしたのか」

「実はあの後、買い出しに付き合っていただいて……その後かなり遅くまで彼の制御装置を確認していたので、そのままここに」

「その格好は?」

「……えっと」


 ハリエットの後ろに静かに立っているセブンスは、丈の足りないエプロンを身につけていた。至って真面目な――というより何の疑問も持っていないような涼しい顔をしているせいで、かえってサイズの違和感が際立っている。


「ブライトンさんに頼んで、こちらを貸していただきました。かつて主人マスターの家で行っていた事を再現すれば、記憶メモリのさらなる解放と再解釈に繋がるのではないかと」


 エプロンが明らかに身体に合っていないのは、ハリエットの身長に合わせて作られたものだからだ。まだ少し驚いた顔のイライザが、「もしかして」とテーブルに視線を落とす。


「ハリエットが食べてるこのパン、君が焼いたのか?」

「はい」


 お皿の上にあったのは、つやつやと輝くクロワッサンだった。イライザの知る限り、ハリエットはいつも朝には目玉焼きを挟んだサンドイッチを食べている。たまに目玉焼き以外の具材が入れ替わるくらいで、メニュー自体が変わった所は見たことがなかった。

 彼女の視線の意味をどう解釈したのか、ハリエットは笑顔で説明を始める。


「アスター氏と過ごしていた頃の自分が今のような思考システムを持っていたら、どんな事を感じていたか知りたいんだそうです。それで、まずはよくやっていた料理をやらせてほしいとセブンスさんの方から頼まれたんです」

「おお……なるほど……」


 イライザは顎に手を添えて、少し考えるような表情を浮かべた。


「良いんじゃないか?」

「わたしもそう思います! 実際、昨晩と今朝の作業で少し思い出せる範囲が増えたみたいで」

「もうしばらく、ブライトンさんのお手伝いという形でかつての行動を再現する取り組みを続けたいと思っています」

「うん……」


 渋いコーヒーが似合う真剣な顔で、女警部は呟いた。


「ワンパターンな料理ばかりのメカニックと、料理上手の機械人形……かなり『良い』な」

「待ってイライザさん、それどういう意味の『良い』ですか?」

「気にしないで良い。自然体で過ごしてもらって、時々心境の変化、じゃなくて記憶メモリ発掘の経過を教えてくれればそれで」

「イライザさん?」


 イライザはひらひらと手を振ってごまかし、「それで、改めて依頼の件だが」と話を変えた。


「重点的に調べてほしいのが、昨日君が止めてくれた運搬機の件だ。赤変した記憶石が引き起こしたと思われる暴走事故は、今のところ連続性のない出来事――つまりそれぞれが別の原因により起きたと考えられているんだが、あの機械は例外なんだ。前日に二件、三日前に一件、同じ輸送業者所有の機械が赤変による暴走を起こしてる」


 四枚の資料が机の上に並べられる。からくりの写真やスケッチ、メモが書き連ねられたそれらは、いわば暴走した機械のカルテだった。


「同じ業者が使ってたってだけで、それぞれの機械は用途も違うしメーカーや製造年度も違う。昨日の話を終えてから改めて確認したけど、自動更新機構の仕様もそれぞれ若干違ってた」

「つまり、『自動更新機構が搭載されている』という共通点しかないと?」

「その通り。要するに糸口なしって訳だ、昨日ここで話した仮説を考えに入れなければね」


 イライザは鉛筆を取り出して、先ほどの資料につらつらと番地を書き込んだ。


「業者の事務所はここだ。捜査協力者が近日向かう予定だと伝えてあるから、時間は取ってもらえるよ。ハリー、今日空いてる時間はある?」

「午後三時の修理依頼が最後なので、四時ごろには時間が取れるはずです」

「分かった、じゃあそう伝えておくよ」


 鉛筆をしまって、イライザは二人に微笑んだ。


「何かあれば、いつでも連絡してくれ。何もなくても良いよ、友人としての会話でも」

「それはさすがに……」


 苦笑いしたハリエットを見てイライザは微かに眉を下げ、「それじゃあまた」と手を振った。


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