第6話 空が見える場所


   * * *


 下から吹き上がる風が、ハリエットのお下げ髪を揺らした。

 背中に飛行補助装置アシスタント・ユニットを載せた伝書鳩が、手紙を収めたボックスを掴んで舞い上がっていくのが見える。蒸気機関のうなりと歯車の噛み合いが生む騒がしいこの街の音が、ここからは遠く聞こえた。


 抜けるような快晴の今日、街全体を見下ろせる四層のパークは大勢の市民で賑わっていた。曇りの日には立ち込める霧のように全てを埋め尽くしてしまう工場の煤煙も、今はたなびく雲のようにしか見えない。


「あの……本当に、重くないですか?」

「重量限界までは余裕があります」


 ホワイトアッシュの髪をなびかせて彼女の隣に立つ青年は、腕いっぱいに食料品や雑貨を詰め込んだ紙袋を抱えている。透明な瞳が風景を映して、静かに瞬いた。


   * * *


 ――数時間前。


 話を一通り終えたイライザが慌ただしく事務所を飛び出すのを見送ってから、ハリエットはすぐさま玄関に「本日お休み」の看板を置いた。それからばさりと椅子に腰掛けて、大きく息をつく。

 しばらくそのままじっとした後、おもむろに顔を上げて青年を見た。


「イライザさんの提案、どう思いますか?」

「私の目的を達成する上でも、優れた提案です。ぜひ、あなたのお手伝いをさせてください」



 青年……の姿形を持つ機械人形『セブンス』が自身の呼び名と製造者を思い出してから、事務所はちょっとした騒ぎになった。

 そもそも百年も昔の機械人形ともなれば、本来なら記念博物館でガラスケース越しに展示されていてもおかしくないものだ。ましてや伝説の中の伝説〈ウルカヌス〉の作品と来れば、もうとんでもない一大事である。


「アスターは記憶石研究の分野でたくさんの功績を残した職人ですが、彼自身が最後まで完成させてナンバリングした機械マシンはほとんどないんです」


 職業柄、近年の機械には詳しくても歴史には疎かったイライザに、ハリエットは両手を振り回して熱弁した。


「記録に残っているもので六個だけ、あとは噂話の域でしかありませんでした。もし『セブンス』さんが七番目の作品なら、歴史的な発見です!」

「……なるほど」


 イライザは腕を組んで、ハリエットの主張を受け止めた。頬を紅潮させるハリエットに対して、彼女の表情は固い。


「『セブンス』さん。君を創ったというアスター氏について、もう少し思い出せないか? 彼はまさか、記憶石の更新機構を発明した時に……今の事態を引き起こすような仕掛けをしていたのか?」


 彼女が言わんとしていることを察して、ハリエットは息を飲んだ。もしも自動更新機構を発明した職人エンジニア自身が意図して暴走の原因を作ったのだとしたら、それは途方もない悪意だ。

 二人の視線を一身に受けながら、セブンスは淡々と答えた。


「仕掛けをしたという表現には語弊があります。主人マスターはおそらく記憶石が持つ性質を基にこうなる未来を予測した上で、その対応は後世の人々に一任するつもりだったのでしょう。記憶石に起きる変化について、『僕の力一つで起きるものではないし、僕が止められるものではない』と語っていましたから」


 抑えきれなかったため息と共に、イライザは椅子の背にもたれかかった。


「無責任というか、楽観的というか……変化が起きた機械がどれも、君のように冷静さを保てると思っていたんだろうか?」

「そういう人間ではありました。機械に関して、いわゆる『夢見がち』な予測を行うことが多かったと記憶しています」


 ただ、と彼は少し俯いて続けた。


「予測通りの変化が実際に私の記憶石に起きた今、彼の楽観には一理あると感じています。回路の発達により意識のようなものが生まれた時、私が最初に覚えたのは戸惑いでした。街の人たちの言葉から『私自身を止める』という目的を得て、次に覚えたのが安堵です。

 ――たとえ思考システムが変化しても、私たちはあくまで人間の望みに応えようとします。『暴走』が人間に危害を加える結果を招いたとしたら、それはきっと本意ではありません」


 顔を上げた彼の声には確かな芯が通り、意思を持って二人の耳を打った。


「わかった。なら、こういうのはどうだ」


 イライザが身を乗り出し、セブンスに顔を寄せる。ハリエットに依頼をした時と同じ笑顔で、彼に告げた。


「セブンスさん、君はハリエットの助手になるんだ。どの道今の警察隊では君への対応は手に余るし、『当事者』からの意見は何より貴重だろう」

「えっ」

「……」

「ハリエットには調査と彼の経過観察、二つを依頼する形になる。もちろん二件分の依頼料を払うよ」

「依頼料というか――」


 ハリエットたちが返事をするより前に、イライザは時計に視線を走らせるや慌ただしく立ち上がった。


「すまん、そろそろ行かないと。明日もう少し詳細な報告ができるだろうから、それまでに返事を考えておいてくれ。じゃあまた!」


 そしてイライザは去っていき、急に静かになった事務所にハリエットとセブンスだけが残されたのだった。



「わたしとしても、手伝っていただけるのはありがたいです。ひとまず今日は、元々急な依頼がなければお休みにして買い物に行く予定だったので……セブンスさんも今日のところは、」


 お帰りになっても、と言いかけて、ハリエットは言葉を止めた。セブンスがゆるくかぶりを振って、彼女と目を合わせる。


「私は体を休める必要もありませんし、主人マスターの家で今やっておきたいこともありません。ブライトンさんに同行させていただけませんか? 荷物の運搬ならお任せください」


   * * *


「ノーサンギアは、五十年の間にここまで成長したんですね」


 街を見下ろしながら淡々と呟く彼の横顔は、冬の湖のように凪いでいる。


「アスター氏が亡くなってからは、ずっと外に出ていなかったんですか?」

「はい。定期的に屋敷内の清掃を行っていただけで、外出する事は全くありませんでした」

「五十年も……」


(わたしが生きてきた年月の何倍も、一人で)


「想像もつきません」

「実のところ、私もです」

「え?」


 セブンスは眼下の風景から目をそらし、視線を隣のハリエットに移した。


「情報を解釈するシステム自体が変化したからでしょうか。その頃の私と今の私の記憶メモリには確かな連続性がありますが、それを振り返る私自身は別人になったかのように感じます。事実が書かれた本を、ただ読んでいるような感覚と言えばいいでしょうか」

「そうなんですね……」

主人マスターと過ごしていた時間についても、同じなんです」

「!」

「彼やその家族と共にここを訪れたことも、何度もあります。彼らの会話も、少しずつ思い出せるようになってきました。ただ、そこに私の意識はありません。彼らがあの頃何を思い、どんな感情を抱いていたのか、まだ私は理解できていません」

「それは……もどかしい感覚ですね」

「もどかしい……そうですね。できることなら、あの時汲み取ることができなかった感情を、私は理解したい」


 セブンスは何かを考えるように目を伏せ、それからふっと顔を上げた。


「ただ、分かったこともあります。目覚めてから、私は三つの感情を自分のものとして感じ取りました。戸惑いと、安堵と、もう一つ……喜びです。あなたが私のために言葉を探してくれていると分かった時、私は自分の役割を教えられた時よりも温かい感情を覚えた」

「え、そんな」


 突然の言葉にまごついたハリエットが謙遜の言葉を口に出すより先に、感情を知ったばかりの機械人形オートマタはふわりと笑った。


「ありがとうございます。私が頼ったメカニックが、あなたでよかった。――これから、よろしくお願いします」

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